息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

焼き鳥屋 トリスの小瓶 そして父

2017年02月26日 23時30分39秒 | 思い出を語る
 私が普段利用している駅の北口で、今、再開発が急ピッチで進められている。
 これまで、ぎゅう詰めの駅前のイメージが変わる。
 近隣とほぼ同じ光景となってしまい、なんとも没個性の再開発なのだが、どのような街並みになるか、ちょっと楽しみでもある。

 どのような理由かわからないが、その再開発に隣接したあたりに、最近「焼き鳥屋」(飲み屋のつまみのメインとした店)が、突如たくさんオープンした。私の知っているかぎりでは・・・5軒。なんでなのか、よく分からず。唐揚げ屋もオープンした。

 焼き鳥と言えば、小学校の低学年のころを思い出す。まだ自宅に風呂がなかったとき、父と銭湯に行った帰りに、屋台の焼き鳥をよく買ってくれた記憶がある。いつも1,2本。たいていは、鶏皮とレバー。
 父も同じものを頼み、ついでに通りの反対側の酒屋で、いつもトリスの小瓶を買っていたものだった。
 焼き鳥は、「匂い」で足が近づく。親子して、いつもその誘惑に負けていたというわけだ。
 トリスの小瓶は、厚紙の箱に入っていて、その裏側には、将棋盤の印刷がされていたと思う。
 2人で手をつなぎ、焼き鳥を食べながら、銭湯から5分の自宅までのんびり歩いて帰った。
 父は、1本しか食べないで、必ず残りの1本を、母におみやげとして持ち帰ったことも覚えている。
 幼い私は、2本ともぺろりと食べてしまっていたが。

 28日は、父の誕生日だ。生きていれば・・・そうか、90を越えている計算になるんだ。
 大正の終わりに生まれ、昭和を生き、平成のはじめに亡くなった父。
 もっともっと話したかったね。

 
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夏目漱石「行人」を読み始める そして電子タバコ

2017年02月26日 09時28分09秒 | わたしごと
 宮本輝、高橋治、山田太一、小林信彦の小説は好きで、おそらく全て読んでいる。
 同時に、夏目漱石も、ほとんど読んでいるのだが、なぜか「行人」だけは読んでいなかった。
 青空文庫で探すと、彼の作品はだいたいラインアップされていたので、初めてスマホで読むことにした。
 電子書籍で読むのは、書籍とどう違うのか、実験でもある。

 また、タバコを電子タバコにして、ニコチンなしのメンソールの蒸気を吸うことを始めた。
 40年以上吸ってきて、もう完全な中毒者となっているはずなので、これもどうか。
 ICOSは、ニコチン入り。これは意味がないと思い、買ったあとで、同僚にあげてしまった。
 3種類のスタイルのちがう形状のものを買って、スカスカ吸い続けている。
 本体はいずれも中国製。
 リキッドは日本製にしている。
 3つのうち、スタイルは、XENOというもの。
 細くて、タバコサイズ。吸うと、先端が赤く点灯する。
 気分はタバコ。

 しかし、よく考えると、そんなことを考えているうちは、けっして「禁煙」にならないだろうなと。
 タバコの代替としているうちは、まだまだなんたろううなあ。
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西東京市の新採教師の自死に関して

