息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

新担任としてやってみたいこと その3

2017年03月31日 22時09分54秒 | 教育を考える
⑥ 指導書に頼らない

 私は、指導書をほとんど見ない。
 まずは、今、目の前にいる子ども達が、この内容で、何を知ってほしいのか、分かってほしいのか、
何ができるようになってほしいのかを考える。
 何回も何回も、教科書の文を読む。

 それから、そのためには、どのように授業を組み立てていったらいいのかを考える。
 まず、子ども達に考えさせる時間を作るのか。そうならば、どうやって「考えてみようか」という意欲が湧くのか。
 いやいや、話し合って、意見を出し合ってみてはどうか。
 ノートに自分の考えを、まず書かせよう。
 ヒントは必要か。資料を提示してみよう。映像がいいかもしれない。
 意欲的に「学んでみよう」とするための工夫は。

 などなど。

 獲得させたい力(知識・技能)→授業の形態、展開

 3点目は、「獲得の遅い子」にどうするか。
 これが肝心。たいがいの人は、これを抜かして「全員ができた」的な自己評価をする。
 お隣さんが教える、援助する。
 できた子から「先生役」として手伝ってあげる。
 私が直接、個別に指導する。
 など・・・

 獲得させたい力(知識・技能)→授業の形態、展開→全員ができる(分かる)ようにするための工夫

 そして、自分の出来栄え、到達度、理解度を測る工夫を考える。

 知識的なものなら、ミニテスト風に。技能的なものなら、実際に作ってみる、書いてみる、発表してみる。
 感想に書いてみるなど。
 

 獲得させたい力(知識・技能)→授業の形態、展開→全員ができる(分かる)ようにするための工夫→自分の到達度を知る。

 最低この4つがてきていれば、まず授業は「大崩れ」はしない。

 自分の頭で考えることこそ大事なことだ。
 心配なら、そこで「指導書」を見てみるといい。「私のほうが、きっといい授業になる」と思ったら、しめたものだ。

 はじめは、なかなかうまくいかないまでも、「場数を踏む」ことで、何かが見えてくるものだ。

 指導書はあくまで「標準」のものだ。眼前にいる子ども達は、「標準」ではないのだ。
 それぞれが個性を持った子の混合集合体である。

 指導書をせめて後回しにすること。
 あなたの指導力、授業力は、自分の頭を使わない限り、身につくものではない。
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異動された方へのエール

2017年03月31日 20時10分35秒 | 言葉の勘違い
卒業式のあと、また新たな別れの日がやってきた。
3月31日は異動される職員の最後の日。
今まで一年間、使った教室を掃除しながら、荷物を新しい教室に運びながら、卒業生に、そして今日を最後に別れる同僚に思いを馳せる。

私は、異動した学校では、長居してしまうものだから、今回も4月からは、この学校では「最長老」グループの一員となってしまう。

家からぐんと近い職場に異動が決まり、希望通りの異動が叶った人。
希望が叶わずに、不便で、しかも大規模校に回された先生。
職場に馴染めないで、新天地を求めて異動した人。

書ききれないくらいのたくさんの異動を見てきた。様々な理由、様々な境遇を背負った別れである。
卒業生同様に、期待と不安を混ぜ合わせて、新しい世界に飛び込んでいく彼ら、彼女ら。

どうか、そこで花開くことを。

みなさん、ありがとう。お元気で。
素敵な職場といいね。
だめなら、がんばって創り変えてくださいな。
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新担任としてやってみたいこと その2

2017年03月31日 06時14分39秒 | 教育を考える
⑤ カルテを作ろう

 カードでも、小さなノートでも、パソコンにフォルダをつくってもいい。
 私はノートに、見開きを1人分として名前を書き込みます。

 そこに、毎日何人かずつ、
 日付、思い出したこと(発言、発表、活動、友だちとのこと、気になることなど何でも)、親からの要望などを、ちょっとしたコメントをつけて書きます。長文にすると負担になって続かないので、キーワードが中心。

 4/5  中休み 教室のゴミをひろう 指示なし ほめると笑顔
 5/10 社会 縄文式土器 ノートにコメントをつけてまとめる 花マル!
 5/12 外に出ない 友だちが少ない? 体育は得意だと思ったが・・・ 
 6/7  転んだ2年生の子を保健室に U先生から やさしいねとほめる

