息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

サクラ咲くころ

2010年03月31日 00時14分38秒 | 思い出を語る
学校の裏庭にある桜の木が、たくさんの花を咲かせ始めました。
一方の正門のほうは、まだパラパラの程度ですので、花の知識皆無の私には、「品種の違いかな、植えられている場所も違うからかな」くらいしか思いつきません。

裏庭は北側、日照も圧倒的に正門のほうがいいですから、これは品種なのだと、勝手に判断しています。

もうず~っと前、新宿御苑で、桜吹雪の中をデートしたこと、石神井公園で夜桜を見にいったりしたこと、新越谷の元荒川の川岸が桜で満開だったこと・・・・
どれも、デートの場面の思い出。

それぞれ、相手はもう彼方に去っていってしまった人ばかりだけど、元気でいるだろうかと思ってしまう。

可憐でもあり、ちょっぴり魔性を帯びたサクラでもあります。
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出会いと別れと

2010年03月30日 22時46分52秒 | 教育を考える
明日は31日。
学校では、本校で退職、本校から異動する教職員の最後の出勤日となります。

今日は、あわただしく卒業アルバムの原稿の整理や、台紙への貼り付けなどで、丸一日を費やして、きっと「別れ」の感慨を深くしている先生たちには、なんとも申し訳ないと思いました。

教師生活40年というK先生も、やや体調が悪いのに、荷物整理や文集作りで無理矢理出勤している様子。口数がいつもより少ないのは、体調のせいももちろんあるのでしょうが、これまでの長い教師生活を、じっくりと振り返っていることにも、その理由がありそうです。
おそらくは、まだまだ気持ちは萎えることなく、こどもたちと一緒に学んでいたいという願いは強いのでしょう。
組合員として、なかなかなり手の少ない役員を引き受けてくれたり、ともすると管理職と「甘い関係」になりやすい私を叱咤激励してくれたりと、けっして「自分だけ」の世界にいない先生でした。

自分の手持ちの仕事で精一杯だったり、また「自分の仕事」にとことんのめり込んだりという職員が、だんだん多くなっているというのが実感です。自分の働いている職場をよくして、みなさんが働きやすくしようと奮闘している人は、確実に少なくなってきています。

教師たるもの、他人に無関心であってほしくない。
さらに言えば、自分も含めた職場で、おかしいと思ったことには黙っていないで、怒り、冷静にそれを解決させる努力を惜しまないでほしいと思うのです。(その「おかしい」ということすら気づかない人もいるのですが)

退職されるK先生、本当にお疲れ様でした。

また、異動される先生方。
「当たり」「ハズレ」の学校は、確かにあるとは思いますが、ハズレの学校でも「当たり」になるように、その職場を作りかえててください。もちろん1人では難しいものです。しかし、必ずそんな思いをしている人は1人や2人はいるものです。
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それはまずい オウムを犯人と記者会見

2010年03月30日 21時20分38秒 | 奇妙な風景
今日時効を迎えた警視庁長官銃撃事件。 警視庁公安部長が「オウムによるテロとしか考えられない」と、異例の記者会見。

オウムだから何を言ってもいいというものではない。立件できなかったので事件は時効を迎えたのである。捜査の力不足、問題点を棚にあげて負け惜しみを言っているとしか考えられない幼稚な会見である。

会見はすべきではなかった。

単純な理由からである。クラスで盗難事件が起きた。あれこれ調べてみたが、最終的に誰がやったのはわからなかった。担任は「みんなに聞いたけど結局わかりませんでした。でも」

「ふだん友達の鉛筆や消しゴムを借りて、返さない○○君が怪しいだと考えています。しかしこれは済んだことです」
と話すことと同じことではないか。

犯人扱いされた彼は、そのあと、どうやって身の潔白を明かしたらよいのだろう。

オウム真理教に対する、国民の異常なまでのバッシングが背景にあり、公安部長は気軽に会見をしてしまったのだろう。
警視庁の人権感覚はこんな程度のものである、と世に知らしめた会見だったと思う。