2017年02月26日 00時16分17秒 | 教育を考える
 ちょうど1年前の新聞報道。
「2006年に西東京市の市立小学校に勤務していた新任の女性教諭(当時25歳)が自殺したのは過重労働が原因として、遺族が地方公務員災害補償基金(東京都)を相手に、公務災害と認めなかった処分の取り消しを求めた訴訟の判決で、東京地裁は29日、公務災害と認めて処分を取り消した。吉田徹裁判長は「学校の支援が十分でなく、自殺の原因は公務で発症したうつ病」と指摘した。
判決によると、女性教諭は06年4月に採用され、2年生のクラス担任になった。5月に「児童が万引きを起こした」という情報を受け、保護者に連絡すると、保護者から「事実を示せ」と怒鳴られた。6月ごろには複数の児童の靴や体操着が隠されるトラブルが発生したほか、週10時間の初任者研修とリポート提出も求められ、7月にうつ病を発症して病欠した。
 9月に復帰したが、「いじめがある」などと保護者から携帯電話に訴えられることに悩んでいた。校長から病気休暇を勧められたが、10月に自殺を図って意識不明となり、12月に死亡した。遺族は公務災害認定を求めたが、同基金が「公務が原因ではない」と認めず、遺族が提訴した。
 判決は、児童の万引きでの保護者への対応について「経験の乏しい新任教諭に判断を任されるのは荷が重く、上司らの手厚い指導が必要だった」と指摘。クラスでトラブルが続き、校長に報告すると叱責されると悩んでいたことや、1日2〜3時間の残業では間に合わずに仕事を家に持ち帰っていたことから「全体として業務によって強い精神的、肉体的負荷があった」と認定した。
 文部科学省の調査では、14年度にうつ病などの精神疾患で休職した全国の公立学校の教員は5045人に上る。遺族の代理人弁護士は「教員の健康なくして健全な教育はあり得ない。教育現場の改善を実現していく上で重要な判決だ」と訴えた。同基金は「判決内容を精査して対応を検討する」としている。【毎日新聞】」

 そして1年後、

「西東京市の市立小学校に勤務していた新任の女性教諭(当時25歳)の自殺をめぐり、原因は公務にあるとした一審・東京地裁判決(2016年2月)を不服として、地方公務員災害補償基金が控訴していた裁判の判決が2月22日、東京高裁であった。後藤博裁判長は、一審同様、自殺は公務に起因するとして、基金の請求を棄却した。

判決が確定すれば、手続きをへて、遺族に対する公務災害の補償がスタートする。女性が亡くなったのは2006年。遺族は2008年に基金に労災を申請したが、何度請求しても認めらず、裁判で争っている。女性の父親は「10年は長く苦しかった。控訴を知ったときの、落胆と失望は筆舌に尽くし難かった。これ以上の苦しみを与えることがないようにお願いしたい」と、基金側に上告しないよう求めた。

一方、基金側は「上告するかどうかは時間をかけ、中身を確認してから判断する」としている。

●万引き、上靴隠し、保護者からのクレーム…新人教諭を襲った相次ぐトラブル

判決などによると、女性は2006年4月に採用され、2年生のクラス担任になった。クラスでは、児童による万引き事件や上靴隠しなどのトラブルが相次ぎ、保護者からのクレームも重なったという。

さらに初任研修の課題などによるプレッシャーや、自宅作業なども増え、女性は採用2カ月でうつ病を発症。休職からの復帰後も学級トラブルが続き、同年10月に自殺を図った。意識不明の重体となり、12月に亡くなった。

高裁では、勤務や一連のトラブルの負荷などが争われたが、「学校等において十分な支援が行われず、かえってその負荷を強めるような発言もあった」などとして、業務と自殺の関係を改めて認めた。

●労務管理のひどさ、浮き彫りに

女性の死後10年以上たっても決着がついていない理由の1つに、学校の労務管理のずさんさが挙げられる。

 
労災・公災では、過労死ラインと呼ばれる80時間超の時間外労働などが証明できれば、認められやすい傾向がある。しかし、代理人の平本紋子弁護士によると、今回の事件では、タイムカードなど客観的な時間を示す証拠がなかったという。

「自宅での仕事もかなりあったはずで、私たちは少なくとも100時間以上の時間外労働があったと考えていますが、客観的な証拠が乏しかった。長時間労働が認められれば、早く決着がついたと思いますが、トラブルなどの負荷の部分で争わざるを得ませんでした」(平本弁護士)

それでも裁判では、最大で月75時間程度の時間外労働が認められた。

こうした状況は、女性がいた学校に限らない。連合総研の2016年の調査によると、教員の勤怠をタイムカードやPCなどで管理している学校は1割程度。アナログの出勤簿がおよそ3割で、把握していない・把握しているかわからないという回答が、全体の約半数を占めている。教員の労働環境の悪化が叫ばれる一方で、労務管理はなかなか進んでいないのが実情だ。