こんな具合に。

 これを毎日、思い出したら書くことを習慣にする。
 
 これは、クラス作りにも、家庭訪問、面談、学級通信、通知表など、あらゆるところに使えます。

 最初は大変ですが、絶対にやるべきだと思う。
 自分の「子どもを見る目」の訓練にもなる。
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「ヤング101」 その後

2017年03月30日 06時29分38秒 | 思い出を語る
http://gonbe-chu.my.coocan.jp/101/101m981101.htm
のサイトに「ヤング101」のその後という記事が載っていた。
1986年時点での記事のようだから、さらに「その後」がほしいが。
申し訳ないが引用させていただく。

相沢忠彦 S26/11/25生まれ スポーツマン、心の優しい男

青木マスミ 八月八日生まれ 努力家

井口典子 S23/7/12 Noko スキー水泳ショッピングが趣味

石岡ひろし S/22/3/13 いつも健康的

一条みゆ希 岩手県水沢で美しい北上川とともに育つ、ラジオ大阪の
「ふるさとバンザイ」のパーソナリティーもつとめる

伊藤三礼子 S/25/5/2/ フラメンコと詩が好き

井上稔 S/26/9/7/  なんとなくとぼけていて、何を考えているか分からない

江崎英子 S/25/12/12 グリ←江崎グリコより 絶えず動いていることとともに裁縫も好き
さみしがりやで夢はすてきな男性と気ままな旅に出かけること。
すてきなおばあちゃんになること

小原初美 S26/2/21 16歳からバトンをやっている。あまぐりが好物

温碧蓮 十月十一日生まれ ミュージカル「ファンタスティク」にも出演

加藤綾子 S/26/10/22 身長163.2体重52kgヤングのなかで一番足が太い
将来は何でも歌える歌手になるかお嫁さんになりたい

岸龍也 s/27/2/10パートはBass 前橋出身 高校卒業後一年のアメリカ留学
身長184 体重75

清須邦義 s/23/1/26 趣味はつり読書

串田アキラ s23/10/17 ニューロック、フォーク、R&Bというパターンにとらわれず!
良い曲なら何でも自分の歌い方で歌ってゆきたい!

黒沢裕一 s/23/2/16 Kuro 101のプレスリーorトム・ジョーンズorフンパーティンク

塩見大治郎 s/23/6/24二年前(s44)京都から上京NHk近くの代々木に
アパートを借り一人暮らし。料理が好き

宗大春男 s/23/1/9 釣りにかけては日本一

諏訪マリー s/23/7/29歌うことと踊ることがとてもすき

高木吾郎 s/25/11/4 スポーツ好きの日本男児

高野三千代 十月七日生まれ ソプラノ担当、ワンツーおじさんにいつもしぼられる

ザ・チャープス 竹内 まり子 二十歳 ゆり子十八 えり子十七
ジャズ、ポピュラー、ロックと幅広く活躍するコーラス・グループ CMも歌う

津島隆文 s/28/1/9 アー坊 趣味は車の写真集め特技水泳 
ヤングの中で一番若く一番おとなしい。ゴーゴーが好き

中川圭子 s/26/4/30 Dodo 見た目16本当は20小さくポッチャリ

西玲子  s/30/9/26 趣味は詩を書くこと、絵を描くこと、Lovelyでオセンチな女の子

バーズ 豊田順子 姉、豊田礼子 妹
浦和市生まれ 趣味は手芸といけばな(草月流)古風な女性

樋口康雄 最近は歌よりも音楽活動に力を入れている、将来は作曲家としてがんばりたい

広 美和子 s/25/12/13 166cm 50kg 将来難でも歌える歌手かお嫁さんになりたい

藤島 新 s/23/7/22 夏の九州の海と山がすき

牧 憲幸 s/24/4/22 熊本生まれ代表的九州男児 フォークグループ「オレと水車」
をつくってがんばっている

牧みゆき s/25/1/5/164cm/53kg 趣味は動物飼育 ミュージカルタレントをめざす

水木誠 s25/12/23/171cm/53kg/胸囲90cm/足の長さ80cm
趣味はプラモデル組立
串田アキラ 69年デビュー。ジムロックシンガーズ参加後ソロでアニメ主題歌等

