息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

過重労働は部活だけではない フラック化した現場は過労死ライン

2017年04月23日 06時35分01秒 | 教育を考える
 今日の東京新聞の日曜版別冊に「過重労働の教員」の特集が掲載されている。

 部活の指導については、ようやく目が向けられつつあるが、問題はそれだけではない。
 東京では、副校長の仕事量が多すぎるとして、あれこれと提言や対策が練られたが、私のいる学校の副校長がその恩恵を授かったとは、とても思えない。よく土日に出勤するは、平日も7時台に出勤し、帰りが8時9時も珍しいことではないからだ。
 文科省は、「多忙」とは言わず、「多忙感」という言葉を使用して、なにか忙しいことが「気のせい」のような意味合いで使用。本質的な問題をはぐらかしているし。

 この特集に書かれている記事、統計をいくつか紹介してみよう。
 おもに小学校の教員に関するものだけになるが、詳細は新聞を読んでほしい。

 ①週当たりの労働時間  50時間~60時間未満 27.1%  60時間以上 72.9%
   ※50時間未満が0%である。長時間労働の最右翼の建設業ですら、60時間以上は13.7%。医師ですら40.0%
    異常としか言いようがない。ちなみに中学校教師は86.9%。恐ろしい調査結果だ。

 ②OECDの調査、中学校教員の調査だが、調査国平均が週の労働時間38.3時間なのに対して、日本は53.9時間。
  唯一の50時間越えの国である。

 ③小学校教諭の平均出勤時刻は7時31分、退勤時刻は19時4分。在校時間は11時間33分だ。しかも、持ち帰りの仕事の時間が1時間36分もある。1日のうちで13時間も仕事に追われているのだ。まともな生活ができるわけがない。


 平均値であることからして、この数字をはるかに越えて、「過労死」寸前、また「過労死」ラインをはるかに越えた過重労働をしている教員は、とてつもない大きな割合で存在していることだろう。

 給与の4%分が「特別措置法」により支給されているが、だからといって、この現状を良しとは言えるものではないだろう。
 とても4%で納得できるような「働き」の量ではないのだ。

 教員の「真面目さ」、そして昨今により鮮明になってきている「従順さ」を利用しての過重労働に早く手を打たないと、それこそ教員、学校、子ども、そして日本の未来は破滅する。
 確実に。

 

 

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あまり教えたくないグルメ情報 源烹輪と焼肉問屋 牛蔵

2017年04月23日 00時18分04秒 | わたしごと
 いずれも長男が仕入れてきた情報で、よく家族で行っている店を2つだけ。
 どちらも西武池袋線、富士見台にあります。駅から徒歩で1分というのも魅力。

 ただ、ここに書いて客が増えると、予約がもっと大変になるなあとは思うのですが。

 私の住んでいる町には、不思議なくらい「うまい店」がひとつもありません。

 したがって、車で、鉄道で行くしかないのですが、それをもってしても「来てよかった」と思えるほどの店です。

 1つ目は、「源烹輪(げんぽうりん)」。http://genpourin.jp/home.php
 「滋味滋養溢れる中国家庭料理の極味を堪能できる店」という評判だけあって、その創作意欲には感動するほどです。
 かなり辛い麻婆豆腐が私は好きですが、その以外にも旬のおすすめ料理(冬のおすすめ麺・フカヒレの姿料理)、
時季の魚料理・おすすめの肉料理(白金豚美明豚など)などなど、メニューが豊富です。
 こちらは懐が温かいときにおすすめ。

 2つ目は、「焼肉問屋 牛蔵」。
 とにかく、最高クラスの肉を、格安の値段で提供してくれます。
 「店頭にはその日提供される黒毛和牛の産地、固体識別番号、ランクが毎日表示され、安心感を与えてくれます。店内は明るく、ボックス席の背中の仕切りは天井まであり、隣が気にならないのが嬉しいです。油っぽい印象がなく清潔感に満ちていることも支持される理由のひとつです。
 メニューは、黒毛和牛のオンパレード。その豊富さに目を見張ります。特上・上ランクのお肉が7種楽しめる「黒毛和牛特選7種盛り合わせ」も魅力的ですが、このお店の醍醐味は1000円以下で味わえる、ざぶとん、みすじなどの希少部位と言えます。開店後まもなく品切れになることも。予約時にお肉の取り置きが可能なのでぜひお願いしましょう。」
 とぐるなびに紹介されていましたが、きっとそれ以上のインパクトがあると思います。
 ただし、いつも満員で、予約が大変なこと。
 土日しか行くことのないうちでは、だれか1人が代表として、朝から店の前で行列をして、夜の予約をしてきています。
 ホームページが見つかりません。検索すれば、情報は山ほどでてきますから、そちらでどうぞ。