足利事件同様に、予断や偏見が満ちあふれている者に、安心して治安を任せるわけにはいかない。
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最高裁の判決を読み替える時期にきた

2010年03月29日 21時10分48秒 | あれこれと
国家公務員が政党機関紙(この場合、なんでもいい。自由新報でも公明新聞でも赤旗でも救国尊皇新聞でも)を配布したことに対する高裁判決。
「配布行為で国民が行政の中立性に疑問を抱くとは考えがたく、罰則規定の適用は憲法21条に違反する」として、被告に無罪判決。


公務の中で政治的立場を鮮明にする行為は良くないことは当然だが、今回のように、身分を明かさず、しかも休日に、さらに郵便受けに配布することまで、一律処罰することは、やはり無謀なことだと思う。
公務員といえども、政治的な関心や意見は当然持つべきものであるし、勤務を離れたら、一国民として、その考える主義、主張を実現させるべく活動することは、推奨されることはあっても、禁止、抑制されるべきものではない。

古い判決ながら今もって生きている、1974年の「猿払事件」の最高裁判決には、
「公務員の政治的行為の禁止は、合理的で、必要やむを得ない場合に限り憲法上許される」

これをぜひ、こう読み替えて解釈しようと提案したい。

「公務員の表現の自由は、合理的で必要やむを得ない場合を除いて、最大限許されるべき」
と。
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流れるプール 波のプールの発明者はだれだ?

2010年03月29日 02時45分47秒 | あれこれと
同僚のT先生と居酒屋に行って、あれこれとおしゃべりを楽しんだのですが、その中で、

「そういえば、私たちの小さいときには、流れるプールも髪のプールもなかったよなあ。これってすごい発明じゃないのかな。いったい誰が、いつごろ発明したのだろう」

という話になりました。

プールの水が回る、反対側にはね返って波ができる。今はあたりまえに私たちは、子どもと一緒に楽しんでいますが、最初に思いついて始めた人は、この発明の偉大さに気づいていたのでしょうか。

ネットで調べてみても、どこにも(いや、ちょっとだけ検索をしたのですが)ありません。

どなたかご存じの方はいないでしょうか。
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尋問の罠--足利事件の真実

2010年03月28日 03時39分31秒 | こんな本を読みました
判決の日を目指して、この本を読んできました。

「尋問の罠--足利事件の真実」 角川oneテーマ21 705円

菅家さんの手記、佐藤弁護士による裁判の経過と考えが交互に掲載されています。
容疑者としての体験と、裁判の経過とがうまくまとめられており、全体像を知るためには、ちょうど良い本だと思います。

菅家さんが「無実」だと分かる機会は、何度もあったのだが、それをことごとく警察、検察、裁判所は逃しています。
思い込みの怖さ、「科学」への過信、組織を守るために正当な捜査を怠るなど、これから事件の教訓は出されていくことでしょう。

それが本当の「教訓」となって生かされていくようにしてもらいたいと思います。
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足利事件 無罪

2010年03月28日 03時33分00秒 | あれこれと
肝心なことをブログにアップしていないことが気がかりでした。

「3月26日、宇都宮地方裁判所において足利事件の再審の公判が開かれ、裁判長は菅家さんに無罪を言い渡した。検察は控訴しないとしているので、これで菅家さんの無罪が確定することになった。無罪判決を受けた菅家さんは夕方の無罪報告集会において「本当にありがたい。今度は困っている人を支援していきたい。冤罪を無くしていくには全面的可視化が必要。まずは、車の免許を回復したい(逮捕される前は運転手であった)」と、喜びをかみしめつつも緊張の様子で語っていた。

 無罪報告集会には、狭山事件、袴田事件、布川事件、免田事件、東電OL殺人事件など冤罪事件の当事者や支援者が多数駆けつけ、財田川事件以来、無罪判決を勝ちとってきた方々に代々受け継がれてきたという「無罪」と書かれた歴史的重みのある垂れ幕が披露され、菅家さんの手から布川事件で無罪を訴えている(1967年に茨城県布川で起きた殺人事件。検察官が無実につながる証拠を隠していたことが明らかとなり、まもなく再審開始となる)お二人に「無罪」の垂れ幕が引き継がれた。

