息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

ちゃっかり「やーめた」なんてことではない

2013年01月30日 00時51分39秒 | 教育を考える
 退職金が減らされる前に退職しようとする教職員のことが報じられている。
 やはり「けしからん」「最後まで勤めることが教師としての責務だ」「こどもはどうするのだ」といった意見が多くのマスコミのスタンスのようである。

 「職を辞する」
 それについて、「金のためだから」と、いとも簡単に結論を出した教員など、おそらくは1人もいないに違いない。
 その多くは、家のローン、子どもの養育、学費、親の介護、自分の退職後の見通し、その他もろもろのことを、「現場を途中で放棄する」ことと、天秤にかけながら、考えて考えて、悩んで悩んで出した結論に違いないのだ。

 教員は、けっして「裕福」ではない。
 しかも、ここ10数年は、手取りが大幅に減り、これからも減ることはあっても、まず増えることはありえないということを考えれば、「早期退職」をして、第2の人生に踏み出したほうが、「まだまし」と考えもことも、やむを得ないことだと思える。
 「子どもにはすまない」
 しかし、自分も、家族も、生きていかなければならないのだ。

 最近は、定年前に「燃え尽きて」やめていく仲間が、激増しているが、すでに魅力のない学校にはとどまっていたくない、そんな気持ちも拍車をかけているのかもしれない。

 悲しい現実である。

「埼玉県内の公立学校の教員100人以上が、退職金が引き下げられる前の1月末で退職を申し出ている問題で、29日までに6人がいったん申し出た退職願を撤回した。いずれも「駆け込み退職」問題が報道された後で、現場の先生たちも揺れているようだ。

 県教育局やさいたま市教委によると、小学校で担任2人を含む3人、中学校で1人、県立高校で教頭1人を含む2人の計6人。さいたま市の担任教諭の1人は「子どものために」と学年末まで職務を全うすることを決めたという。

 ただ、県とさいたま市の教員計104人が今月末で退職する意向で、県教育局は「臨時教員を採用するなどして学校に混乱がないように努めたい」としている。」(朝日新聞)
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雪!

2013年01月28日 07時14分35秒 | わたしごと
きまぐれな雲のいたずら
うっすらと雪化粧

もう晴れ間が

みんな足早で
景色など見ている暇などない様子
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進化 そして地球の奇跡

2013年01月26日 23時59分14秒 | わたしごと
新宿、コニカミノルタプラザに行ってきました。
ビルの4回にある、このプラザ。
上の階には、今日も「40分待ち」という中村屋、パーラーたかのがあり、2機あるエスカレーターがいつも満員で辟易するのですが、今日も例外ではなく、ぎゅう詰めを体験後に、ようやく会場に。

今回の展示は、「宇宙から見たオーロラ展2013」とティム・レイマン写真展「BIODIVERSITY II」の2つ。
前者は、ライブでオーロラを中継していることや、解説、ビデオ視聴などが盛りだくさんで、かなり混んでいたために、それはそこそこにして、レイマン写真展をじっくりと見て回りました。

「本展では、ハーバード大学比較動物学博物館の鳥類学研究員も務めるレイマン氏ならではの鳥類をテーマとした興味深い作品群のほか、調査取材の際に発見された新種の生物、熱帯雨林や海中における生態系、そして絶滅危惧生物の貴重な記録を含め、多岐にわたる作品から幅広く展示いたします。」と、解説にあります。

私には写真を説明する筆力がなく、したがって、これは、写真をみないと感動が伝わりません。

http://www.konicaminolta.jp/plaza/schedule/2010september/gallery_a_100908.html

で、どうか感銘を受けてください。

私たちの仲間、がたくさん紹介されています。
31日まで。



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いつ退職するかまで指図されたくない

2013年01月26日 22時57分46秒 | 奇妙な風景
レイバーネット日本に、こんな投稿が掲載されていました。
例の橋下氏の手法でもありますが、公務員をたたくことは、権力者にとって、その延命のための常套手段となっています。
労働権すら制限され、政府よりの人事院の答申に、ただ、ただ、従っているだけの公務員をバッシングすることは、まったくもって本末転倒です。