 

 
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教育勅語のトリセツ

2017年04月22日 09時53分38秒 | 教育を考える
 民主主義とは相容れないものだとして、戦後「排除」された教育勅語の亡霊が、また巷を徘徊するようになった。

 3月8日には、稲田朋美防衛相が参院予算委員会で、「教育勅語に流れている核の部分は取り戻すべきだ」と発言。

 3月14日には松野博一文部科学相が、「教材として用いることは問題としない」と発言。
 そして政府は3月31日、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定した。

 4月4日には、菅義偉官房長官が記者会見で、道徳を含めた学校教育の教材に教育勅語を使用することについて「憲法や教育基本法に反しない適切な配慮の下で取り扱うことまでも、あえて否定すべきではない」と発言。

 4月7日には、義家弘介副文部科学相が衆院内閣委員会において、教育現場の朝礼で子どもたちが教育勅語を朗読することについて、「教育基本法に反しない限りは問題のない行為」と答弁。

 11日には、再び稲田防衛相が教育勅語について、「親孝行とか、夫婦仲良くとか、友達との信頼関係とか、現代でも通用するような価値観」と発言。

 森友学園問題では、大阪府教育庁私学課が大阪教育合同労働組合に対し、、「教育勅語の効力は1948年に失われているが、道徳心を養うということは重要であり、目的や効果に照らして、幼稚園の設置者が十分に考慮して、建学の精神に従って活用してもらうことには問題はない」との回答。

 、「憲法や教育基本法等に反しないような形」とはどのようなものなのかについて具体的に示されていないことは、文科省も政治家も、「様子見」の
状態であることを伺わせるが、教育勅語を否定しないという点で、これらの動きを歓迎する勢力に大きな力を与えたことは間違いのないことだった、

 普通に考えれば、「歴史的教材」として、「反面教材」としての使用なら、積極的に使用すべきだ。

 しかしこれが「教育勅語にも、普遍的な道徳が説かれていた」となると絶望的である。

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こんな駄洒落にも興奮したものだった

2017年04月20日 18時50分39秒 | 言葉の勘違い
いつのころか、もうすっかり忘れてしまったが。また、このblogに載せたのかも記憶にないが。

高校生のときだったと思う。
友達から、トイレで二人並んで用を足していたときに聞いたジョーク。

「俺の兄貴が、まだ付き合って間もない彼女を妊娠させてしまってね。」
「そうか、だいたんだね」

妙にその駄洒落に興奮したものだった。今でも覚えているのも、その衝撃が大きかったからだろう。

「よくもまあ、そんなにブラックなユーモアが出てくるね」と言われるが、それ以来、ジョークの本を読み漁ったせいかもしれない。

会話の中の冗談程度のものなのだが、残念ながら、私はジョークは創ることはできない。
できたらいいなと思うが、私の頭の限界なのだろう。
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からだから悲鳴が

2017年04月19日 06時53分30秒 | 言葉の勘違い
本日は休業
発熱 頭痛 倦怠感
からだが「休みなされ」と警告しているのだろう
3月から切れ目なく働いたからなあ

そのごほうびに さぼりましょう
まあ 元気な状態で さぼりたかったが

To Doリストも見ないようにしよう
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真意 誤解 ご迷惑

