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息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

明日は 子どもたちとの出会い

2017年04月05日 23時17分37秒 | 教育を考える
 明日は短時間とは言え、新しく受け持つ子との初対面です。
 子どもたちがそうであるように、私もまた楽しみで、胸をわくわくさせています。

 今日は、旧担任との引き継ぎで、子ども1人1人の様子を詳しくうかがいました。

 たった10年前後しか生きてきていない子たちなのですが、驚くほど、個々さまざまな問題を抱えていることに、改めて驚きました。

 「ちょっとしたことで、いじけてしまって、なかなか立ち直らない」
 「正義感は強いが、少しけんかっ早く、よくトラブルを起こす」
 「どうも、お家の方に放っておかれているようで、宿題、提出物など、ほとんどやってこない、持ってこない」
 「アトピーが強くて、いつもいらいらしていて、授業の内容が頭に入らないようだ」
 「自分の思いを言えないので、友だちからも孤立している」
 「おばあさんに育ててもらっているようで、担任はお母さん、お父さんとは1度も会えないでいる」
 「去年、家出をして、駅で補導されたことがある。新しいお父さんになじめないようだ」
 
 みんな自分がなりたくてなったわけではない。
 小さな胸を、自分では訳もわからないまま、痛めている様子が痛いほどです。

 笑顔と希望を与えられるクラスにしていきたいと、切に、切に、切に願う。
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教師の多忙 ここまで来たか

2017年04月04日 23時34分48秒 | 教育を考える
 職員会議
 分厚い「教育計画」を、それぞれの担当が説明していく。
 今年度の教育活動について。今回は、半分くらいの分野の説明だ。
 
 「OJTはロングとグループがあり・・・」
 「コミュニティスクールを今年から準備していきます。そのために・・・」
 「学校のきまりはたくさんありますから、頭に入れておいてください・・・」
 「研究は、5月の研究授業から、分科会ごとに行います・・・」
 「周年の行事は、4つのチームで取り組みます。ひとつは記念誌を担当します・・・」
 「保健の名簿を、明日までに名前のハンコを押してください」
 「1年生を迎える会の出し物は、ひと学年5分を厳守してください」
 「うちの学校には、特別時間割が4種類ありまして・・・」
 「朝は、15分、英語の学習をします。教材は1冊まるごと学年にお渡ししますから、よく読んでお使いください」
 「東京のベーシックドリルは、どのクラスも取り組んでほしい。去年はばらつきがありましたから・・・」
 「家庭訪問は、26ページの要領で実施します。よく読んでおいてください」
 「今月の行事予定は、7ページにありますが、訂正が3カ所ありますから、書き込んでください」

 延々と続く説明。
 みな該当する冊子のページを開くのに必死で、やっと開いたと思ったら、もう次の説明に移っているほど。
 担当は早口だ。

 聞きながら、
 ああ、かつては「教材研究もできないくらい忙しい」と言われたが、最近は「授業すらできないほどの多忙」になってしまったなとため息。

 新しく着任した人に、そっと聞いてみると、
 「さっぱりです・・・」と苦笑して答えてくれた。
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詭弁の極み 菅官房長官の下劣な論理

2017年04月03日 22時34分26秒 | 教育を考える
 これは大量殺人兵器である原爆です。
 あっ、ただこの鉄板は、包丁にもなったり線路にもなったりして人間社会にはとても役に立っています。
 だから、原爆はまるごといけないとは言えないのです。

 こんな論理がなりたたないのは自明である。

「菅義偉官房長官は3日の記者会見で、憲法や教育基本法に反しない形での教育勅語の教材活用を否定しないとした政府答弁書について、「親を大切にとか、兄弟姉妹仲良くとか、教育上支障のないことを取り扱うことまでは否定しない。適切な配慮の下、教材使用自体に問題はない」と説明した。その上で「懸念は生じないと考えている」との認識を示した。」 [時事通信社]

 もし、「教育勅語」の一部が「親切」「兄弟愛」を説いていたとしても、本筋はそんなところにはない。
 要は「天皇の治めている日本を守れ」「日本を治めている天皇を守れ」なのである。