八代かずみ s26/1/15 デコ おでこが広いので

山田美也子 s/26/10/16 趣味はピアノ、映画、レコード鑑賞、お花を見ること
詩を作ること。特技は英語、中国語、バレー、タップダンス、ピアノ

若子内悦郎 s24/3/30 オートバイとR&Bには目のない男、

和田昭治 ワンツーおじさん

中山久美 振り付け担当


井口典子 72年アルバム、73年シングル発売。アメリカ在住。

泉朱子 70年デビュー。レポーターとして活躍。

一条みゆ希 「おかあさんといっしょ」歌のおねえさん。声優DJとして活躍。

江崎英子 74年映画「ルパン三世」の峰不二子役。現在ダンス教室。

江崎和子 シングアウトのボーカル。ロビ-和田夫人。

小原初美 NHK「なかよしリズム」、75年デビュー。現在ジャズシンガー。

温碧蓮 宝塚出身。秋野大作夫人。

小林啓子 69年デビュー。高橋信之(高橋幸宏の兄)と結婚後、離婚。

高橋美千代 アメリカ在住。

ザ・チャープス 3人姉妹。結婚後各々CMなどで活躍。

ザ・バーズ 双生児姉妹。68年デビュー。「アティションプリーズ」の主題歌など。

長沢澄子 71年デビュー。サンフランシスコでピアノ教師。

牧ミユキ 68年本名(木下節子)でデビュー。70年再デビュー。

諏訪マリー 宝塚出身。70年デビュー。結婚後ミュージカルで活躍、

広美和子 惣領泰則のジムロックシンガーズに参加。現在はCMなど。

山田美也子 NETテレビ「とべとべパンポロリン」「おはようナイスディ」司会

八代かずみ 芹沢廣明夫人。

西玲子 72年デビュー。

中山圭子 コーラスグループ「ファニーズ」でライブ活動。

青木マスミ 73年映画「16才の戦争」でデビュー。現在八月真澄としてクラブなど。

中山エミ 73年デビュー。

湖東美歌 「シャイニーストッキングス」で再デビュー現在はミュージカル。

太田裕美 最初の頃は太田ひろみ名義。

北美奈々 71年デビュー。

岸じゅんこ 74年デビュー。

キャンディ浅田 映画主題歌「真夜中の招待状」でデビュー。現在ジャズシンガー。

池田美和 シングアウト解散後、惣領泰則のブラウンライスに参加。

石岡ひろし 70年デビュー。86年丘伸二として「J」発売。

上市光男 スク-ルメイツ出身

河内広明 ザ・バロン、ワカトヒロ、82年芹澤ヒロ「リングの接吻」、
芹澤廣明、チェッカーズの作曲を担当。
清須邦義 ザ・バロンのリーダー、渡米、松山千春プロデュース、ソロ発売

串田アキラ 69年デビュー。ジムロックシンガーズ参加後ソロでアニメ主題歌等

黒沢裕一 67年デビュー。76年藤島新とピーカーブー。CX「ファーストクラス」

塩見大次郎 杉田二郎らとジローズ結成して68年デビュー。現在司会等

宗台春男 ザ・バロンのドラマー、現在はスタジオミュージシャン

惣領泰則 シングアウト、ブラウンライス、ジムロックシンガーズ、作編曲家

高橋キヨシ 70年デビュー。現在大阪で活動

津島文 72年「まきのりゆきとこおろぎ’73」でデビュー幼児向けレコード

原田時芳 シングアウト、渡英、スタジオミュージシャン・プロデューサー

樋口康雄 シングアウト、ヤング101の音楽スタッフ、作編曲家、
ビルクラッチフィールド、現在はCMの作詞作曲
若子内悦郎 ザ・バロン、ワカとヒロ、郷ひろみのコーラス
石野陽子プロデュース
田中星児 「おかあさんといっしょ」の歌のおにいさん