もう一人の代理人・山下敏雅弁護士は、「激務が認められても、死んでしまったら意味がない。現場の先生は生の声をあげ続けてほしい」と話していた。
.
弁護士ドットコムニュース編集部」

 10年以上もたちながら、まだ確定していないことに驚く。
 そう、学校にはタイムレコーダーがないのだ。時間外の証拠が得にくい環境、しかも職場以外、自宅での「残業」もきわめて多い職種なのだ。
 今学校は、「自己申告」「業務評価」により、人のことよりも自分の身を守ることで精一杯だという状況が、かつてより過酷になっている。
 
 静岡の木村さん同様に、労災の認定となるように祈る。
 そして、もう二度と同じことを繰り返さないような、国の、自治体の、職場の根本的な改革を望む。
 
 小学校では、新しい指導要領で、英語が1コマ増えるため、3年生以上は、また時間割のコマが増える。
 私たちは、いつ、どこで、授業の準備をしたらいいのか。

 「働き方改革」と言いながら、労働時間の制限を、いかに「ザル」にしようかと策動している「自己撞着」首相にはできるはずがない課題だ。
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「まぼろしの翼とともに」 

2017年02月25日 23時42分39秒 | 思い出を語る
 大学時代、「遠い世界に」はずっとサークルのオリジナルソングだと思って歌っていたように、
 この「まぼろしの翼とともに」も、サークルの誰か先輩が作ったのだろうと思っていた。
 それくらいフォークに疎くなっていた時期。
 大学1年までは、クラスの岩本くんが、チェリッシュのえっちゃんが好きで、よく歌っていたり、私もテレサ・テンが「空港」を
歌っているのを見て、「なんて可愛い」と思っていたくらいだったから、歌が遠かったからではないはずだ。

 所謂フォークソングは、みな私の周りの友達から聞きながら詳しくなっていった。
 それまで知っていたのは、「赤い鳥」くらい。
 高校生の時に、小学生時代に「好き」だった「すのうちさん」をデートに誘って、渋谷公会堂でコンサートを聞いた。(本命は「よしざきけいこちゃん」だったので、どうして彼女を誘ったのかはよく覚えていない)

 「人とし生きるため」と同様に、いつも歌いながら、幼いながらも、自分の「生き様」を糺していたように思える。
 陽水も、拓郎も、私を変えることはできなかったが、上の3曲は、根が自堕落な私を、いつも鼓舞し、矯正してくれる役割を果たしてくれた。
 当時、私は、新宿二丁目でバーテンのバイトをしながら、一方で「正義の味方」たらんとする大学のサークルで活動していた。この分裂を、
この歌を口ずさむことで合理化していたに違いない。

 動画は、
https://youtu.be/Sdlb0tNLDH4?t=11



『まぼろしの翼とともに』 詞・曲 西岡たかし

今でもボクは思い出すのさ

あの頃の事 あの日の人

ボクと同じ学生だあった

国のために死んでいった

君は若くたくましく

短い命だったが

まぼろしの翼と共に

炎の中に消えてしまった

 

君はあの夜 私に言った

恋人と別れてきたと

ボクは今もおぼえているさ

あの時 君のまなざし

君が死んだ次の夜に

かなしい涙であの女(こ)は死んだ

 

もういやだこんな世界は

もう二度と見たくない

 

君が死んだ次の夜に

かなしい涙であの女(こ)は死んだ

もういやだこんな世界は

もう二度と見たくない

ラララ・・・・・・・・
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周りに荒れたクラスが増えている

2017年02月25日 23時10分47秒 | 教育を考える
 ベテランといえども例外とはならない。
 今や、「明日は我が身」になりかねない「クラスの荒れ」。
 我が校も低学年で荒れ、そして、近隣でも「えっ、◎◎さんまでも?」(彼は、民間の教育サークルの中心で活躍していた)と驚くようなことも聞こえてくる。