2017年04月18日 08時20分57秒 | 言葉の勘違い
よくもまあ、同じ言葉が行き交うことよ。

「真意が伝わらなかった」
例えば、かの山本大臣。学芸員は一掃しろと言った。この場合の「真意」とは何か。
まさか、「邪魔だ」ということではあるまい。
「もう少し観光マインドを使え」なのだろう。しかし、これにしても、彼は学芸員のなんたるかをまったく理解していないことからくるものである。
「お前らがあれこれ保護を口にするから、金儲けにつながることができないではないか」が、おそらく「真意」。
かれの「真意」は、誤解、無知という言葉に置き換えたほうがより正確だ。
しかし、彼は、彼らは、そうは言わない。弁解するのみだ。

「誤解を招いた」
誤解ではないだろう。彼は、上に書いた「真意」、いや「本音」を言いたかったのだ。
誤解しているのは、彼自身だから、この言葉は不適切だ。私たちが誤解したとするなら、「あなた方の理解がたりなかったのだ」という文脈となってしまう。
「ご迷惑」ではなく、国民を「愚弄」したことに他ならない。
これこそ、「ご迷惑」だ。

と書いてはみたが、それ以上の上手がいた。

安部総理だ。
彼は、まず基本的に謝らない。
最近は、自ら発した美辞麗句に酔い、自画自賛するのみで、批判は全面的に否定するか、無視するかのどちらか。
ただし、これは私の印象であり、先入観のなせるものかもしれない。
決めつけは申し訳ないから、少しばかり、彼の発言を集めて検討してみよう。
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ベルトコンベアなニュース番組

2017年04月18日 00時09分36秒 | 言葉の勘違い
「報道ステーション」を見た。

我孫子の少女殺人事件。車で移動した経路が、死体遺棄、ランドセルなどの発見場所の近くであったこと。裏DVDを押収したこと。司会者が顔をしかめて、沈痛な面持ちで、重苦しい内容を話していた。
CMのあと、彼の顔は一転。水泳の池江選手、卓球の平野選手の紹介である。満面の笑顔だ。それはそれで、嬉しいニュースなのだが、私にはどうもそのへんの切り替えができない。

容疑者は本当に犯人なのだろうか。遺体に付着した遺留物の型が、容疑者と酷似しているらしい。酷似は一致てなは異なる。
車の走行経路も状況証拠だ。容疑者は黙秘しているようで、自白もない。
容疑なのになぜ実名が報道されるのか。
学校では、容疑者、被害者が同時に出たわけだから、ケア、児童への報告はどのように配慮しながら行っているのか。

そんなことを考えていたら、もう「笑顔のニュース」、「楽しい話題」である。
切り売りのニュース。
「はい、お次は」といった間隔で流されるニュース。
回転寿司のようなニュース。
「ためのない」ニュース。
バラエティー番組と似たり寄ったり。

いやな気分になり、テレビを消した。
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本すら読めないでいる・・・またまた多忙の話題 うんざりするが

2017年04月17日 00時51分40秒 | 教育を考える
 永井愛の「新 明暗」をバッグに入れたまま、1週間が過ぎてしまった。

 私のカバンには、いつも4種類の本が入っている。
 「積ん読」に近い収納で、たいがいは帰りがけの喫茶店で、その中の1冊を読めればいい程度なのだが。

 その4種類は、

 ※自然科学の本
 ※小説など文学
 ※社会科学の本
 ※教育関連の雑誌または単行本

 この中から、その日の気分、必要性に応じて、何を読むかを決める。

 この習慣を、数十年続けてきたが、最近は、何もしないでボーッとしてコーヒーをすすることが増えてきている。
 歳のせいだけではないだろう。

 やること、考えることが多すぎるのだ。

 週案の余白に、ここ何日かでやらないといけないものを書き出してみた。

 
 1.迎える会の台本作り  2.地域巡りのコース、日程の計画  3.各教科の教材研究  4.毎日の学級通信
 5.自己申告  6.学級経営案  7.住所録作成  8.緊急連絡網作成  9.離任式の割当と原稿推敲
 10.離任式 職員寄せ書き  11.当番表の作成と清掃の仕方の検討  12.給食の際の手順の検討
 13.社会科見学 訪問先の予約  19.遠足の実施計画  20.遠足しおり作成  21.卒業生 私立への抄本などの発送
 22.校内研究について校長との打ち合わせ・・・・・
 