「埼玉県の教員が、年度末を待たずに1月末で駆け込み退職しているとテレビなどで話題になっています。公務員の退職手当削減は、全国で行われており、この問題は埼玉だけはありません。私の働く、東京・特別区も退職手当削減が提案されており、削減反対闘争の最中です。
私は、定年まで8年ありますが、単純に退職金だけ考えると8年後よりも、今年3月で辞めたほうが、金額で330万円以上、率で15%程度お得です。
 埼玉の話に戻しますと、まじめに3月末まで勤務したほうが、退職金で150万円、2・3月分給与を加えても、70万円以上損するそうです。制度に問題があるにも関わらす、退職した教職員が批判されています。
 退職手当削減を強行した上田・埼玉県知事も、辞めた教員を批判してます。しかし、批判されるべきは、現場に混乱をもたらす制度を短期間で決めた上田知事自身でしょう。また、背後にいるのは、公務員人件費削減を推進する政府であり、総務省です。
話は昨年3月に戻ります。人事院は政府の要請を受けて、退職後の給付についての民間と公務員の差を報告しました。公務員の方が402万円多いとの報告でした。これに基づき、野田内閣は退職手当削減法案を閣議決定。ねじれ国会のもとでは審議されることはありませんでしたが、衆議院解散が決まり、解散の日11月16日たった1日の審議で法案が成立。法案も駆け込み成立でした。
国家公務員の退職手当は、今年1月1日から3年かけて、平均402万円削減、支給額で2700万円から2300万円への削減が決まりました。その際、地方自治体にも削減を促しました。
おおくの地方自治体では、12月議会で今年度からの退職手当削減が決められました。労働組合がそれなりに抵抗しているところは、実施を4月以降に遅らせているものの、金額は国並みに削減されています。
退職手当は、賃金の後払い的な性格があり、大幅な削減はとても認められません。公務員は退職手当の比重が大きく、そのため、在職中は法令を守り、上司のいうことを聞きおとなしく働いているのです。
さて、もう一度、話を昨年3月に戻します。人事院の報告は、退職金と企業年金の合計について報告しました。退職時から死亡するまでの年金受給額と退職金との合計を、公務員と民間とで比べると、公務員のほうが402万円多いというのです。
内訳を見ると、退職金は公務員の方が多いのですが、年金は民間が多いのです。その差を埋めるには、別の方法もあるはずですが、政府は退職手当を削減する方法を選びました。  

*民間の企業年金及び退職金の調査結果(人事院・平成24年3月)

民間 2547.7万円(退職一時金 1041.5万円
           企業年金     1506.3万円)

公務 2950.3万円(退職手当 2707.1万円
          共済年金職域部分 243.3万円)


 この数字が、正しいのか検証されていません。しかし、報告を信じるならば、公務員の年金が恵まれているというのは、ウソになります。また、東京特別区は、この報告の退職金よりも200万円以上少ないです。在職年数が短い現業職員はさらに少なく、千数百万円程度であり、今提案されている削減案では、勤続25年程度でも1千万円を下回ります。
退職金削減の次には、地方公務員の賃金削減が控えています。また、政府は同時に生活保護費の削減や、国民年金切り下げなどを行おうとしています。退職金削減は、労働者全体の賃金や社会保障費削減の一環であることを押えてください。」
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現場の声など聞く耳を持たない政権

2013年01月26日 10時48分44秒 | 教育を考える
やはり、という感じがするが、末端にまで金を落とそうとはしないのは、自民党らしいなと失望の上塗り。


「全学年35人学級、断念 文科省、自民意向受け白紙に
 文部科学省は、公立小中学校の全学年に少人数学級を導入する計画を断念することを決めた。今年度までに小1、小2の「35人以下学級」を実現した民主党政権は、新年度から5年間で中3まで全学年に広げる計画を立てていたが、政権交代で白紙に戻った。

 文科省は昨年9月、小3~中3を35人以下学級にするには教員1万9800人の定数増が必要と判断。2013~17年度に実現する計画で、新たに1学年分を増やす3900人分(85億円)の予算を概算要求していた。どの学年に先に導入するかを都道府県が選ぶ方法を想定していた。

 しかし、自民党内には全国一律の底上げよりも、学力向上やいじめ問題対応などに焦点を絞った追加配置(加配)の方が費用対効果が高いとの主張が強い。その意向を受けた財務省と文科省が調整した結果、(1)小学校で担任とは別に理科や英語を教える専科教員を配置する(2)いじめ問題への対応などで生徒指導の態勢を強める(3)マネジメント強化のため主幹教諭を置く――といった学校に限定し、増員を認めることにした。 」(朝日新聞)
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道徳 頑張れ頑張れの大合唱

2013年01月23日 23時26分47秒 | 道徳教育 人権教育
校内研究で、今年度最後の道徳の授業がありました。
参観しながら、「ああ、また同じ光景か」
そんな哀しい思いで見ていました。

資料は、九九の七の段をなかなか覚えられない子ども。
何回練習しても、うまくいかない。
お母さんに愚痴ると、「10回がだめなら50回、それでもだめなら100回」と鼓舞激励。
あきらめないで練習を続けた結果、やっと七の段を言うことができ、みんなの賞賛に涙するというもの。