 弁護団の弁護士は「どんな小さなことでも可能性を信じて絶対にあきらめてはいけない。悲痛な叫びをあげている方の声に少しでも耳を傾けることが重要。被疑者の方の叫び、藁をもすがる思いをきちんと捉えるのが弁護士ではないかと痛感した」と述べていた。(杜 海樹)」(レイバーネット)

※冤罪で理不尽な人生を歩まざるを得ない人が、1人でもいる限り、やはり死刑制度は廃止しなければならない。
 
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母親は強し

2010年03月28日 00時44分12秒 | わたしごと
卒業生の親と飲み会をしました。
一次会、二次会と、帰宅したのがついさっき。午前様になってしまいました。
全員がお母さん、このへんも日本の教育の長短なのだと思うのですが、よく飲み、よくしゃべり、よく笑い・・・

担任と一緒に飲むのが楽しみ、というよりも、みんなでわいわいしたい、外に出て発散したいといった感じで、一瞬たりとも沈黙の場面がない、それはそれは賑やかな宴会でした。

私は、梅酒のロックでちびちびと飲み続けて、みなさんの相手を、席を変えながらしていました。

二次会では、隣のクラスと同じ居酒屋で(幹事さんの粋な計らいです)、さらに盛り上がりました。

いろいろあったけれども、それはすべて「無事卒業しましたね」といった言葉で収めることができる、卒業学年の「特権」なのかもしれません。

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やさしい嘘と贈り物

2010年03月27日 16時56分20秒 | わたしごと
卒業式では泣かなかったのに、この映画では涙が溢れて仕方ありませんでした。 久しぶりの休み、しかし卒業生の親との飲み会が夕方からあるので、唯一上映している銀座シネスイッチに飛んでいきました。
2時40分の開演にぎりぎり間に合い、初日だから前の方の関しか残っていない旨を知らされました。それでも構わないからと、前から二列目に空いた席を見つけて座りました。

最後の謎解きがされる場面以外は、素朴な老人の愛の物語です。しかしそれが、そうであるだけに私たちも一緒になって、戸惑い、胸をときめかせ、喜び、悲しみ、微笑むことができます。

ストーリーはネタばらしになりますから、映画を見てください。

劇場で配布されている、映画紹介のコピーは、謎解きを楽しまれる方には、邪魔物です。気をつけてください。

起きたのが昼過ぎで間に合うかわからずに、途中で「またあとで見たほうがいいかな」と、途中下車することを何度も思いましたが、めけずに行ってよかったと思えた映画でした。
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近未来 想定会話

2010年03月26日 23時53分31秒 | 教育を考える
近々このような会話がなされる(はず)。

P「あ、ちょっと。この年度末反省でやり残したものなんだけどね。忙しいのはわかるけど、どうして論議されないんだと言う人がけっこういてね。ほら、わかると思うけど、まあ来年も異動しないで残る人達だから。まあ来年度の計画の冊子のどこかに入れておいてよ。あれこれ騒がれるとやっかいになるし。」

私「趣旨はわかりました。私も気になっていたところですから。なんとか考えてみます。ただ、P先生、そのような言われ方、連続してもう四回目です。」

P「え、なんか変?」

私「はい、先生は私に進言されるときは、だれそれと必ず人の語りを使って言われます。みんなが言っている、たくさんの人が話している、一部だけど〇〇を問題にしているといった言い方で。」

P「それは事実だから、、、」

私「私には二つばかり納得がいかないのです。一つは、あなたは主幹ですが、教務を担当しているのは私です。先生がおっしゃっていることは本来私のところに直接あってもおかしくないはずです。残念ながらこれまで先生が話されたことは、一つも私のところに入ってきてはいません。それほど私は、言いにくい教務主任ではないと思うのですが、反省すべきところもあるのかもしれません。ただ、私に言うべきことをどこか裏でこそこそ言うことはまずいのではないかと思うのです。フェアでない。先生はその不満をお聞きになられた時にどんな態度で応対されましたか。」