 我が校の若手教師が、苦しんでいるのを見て書いた手紙。
 解決にはならないが・・・

 「△△先生
 いつもの笑顔がないなあと思っていたら、「クラスのことで苦しんでいる」ということを耳にしました。
 私のクラスがダントツだと思っていたのに、思わぬライバル登場ですね。

 クラスが大変なとき、それが悪循環となって、金縛りにあったように身動きできなくなってしまうのは、たいてい2つの理由からです。
 1つ目は、①「自分を責めてしまう」ことが、主になってしまうこと。若い人はなおさらだと思う。
 同僚から、管理職から、そして親から、たとえ「優しい」言葉であったとしても、指導や注意、アドバイスを受けると、「ああ、なんて私は技術が、熱意が・・・」と思ってしまう。
 2つ目は、アドバイスが多岐にわたり、量も多くなっていくようで、②「頭がいっぱい」となってしまい。かえって余裕がなくなってしまうこと。みんな良心的に、あれこれと言ってくれるのはいいけれど、それを全部やったら、それはスーパーマンというもの。だけど、やらなくては・・・と焦る。そして、やればやるほど、それほどうまくはいかないし、どんどん「自分」のものではなくなってしまうように思えてくる。

 今の△△さんとは、ちがうかもしれないけれど、少しでも重なるところがあるのなら、私の考えていることも、少し参考にしてみてください。
 根本的な解決なんてことはできないが、少しは気持ちが楽になるかもしれない。

 今年度、私は教師になって初めて、「死ね」と言われました。昨日までに3回。また、別の子から、ゲーム機を持ってきたことを注意すると、「先生は泥棒だ」「どうせ、お前は親に言うんだろう」とも言われました。
 ちょっとショックでした。
 この1年間。まじめな「学び」などないクラス。いつも、ぺちゃくちゃしゃべっていて、自分の頭で考えようとしない男子。ゴミが落ちていても誰も拾おうともしない。忘れ物をした子に教科書を貸すと、ぜんぜん返してこない。まじめな答えをした友達には「ほらほら、かっこいいねえ」と茶化すヤジの飛ぶクラス。いつも「群れていて」、動かない、スロー、当番の仕事もおしゃべりで終始。注意をすると、無反応。反応するときは、敵視するような目で応えてくれる。
 そんなことが毎日つづいた1年間でした。

 △△さんのところも、似たところがあるのかなと思う。低学年と高学年だから、その様相は異なると思うのですが、教室に「身構えて」入る点では同じかもしれない。
 自分のことしか話していません。もとにもどそうと思う。今、夜中の1時を過ぎたので、「限界」が来たら、途中でもおしまいにします。

 クラスが大変なときに、自分を大変にしてはいけない。△△さんが崩れてしまったら、なんの意味もない。
 まずは、「自分のせいで」なんて考えていたら、即刻、そんな考えは捨てること。(起きるときには起きるんだ。それがたまたま私の番だった。くらいの気持ちが必要だ)
 そう思っていないならよし。ここは読まないでいいよ。
 私は居直ってしまっている。(笑)当たり前のことを、普通にやっていこう、そんなことを考えながら毎日教室に行きます。
 正直、クラスが良くなったという実感はなし。今も、先に書いたことが続いています。
 やりようとか、ボタンの掛け違いとか、誤解とかはあるだろうけれど、担任の至らなさが主たる要因だという例は、ほとんど見た事がありません。
 そこで、②のこと。
 原点に帰ることを、考えてくださいな。
 つまり、「少ないことをていねいにやる」ことです。あれもこれもと、同僚の、先輩のアドバイスは、全部やらないこと。
 こんなときこそ、自分を「余裕のない忙しさ」に置いてはいけない。
 ひとつ、ふたつのことを、じっくりとていねいにやることが1番。
 それは、授業でもいい、子どもとの接し方でもいい。△△さんが、1番重要だと思うことを。
 ちなみに、私がピンチのときの最優先してやろうと思うことは、
 「苦手な子と、ゆっくり話をすること」にしています。よく言われるように、「困った子は、困っている子」。だからこそ、その子と、のんびりおしゃべりをして、その子なりの思いや希望、悩み、楽しみを知る必要があるからです。
 苦手な子と話すと、「指導する言葉」が中心となってしまい、ますます心が離れていってしまうから、そんなことは後回し、サッカーのこと、ゲームのこと、マンガのこと、そんなことをのんびりおしゃべりします。