水木誠 西野バレエ団出身。70年デビュー。現在ミュージカルで活躍

藤島新 72年デビュー。76年黒沢裕一とピーカーブー

まきのりゆき 70年デビュー。まきのりゆきとこおろぎ’73のリーダー、現在歌謡教室

山崎功 シャボン玉ホリデーのフォーメイツのメンバー
小柳ルミ子ステージ
斉藤あきひこ ラブサウンズ音楽祭グランプリ。現在CM作曲など

田頭信幸 70年「キャッシュボックス」ボーカルデビュー

庄司淳 現在ジャズコーラスなどで活躍

桝川譲治 現在劇団四季

藤村泰介 76年デビュー。後「屋根の上のバイオリン弾き」出演

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「ステージ101」 こんな人も出ていたんだ

2017年03月29日 22時27分21秒 | 思い出を語る
 前の記事で、「ステージ101」について書いたので、ちょっと調べてみると、思わぬ人も出演していたのだと知って驚いた。

 ついでに記録しておこう。

 私の覚えているのは、

 小林啓子、恩へきれん、泉朱子、「涙を越えて」、「比叡おろし」、「気になるわ」くらい。

 さて、こんな人も出ていた!


 ※『ステージ101』(いちまるいち)は、1970(昭和45)年1月から1974年3月まで、総合テレビで放送された大型音楽バラエティー番組。
  歌やダンスはもちろん、楽器もこなす精鋭メンバー「ヤング101」の若者たちおよそ40名(スタート時36名、最終回44名)を中心に、国内外の名曲  や番組オリジナルの歌を紹介した。「涙をこえて」「怪獣のバラード」「若い旅」など、この番組から生まれたヒット曲も少なくない。
 

  太田裕美、谷山浩子、田中星児

 前期(1970年1月~1971年3月)
 放送は土曜日。司会は、関口宏(1970年1月~9月)、黒柳徹子(1970年10月~)が務めた。

 36人の「ヤング101」を番組の軸として、有名歌手やコメディアンをゲストに、歌と踊りと軽快なおしゃべりでつないだ。ゲストには、浅丘ルリ子、美 空ひばり、ピンキーとキラーズ、植木等、渥美清、森光子、坂本九、越路吹雪など、当時の人気のスターたちが出演した。

 中期(1971年4月~1972年3月)
 放送が水曜日に変更。司会は、黒柳徹子(~1971年9月)、マイク真木・前田美波里(1971年10月~1972年3月)。「ヤング101」中心の構成とな 
 り、ファン層も小・中・高校生が目立った。

 後期(1972年4月~1974年3月)
 放送が日曜日に変更。司会は「ヤング101」の泉朱子・若子内悦郎。「ヤング101」の活躍は番組外にも広がっていった。

 私はいつごろのものを見ていたのだろう。

 最終回の「ステージ101」の動画だ。
 https://youtu.be/RvD6fyzOVmM?t=15
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謎解き 「さよならをいう前に」 小林啓子が歌っていたとは! さらに中村八大が作曲だとは・・・

2017年03月29日 19時58分06秒 | わたしごと
 今もよく口ずさんでいる歌に、「さよならをいう前に」がある。
 
 高校2年の夏、長野県の大町の先にある簗場という村(?)にあった学生村に行った頃に、流れていた歌だ。
 親友の荒木と訪れた学生村の民宿。たしか滝沢さんというお宅だったと記憶する。
 このときに大阪万博が開催されていたので、1970年。私は17歳と考えると、計算が合う。

 同じ宿に、大学生のグループが一緒に泊まっていて、男女数人、福祉系のサークルの仲間だったと思う。
 その中に、「りさん」(李さん?)という、ぽっちゃりとした愛くるしい顔立ちの女性がいた。
 幼顔にもかかわらず、大人の雰囲気を持った女性。
 ああ、素敵だなあと思った女性だ。あこがれの対象。
 高2からすれば、女子大学生は、きっとみんなそんな風に感じたものなのだろう。
 とはいえ、滞在中は、その「りさん」を遠巻きに眺めていることが楽しみだった。