P「それは、ちょっとした立ち話だから」

私「直接言いなさいとは指導されなかったのでしょうか。穿った見方をすれば、ひそひそ話に付き合って、そうだよなあ、あいつはダメなんだよ。うんうん、わかる、などと一緒になって、その場にいない人の批判をしているのでは、と考えてしまいます。そんなことを聞いたら、直接言ったらいい、と指導すべきなのではありませんか。」

P「それを私が代弁しているわけだから・・・」

私「それがまずいのです。クラスで「○○ちゃんが、▲▲くんの悪口を言っていたから、先生、▲▲くんにちゃんと言ってください」と入れたら、事実を確かめずに、伝聞だけで▲▲くんを指導しますか?「よく言いつけてくれたね」と褒めてあげますか?」

P「いや、それはまた別のことで・・・」

私「もう1つは先生のスタンスについてです。何回も先生は、「みんなが言っているから」と私におっしゃってきましたが、これは先生の責任逃れとも思えます。形勢が不利になったら、「それは私が言ったことではないから」と逃げることができます。他の人のせいにできます。それ、ちょっと卑怯ですよね。同じように思うのなら、先生の考えとして言えばいいと思います。」

P「私は中立な立場で言ったことだし、どちらにも加担しているわけでもないし」

私「それならなおさら、悪口のメッセンジャーの役を、ほいほいと受けないで、直接言いなさい、と言ってください。」

P「○○○」

この台詞がどんなものになるかは分かりません。
捨て台詞になるのか、反対に、素直に「分かりました」となるのか・・・


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泣かないよ しかし感無量の卒業式

2010年03月25日 23時47分40秒 | 教育を考える
あの手この手で子供たちは私を泣かそうとする。
手紙作戦、メール作戦、昨日は突然に、帰りの会のあと、みんながすくっと立ち上がり、
「先生、これまでありがとうございました!」
の大合唱。
 「おっ、泣かそうと企んでいるんだな」と知りつつも、
 「はい、こちらこそありがとう、みなさん」と、さっぱりと応答する。

 「先生は、みんなは信じられないと思うけど、けっこう泣き虫です。でも、卒業式では、しっかりと最後まで式をすすめなくちゃならない責任があるから、泣くまいと決めています。まあ、泣いてもいいんだけどね。みんな、私を泣かせてもいいからね」
 と、常日頃言っていましたから。

 小学生のとき、アニメ映画の「安寿と厨子王」を見て大泣き。中学生でも、浜田光夫(字が違うかも)と吉永小百合のテレビドラマ「愛と死を見つめて」を見て、「人生の並木道」を見てボロボロ涙を流してきた私。かなり涙腺は弱いようです。

 今回は、目の前が曇ってきたと感じたら、「今夜はとんかつにしようか、鉄火巻きにしようか」「京都、行きたいなあ、今度はどこにしようか」など、心の目先を変えて回避させてきました。

 他のクラスの担任は、大泣き。まあ初めての卒業生ですから感無量なのでしょう。
 それも可愛いものです。

 今日は、冷たい雨。最悪の卒業式日和でした。ホッカイロをいくつも礼服の下に貼り付けて臨んだのですが、それでも寒くて、手足がすぐにしびれてきてしまいます。

 それでも子どもたちは頑張って、呼びかけの台詞、合唱、舞台の上で行う個々の決意表明など、しっかりと大きな声でクリアーしていました。
 
 東京都から、くだらない「通達」が出て、卒業式には紅白幕を垂らしなさい、君が代を歌わせなさい、日の丸は正面に飾りなさい、椅子はみな正面を向けなさい、演壇は舞台の上に設置して、フロアー形式にはしてはならない・・・・どこかの国も驚くような命令です。

 ですから、校長はこれを守ろうと(まあ、自分を守ることに相違ないのですが)、必死になってチェックします。

 だから、体育館は、前から6年生、5年生が座り、その後ろが保護者席。つまり、我が子はずっと後ろ姿なのです。
 6年生を送る会で、壁に貼った在校生の装飾の絵も、味気ない紅白幕で隠されます。
 学校の創意工夫は、「厳粛」な卒業式には必要ないというのです。
 異常な情景です。