要するに「もっと頑張れ」「あきらめるな」が、指導者の言わんとするところなのでしょう。

純粋無垢な子ども達は、最後に、「鉄棒をがんばって練習してできるようになって、嬉しかった」「ピアノの発表会の練習をあきらめないで
頑張ったので、いい発表ができた」など、自分のこれまでを振り返って発言します。

私はひねくれているのでしょうか。
こんな資料を読んでいくと、虚しくなってきます。

もちろん「がんばること」「粘り強く努力すること」は、尊いものに違いありません。
しかし、このような授業を、小学校の6年間で、手を変え品を変え、教え込まれたら、子ども達の心は、どのようになっていくのか。
つまり、「できない子」は、「ぼくの努力が足りないのだ」と思い込んでいってしまうのではないか。
いったんあきらめて、別のものに力を注ぐこと。
そんなことは許されないのでしょうか。
努力よりも、「やり方」を少し工夫することでできることもあるものだ。
そんなこともあることでしょう。

努力もいいが、努力しないで会得したいという本音も、私にはあるのですが。

不登校が話題になった際に、「がんばれの声かけは、かえって子どもを追い詰めることになるのではないのか」ということが、よく言われました。
これは、道徳の世界とは縁のないことなのでしょうか。

道徳の設置自体、懐疑的な私ですが、それでも「わくわくするような資料」があれば・・・と、あちこちにそれを求めてきました。
しかし、残念ながら、皆無といってよいほど、見つかりません。

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体罰の記憶

2013年01月22日 23時17分42秒 | 教育を考える
私の中学生時代は、周りに「体罰教師」が多数ひしめいている、そんな印象でスタートしました。

まず担任。数学の先生であり、忘れ物をすると、教室の前に立たせて、思い切り頬にビンタする「約束」を強いられました。
まだ教員となってすぐで、自身を「熱血漢」だと思っていたのでしょうが、数学のある日は、起きてから家を出るまで、何度も何度も宿題のプリントやノートを点検していたことを思い出します。
幸い、忘れ物は0で、ビンタは回避できましたが、「宿題をやって賢くなろう」などとは全く考えることはなく、「痛い思いをしたくない」としか考えてしませんでした。

そして極めつけは、美術の先生。
月曜日に美術の時間がありましたので、休み明けの朝は、いつも胃が痛くなりました。
馬の絵を描かせたら、右に出る者はいないという芸術家だとのことですが、とにかく子どもに向かって額縁を投げる、体当たりをする、イーゼルを投げる・・・それが予測不可能なのです。
私も、「集合、整列をさせるのが遅い」と、胸を突かれ、「お前、肩にふけがついてるよ」と額縁を首に投げるようにかけられ、「なんだ、その目つきは」と、体当たりを食らいました。

これらも「体罰の会」からすれば、崇高な指導方法なのでしょうが、暴力を受けた側からすれば、「屈辱」と「恐怖」以外のなにものでもありません。
私たちは、教師の顔色を見ながら、「怒られまい」という意識だけで、授業を受けていました。
その当時の私たちは、別の言い方をすれば、主体性のない、意気地のない、まったく「進歩」などありえない、哀れな子どもたちでした。

教師の主観で、それが暴力にも、またすぐれた「体罰」にも解釈できることは、結局、いい加減な基準だということなのでしょう。







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政治家の軽率な発言

2013年01月21日 23時14分55秒 | わたしごと

橋下氏「(受験生は)生きているだけで丸もうけ。またチャンスはある」

麻生氏 終末期医療や延命治療に言及した際、「私は遺書を書いて『そういうことはしてもらう必要はない。さっさと死ぬから』と書いて渡してある」と発言。さらに「いい加減死にてえなあと思っても、『とにかく生きられますから』なんて生かされたんじゃあ、かなわない。しかも、その金が政府のお金でやってもらっているなんて思うと、ますます寝覚めが悪い」

石原氏「北朝鮮による拉致問題は二百人以上の日本人が拉致され殺された証拠があったのに、憲法九条のせいで日本は強い姿勢で北朝鮮に臨めず、同胞を見殺しにした」

 「私も十二年間、毎年毎年、共産党の質問を聞いてきまして、大分なれたと思うんですが、それでも一言一言、神経を逆なでするね。これは共産党以外の日本人はみんなそうなんじゃないでしょうかね。これは本当にお気の毒だけど、ここまでいくと共産党というのはだんだん化石になって、そのうち埋もれちまいますよ。(中略)エネルギーの議論をもてあそべば、国家は必ず衰退します。共産党の皆さんも日本人の一人としてよくよく考えていただきたい。(発言する者あり)あ、そうか、日本人じゃないのか。」