 菅氏の論理はめちゃくちゃである。

 それが分からないのであれば、官房長官の資格、資質はない。

 分かっていて表明したのであればもっと悪い。議員も辞めてもらいたい。あなたに日本を、教育を語ってほしくない。

 

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ついにここまで! テストを選ぶ

2017年04月03日 21時13分10秒 | 教育を考える
学年の同僚と、1学期に使用するドリルやテストを選んだ。
 
 最近は「手作りテスト」「手作りプリント」が少なくなった。
 そこまで手が回らないといった、教員の多忙が一因だ。
 また、通知表、指導要録などの「教科の評定・評価」が、「知識」「技能」「関心・態度」「考え方」の4つに区分け、分割され、
それに基づいて私たちは「作業」するようになり、業者のテストには、その4つの観点に分けられた問題が配置され、出されているので、
私たちはそれに安易に寄りかかって使用しているとしう「堕落」も背景にある。

 そんなことをしているものだから、4月の集金が最近は金額が非常に高額である。
 「できるだけ私費を増やさないようにしよう」といった声もほとんど聞かない。

 そして今日。テストの選定をしているときに、こんなコピーの書かれたものがあった。

 「少ない枚数だから、らくらく」
 「答え合わせの手間をはぶくシートがついてます」

 なるほどね。
 忙しくて、テストの丸付けすら時間を割けない私たちの「願っていたテスト」だというわけだ。

 ただ、これを「誘い水」にしていいものか。
 
 業者としては、なかなかの現状分析。
 教師にとっては、屈辱のキャッチフレーズ。

 
 
 
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新担任としてやってみたいこと その6

2017年04月02日 20時58分47秒 | 教育を考える
⑧ 話は最後まで聞く

 若いころは、子どもが何かしたときの聞き取りで、話を折るように途中で、
 「だからそこがダメなんだ」とか「あっ、そこが甘いんだよなあ」と突っ込みを入れたものだった。
 子どもとしては最後まで話せない不満が生じ、私は私で、そこから一方的な「指導」に陥る。

 子どもに最後まで話させて、自分で自分のしたことを整理するゆとりと力をあげることだ。

 話しながら子どもは、自分を客観視する。
 それを育てない限り、毎回、「指導する」「指導される」という次元でとどまってしまうだろう。

 自分の少しの変化を自覚させること。
 そこが担任として、子どもと対峙する第一歩なのだと思う。

 

 言いたくなることを我慢して、子どもの言い分を最後まで聞くこと。

 
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新担任としてやってみたいこと その5

2017年04月02日 19時30分11秒 | 教育を考える
⑦のつづき

 文を書く際に、毎年、子どもに話していることをひとつ。

 「これだけは使ってはいけない」

 すごい、いろいろ

 この2つは基本的に使わないこと。
 
 「すごい」は、「すばらしい」「ひどくよくない」の両方の意味で使われる。
 子どもたちが感想などを書くと、かなりの頻度、割合で「すごかったです」といった表現を使用している。
 文脈をたどれば、それがプラスの意味がマイナスの意味かは分かるが、この言葉でもって十把一絡げに「思い」「感情」を表現するのでは、まったくもって能がない。
 
 「すごい」ではなく「すごく○○」といった表現とするか(すごく=とっても として使う)、別の表現を考えなさいと話す。

 「いろいろ」は「逃げの言葉だ」として話す。
 「今日は、いろいろ勉強になりました」
 まったく中身がない。それで済まそうとするならば、自分の脳の退化となる。

 使いたいなら、そのあとに「いろいろ」の中身を、せめて複数は例示しなさいと指示する。
 箇条書きでもいい、とにかく「いろいろ」の中身がない文ならば、まったく価値がない。

 この2つは、何度も何度も、いやになるほど子どもたちに言う。
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新担任としてやってみたいこと その4

2017年04月02日 10時58分14秒 | 教育を考える
⑦ やはり国語が土台

私は数ある教科の中でも、国語を最重要視する。
日本語を自由にできないものが、他の教科もわかるはずがない。日本語を上達してこそ、自分の思いを整理し、周りに伝えることができる。自分の考えを研ぎ澄ますためには、言語能力のアップが必須だと考えているからだ。