 ざっと34の「To Do」リストができあがった。

 この土日は、私用のために、全く校務ができなかったから、さてどうしようかと思う。
 
 学校に行けば、上記の中で、じっくりできるのは、せいぜい2つか3つ。

 疲労して、疲弊して、学校を出れば、もう読書の余力はない。

 学ばない教師は、教師とは言えない。
 そう思って、教員生活を送ってきたが、いよいよ「こなす」だけで精一杯の労働者となりつつあるのだ。

 学年会すらとれない勤務では、個々の力量だけで、その学年が維持されるようになっていく。
 去年もまさにそうだった。

 学校にも、私たちにも、そして子どもにも未来はない。
 もちろん、それは日本の行く末にも直結している。

 
 
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安倍内閣の知性はこんな程度

2017年04月16日 23時13分53秒 | こんなもの いらない
「山本幸三地方創生担当相は16日、大津市内で講演後、観光を生かした地方創生に関する質疑の中で「一番のがんは文化学芸員と言われる人たちだ。観光マインドが全くない。一掃しなければ駄目だ」と述べ、博物館などで働く専門職員である学芸員を批判した。」(時事通信)

 現閣僚が、いかに知性、品性を欠落させているか、またよく分かる発言だ。

 そもそも学芸員は、「観光ガイド」「観光協会の職員」とは異なるものだ。
 こんなことをいちいち書かなくてはならないほど、安倍内閣の知力は底知れないくらい「底を這いずり回っている」。
 
 学芸員は、調査、研究により知ったこと、解明できたことを、知らしめればいい。
 もちろん分かりやすく、興味が湧いてくるようにしてほしいが、それが最優先となり、センセーショナルな発表、宣伝に拘ることはない。
 無理をした広報は、事実を歪めかねないからである。

 山本大臣の発想は、「商売にならなければ価値はない」といった卑屈、低俗なものであり、彼はさっさと大臣を辞めて、地元の商工会議所の役職につけばいい。
 教養も人格も、薄っぺらなものには、「地方創生」を語る資格はない。
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「THE BIG ISSUE」 久しぶりの再会に安堵

2017年04月16日 00時08分28秒 | わたしごと
「お久しぶりです。しばらく逢えないでいたので、ちょっと心配していたのですよ」
「そうですか、医者に通っていたので・・・」
「えっ、どこかお悪かったのでしたか」

「いやいや、歯医者に通って 入れ歯を作っていたので なかなかここに来れなかったんですよ」

 今月号を、350円支払って受け取る。
 これだけのことだが、やはりしばらく逢っていないと心配になってしまう。
 名前さえ知らないし、どんな理由で立っているのかも聞いたことがない。

 350円のうち、180円がおじさんの手元に残るとしても、相当数売らなければ、まともな生活はおぼつかないことだろう。

 今月号は、ナオミ・ハリスの表紙。
 特集は「ギャンブル障害」
 帚木蓬生氏のインタビューがある。

 安心しながら、これからじっくりと読むことにしよう。
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教材 遊び心の宝庫 仮説社へ

2017年04月15日 19時29分25秒 | わたしごと
 高田馬場から巣鴨に店舗が移転して、初めて訪れた。
 駅から歩いて2分ほど。
 エレベーターのドアが開いて一歩前に踏み出せば、もうそこは売り場。
 以前は倉庫然としていた店が、すっきりしていて、「すごろくや」のような景観。
 ちょっと「メジャーになったなあ」という感想を持つ。

 仮説社の売り場は、教材、教具、授業書、書籍、科学おもちゃを売っているが、私にとっては
そこにいるだけで童心に帰って楽しむことのできる癒しの空間でもある。

 いつも、長居してしまうと、ついつい欲しいものだらけとなって、軽く万冊が飛んでしまうので、今回は
少し自粛して「少しの癒し」を心がける。

 両手で円筒のはしに触れると、中の発光ダイオードが光るおもちゃ、先が手の形になっている指示棒、手のひらでスプーンが曲がる手品のできるシート、空中に放り投げると、カチカチカチと振動音のする球形マグネット。プラスチックの容器に入っている鉄球をすべて穴におさめる「イライラパズル」(これは100円、お買い得)・・・