 「日本は核を持たなきゃだめですよ。持たない限り一人前には絶対扱われない。世界の国際政治を見てご覧なさい。なんだかんだ言いながら、核を持ってる人間は、マージャンでいえば一翻(イーファン)ついてて上がれるけど、マージャンやっている人は分かっている、一翻がついていない人間は絶対に上がれない。日本が生きていく道は軍事政権をつくること。そうでなければ、日本はどこかの属国になる。徴兵制もやったら良い。日本が生きていく道は軍事政権をつくること。そうでなければ、日本はどこかの属国になる。徴兵制もやったら良い」

 「大きな出版社までが何を被害妄想かなんか知らんけどね、アニメフェアやったらね『あんなとこ行かない。おれたちは幕張でやる』って言ったらね、震災が来てね両方ともパーになった。ざまあみろってんだよ」

 「黙って聞け、この野郎」

 「姜尚中・東大教授について)怪しげな外国人が出てきてね。生意気だ、あいつは」

 「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ」

 彼の分は、一冊の本にもなるほどたくさんありすぎる。

 政治家には、品性が求められると思ってはいるが、上の3人は、それを痛快に裏切ってくれる。

 言う方も、そして選ぶ方も、自覚がないのが哀しい。

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大鵬はヒーロー 巨人にはちょっと騙されたけど

2013年01月20日 18時51分25秒 | わたしごと
巨人、大鵬、卵焼き
これは、私の小さなときの世相を表すコピーですが、私も例外ではなく、3つとも「こよなく愛する」対象でした。

まだ、NHKだけでなく、民間放送の局が、すべて大相撲を放映しているころ、それほど人気のあった相撲でした。
大鵬と柏戸、私は「柔」の大鵬ファンでした。
戸田関との、あの「疑惑の判定」で連勝が途切れたときは、自分のことのように悔しがった思い出があります。
引退後も、彼は彼なりの社会的・政治的意見を持って、それを発信し続けたことも尊敬する理由です。

卵焼きも、もちろん。
伯母が、砂糖多めの卵焼きが得意で、それに醤油を垂らして、よく食べたものでした。

巨人も。
どちらかというと長嶋ファンに近かったと思うのですが、当時は長嶋が打って、巨人が勝つ、それが爽快に思えたものでした。
ただ、あとになり、「だれもが巨人ファンになるのは当たり前のことなんだ。いつもテレビは巨人戦しか放映しない。だから、自然に名前も覚えるし、好きにもなってくる」と気づいたとたんに、巨人は嫌いになりました。
これも短絡的な嗜好変更なのでしょうが、あとあと渡邊社長(会長?)の、数々の「業績」を聞くにつけ、その思いは強くなってきました。
もちろんジャイアンツの選手には、責任がないのですが・・・

大鵬も、日本の激動の時期に生まれ落ちた子とも言えると思います。

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中止すれば解決なのか

2013年01月20日 18時44分27秒 | 教育を考える
「大阪市立桜宮(さくらのみや)高校の体罰問題に絡み、市教委が、橋下徹市長から要請されている同高体育系2科(体育科、スポーツ健康科学科)の今春入試での募集中止について、「この時期の募集中止は極めて困難」として、入試継続を軸に調整していることがわかった。」(読売新聞)

「言うことが聞けないなら、出て行け!」
「そんなもん、やめちまえ!」

とにかく橋下氏は短絡的である。
その高校、その学科を目指していた子達は、いったいどうなるのか。
そんなことはお構いなしのようである。

「やめる」ということは、つまり「あいまいにする」と、ほとんど同義である。
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体罰の会

2013年01月20日 10時59分36秒 | 教育を考える
かなり長い文章の引用をします。
みなさんは、これを読んで、どう感じられるでしょうか。

「体罰とは、進歩を目的とした有形力の行使です。体罰は教育です。それは、礼儀作法を身につけさせるための躾や、技芸、武術、学問を向上させて心身を鍛錬することなどと同様に、教育上の進歩を実現するにおいて必要不可欠なものなのです。
  一方、あたりまえのこととして、暴力は許されません。自己の利益、不満解消(鬱憤晴らし)、虐待を目的として人(弱者)に対して有形力の行使をして傷つける行為は、家庭内であれ、学校内であれ、社会内であれ決して許されません。それは、その人間の考えの間違い、心の弱さ、過度の精神的な疲労(人間力の劣化)などが原因となっています。しかし、このような進歩を目的としない「暴力」と、進歩を目的とする「体罰」とは根本的に異なります。

 初めから「全人」として生まれた人はいません。躾や鍛錬によって生命と身体を維持し家族、民族そして国家を維持しようとする本能を強化し、学習によって理性を作り上げて進歩しながら人格を形成してゆくのです。
  しかし、自己の自覚と努力だけでは進歩できない場合もあり、むしろ、それができない人の方が多いのです。それは、進歩のためには鍛錬が必要であることを理性的には理解できても、自らに苦痛を課す鍛錬から逃れようとする心があるからです。これは、「快を求め不快を避ける」という本能的な行動原理によるものであり、教育はこの行動原理に基づくものなのです。