いつも子どもには話しているが、騙されない大人になること。自分の頭で考える力を得ることが、私の目標だから。

まず書く力を育てたい。
とにかくたくさん書かせる。考えながら書く。
そのために、「書くことが楽しい」ような工夫を凝らす。
最近は、「文章力トレーニング」と題して、週に一回作文の課題を授けてきた。課題は私の指定。「先生あのね」のアイデアもいいが、もう少し絞りこんだものがいいと思う。
言葉遊び「回文を作ろう」「アクロスティック」など、「次の4つの言葉を使って物語を書きなさい。犬、時計、ケーキ、お母さん」「生まれ変わるとしたら?」「浦島太郎の続きを作ろう」 「言葉を定義しよう。(例えば、「鼻」=「顔の真ん中にある、息をするときの穴があいた体の一部」)」、「いま、静かにして、聞こえてくる音を書き連ねてみよう」などなど。きりなく課題はあるものだ。

ノートに書く感想も、とにかくたくさん書かせる。

1年間続けると、はっきり分かるくらいに文章を書くことが苦にならなくなる。
もちろん「これは」といえるものは学級通信で逐一掲載し、全員に広げる。

音読もばかにならない。
声に出すこと。言い回しを意識することは大切なことだ。暗誦もいい。ただ、これだけを追究すると、表現が後回しになることもあるから、たまにでいいと考えている。
家庭にお願いするのが効率的で、親子の対話にも一助にもなる。

読む分野では、教材文を自分なりに読み解く。先に示したように、指導書には頼らない。まず、自分で考える。何が今の子にとって必要かを考えながら。そして授業の展開を構想する。子どもの立場になって、やる気が出るようなものになるかどうか予測して。

小休止。
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新担任としてやってみたいこと その3

2017年03月31日 22時09分54秒 | 教育を考える
⑥ 指導書に頼らない

 私は、指導書をほとんど見ない。
 まずは、今、目の前にいる子ども達が、この内容で、何を知ってほしいのか、分かってほしいのか、
何ができるようになってほしいのかを考える。
 何回も何回も、教科書の文を読む。

 それから、そのためには、どのように授業を組み立てていったらいいのかを考える。
 まず、子ども達に考えさせる時間を作るのか。そうならば、どうやって「考えてみようか」という意欲が湧くのか。
 いやいや、話し合って、意見を出し合ってみてはどうか。
 ノートに自分の考えを、まず書かせよう。
 ヒントは必要か。資料を提示してみよう。映像がいいかもしれない。
 意欲的に「学んでみよう」とするための工夫は。

 などなど。

 獲得させたい力(知識・技能)→授業の形態、展開

 3点目は、「獲得の遅い子」にどうするか。
 これが肝心。たいがいの人は、これを抜かして「全員ができた」的な自己評価をする。
 お隣さんが教える、援助する。
 できた子から「先生役」として手伝ってあげる。
 私が直接、個別に指導する。
 など・・・

 獲得させたい力(知識・技能)→授業の形態、展開→全員ができる(分かる)ようにするための工夫

 そして、自分の出来栄え、到達度、理解度を測る工夫を考える。

 知識的なものなら、ミニテスト風に。技能的なものなら、実際に作ってみる、書いてみる、発表してみる。
 感想に書いてみるなど。
 

 獲得させたい力(知識・技能)→授業の形態、展開→全員ができる(分かる)ようにするための工夫→自分の到達度を知る。

 最低この4つがてきていれば、まず授業は「大崩れ」はしない。

 自分の頭で考えることこそ大事なことだ。
 心配なら、そこで「指導書」を見てみるといい。「私のほうが、きっといい授業になる」と思ったら、しめたものだ。

 はじめは、なかなかうまくいかないまでも、「場数を踏む」ことで、何かが見えてくるものだ。

 指導書はあくまで「標準」のものだ。眼前にいる子ども達は、「標準」ではないのだ。
 それぞれが個性を持った子の混合集合体である。

 指導書をせめて後回しにすること。
 あなたの指導力、授業力は、自分の頭を使わない限り、身につくものではない。
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新担任としてやってみたいこと その2