 そのころに流行っていて口ずさんだ歌。それは、この「りさん」を思い出す歌だ。

 さよならを言う前に


  さよならを言う前に

  もう一度想い出して

  雨の春の夜

  いつか傘を捨てて

  涙ぐみかわした  初めての口づけ

  このまま こうしていたい

  いつも いつも いつも

  どんな時でもと誓ったあの言葉

  十時に鐘の音をそっと聞きながら  

  
  あれから夏も過ぎ 今はもう冬なのに

  くちづけしてきた二人

  たとえ会えなくても

  それでもそおっと 名前をよびながら

  十時の鐘の音を そっと聞きながら


  さよならを言う前に もう一度約束して
  
  遠い国に行って  いつまた帰るやら

  手紙さえ書けない  旅が続こうとも

  お願い忘れずに きっとくちづけして

  あなたのなかの  私のおもかげに

  十時の鐘の音を いつも聞くたびに

  いつも聞くたびに 

 
 ネットで調べてみると、この歌の題名は「さよならをいう前に」。

 しかし、これを小林啓子が歌っていたとは思わなかった。
 中村八大の作曲ということも知らなかった。さらに、これはもともとは、弘田三枝子のために作られたということも。

 意外だと思うのは、彼女は当時「ステージ101」に出ていて、私は彼女のファンであったからだ。
 この番組は、1969年スタート。
 レコードの発売は、1969年11月とある。
 しかし、当時私は、「ステージ101」を欠かさず見ていて、「おんへきれん」(?)さんとともに、お気に入りの歌手だった。
 キャンディーズの「すーちゃん」のような「おん」さん。
 そして、長い髪の「お姉さん」のような小林啓子。対照的な2人だった。
 彼女の歌? 私には彼女の歌としての記憶がないのだ。
 ただ、年代的には、整合性があって、彼女の歌だという情報である。
 小林啓子の歌は、有名な「比叡おろし」「恋人中心世界」の2曲しか知らない。


 彼女のオフィシャルサイトも見つけた。
 そこには、年相応に貫禄をつけた小林啓子がいた。ただ、2013年の更新が最後になっていて・・・


 さて、「さよならをいう前に」。そうなんだ。として認めるしかないか。
 私は、ずっと歌手不明のままで口ずさんできたのが悔しい。
 
 https://youtu.be/DYQbXuI4RKM?t=41

 ユーチューブで聴いてみた。うーーん、なにかが違う感じなのだが。
 
 いぬいゆみさんという歌手も、この歌を歌っていて、ユーチューブによる歌声は私のイメージに近いのだが、レコード発売が1972年2月とあり、さらに「四季の歌」のB面というものだけに、少しずれているし、これならば「四季の歌」のイメージが残ることだろう。

 記憶とか、「思い入れ」とは、いい加減のものなのだ、という証明。 

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日本は独立した民主主義国家なのか

2017年03月29日 13時45分29秒 | あれこれと
核禁止条約交渉は、日本は不参加

※アメリカに追随した結果の判断であろう。被爆国としてよりも、同盟優先の選択である。アメリカの手先、番犬としての主体性のない我が国の施政者だ。国民の願いにも反している判断だ。

高浜原発、再稼働容認の逆転判決

※ここで気になるのは、住民側に「新基準自体に合理性がないことを立証する必要かある」とした点だ。単純に考えれば、「専門家が安全と言っているから安全だ」に等しい暴論だ。「いやなら、その専門家の報告を覆す証拠を出してみな」と挑発とも考えられる。
裁判官もまた専門家ではない。だからこそ、裁判所は、住民の代わりに基準を細かく厳しく点検する必要があるだろう。
判決文では納得できない。

森友問題
なんらかの力が働いて、前代未聞のスピード処理が行われたことは、ほぼ間違いない。すでに書いたが、直接の依頼でないが、なあなあの関係で、目配せ、ウィンクひとつで、違法、無法がまかり通ることがわかった。
腐敗の極み。

こんな日本は、はたして独立した国家なのか。
民意を微塵も反映しない日本の根深い腐敗。
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「あと何回 逢えるのかな」と 老いた母

2017年03月29日 00時05分27秒 | 思い出を語る
 愛知に住む、私の妹からメールが届いた。
 私の母は、その妹家族と一緒に暮らしている。(母が妹を、父が私を連れることになったため)

 年に1度は、私の家族は「孫見せ」として遊びにいくのだが、母にとっては、その1年がとてつもなく長い時間であるのだろう。
 昭和7年生まれの母は、今年で85歳になった。
 
 高齢であることを考えれば、「あと何回」と思うのも無理はない。

 前回、私は「嫌い」「憎い」という感情について書いたが、もともとは、この母と、亡き父の、純な優しさからきていることは、間違いないのだから。
 とにかく「人が好き」な夫婦だった。
 損得は考えずに、「喜ばれる」ことが好きな夫婦だった。