 ちょっと眠くなってきました。
 △△先生。ドンマイだよ。ここにも、クラス再生希望担任がいますから・
 真剣はいいが、深刻にならないこと。
 あれもこれもと、自分を追い込めないこと。
 最優先することを、まずやること。他のことは無視してもいい。
 そして、土日は気分転換。遊びなさい。
            だめだ眠い・・・     ◇◇ ◇◇」
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若い教師は、このくらいの文書は読みなさい

2017年02月25日 19時38分11秒 | 教育を考える
 「日の丸」「君が代」について、もうほとんど「無知」になっている若い教師は、これくらいの知識は持っていよう。
 本当に「教育者」たらんと思うならば、これを読んで、少しは「教育とは何か」を考えてほしい。
 結論は問わない。
 「知らないこと」自体が教師失格だと思うから。

 1つの文書を引用する。
 それは、「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会 東京「君が代」裁判原告団 共同代表 岩木 俊一氏  星野直之氏のもの。
 それに対する、あなた自身の考え、そして都教委の回答の予想をしてほしい。
 これだけでは分からない方がいるなら、ネットで検索でもすればいい。
 たぶんどちらの意見も出ているはずだから。

 では、学習資料として。

 「要 請 書 

2017年1月25日

「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会
東京「君が代」裁判原告団
共同代表 岩木 俊一  星野直之


東京都教育委員会教育長 中井 敬三 殿



<要請の趣旨>
1.卒業式・入学式等で「日の丸・君が代」を強制する東京都教育委員会(以下都教委という)の10・23通達(2003年)とそれに基づく校長の職務命令により、2016年4月までに懲戒処分を受けた教職員は延べ478名にのぼります。この通達発出以降、東京の学校現場では命令と服従が横行し、自由で創造的な教育が失われています。

2.一連の最高裁判決(2011年5月~7月)は、起立斉唱行為が、「思想及び良心の自由」の「間接的制約」であることを認め、処分取消訴訟の最高裁判決(2012年1月、2013年9月)では、「間接的制約」に加え、「戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択することについては,本件事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要」「処分の選択が重きに失するものとして、社会観念上著しく妥当を欠き、…懲戒権者としての裁量権の範囲を超えるものとして違法」として減給処分・停職処分を取り消しました。最高裁が、都教委による累積加重処分に歯止めをかけたのです。
これらの最高裁判決には、都教委通達・職務命令を違憲として、戒告を含むすべての処分を取り消すべきとの反対意見(2012年1月宮川裁判官)を始め、都教委に対し「謙抑的な対応」を求めるなどの補足意見(2012年1月櫻井裁判官、2013年9月鬼丸裁判官)があり、教育行政による硬直的な処分に対して反省と改善を求めています。
  また、東京「君が代」裁判第三次訴訟では、東京都の上告断念により東京高裁判決(2015年12月)が確定し、計31件・26名の減給・停職処分が取り消されています。
  更に、2015年12月10日、東京高裁(第2民事部柴田寛之裁判長)は、卒業式等における「君が代」不起立・不斉唱による懲戒処分を理由とする定年退職後の再雇用拒否を「違法」として、東京都の控訴を棄却し、原告22名に総額約5370万円の損害賠償を命じ、東京都が上告受理申立を行い、最高裁第一小法廷に係属しています。