2017年03月31日 06時14分39秒 | 教育を考える
⑤ カルテを作ろう

 カードでも、小さなノートでも、パソコンにフォルダをつくってもいい。
 私はノートに、見開きを1人分として名前を書き込みます。

 そこに、毎日何人かずつ、
 日付、思い出したこと(発言、発表、活動、友だちとのこと、気になることなど何でも)、親からの要望などを、ちょっとしたコメントをつけて書きます。長文にすると負担になって続かないので、キーワードが中心。

 4/5  中休み 教室のゴミをひろう 指示なし ほめると笑顔
 5/10 社会 縄文式土器 ノートにコメントをつけてまとめる 花マル!
 5/12 外に出ない 友だちが少ない? 体育は得意だと思ったが・・・ 
 6/7  転んだ2年生の子を保健室に U先生から やさしいねとほめる

こんな具合に。

 これを毎日、思い出したら書くことを習慣にする。
 
 これは、クラス作りにも、家庭訪問、面談、学級通信、通知表など、あらゆるところに使えます。

 最初は大変ですが、絶対にやるべきだと思う。
 自分の「子どもを見る目」の訓練にもなる。
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新担任としてやってみたいこと その1

2017年03月28日 22時46分38秒 | 教育を考える
 4月になって、新しい子ども達との出会いを前にして、「これだけはやりたい」「やっておくべきこと」を書き連ねておこう。
今までの私の実践からの教訓や蓄積をまとめるものだが、これから教員になる人、新しく担任となる人には参考になる、かもしれない。

 Tossでも、「黄金の◎◎」といった実践が紹介されている。それもバカにはできない参考例だと思えるが、それだけではもちろんない。
 
 わくわくしながら、連載していく予定である。

 ①ゴールデンウィークまでに、子ども1人1人の「いいとこ」を探して、家庭に手紙を書く。またはメッセージを送る。電話で伝える。

 担任と家庭との隔たりは、私が教員になったころと比べ、圧倒的に大きくなっている。ふだんのつながりが薄いものだから、保護者と担任とが、なにかのきっかけでこじれてしまったら、これだけで1年間を棒に振ることになる。
 はじめに、どんな小さなことでもいい、褒める材料を探して、それを親に伝える。全員に!
 最初に取り組むこれだけで、まずは「自分の子を認めてくれた」として、プラスの感情をもって担任を受け入れてもらえるだろう。
 私は、学級通信とともに、大変だけれども1人1人をじっくり見て、いいとこ探しをするようにしている。もちろん、親との関係だけでなく、それからの担任と子どもとの関係にプラスとなって返ってくる。

 ②教室を第2図書館とする。

 幸いに、私の教室には今、約500冊の本がある。<私がブックオフで買ったもの(ほとんどが108円のもの)、受け持った家庭に「中学に進学したお兄さん、お姉さんが、かつて読んで、そのままにしている本を寄付してください」とお願いして、もらったものが半々>
 教室を本だらけにして、いつでも読める空間を作る。教室自体をアカデミックなものにしたいと思ってきたから。
 同じ学年の子にも、「いつでも借りにおいで」とする。

 ③家庭訪問の際に、親への宿題として、「お子さんが今、夢中になっていること、この話題で話せば、目が輝くということを教えてください」というお願いをし、回答を得ること。

 担任は、全体を動かすというだけでなく、1人1人とつながっていくことが大切なのは言うまでもない。その子が、今何に興味を持っているのか、何をがんばって(がんばろうとして)いるのかを早急につかむ必要がある。4月現在で、1番子どものことを知っているのは親しかいない。同時に、友だちから、本人からも取材をし、その子とのつながりをはっきりさせる。

 ④学級通信は私の必須アイテム

 私の学校では発行している人が、圧倒的に少ない。だからだめだということはないが、やはりアナログ的なつながりが重要だと思っている私には寂しいものだ。毎週出している人もいたが、中身は「今週の予定」「もちもの」「学習の予定」が中心だった、それもありだとは思うが、私は事務連絡の記事は載せないようにしている。
 今年は96号。2日に1回の頻度。あまり号数にはこだわらず、中身で勝負。もちろん親も子も読んで楽しいものにしたい。
 だから内容は、子どもの生き生きとした様子、成長の証など、動きのあるもの、私の考えなどとしていきたい。