 進歩を目的とした躾や鍛錬には少なからず不快感を伴います。躾や鍛錬による不快感は、それを克服させるための行動を起こさせ、その目的を達成すると不快感は消え、快感(幸福感)が得られます。それゆえ、進歩を目的とした躾や鍛錬による不快感は、進歩のためには必要不可欠なものであり、「不快なくして進歩なし」なのです。ところが、躾や鍛錬による不快を「悪」であるとして躾や鍛錬を否定すれば、進歩のための行動が生まれず、いつまでも進歩しないことから、他人との能力差を感じて疎外感や劣等感が生まれ、それが逆に大きなストレスとなって、躾や鍛錬による不快以上の大きな不快が生まれ、社会生活に適合できなくなります。

 人生において進歩向上すべき最も重要な時期に、進歩のための不快を避け、不快なくして進歩しようとする怠惰な心の赴くまま身を委ねてしまうと、進歩することができません。克己心を得て進歩のための不快を克服して自己研鑽できる一部の恵まれた者だけが教育的に進歩できても、その他の多くの者が取り残されて社会の全体的な進歩がなければ、社会秩序は安定せず社会全体の民度は高まりません。大人ですら進歩のために必要な矯正措置を不快と感じて避ける怠惰な心がありますので、子供たちの場合は尚更のことです。自主性とは理性が完成していることを前提としますので、理性の未熟な子供に自主性を期待することはできません。そのために、教育的矯正が必要となってきます。その最も重要なものが体罰なのです。

 水が高いところから低いところに流れるように、学級生徒の中に怠惰な者がいて、それに対して教師が何らの教育的矯正をなさないとしたら、学級全体が怠惰を是認することになって、克己心を持って研鑽している他の生徒にも悪影響を与えます。その結果、学級全体の生徒の進歩が遅れ、学級の秩序が乱れます。
  そのことを動物行動学を確立してノーベル賞を受賞したコンラート・ローレンツが科学的に証明しました。それは、「種内攻撃は悪ではなく善である」ということです。ここで「善」というのは、種族保存のために必要な秩序維持に必要不可欠なことを意味します。決して、理性的、宗教的に判断した「善」のことではありません。善悪は、理性で決するものではなく、固体と種族の本能(生命原理)に適合するか否かによって科学的に決定されることを意味します。種内攻撃は、すべて種内の秩序の形成と維持のためになされます。決して秩序を壊し秩序を乱すためになされるものではありません。人間以外の動物は、秩序を壊し秩序を乱す結果を生む種内攻撃をすることがありません。そして、本能的行動としての種内攻撃、つまり、同種内における有形力の行使は、種族維持、秩序維持のために必要なものであることを説いたのです。この種内攻撃の最も重要なものに「体罰」があるのです。

 ところが、それでも体罰は悪であるという人がいます。しかし、これには前に触れたとおり科学的な根拠がありません。それどころか、進歩を目的とする体罰が悪であれば、それ以外の方法による進歩を目的とする強制力もすべて悪になります。体罰のみが悪であるとする根拠がなく、進歩を目的とする強制力のすべてを否定することは、結局のところ教育それ自体を否定することになります。
  さらに、そのような体罰否定論者は、「体罰」を「虐待」と同視します。たしかに、虐待も有形力の行使ですが、虐待は単なる憎悪の発露に過ぎず進歩を目的としない暴力です。同種内でこのような秩序の破壊と紊乱を生む行為をする動物は人間だけです。本能に忠実な人間以外の動物は、無益な殺生や虐待をしません。親殺し、子殺し、夫殺し、妻殺しのような犯罪も犯しません。家族維持や社会秩序維持の本能が劣化すれば犯罪が起こります。虐待とか犯罪が起こるのは、人間にしかない歪んだ理性によるものです。犯罪とは、「歪んだ理性のアダ花」というべきものなのです。
  そもそも、同じ有形力の行使ではあっても、目的の有無によってその性質は全く異なります。体罰と虐待(犯罪)とは、進歩を目的とする行為であるか否かによって峻別されます。決して体罰の延長線上に虐待があるのではありません。この区別の解らない人は、人命救助と治療を目的として外科医がメスを用いて行った手術行為と、憎しみと利害打算によって人を刃物で殺傷する犯罪行為との区別もできないことになります。