 式が終わり、教室に戻ったこどもたちと、1人1人握手をして、門出送りに出発。
 
 「先生、18年後まで生きていてよ」
 「一緒にビール飲もうね」
 「たぶん赤ちゃんを連れてくるからね」
 
 「おいおい、18年たつまでに、クラス会やらないの?」
 「あっそうだ、やろうやろう」
 「来月なんていいんじゃない?」
 「ばっかじゃない、それ、早すぎ」
 「いいじゃん、またみんなと会えるんだから」

 きりがなく、別れの前のおしゃべりは続きます。

 少しずつ、世間の荒波に近づいていく子どもたち。
 誠実さはもちろんのこと、「したたかさ」も身につけてほしいものです。
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おとこ おんなの響き 被疑者の呼称について

2010年03月24日 23時04分57秒 | 奇妙な風景
NHKのニュースを聞いていたら、ある犯罪について、
「○○した女は・・・」という表現で、アナウンサーがしゃべっていました。

私だけの感じ方かもしれませんが、この「おんな」という響きは、「呼び捨て」のような感じがして、「蔑視」した表現のように思えました。

どうも「おんなのやつが」と言っているように響きます。

まだ被疑者の段階ですから、「推定無罪」の原則から、呼称を変えるべきではないのでしょうか。

「推定無罪(すいていむざい)は「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という立証責任の考え方に基づいた近代刑事法の基本原則である。狭義では刑事裁判における裁判官の自由心証主義に対する内在的な拘束原理としての意味のみで用いられる。無罪の推定という表現が本来の趣旨に忠実であり(presumption of innocence)、刑事訴訟法学ではこちらの表現が使われるが、近時、マスコミその他により、推定無罪と呼ばれるようになった。

この制度は刑事訴訟における当事者の面を表している。これを裁判官側から表現した言葉が「疑わしきは罰せず」であり、2つの言葉は表裏一体をなしている。「疑わしきは被告人の利益に」の表現から利益原則と言われることもある。」
 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)



死刑制度に反対だということは、前にも述べましたが、この件についても、刑が確定するまでは、あくまで「被疑」であって、万が一それが誤りであった場合には、その被疑者に計り知れないほどの苦痛や社会的不利益をもたらしたことを回復させることはは、なかなか困難になります。

大切ではありますが、被害者やその家族(遺族)の気持ちを最大限斟酌しようとするあまり、心情的に「やったかもしれないと逮捕(起訴)された者には人権はない」などといった集団ヒステリーに陥らないようにしないといけないと考えます。

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校長の力量 情けない現状です

2010年03月24日 21時07分52秒 | 教育を考える
 この時期、どこの小学校でも校長は、大きな仕事を2つこなします。

 ひとつは、卒業式の「式辞」の作成です。なにしろ、教育委員会、PTA役員、学校経営協力者など、自身の「評価者」がやってくるのですから、なおさら力が入ります。

 この式辞の内容は、校長の個性がかなり出るようです。

 ある学校の校長は、「イチロー」の等身大のパネルを作成し、それを子供たちに提示しながら、「夢を追い続けてください」「努力は嘘をつきません」と説いたとか。

 またある学校では、自然界のイメージビデオを流し、「地球を大切にできる人間になってください」と訴えたとのこと。

 職員を叱りつけてばかりいるワンマン校長が、「心のやさしい人となるように」「許すことは、とても大事なことです」「民主主義とは~」などと話して、職員の席からクスクス笑いが起きた、ということも聞いています。

 うちの校長は、今年はどんな話をすることでしょう。


 二つ目は、来年度の職員の配置についての打診や構想練りです。
 たいがいの学校では、卒業式のあった日の職員会議で「内緒ですが」として発表されるようですから、限られた時間の中で、急いで調整を行うわけです。