 つまり、「必需品」とは縁遠いが、夢のあるものばかりだ。

 今日は、万札を出さないで済んだ。(万の位に近いには近いのだが・・・)

 いっときとは言え、ピュアな時間を作ることができた。
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新担任としてやってみたいこと その11

2017年04月15日 10時12分18秒 | 教育を考える
⑫ 保護者とのいい関係を作るために
  --ともに子育てをしているという視点で--

 「開かれた学校」とか言いながらも、かつての学校より、保護者と担任との関係は希薄になっている。
 家庭訪問は、「地域巡り」となり、担任は学区域を回って家を確認する程度。よくても玄関先で話を2,3交わすだけ。
 「よかった」とは言えないまでも、以前は家にあがって、出されたお茶をすすりながら、子どもの家での様子、子どもの長短、担任への希望、
お家へのお願いなどを、しっかりと話せたものだった。

 学級の懇談会も回数は減り、その内容も事務連絡程度のものでしかないようだ。中には、学級懇談会を避けて、学年全体の会で終わらせている学年もあるとか。それぞれの子育ての悩みや、うまくいった交流など、今は皆無なのかもしれない。

 12月の個人面談で初めて話をした、などという保護者もいたりするのである。

 だから、なにか子どもの問題行動などで、いったん話がこじれると、「互いに見知らぬ同士」である担任と保護者は、つまらないことで意見がすれ違う、互いに攻撃的になる。
 交通事故の、見知らぬ当事者間の紛争処理の如し。

 子育てや学校の教育活動を、裏から支援するはずのPTA活動も、私からすれば形骸化してきていて、「前年通りのことを そつなくすること」ばかりが役員の暗黙の至上命令となっている。新しい試みなどは、ほとんど感じられない。
 したがって、毎回役員のなり手がほとんど出ずに、たった4,5人のポストの選出にも四苦八苦している。最悪は「くじ引き」で決める学級も出てきている。
 そこで本部が考えることは、PTAの活動内容を抜本的に改革して、「楽しさが実感となるようなPTA活動」を論議するのではなく、過去の役員経験をポイント制にして、その少ないものから役員にしていくといった掟を作って縛ろうとする。
 だから、規制の強化と役員希望の減少は、互いにいたちごっことなって、毎年最初の保護者会が、暗いイメージでしか迎えることができないでいる昨今となりさがってしまっている。

 そんな実態を前にして、これまでに、私がやっていること。

 ★最初に書いたが、地域巡りまでに、子どものちょっとした「よい印象」「がんばったこと」「できたこと」などを、全員分を、一言でもいいので親に伝える。この方法は、連絡帳に書く、付箋に書いて連絡帳に貼る、学級通信に書き込む、電話で知らせるなど、あらゆる方法で行う。最初の担任からの連絡がどのような内容かで、保護者の担任を見る印象は大きく変わるものである。「ああ、この担任は、うちの子の、いい点から見てくれている」と感じるだけでいい。ここをつながりのスタートとする。
 もちろん、一時期の「対症療法」ではない。1年間心しておくことでもある。

 ★やはり「学級通信」の威力は大きい。これも書いているので、省略する。

 ★保護者会で、<「お休み」「苦情」以外の連絡もがんばって書いて担任に届けてほしい。子どものちょっとした変化、成長を、親も担任もダブルで褒めて、自覚させていきましょう。>と強調した。
 新学期が始まって1週間。現在、15冊、つまり子どもの数の約半分のお家から連絡帳が届いた。
 「先生の毎日の話が楽しいらしく、夕飯のときは、先生の口調のまねをして、再現しています。こんなに息子が学校のことを話してくれるのは初めてのことなので、嬉しいかぎりです・・・」
 (1日1回、どこかで私は子どもに1話の約束をしている。子どものころのこと、笑い話、科学の話、最近のニュースなど、子どもがのってくれそうなことを3分程度で行っている)
「朝、私の用事で、最後に息子が家をでることになりました。かぎをきちんとしめることを伝えて出かけたのですが、帰宅してみると、なんと食べた食器が私のもふくめてキッチンの流しの中に、しかも水を張って沈める形で片付けられていて感激! 息子が帰ってきて思わず抱きしめてしまいました」
 「教室のたくさんの本から、毎日1冊ずつ借りてきては、真剣に読んでいます。去年は私が買っていた本など見向きもしなかったのに。くやしいのと嬉しいのとで・・・(笑) 先生、娘をほめてあげてくださいね」
 「ピーマンの嫌いな妹のために、夕飯のときに、息子が<フレー フレー ○○>という、嫌いなピーマン食べちゃうぞ応援ソングを歌ってくれました、妹はけらけら笑って、なんと半分以上も食べることができました。すごい息子の超能力、書かずにはいられませんでした。」
 などなど・・・