3.最高裁、東京高裁、東京地裁で確定した処分取消の総数は、67件・57名に上ります(別紙参照)。都教委が、最高裁・東京高裁・東京地裁で「違法」とされた処分を行ったことは、教育行政として重大な責任が問われる行為です。今すぐ原告らに謝罪し、その責任の所在を都民に明らかにし、再発防止策を講じるべきです。その上で、10・23通達などの「日の丸・君が代」強制に係わる従来の都教委の施策を抜本的に見直すべきです。

4.しかるに、都教委は、2012年1月の最高裁判決の直後に「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱について」(平成24年1月24日)を議決しました。その内容は一連の最高裁判決で校長の職務命令が、思想・良心の自由の「間接的制約」であること、「減給以上の処分を選択することについては,本件事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要」だとして減給・停職処分が取り消されたこと、反対意見、補足意見が多数出されていること等をことさら無視して、都教委に都合の良い部分だけを取り出して「日の丸・君が代」強制を合理化するものです。そして、その「議決」を根拠に、従来の姿勢を改めることなく最高裁判決にも反した減給を含む懲戒処分を出し続け、更には「服務事故再発防止研修」を質量共に強化しています。現在の研修は、明らかに内心の自由に踏み込み、著しい精神的苦痛を与えるものであり、東京地裁決定(2004年 民事19部、須藤典明裁判長)に反しています。
また、違法な処分を行ったことを原告らに謝罪しないばかりか、2013年12月及び2015年3月~4月、最高裁判決・東京地裁判決で減給処分が取り消された都立高校教員計16名に新たに戒告処分を科し再処分をするという暴挙を行いました。
  これらは最高裁などの判決の趣旨をねじ曲げないがしろにするもので断じて許すことはできません。猛省を迫るものです。

5.今次卒業式・入学式は、「都民ファースト」「情報公開」を掲げる小池都政発足後初の卒業式・入学式であり、都教委もまたその姿勢が問われています。10・23通達を抜本的に見直し、各学校の創意工夫を尊重し、自由で創造的で真に子どもたちの卒業・入学を祝福するための式になるよう強く求めます。

6.貴教育委員会が、一連の司法の判断を重く受け止め、責任ある教育行政としての立場を自覚するとともに、問題解決のため下記申し入れを誠実に検討し、回答することを強く要求します。

<要請事項>
1 東京都教育委員会が2003年10月23日に発出したいわゆる「10・23通達」を撤回すること。
2 同通達に基づく一切の懲戒処分・厳重注意等を取り消すこと。
3 最高裁判決(2012年1月、2013年9月)及び東京高裁判決(2015年12月4日)に従い、10・23通達に基づく全ての減給・停職処分を即時取り消すこと。
4 2013年12月及び2015年3月~4月の現職教職員16名に対する戒告という再処分を撤回し、該当者に謝罪すること。
5 同通達に基づく校長の職務命令を発出しないこと。
6 卒業式、入学式で同通達に基づく新たな懲戒処分を行わないこと。
7 同通達に係わり懲戒処分を受けた教職員に対する「服務事故再発防止研修」を行わないこと。
8 卒・入学式等での「君が代」斉唱時に生徒の起立を強制し、内心の自由を侵害する「3・13通達」(2006年)を撤回すること。卒業式、入学式で生徒に内心の自由を告知するなどの各学校の創意工夫に介入しないこと。
9 「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱について」(平成24年1月24日)の都教委の「議決」を撤回すること。
10 最高裁判決に従い、「紛争を解決する」ための具体的改善策を策定すること。
11 都教育庁関係部署(人事部職員課、指導部指導企画課、教職員研修センター研修部教育経営課など)の責任ある職員と被処分者の会・同弁護団との話し合いの場を早期に設定すること。
12.本要請書を教育委員会で配付し、慎重に検討し、議論し、回答すること。


<連絡先>「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会・東京「君が代」裁判原告団  事務局長 近藤 徹