 各学年にリーダー格の教員を配置して、その下に中堅、新人を埋めていく。
 簡単なようでいて、これが、とても難しい。
 一般的には、1年、3年、5年は持ち上がりで、担任は替わらないものですが、授業が成立しない、親とトラブっているなど、「問題あり」とする学年は、担任が一部、または全部が入れ替えとなります。
 毎年、そんな学級が、1つや2つは出てきますので、さあ、それをどうするかが、校長の腕の見せ所となります。

 ところが、そんな大事な問題の解決にあたって、職員の得手、不得手、希望、性格、家庭の事情、健康状態を、きちんと把握している校長が、情けないほど少ないのです。
 それならそれで、職員と話して、意向を聞けばいいものを、と思うのですが、東京のすすめる「校長のリーダーシップを発揮させなさい」の方針を盾にして、まったく誰とも話を交わすことなく、「いきなり発表」ということも少なくないようです。

 ですから、そんな場合は、いざ新学期を迎えると、惨憺たる結果となる。

 腰が悪く、整体の病院に通っている教師のクラスに、「歩行困難」な子がクラスにいて、毎日背負って子どもを教室に連れて行かざるを得ない毎日で、とうとうその教師は、立つこともできなくなって休職。
 「学級王国」を作り上げるタイプの2人が組んだ学年は、やることなすことがクラスばらばらで、ついには親からクレームがくる。
 反対に、学年に自分のやり方を「押しつける」ような自信家の2人が組んだ学年は、いつも諍いが絶えず、ついには2人とも、賛同する同僚の私的グループを密かに作り、勢力を広げて、職員室全体が、噂と暗躍と密告とが蔓延するものと化してしまった。

 そんな例も少なくないようです。

 「人事考課制度」により、校長は、さぞかし職員について、よく理解しているのだろうと思われるようですが、実態はその反対で、いかに「ABCD」と評価するかしか考えていないようで、本人がどのような経緯をたどって今に至っているか、どんな場面で活かせる人材なのか、ふだんどのような実践をどんな考えで行っているか、本人の希望はどんなものなのか、家庭でなにか問題を抱えていないか、などを把握している校長は、ほとんど皆無といっていいでしょう。

 あげくのはては、要請された学年や学級、パートナーの希望など言い出す、または明らかなミステイクな配置について拒否しようものなら、「あなたのような年齢なら、そんな我が儘を言っている余地などないのですよ」と、居直って押し通す。

 リーダーシップとは、「好き勝手に何でも決めていい権利」とは違います。
 
 そんな「指導者」「管理者」のイロハも知らない校長が、なんと多いことか。

 うちの学校もあぶないなあ・・・
 
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プロとして使えない教員の大量生産

2010年03月22日 20時19分11秒 | 教育を考える
ついに三連休は、3日間とも学校に行きました。

もちろん「楽しくて」というわけではありません。
こなしてもこなしても、仕事が終わらないからです。

年度末はことのほか仕事は多く、私の場合を箇条書きにしてみますと、

①通知表の完成(もう締切は過ぎていて、私は万年ビリです)
②出席簿の整理 ③指導要録の記入(まだ、ぜんぜん) ④来年度教育計画の起案と印刷(私は教務主任ですので、いやはやまたこれが多いこと!) ⑤水曜日の修了式の最終確認⑥クラスで返却する集金袋、健康カードなどの確認  ⑦卒業アルバムの最終作業
・・・・
ああ、まだまだあります。

平日では、授業があり、たいがいはその後が会議。

4:00から4:45が休憩、その後15分の間は夕会と言う職員の打ち合わせです。

つまり自分の担当教科、またはクラスに費やせる時間は、まったくないのです。
しかたなく、休憩時間にやるか、退勤の5時以降にやるかの選択です。

しかし、そうは問屋が卸しません。
会議で話し合いことのレジュメ、決まったことの提案文書。市教委に提出する文書などがありますから、まずそれを片付けることが優先になります。

私の若いころと違い、今の教員は、かなり手際よくやっているようですが、それでも、9時、10時まで残ってやることなど、日常茶飯事です。
この学校に異動して、数年になる私ですが、こんなにも日曜祭日に職員が学校に来て、仕事をしている光景はあまりない。
かなり異様な風景です。