 また、「刑の疑わしきをば軽んぜよ」(書経)といふ言葉があります。これは、刑罰の謙抑性を説いた言葉です。法はあらゆる違法行為を対象とすべきではなく、刑罰は必要やむをえない場合に最小限度で適用されるべきです。これと同じく、体罰もまた無条件、無制約ではありません。体罰が教育として必要なことと、体罰がどのような場合にどの程度必要であり、そして教育目的を実現するためにどうすれば効果的であるかということとは区別しなければなりません。体罰は、教育を行う者に認められた懲戒権であり、その権利が認められるか否かという権利の「存否」の問題と、その権利を行使するについてどのような場合にどのような方法や程度で行うことができるかという権利の「要件」の問題とは区別されます。ハードとソフトの関係です。これを混同することは、警察官が違法な逮捕をしたことがあったことを理由に、すべての警察官の逮捕権限を全否定することはできないことと同じです。体罰を悪であるとして否定する人は、この区別もできないことになります。

 子供は教育的進歩を遂げなければ社会人として完成できないのですから、体罰を含む教育を受ける権利があり、国家としても体罰を含む教育をすべき義務があります。ところが、学校教育においては、学校教育法第11条但書により、教員による体罰が禁止されています。同条は、学生生徒等の懲戒についての規定であり、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」と定めています。体罰は教育に必要な懲戒権には原則的に含まれるのですが、例外的にこれを行使してはならないとしているのです。
  しかし、このように学校教育における体罰(学校体罰)による懲戒権の行使は禁止されていますが、家庭教育における体罰(家庭体罰)は禁止されていません。それは民法第822条に規定する親権者の懲戒権には体罰を除外されていないからです。つまり、学校体罰は禁止され、家庭体罰は禁止されていないという不統一で論理矛盾な懲戒制度となっているのです。
  そのうえ、平成12年には、体罰と虐待の区別もできていない「児童虐待の防止等に関する法律」という欠陥法律が制定・施行されます。これにより、進歩目的の有無で区別していないことを口実に、親権者の体罰を虐待とみなして、児童相談所が独断で一時保護と称して児童を拉致し、親子を引き離して長期完全隔離して家庭を崩壊させる事案が恐ろしい勢いで増加しています。確かに、これまでの放任教育の結果、あまりにも悪質で悲惨な児童虐待事案が増えてきていることは確かです。これは、「体罰」ではなく明らかに犯罪なのです。

 現行の制度では、家庭体罰を肯定し、学校体罰を否定しています。学校体罰と家庭体罰とを区別し、学校体罰のみが否定されることの科学根拠は未だに示されていません。さらに、体罰を虐待とを混同しうるような児童虐待の防止等に関する法律が制定運用されるという矛盾に満ちた現行の法制度は、明らかに教育科学に反します。科学でなければ、それは特異な思想か宗教的教義に他なりません。いわば、教育が「体罰禁止教」に支配され、いまや教育は再生不能の状態にまで陥っています。
  子供の自主性を尊重し、命の大切さだけを教え続けた個人主義の「理性教育」は、論理矛盾と形容矛盾の最たるものと言えます。自分の命を捨ててまで守るべきものがあることを教えなかったからです。自分の命を捨ててまで愛すべき親や子供たちを守ることは、理性教育からは導かれません。そのため、個人主義では、自分の命だけが大切であり、他人の命は大切ではないことになりました。戦後教育は、この個人主義に根差した理性教育が正しいとして今日まで来ました。その結果は、実に惨憺たるものでした。今では、家庭教育では、家族の序列と秩序が消滅して健全な親子関係が崩壊し、学校教育においても、教師と生徒との序列と秩序が乱れ、イジメや不登校、自殺などが起こって、教育全体が回復不能の状況となり、社会秩序が崩壊寸前にあります。怠惰を助長させる放任主義は、まさに教育の放棄であり、社会秩序の崩壊となります。そのために、少なからず他律的な矯正の力が必要となります。競争原理による叱咤激励、信賞必罰や、劣後する者や怠慢な者に対する叱責などの間接的な矯正だけでなく、直接的な矯正力が必要な場合があります。それが体罰です。ですから、体罰は教育なのです。ところが、そのどさくさに紛れて、体罰と虐待とを同一視する傾向が一層進んでいるのです。