<回答期限> 2017年2月8日(水)。上記近藤までFAX及び文書で回答すること。」

さて、都の回答は、
 http://www7a.biglobe.ne.jp/~hishobunshanokai/
 で読んでほしい。

あなたの人権感覚が問われる。

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過労死を話題にするなら教員にも

2017年02月25日 10時33分27秒 | 教育を考える
過労死について、マスコミも大きく報じているが、教員のこともぜひとりあげてほしいものだ。
歯止めのない勤務は、私が勤務を始めた30年以上も前から、なにも変わっていない。

いったんクラスが荒れ出すと、親との対応、子どもとの指導、管理職への報告、同僚との話し合い、職員会議での報告・・・
際限なく仕事量が増え続ける。
つまりいったん踏み違えると、じっくり考えて対策を練るよりも、周りとの換券にあくせくするようになる。

そうでなくても、とにかく報告文書に終われている毎日で、ベテランの私でさえも、教室で子どもと向き合い、教科書を開きながら
「さて、どうやって展開させようか」などと考え始める「咄嗟にごまかした授業をすることもあるのが現実。

うちの新採たち、若者たちも、指導書通り、TOSSなどの安直なコピーなどに頼ることが多いようで、「自分で考える」力を喪失させている感じがする。

そのうち、ただのロボット。与えられたものをマニュアルに従って教え込む、そんな教員だらけになっていくだろう。

私生活も犠牲にしながら、それでいてちっとも教養も人格も育たない、そんな教育界の質的低下は、すでに始まっている。

「世も末」なり。
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10.23通達 権力者の発想そのもの

2017年02月18日 22時03分32秒 | 教育を考える
前回の記事のついでに、今や現場ですら話題にならない、しかし現場に「定着」している、あの通達を載せておきたい。
今、改めて読んでみても、なんともばからしく、高圧的、矛盾だらけのものだ。
知らない人は、ぜひじっくり読んでもらいたい。
ここに何も感じることのない方は、憲法を、民主主義を学び直してほしい。

「○入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について

平成15年10月23日

15教指企第569号

都立高等学校長

都立盲・ろう・養護学校長

東京都教育委員会は、児童・生徒に国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ、それらを尊重する態度を育てるために、学習指導要領に基づき入学式及び卒業式を適正に実施するよう各学校を指導してきた。

これにより、平成12年度卒業式から、すべての都立高等学校及び都立盲・ろう・養護学校で国旗掲揚及び国歌斉唱が実施されているが、その実施態様には様々な課題がある。このため、各学校は、国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について、より一層の改善・充実を図る必要がある。

ついては、下記により、各学校が入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施するよう通達する。

なお、「入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について」(平成11年10月19日付11教指高第203号、平成11年10月19日付11教指心第63号)並びに「入学式及び卒業式などにおける国旗掲揚及び国歌斉唱の指導の徹底について」(平成10年11月20日付10教指高第161号)は、平成15年10月22日限り廃止する。



1 学習指導要領に基づき、入学式、卒業式等を適正に実施すること。

2 入学式、卒業式等の実施に当たっては、別紙「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」のとおり行うものとすること。