休みの日くらい、家族と、恋人と、自分の時間を持つ。好きな趣味でリラックスする。
みなさんは、かなり無理して作っているとは思うのですが、それでも、そうは言ってられない時期が多すぎます。

以前の記事に、長時間労働について書きましたが、別の視点から考えると、教員はほとんど勉強していないのではないか、と思ってしまいます。
せいぜい「教え方」の本を買いそろえて、授業の前に読む、その程度の読書量かもしれません。

読書で自分をさらに高めていく、そんな意識を持てなくさせられているのが学校の現場です。

折しも「日本は滅びるね」と、先輩の先生から指摘されたばかり。

「利己的」で、「管理的」で、しかも教養のない教員が、大量に産み出されているのですから、やはりその指摘は認めざるを得ません。


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人とし生きるために

2010年03月21日 21時39分34秒 | 思い出を語る
学生時代によくみんなで歌った歌があります。
どこでどう歌われ続けられたものかは、まったく分かりませんが、今の格差時代にも通じる歌詞のような気がしています。
私は、よく口ずさむのですが、もうこの歌を覚えていて、思い出しては歌っているのは、私だけかもしれません。

 人とし生きるために
        【作詞・作曲】左腰広志


地の底から 地の底から
怒りが 燃え上がる
この切羽で この切羽で
仲間が息絶えた
金のためには
人の生命も
奪い去る奴らに
怒りが燃える

血にまみれた 血にまみれた
写真が落ちていた
学生帽の ランドセルの
顔が笑っていた
この子にすべての
望みたくして
働いてた
友の姿がうかぶ

命かけて 命かけて
きずきあげた職場
この職場に 闘いの火を
燃やし続けよう
人とし 生きるため
子らの未来のためにこそ
搾取の鎖を
絶ち切ろう

 人とし 生きるため
 子らの未来のためにこそ
 搾取の鎖を
 絶ち切ろう


※ネットで調べてみると、ありました!
 これは、北海道の太平洋炭鉱の労働者が作ったものとか。
 ただ、それ以外のことはわからないようです。
 そのホームページには、
 「太平洋炭鉱は北海道釧路市にあり、2002年1月30日、日本最後の炭鉱として閉山、82年の歴史に幕をおろしました。三池炭鉱と同じく三井系の炭鉱でした。闘う労働組合も、三池闘争を最後として、御用組合に成り下がって行ったようでした。」
 という記述も見られ、荒木栄らが活躍(?)していた時代とも重なるのかもしれません。
 (http://www.utagoekissa.com/utagoe.php?title=hitotoshiikirutameni&type=midi)

 さらにこんなHPも見つけました。

 「63年11月9日に三池三川坑で451人、65年2月に北炭夕張で62人、6月に山野で237人がガス爆発事故で死亡した。
 66年には太平洋炭鉱でも死亡事故が続いたが、この年の死亡者4人はすべて社外員と呼ばれる下請労働者だった。低賃金を個人で克服するために長時間労働を行っていた。そして危険とわかっていても、改善要求が出来ない従属関係のもとで沈黙を続けていた。事故は、直轄労働者との大きな差別のもとで、低賃金と無権利の状態が引き起こしたことは明らかだった。
 ♪「地の底から 地の底から・・・
 この『人とし生きるために』の歌は、このときの情況を歌ったものである。
 労働組合は、「同じ坑内に働いていて死んでからも社外員という差別で弔慰金が少ないのでは、労働者の結束はない」と弔慰金を炭労と同額にすることを要求しストライキを構えて獲得した。労働組合は、以後もこの姿勢を貫いた。」
 (http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/uni/uni21.htm)

 学生時代の私たちは「未解放部落」(被差別部落)について学んでいたため、社会の底辺にあたる人々についての問題意識は、おそらくは高かったのだとは思うのですが、そんな背景などまったく分からないで歌っていたのですね。
 もちろん、この歌に通じるものを、なにか感じ取って歌っていたには違いないのですが。


 

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