 このように、現在では悲観的な状況ではありますが、平成21年4月28日の最高裁判所第三小法廷の判決によって、教育再生へのかすかな光明を見出すことができました。この事案は、休み時間に女子児童を蹴っていた男児らを教員が注意して職員室に戻ろうとしたところ男児に尻をけられたので、教員が男児の胸元をつかんで壁に押しつけ、「もう、すんなよ」と怒った行為を、学校教育法第11条但書の体罰禁止条項に違反する行為であるとして男児の保護者が損害賠償を請求したものです。一審と控訴審は損害賠償を認めましたが、最高裁では逆転してその請求を退けました。この教員が男児の胸元をつかんだ行為が「体罰」にあたるか否かについて、最高裁は、「許される教育的指導の範囲を逸脱せず、体罰には当たらない」と判断したのです。しかし、この教員の行為は、明らかに体罰です。教育的指導は体罰の一種です。つまり、この最高裁判決は、学校教育法第11条但書を実質的に否定したか、あるいは限定的解釈を行ったものと評価されるのです。
  しかし、この判決はまるで多勢に無勢、焼け石に水のような存在で、現在のような不整合な法制度が存在し、その規定を正しいものであるとする体罰否定の人たちが戦後教育を支配し続けたため、学校のみならず、家庭も崩壊し、児童相談所の横暴を許し、家庭裁判所もそれを黙認するに至っています。それゆえ、この最高裁判決を踏まえて、現在の状況を打破して、教育の再生をはかるには、体罰禁止教の支配から我が国を解放して、教育に科学性を回復することです。そのための緊急の課題として、まずは学校教育法第11条但書の削除を実現することが必要です。その上で、体罰の方法や程度に関する法整備を実現して、教育の再生を実現せねばならないと確信します。

 戦後教育によって多くの国民に深く刷り込まれた体罰という言葉の否定的なイメージを払いのけるのは並大抵のことではありませんが、我々は、この洗脳から解放されることが教育再生の大きな第一歩であり、その具体的な目的として、学校教育法第11条但書の改正(削除)をもって教育正常化を実現する国民運動を展開するために本会を設立しました。
  何卒、皆様のより一層のご理解とご協力、そして本会への積極的なご参加をお願いする次第です。」

これは、「体罰の会」という組織の趣意書です。

会長は、慶応大出身で「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長も務めた加瀬英明(かせ ひであき)氏。顧問兼支部長に戸塚宏氏、顧問として、女優で詩人とされる村松英子(むらまつ えいこ)氏、そしてあのNHK英語講座で知られた松本道弘(まつもと みちひろ)氏が名を連ねています。支部は、戸塚ヨットスクール支部(愛知)、PNF支部(東京)、進歩目的の体罰の会支部(神奈川)、そして教育改革を提言する会支部(静岡)にあります。

「進歩を目的とする体罰」
すてきな言葉ですね。

しかし、そんな情緒的な「美しい言葉」も、現実に照らし合わせてみると、それがいかに「欺瞞的な言葉」だと思えるのは私だけではないでしょう。
暴力を行う者の意図が崇高であれば、暴力を受ける心情など関係ないのだ、そんな文脈のように思えます。


この記事は、おそらく、安倍新政権の「教育再生」とも重なり合うと思いますので、その記事の際に詳しくコメントできると思います。
とりあえず警鐘のみ。




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雪は鬼門

2013年01月16日 00時28分24秒 | わたしごと
朝6時45分に自宅を出たのに、職場についたのが、2時間強もかかった9時。
すでに授業も始まって、子ども達は保健室で身体測定をしていました。

なにしろバスが来ない。
駅前のバス停には、すでに50mほどの行列。
「あっ、これはまずい」と思ったものの、如何ともしがたく、並んで待つしかない。

長い距離の路線バスであるからだろう。約50分待ち続けて、ようやくバスが到着。
ぎゅうぎゅうの満員になったために、バス停で止まるたびに、降りる客が、後ろから人をかきわけ
前にある出口に移動する。また、乗り込む客も、すでにいっぱいの「人の束」をぐいぐい押して
なんとか割り込んでくる。
それに時間がかかるため、ふだんは20分ほどの時間が、40分以上。

ぐったりして下車。そして、また凍った路面を慎重に歩いて、職場に向かう。

途中、自転車は横滑りして転倒、革靴を履いた男性が、何回も転びながらバス停を目指す。
そんな光景を横目に、慎重に、慎重に歩く。

明朝は、なんとかしないと、同じことを繰り返してしまう。そんなことを思いながら帰宅しました。

さて、どうしたものか。
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雪!

2013年01月14日 19時17分32秒 | 思い出を語る
久しぶりの「大雪」です。
もちろん東京では、ということですが。

10cmほども積もったでしょうか。それだけで、電車は止まる、道路は渋滞、転倒事故は多発。
そんな脆弱な首都です。

めったに降らない雪ですから、雪に関する思い出は、意外と少ないものです。

中一のとき、前の日の夜半から降り始めた雪が、朝には30センチほどになっていたのだと思います。
必死になって、電車に乗りましたが、途中で走る、止まるの繰り返し、満員の電車では、窓ガラスは割れる、
どこからか女性の悲鳴が聞こえる。そんなパニック同然の通勤状況で、ようやく池袋の中学校に着いたのが
2時間後。ふだんは40分ほどの通学なのですが。
通常なら2時間目の途中かなと思って、正門にたどり着くと、
「今日は休校にします」のすげない表示。
また2時間かけて帰宅したことです。