    つづく
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今どきの教師は(笑)

2017年03月26日 20時27分30秒 | 教育を考える
技術先行、知識、学問は後追い、または無関心。

なんて言うと、「お前だってかつてはそうだったろう」と、強く返されそうですが。

しかしそれは違う。
私はもともと法学部だったから、教師になりたいと思ったのは、教師になってから。最初は社会教育学、いや教育社会学を勉強しようとして、大学院に入った。そこでは担当教授と意見が合わなくて(いま思えば若さゆえの暴走)、ならば現場にと、埼玉で学校事務として働きながら、通信教育で教員免許を取得した。さらに教員になれば、私の学問が現場仕込みとなると考えて、東京都の採用試験を受け、ようやく現場に到着。
それでも教員は、3年くらいで辞めるつもりでいた。最初は6年担任。
前の担任が、親と子どもとうまくいかないで、急遽私になったものらしい。すごい人事だ。
なるほど、始業式の朝に、教室の扉をあけると、上から黒板消しが落ちてきた。教卓の上に、ゲジゲジのゴムのおもちゃ。かなり古典的ないたずらだ。
もうよく覚えていないが、あとは楽しい1年だった。当時流行っていた「君の瞳は一万ボルト」をへたなギター伴奏で、みんなで歌ったり、先輩教師が持っていた飯能の別荘を借りて、夏休みにキャンプをしたり、私のうちに遊びに来させては遊んだり。今となっては考えられないことをたくさんしてきた。毎月のように、お父さん、お母さんとは飲み会をした。毎日、学級通信も出した。もちろん当時はパソコンどこれかワープロもない時代。がり版、ボールペン原紙に、カリカリと毎晩ペンを走らせた。
3年の腰掛けが、いつの間にか、5年、10年となり、ついにここまで来てしまった。

話を戻そう。
初めて教壇にたったとき、恥ずかしくも私は、ばんしょ、はつもんなどの言葉を知らなかった。
だから、そのあとの猛勉強は、懐かしく、苦しい思い出だ。同僚に質問攻め、本を読みまり。
大学では、自分ではかなり勉強したと思うし、自治会、サークルの経験も貴重であった。
素人が先生になるための苦労は私しか知らない。

その尺度で、若いものをみているせいか、やはりじれったい。
やり方だけが上手くなり、それは指導書かネットのコピー。自分の頭で考えることが衰退していることは確実に言える。

さらに、社会の事象に疎い。忙しすぎて暇がないこともあるのだろうが、あまりにも主権者としての権利意識がない。未来を担う子どもに語れるものが、何もないのではないかと思う。

社会の中での自分の客観的な位置が分からないのでは、目先の自分の損得で生きていくしかない。上には従順、下にはふんぞり返っている教師の、なんと多いことか。

もっと学問せよ。
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先生 ごめんね

2017年03月25日 08時47分06秒 | 教育を考える
 「先生、ごめんね。先生の言いたいことは、とってもわかっていたのに、私はみんなに注意することはできませんでした。いつかなんとかなしなければ、と思っていたのに、ここまで来てしまいました。中学校にいったら、ぜったいに変身して、勇気ある私になりますから。・・・」

 「ずっと、いたずらやいじわるを知っていても、注意できなかったぼくは、すごーく反省しています。先生が注意しているたびに、<そうだ、その通り>とおうえんしたかったのに、声がでませんでした。少しずつぼくは、変わろうと思うから、先生、楽しみにしていてください。先生は大変だったと思うけど、とっても楽しかったよ。」

 「先生の授業は、マニアックで、教科書にないことをたくさん話してくれて、すごく楽しかったよ。いろいろあったけど、6年のたんにんの先生としては、ぼくてきに、当たりでした。」

 「先生は、いつも<自分の頭で考えること>の大切さを話してくれました。いまふりかえると、本当にそうだなあと思っています。私もみんなのふんいきに流されることが多かったけれど、それは私とは言えないもんね。そんなことがちょっとわかったとき、もう卒業になってしまいました。でも、これで終わりじゃないから、しっかりした大人になるまで、ずっとがんばっていきます。先生、見ていてね。」