 母と逢わなければ。
 たくさん話しておかなければ。

 
 

 
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「憎い」「嫌い」という感情のない私

2017年03月28日 23時38分00秒 | わたしごと
 自慢でもなんでもないが、私は人を「憎い」「嫌い」だと思ったことが1度もない。
 食べ物では、クリームシチュー、生牡蠣、このわたがあるのだが。
 もちろん「苦手」という人はいるが、それでも嫌いではない。

 いつも上からの目線で、上には平伏するような態度で、自分より格下だと見えれば、やたらと上から偉そうな指導、助言、蘊蓄を与えてくれる人がいる。

 こんな人物が私の前に現れると、2つの感情がわき起こる。
 ひとつめは「関心」「興味」。
 なんでこのような性格が形成されてしまったか。
 だから、この人とはたくさん話さなくては、と思う。

 ふたつめは、「憐憫」。これこそ「蔑視」「上から目線」とも言われそうだが、
 なんてこの人は、かわいそうなのだろうという感情。
 先に書いたように、「同情」は、ある意味で「差別感情」とも密接になるものである。
 だから、私はこちらの感情は、表にはださないようにしている。(ただ、否定はできない私の感情だ)

 したがって「苦手」な人ほど、私は話しかける。

 うれしいのは、その中で変わっていく人のこと。
 ストレートに、相手に「私が見たあなた」を話すからでもあるのだろう。

 バーテンをしていたころ、ママさんから、
 「とにかく聞き上手になりなさい。いつも肯定的に聞いてあげなさい」と教えてもらったことが、大きな影響を与えてくれたと思う。

 これ、カウンセラーですよね。

 客商売も、教員も、根は同じ。
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新担任としてやってみたいこと その1

2017年03月28日 22時46分38秒 | 教育を考える
 4月になって、新しい子ども達との出会いを前にして、「これだけはやりたい」「やっておくべきこと」を書き連ねておこう。
今までの私の実践からの教訓や蓄積をまとめるものだが、これから教員になる人、新しく担任となる人には参考になる、かもしれない。

 Tossでも、「黄金の◎◎」といった実践が紹介されている。それもバカにはできない参考例だと思えるが、それだけではもちろんない。
 
 わくわくしながら、連載していく予定である。

 ①ゴールデンウィークまでに、子ども1人1人の「いいとこ」を探して、家庭に手紙を書く。またはメッセージを送る。電話で伝える。

 担任と家庭との隔たりは、私が教員になったころと比べ、圧倒的に大きくなっている。ふだんのつながりが薄いものだから、保護者と担任とが、なにかのきっかけでこじれてしまったら、これだけで1年間を棒に振ることになる。
 はじめに、どんな小さなことでもいい、褒める材料を探して、それを親に伝える。全員に!
 最初に取り組むこれだけで、まずは「自分の子を認めてくれた」として、プラスの感情をもって担任を受け入れてもらえるだろう。
 私は、学級通信とともに、大変だけれども1人1人をじっくり見て、いいとこ探しをするようにしている。もちろん、親との関係だけでなく、それからの担任と子どもとの関係にプラスとなって返ってくる。

 ②教室を第2図書館とする。

 幸いに、私の教室には今、約500冊の本がある。<私がブックオフで買ったもの(ほとんどが108円のもの)、受け持った家庭に「中学に進学したお兄さん、お姉さんが、かつて読んで、そのままにしている本を寄付してください」とお願いして、もらったものが半々>
 教室を本だらけにして、いつでも読める空間を作る。教室自体をアカデミックなものにしたいと思ってきたから。
 同じ学年の子にも、「いつでも借りにおいで」とする。

 ③家庭訪問の際に、親への宿題として、「お子さんが今、夢中になっていること、この話題で話せば、目が輝くということを教えてください」というお願いをし、回答を得ること。

 担任は、全体を動かすというだけでなく、1人1人とつながっていくことが大切なのは言うまでもない。その子が、今何に興味を持っているのか、何をがんばって(がんばろうとして)いるのかを早急につかむ必要がある。4月現在で、1番子どものことを知っているのは親しかいない。同時に、友だちから、本人からも取材をし、その子とのつながりをはっきりさせる。