それから中三のとき、埼玉県の高校入試が大雪で延期になったこと。これは事前に分かったので、会場の浦和まで
行かずにすみました。

あとは・・・どうも思い出せないほどのか細いものばかりです。

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つなぎの作品という感が 「ホテルローヤル」桜木紫乃

2013年01月13日 19時52分40秒 | こんな本を読みました
集英社
「体を使って遊ばなきゃいけないときがある 湿原を背に建つ北国のラブホテル。「非日常」を求めて、男と女は扉をひらく――。 恋人から投稿ヌード写真撮影に誘われた女性店員、「人格者だが不能」の貧乏住職の妻、舅との同居で夫と肌を合わせる時間がない専業主婦、親に家出された女子高生と、妻の浮気に耐える高校教師、働かない十歳年下の夫を持つホテルの清掃係の女性、ホテル経営者も複雑な事情を抱え……。」

ラブホテルを真ん中に据えて、その経営者、娘、従業員、ホテルのグッズの卸業者、そこで心中する2人組の事情などを織り交ぜながらの連作。
彼女の作品は、性を描きながら、それが人の生育や環境や、周りとのしがらみと絡みついたものとして扱われていて、少しも「いやらしさ」を感じさせない点では共通している。

ただ、この作品は、彼女の作品にしては、「重み」を感じさせてはくれなかった。
連作ゆえに、視点を変えながらのものであるだけに、ひとつひとつの短編が繋がりあってはいるものの、残念ながら「そこまでかな」といった印象。
彼女の作品の中での、相対評価ではあるが。

「そこにたどりつくまでのドラマ、悲哀」
それを感じさせてはくれるのだが。
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麻生氏からうかがえる 庶民感覚との乖離

2013年01月12日 12時35分53秒 | あれこれと
 閉店間際のスーパーの値引きをねらって、毎日、10円、20円の節約をする。
 帰り道、コージーコーナーのショーウィンドウをのぞいて、300円以上のケーキはあきらめて、100円のシュークリームで我慢する。
 たまりもしないTポイントで、1年かけてようやく1000ポイントになって、ちょっとほくそえむ。
 ときどき100均一の店に寄り、必要もないのに、「安い」からといって、必要もないのに衝動買いをしてしまう。
 味は二の次にして、スターバックスではなくベローチェの180円コーヒーを選択してしまう。

 こんな思いを、彼はしていないのだろう。
 コミックをこよなく愛する「庶民的な政治家」というふれこみで一時期もてはやされた彼も、実生活では、とんでもないお殿様であったのだ。

 「安倍内閣で副総理兼財務・金融相に就任した麻生太郎元首相の資金管理団体「素淮(そわい)会」が、政治資金を使って2009年~11年の3年間で約6000万円もの飲み食いをしていたことが分かりました。支出先は、東京・銀座や六本木、赤坂などの高級クラブや料亭、会員制サロンなどで、国民の常識とはかけ離れた“政治活動”の実態が浮かびあがりました。
素淮会の3年分の政治資金収支報告書を調べてみると―。組織活動費の「交際費・組織対策費」(09年は「交際費」)のなかに、「会合」という名目で、料亭やクラブ、中華料理店、すし店などへの支出がズラリと並びます。
 09年は218回、1108万6611円、10年は217回、2263万1017円、11年は216回、2592万8338円。3年間で計651回、総額5964万5966円にのぼり、1・7日に1回、平均9万円以上の飲み食いをしていたということになります。
 1件あたり15万円、20万円の高額支出もザラ。11年9月13日には、六本木の会員制サロンに182万5000円という支出がありました。この日も含め、1日に100万円を超す支出が13回もあります。
 たとえば、11年2月18日には、銀座のクラブに64万円、神楽坂の料亭に52万円など計15店に1日で約394万円もの支出。東日本大震災直後の同年4月1日にも、ミシュラン三つ星常連の銀座の超高級すし店や、高級フレンチなど17店に約285万円の支出がありました。
 09年の収支報告書には、「組織活動費」の「出張旅費 交通費」のなかに、「運転代行」という名目で六本木の運転代行サービス業者に計12回、約14万円の支出があり、飲酒後、利用していたことをうかがわせます。
 一方、「交際費」の飲み食い以外では、「会費」として岸田文雄外相や甘利明経済再生相、稲田朋美行政改革相、新藤義孝総務相や、公明党の斉藤鉄夫幹事長代行・元環境相ら政治家のパーティー券を買っています。10年6月4日には、「日本維新の会」の橋下徹代表代行の政治団体「橋下徹後援会」のパーティー券を10万円分、購入しています。」(新聞あかはた)
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