 「先生の昔の話、とっても面白かったし、よかったよ。なんか学校の先生っていいなあと思いました。うちのクラスは、毎日いろんなことがあって、先生は毎日たいへんだったと思うけど、それでもいつも笑っていたのがすごいと思いました。ひどいクラスを、ずっとあきらめないで見てくれてありがとうございました。」

 「私は、5年のクラス替えのときから、このクラスがきらいでした。みんな、自分では何もできないくせに、人をばかにしたり、いじわるしたりするときは、かたまって平気な顔をしてやってしまう。だから、みんなその仲間にはんこうしないように、ひっそりとしている。6年生になって、先生はちょっとそれを変えてくれました。完全ではないけれど、私もちょっと勇気をもらった気がします。もう先生とさよならするのは、つらいです。もう少し1年が長いといいなと思いました。ありがとうございました。私、がんばるからね。」

 「<流されるな><自分の頭で考えろ> 先生の言葉をわすれないでがんばります。今はできないけれど、ずっとそうできたらいいなと思っていました。みすてないで見守っていてください。」

 「同調圧力というむずかしい言葉を先生が話してくれたとき、あっこれ、うちのクラスとまったくおんなじだと感じた。まわりの友だちからいじわるをされたとき、ぼくはへらへらしていたけれど、それじゃだめなんだ、<やってもいいよ>になってしまうんだということになっちゃあんだということに気がつきました。まだおそくないよね。先生、ぜったいぼくは変わるからね。」

 「先生が、とうこうきょひにならないか、ずっと心配してました。先生ってタフですね。死ねなんていわれても、先生はめげないで、その子にずっと話しかけてくれていたし。なにもできないで、先生、ごめんね。心の中ではおうえんしていたんだよ。」

 「先生の子どものころの話と、授業中のだっせん話が、とっても好きでした。それとは関係あるかわからないけど、勉強するって楽しいなと、はじめて思うことができた先生だったよ。先生にはんこうしている人たちも、そのときはシーンとして聞いていたもんね。そんなとき、先生ってすごと思いました。家出したら、とめてください。」

 「1年間、先生、よく生きていましたね。私だったら、きっと先生をやめちゃっているよ。先生はなにがあっても、へこたれないで、すぐに楽しい授業をしてくたこと、私はすごいな、すてきだなと思っていたよ。次に教わる子は幸せだなと思う。いつまでも元気でね。長生きしてね。」

 「最後の学級通信で、ひとりひとりの宝物を書いてくれてありがとうございます。お母さんは、それを読んで、ぼろぼろ泣いていました。先生にはよく怒られたけれど、ぼくも<流されて>わるばかりしていたけど、それだけじゃなくて、いいところがあるのに気づかせてくれたことにおれいを言いたいです。先生、ごめんなさい。そしてこんなぼくでも、いっぱいいいところを見つけてくれて、ありがとうございました。」

 「さいしょは、あまい先生だなと思っていたんだけど、とちゅゃうからそうじゃないことが分かりました。こわいだけじゃ、うちのクラスはぜったいもたないです。話を聞いて、みんなをせっとくすることで、先生はみんなの心の中をかえようとしていたのですね。こわいときもあったけど、ほとんどがちゃんと話を聞いてくれて、それから先生の考えを話す。そんなやりかたを、私は、なんてねばりづよい先生なんだろうとそんけいしていたよ。うまくいかないこともあったとおもうけど、私もそんな大人になりたいなと思ったよ。」

 「ことばにださないけれど、みんな先生をおうえんしていたよ。先生のおかげで<流される><群れる>ことから、自由になれたし。強い自分にしてくれたこと、ずっとわすれません。」