 ④学級通信は私の必須アイテム

 私の学校では発行している人が、圧倒的に少ない。だからだめだということはないが、やはりアナログ的なつながりが重要だと思っている私には寂しいものだ。毎週出している人もいたが、中身は「今週の予定」「もちもの」「学習の予定」が中心だった、それもありだとは思うが、私は事務連絡の記事は載せないようにしている。
 今年は96号。2日に1回の頻度。あまり号数にはこだわらず、中身で勝負。もちろん親も子も読んで楽しいものにしたい。
 だから内容は、子どもの生き生きとした様子、成長の証など、動きのあるもの、私の考えなどとしていきたい。

    つづく
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ブレヒト けっしてできないなんてお言いでない

2017年03月27日 21時06分56秒 | 思い出を語る
 高校生の時に、出会った演劇研究生から、谷川俊太郎の「ネロ」と、ブレヒトの詩を
教わって、何回も何回も音読して覚えたものだった。

 ネロは、すでに紹介したが、一方の「けっして・・・」は、まだ全文が探し出せないでいる。

 生きている以上、「決してできない」なんてお言いでない!

 しっかりしているものだって、しっかりしてはいない

 いつまでも、いまのままではいない。


 ここまでは、東京演劇アンサンブルのサイトで見つけたが、その先がわからない。

 ブレヒトの「母」の中で使われているものだから、その本を見つければいいのだろう。

 私の精神形成に、大きな影響を与えた詩。
 執念深く探していこう。
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マンスプレイニング 上から目線の物知り顔の男性

2017年03月27日 19時21分12秒 | あれこれと
 朝日新聞に載っていた言葉。
 「なんだろうか」  聞いたこともない。
 記事やネットで調べてみると。

 「「男の根拠の無い上から目線にイラッ」――そんな女性の気持ちを表現したある言葉が、2008年インターネット上に登場しました。その言葉は「マンスプレイニング」――「マン」(男)と「エクスプレイニング」(解説)をかけあわせた造語です。
 その意味は「相手が女性だということを根拠に、相手は自分よりも今語られているトピックについて無知だろうと思い込んで、男性が女性に解説をし出すこと」(英語版 Wikipedia より、筆者訳)。「マンスプレイニング」は Twitter や Tumblr のハッシュタグとして急速に広まり、日本でも「英辞郎」に収録されました。」(http://wotopi.jp/archives/4370)

 とある。なるほど。

 つづいて、こんな体験談も載っていた。

 「職場で古いパソコンの入れ替えの時期に、ボソッと「最近うちのパソコンが遅くって。うちも替え時かなあ」とつぶやいただけなのに、隣にいた男性社員が「デフラグしてる?」「ウィルス対策ソフトは何使ってるの?」「ちゃんと自分でメンテナンスしなきゃダメだよ」と言って来た。できることは全部やった上でそれでも動作が遅いんだよ! と言いたかったが、めんどくさいので「そうですよね~」と言って何とか黙らせた。」(同じサイト)

 あ、あるある。いるいる。

 うーーん、私も危ないものだ。

 たしかに、これは女性蔑視にもつながっていく。

 少し襟を正さなければ。

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あの件は? 忖度 以心伝心 腐敗の構図

2017年03月27日 18時32分27秒 | 奇妙な風景
権力者の身内が、人を使い、
「あの件はどうなっているのかしら?」と、問い合わせる。
行政の権力志向の強い担当者なら、すぐに察知するだろう。
あの手この手を使い、それをなんとかするために奮闘するはずだ。
口利きもなし、賄賂もなし。
証拠は何もない。

かりにメールやFAXで、ボロがでたら、
「問い合わせに、誠実にお答えしたまで」と言えばいい。
さらに記録文書を求めれたら、「廃棄しました」「そのような記録は残していません」とすればいい。


完全犯罪の完成だ。

疑わせる状況を国民に与えただけでも、それは十分に責任重大だ。
以心伝心の犯罪だとされてもしかたない。

政界の、政治家と官僚と織り成す腐敗の構図。
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「森友問題」の核心とは何か