 年の功なのだとも思う。
 若い人がやって、うまくいくかはなんとも言えないが。
 ただ、その意図することは、自分なりの工夫で取り組んでほしいと思う。
 卑しい動機かもしれないが、「親とむだなトラブルを起こしたくないため」に、そして、こちらのほうが重要なのだが、「子どもたちが、親により、担任により、目を輝かせて成長を遂げられる」ように。
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ネットの向こう側の 未知の100人のみなさん

2017年04月15日 08時22分19秒 | わたしごと
 最近は、毎日100人前後のアクセスがある状況が続いています。
 かつては、30~200の間を、行ったり来たりとしていたものですが、
もしかすると「固定客」がついたのかなと、ちょっと嬉しくもあります。
 
 ただ、哀しいかな、この100人の「固定客」の方々が、いったいぜんたい、どんな方なのか、
どんな興味をもって私のブログを見ているのか、まったく分からないのが残念なことです。
 ときおりコメントの書き込みがあって、点と点のような繋がりもあるにはあるのですが、それも
単発のやりとりで、一瞬の煌めきのようなものでしかありません。

 これがLINEとかなら、相手の情報が少しは手に入れることができるのでしょうが。
 もう何年も開店しているこのブログは、愛着が湧いていて、容易に手放すことを考えてもいません。

 未知の、謎のみなさん、これからもよろしく。
 また、余裕がありましたら、こりゃ間違っているなどのものがありましたら、ぜひコメントで登場してください。

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コニカミノルタプラザが なくなっていた!

2017年04月14日 19時48分16秒 | あれこれと
「2006年のカメラ・フォト事業終了後も同様の目的にて運営を継続してきましたが、事業終了から10年経過し、文化・芸術への貢献の役割は十分に果たしたとの判断により、運営終了を決定しました。」

 という。「役割は十分に果たした」という判断を、どのように話し合い、決めたのか。
 美辞ではあるが、誠実な言葉とは思えないのが残念だ。

 無料で、しかも質の良い、多様なテーマで企画され、よく足を運んだものだったが。
 
 来場者も、よく見かける顔あり、旅行者あり、海外からの訪問もありと、多彩な層に浸透していたと思えた。

 「まあ、こんなところで、おひらきにしても」的な発想で、辞められたらたまらない。

 結局は、「予算削減」「儲けにつながらない」程度の理由だったのか。

 
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熊本 伊方 断層 原発

2017年04月14日 19時24分42秒 | 奇妙な風景
 熊本の大地震から1年がたった。
 私の学校でも、昨年度はユニセフをいったんお休みにして、熊本募金とメッセージを送る取り組みを行った。
 もちろん、多々問題点はあるものの、児童会の子どもたちが大地震や被害、今必要なもの、ことなどを調べて、何回も何回も話し合って決めたものである。

 それとはまた違ったものだが、素朴に考えて、なぜ伊方原発は「安全」だと言えるのだろうか。
 熊本を横切る断層は、伊方に向かって存在している。
 伊方のすぐそばに、北は活発な断層である中央構造線、南は南海トラフ。
 それだけでも、「絶対安全」とは言えないはずなのに。
 まして老朽化の進んだ原発の施設。

 原発の西側、半島の住民は、事故が起きた際の避難はできるのだろうか。
 
 それも不安だ。

 万が一、事故が起きた後の混乱は、福島で十二分に認識されたのではなかったのか。

 
 
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