 子ども達からもらった1冊のノート。

 卒業式後の飲み会がお開きになり、ひとり喫茶店で開いて読む。
 涙が止まらなくなる。「泣かない」と決めていたのに・・・

 深夜で周りにお客がいなくて幸運。

 教師冥利に尽きる場面。
 
 まっ、苦労させてくれた子どもたちだが、なんと可愛いことよ。

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まだ学校で泣いてません

2017年03月23日 22時11分18秒 | 教育を考える
 別に片意地を張っている訳ではありませんが、私はまだ学校で泣いたことがありません。

 もともとは「泣き虫」
 「かわいそうなゾウ」なんぞ、絶対に音読できません。
 親子ものの小説は、涙なくして読み終えることはできません。
 澄んだ夜空、降るほどの星を見ただけで涙が出てしようがないときもあります。
 父のことを思うと、2回に1回は泣いています。

 しかし、学校ではなかない。
 明日は卒業式。
 私にとっては、13回目の「6年担任としての」卒業式。
 「広い世界」を聴くと危なくなるのですが、今回も泣きません。

 泣いて、担任の仕事ができなくなるのがいやなだけです。
 泣いただけで・・・と思われるでしょうが、やはり感度は落ちるはずです。

 つまらないこだわり。

 久しぶりのやりがいあるクラス
 
 毎朝、心臓を握りつぶされそうな感覚となったクラス
 しかし、不思議と「生きたくない」とは思わなかったクラス

 明日でおしまい
 
 人間関係で、がんじがらめのクラス  自分を失った関係から さようなら

 やっと旅立てるね みんな
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特別授業 続き フェアトレード

2017年03月22日 20時46分37秒 | 教育を考える
社会はフェアトレードの詳細版。チョコレートの原材料であるカカオ豆の農園で働く子どもの実態を話し、学校に通えない子どもたちがたくさんいることを、日本の子どもからすれば小遣い程度の賃金などを数字に出して説明しました。
同じようなことは、バナナ、紅茶、衣類、サッカーボール、コーヒー、スマホのバッテリーに使われるコバルトなどの栽培、採掘の場でも行われている現状についても言及しました。
授業の終わりに、池袋の東武デパートにあるフェアトレードの店で買ってきた四種類のチョコを、みんなでコッソリ食べました。
「心で味わってください」
そんな言葉を添えて。

哀しいかな、私は小学校時代に受けた授業のことを、何一つ覚えていません。
遠い昔だから、ということもありますが、やはり担任の先生の授業に因があると考えています。

だからこそ、片鱗でもいい、記憶に少しだけ残るような授業をしたいのです。

成功したかどうかは分かりませんが、みんなの感想では、おきまりの「かわいそう」もたくさんあったけれども、「こんなにいいことが、なんでまだ広がっていないのだろうか」「もうけを考えたら、給料が安いほうがいい。だから、なかなか解決はむずかしいなと思う」 「ぜんぜん知らなかったし、家でも話題になったことがありません。お母さんに教えてあげたい。」「吉祥寺にもお店があると先生は言ったけど、いつか行って話を聞きたい!」「安いものはみんな外国で作られているのは知っていたけど、安けりゃいいと買ってきた僕はちょっと複雑な思いです」 などなど、いつにないものも数多くありました。

少しでも、記憶に残りますように。
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卒業前の特別講義

2017年03月20日 01時07分32秒 | 教育を考える
 毎回、6年の担任をしたときに行うようにしている。
 私なりのテーマで子どもたちに語る。

 「分かろうが、分からなろうが、いっこうにかまわない」内容だ。
 しかし、あとで卒業生に訊くと、けっこう楽しかったと言う。
 自己満足と思われてもいいが、私としては、未来の子どもたちへのメッセージ。
 いつか分かるかな、関心を持ってくれればいいなくらいのものだ。

 さて今回は何にしようか。
 4コマをとっているので、その数の分を考えなくては。

 ※フェアトレード、チョコ、児童労働 については確定。

 できたら、
 宇宙史、進化の歴史
 日本語の奥深さ
 自分の頭を使うことの重要性、騙されない、群れない・・・など
 発明の楽しさ
 論理の力を磨こう
 当たり前だと思っていることを疑おう、作り替えよう みたいなテーマ
 中学数学への道しるべ

 現時点での、私が子どもたちに語りたいこと

 あと1日で、なんとか絞って、構想を練ることにしよう。

 今は、群れて、聞く耳を持たない彼らも、少しは記憶にとどめてほしいものだ。
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