私が普段利用している駅の北口で、今、再開発が急ピッチで進められている。
これまで、ぎゅう詰めの駅前のイメージが変わる。
近隣とほぼ同じ光景となってしまい、なんとも没個性の再開発なのだが、どのような街並みになるか、ちょっと楽しみでもある。
どのような理由かわからないが、その再開発に隣接したあたりに、最近「焼き鳥屋」(飲み屋のつまみのメインとした店)が、突如たくさんオープンした。私の知っているかぎりでは・・・5軒。なんでなのか、よく分からず。唐揚げ屋もオープンした。
焼き鳥と言えば、小学校の低学年のころを思い出す。まだ自宅に風呂がなかったとき、父と銭湯に行った帰りに、屋台の焼き鳥をよく買ってくれた記憶がある。いつも1,2本。たいていは、鶏皮とレバー。
父も同じものを頼み、ついでに通りの反対側の酒屋で、いつもトリスの小瓶を買っていたものだった。
焼き鳥は、「匂い」で足が近づく。親子して、いつもその誘惑に負けていたというわけだ。
トリスの小瓶は、厚紙の箱に入っていて、その裏側には、将棋盤の印刷がされていたと思う。
2人で手をつなぎ、焼き鳥を食べながら、銭湯から5分の自宅までのんびり歩いて帰った。
父は、1本しか食べないで、必ず残りの1本を、母におみやげとして持ち帰ったことも覚えている。
幼い私は、2本ともぺろりと食べてしまっていたが。
28日は、父の誕生日だ。生きていれば・・・そうか、90を越えている計算になるんだ。
大正の終わりに生まれ、昭和を生き、平成のはじめに亡くなった父。
もっともっと話したかったね。
これまで、ぎゅう詰めの駅前のイメージが変わる。
近隣とほぼ同じ光景となってしまい、なんとも没個性の再開発なのだが、どのような街並みになるか、ちょっと楽しみでもある。
どのような理由かわからないが、その再開発に隣接したあたりに、最近「焼き鳥屋」(飲み屋のつまみのメインとした店)が、突如たくさんオープンした。私の知っているかぎりでは・・・5軒。なんでなのか、よく分からず。唐揚げ屋もオープンした。
焼き鳥と言えば、小学校の低学年のころを思い出す。まだ自宅に風呂がなかったとき、父と銭湯に行った帰りに、屋台の焼き鳥をよく買ってくれた記憶がある。いつも1,2本。たいていは、鶏皮とレバー。
父も同じものを頼み、ついでに通りの反対側の酒屋で、いつもトリスの小瓶を買っていたものだった。
焼き鳥は、「匂い」で足が近づく。親子して、いつもその誘惑に負けていたというわけだ。
トリスの小瓶は、厚紙の箱に入っていて、その裏側には、将棋盤の印刷がされていたと思う。
2人で手をつなぎ、焼き鳥を食べながら、銭湯から5分の自宅までのんびり歩いて帰った。
父は、1本しか食べないで、必ず残りの1本を、母におみやげとして持ち帰ったことも覚えている。
幼い私は、2本ともぺろりと食べてしまっていたが。
28日は、父の誕生日だ。生きていれば・・・そうか、90を越えている計算になるんだ。
大正の終わりに生まれ、昭和を生き、平成のはじめに亡くなった父。
もっともっと話したかったね。