2017年03月26日 23時09分11秒 | あれこれと
 百万政治献金、安倍晋三小学校、教育勅語、払い下げの奇怪、口利き、稲田氏との関係・・・
 どうも話題が拡散しつつあって、視点をどこに置いていいのかわからなくなってきている感がする「森友問題」だ。

 絞っていくことで、逆に全体との関連が見えてくるのではないか。

 2つだけ考えてみよう。

 1つ目は、教育という面で。教育勅語礼讃、人権無視のスパルタ、政治的スローガンを児童に叫ばせる。それを讃辞する勢力が、いまだに根深いということ。ここに入園させている親はもちろん(知らなかったでは済まない)、稲田、安倍と、日本の舵取りをする人物も評価しているという異常さである。すでに失効しているはずの、否定されているはずのものを、臆面もなく褒め称えることに恐怖を感じる。
 
 「北朝鮮の国民はすべてを皆殺しにしろ。その際、我が日本の兵士は互いに励まし合い、いたわり合いながら、任務を遂行すべし」

 <ここには、「励まし合い」「いたわり合い」の、崇高な精神が盛り込まれている、だからいちがいに悪い文とは言えない>

 こんな論理が成り立つわけではない。教育の理念をまったく理解していないこと、詭弁により「戦前復古」を狙ったものとしてしか理解することはできない。それこそ、大臣にしておくわけにはいかない、首相としての最低限の資格すら持ち合わせていない証拠だ。

 2つ目が、「日本会議」メンバーの、罪のなすりあいだという点。
 出てくるメンバーがことごとく「日本会議」のメンバーだというのも面白く痛快である。
 「崇高な日本精神」を説きながらも、実は自己保身、利権を生き甲斐としているメンバーだということの証明である。
 法に触れない限りにおいて、ばれない程度において、なあなあの同志愛、つまり「口利き」「忖度」があったことは、十分推測できる。
 そして、それが客観的な疑惑や証拠として、明るみになるやいなや、互いの「うそつき」の応酬である。
 真相は、まだまだ不明ではあるが、どちらに軍配が上がっても、両者の腐敗、堕落は、証拠はなくとも「印象」として定着してしまった。

 教育の危機。
 民主主義の危機。

 どちらにしても、今回、出てきたメンバーには、日本を任せるわけにはいかない。絶対に!
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「ルリの恋と昆布の森は千年つづく」 オーガニックシアター

2017年03月26日 22時17分49秒 | 素人の劇評
 武蔵野芸能劇場の小さな劇場で、半分弱の入り。楽日なのに、もっと来てもいいのになあと思いながら観劇。
 3.11を背景にした劇の制作は、きっと難しかったに違いない。
 震災、津波、原発・・・と、あまりにも「現在」に近いからである。そしてしかも音楽劇。さらには「ぺてるの家」を
重ねた設定である。おそらくは、どれか1つでも2つでも削除しておけば、「無難」な劇となるはずである。
 それを敢えて、すべて盛り込んだことに、スタッフの意気込みと熱意とが感じられ、それだけで敬意を表するものだ。

 総勢20数名の出演。ミュージカルとは違う。それぞれが歌の専門家ではないと思うくらい、「うまい・へた」にはばらつきがある。
 これも敢えてそうしたものだろう。音を聞いてほしいのではなく、心を聞いてくれと言わんばかりの構成であった。

 青年と、主人を震災で亡くした女性との恋愛が主軸となって物語は展開していくのであるが、先に挙げた原発やぺてるの家の実践なども、ぶれることなく、恋愛の推移の中に込められていて、2時間以上の劇も、飽きずに見終えてしまった。

 ときおり挿入される「笑いネタ」は、ことごとく失敗(笑)していたが、それはたいした問題ではなかった。

 理不尽な死のとなりにいて、運よく生き残った人たちが、「幸せになっては申し訳ない」といった考えに陥ることはよく聞くが(戦死した戦友に対する感情でもよく聞くことだ)、私にはよく理解できない面がある。むしろ「その分、幸せになろう」「理不尽な死を遂げることのない社会を作っていこう」とするのが、自然なのではないか。生と死とは紙一重だったとしても、そこで得られた「生」は、けっして自分のせいでも、おかげでもないのだから。

 この劇からは、もう少し考えないといけないことがあると思うが、これはまた・・・にしよう。
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