3 国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること。

別紙

入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針

1 国旗の掲揚について

入学式、卒業式等における国旗の取扱いは、次のとおりとする。

(1) 国旗は、式典会場の舞台壇上正面に掲揚する。

(2) 国旗とともに都旗を併せて掲揚する。この場合、国旗にあっては舞台壇上正面に向かって左、都旗にあっては右に掲揚する。

(3) 屋外における国旗の掲揚については、掲揚塔、校門、玄関等、国旗の掲揚状況が児童・生徒、保護者その他来校者が十分認知できる場所に掲揚する。

(4) 国旗を掲揚する時間は、式典当日の児童・生徒の始業時刻から終業時刻とする。

2 国歌の斉唱について

入学式、卒業式等における国歌の取扱いは、次のとおりとする。

(1) 式次第には、「国歌斉唱」と記載する。

(2) 国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。

(3) 式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。

(4) 国歌斉唱は、ピアノ伴奏等により行う。

3 会場設営等について

入学式、卒業式等における会場設営等は、次のとおりとする。

(1) 卒業式を体育館で実施する場合には、舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与する。

(2) 卒業式をその他の会場で行う場合には、会場の正面に演台を置き、卒業証書を授与する。

(3) 入学式、卒業式等における式典会場は、児童・生徒が正面を向いて着席するように設営する。

(4) 入学式、卒業式等における教職員の服装は、厳粛かつ清新な雰囲気の中で行われる式典にふさわしいものとする」

興味ある方は、別紙「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」も読んでいただきたい。


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「歌わせたい男たち」 取材と構成に脱帽

2017年02月18日 21時34分18秒 | 素人の劇評
2/18(土)14:00
下落合 TACCS1179 この部はBチームによる公演
劇団 俳協

まずは、永井愛氏の脚本に感銘を受ける。
私も、「日の丸・君が代」について、もう14年も前になるが、似たような経験をしていて、
この劇を観る前に、「いくら永井さんといえども、職員室の管理職とその取り巻き、そして少数派の反対派の険悪なやりとりが延々と続く劇ではないか」と、正直期待はしていなかった。
「12人の怒れる~」のような、討論が中心となり、きっと観客は途中で飽きてしまうに違いないとも思っていた。

そしてそれが、嬉しい誤算と知ったとき、脚本のすばらしさ、言い換えれば永井氏の取材力と、それに基づいた劇としての構想の力に圧倒されてしまった。
言葉のやりとりが、ほとんど私の現場で応酬した言葉そのものであった。

教育現場では、もう10年前に都教委から出された一通の通達のことなど、ほとんど話題にもなっていない。
その通達は、それこそ一方的で理不尽なものであるのに、今やそれが記憶を掘り起こされることもなく、舞台に全員が向かい、「国歌」を正々堂々と歌い、「国旗」が堂々と正面に飾られ、紅白幕で囲まれ・・・と、各学校の創意などの余地のない卒業式が「厳粛に」行われている。
「内面の自由」などの論議は皆無。

再び私の心に火を点けてくれた劇に感謝。

この劇は、「ノンポリ」の音楽教師を中心に、周囲の対立に右往左往することで展開されている。
おそらくそこがよかったに違いない。
準劇団員のものとはいえ、それぞれが目一杯の演技力を見せた好演であった。校長役も老けきれないという面もあるが、きっと台本が支えてくれているのだろう、違和感なく受け入れることができた。
Aチームを見ているわけではないが、ともに感動を与えるものとなっていったと推測。

現実から逃げるなといったメッセージをいただき、私は感謝。
劇団の意気込みにも感動した。



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新しい指導要領の問題点?

2017年02月16日 18時51分28秒 | 教育を考える
まず、3年、4年の英語が1ゴマ、5、6 年が2コマと、今までより1コマ増えたこと。1週間に1時間授業が増えることになる計算だ。
今、私は6年生の担任だが、月曜日はクラブ、委員会活動も入れて6時間。火曜日、木曜日、金曜日も6時間。水曜日は、職員会議や市の研修会などをあてているために5時間。
本当は、もう1コマ必要だが、火曜日、木曜日、金曜日の朝に、15分の「授業」を入れて帳尻を合わせている。
今回の改訂で、あと1コマ追加するなら、1週間全ての日が6時間になる。
6時間目が3時20分に終わる。
私たちの休憩は、昼が給食指導にあてるので、3時45から45分とることになる。
つまり残された時間は25分。とはいえ、帰りの会や連絡、配布物などで、3時20分ぴったりに子どもは帰るわけではないから、実質15分もあればいい方だ。
これで、学年の打ち合わせ、明日の6時間分の準備、分掌の仕事をこなさなくてはならない。
無謀な話だ。
一応、4時30分からまた15分の勤務があるが、大概は夕会といって、全体の打ち合わせを実施する。

ますます教員の質が下がっていくだろうと憂慮する。
支配者は、馬車馬のごとく、文句を言わず、ひたすら指導書やネットで得た、安直な授業をする従順な教員を再生産していくのだろう。

今回の改訂で、まず感じたことは、教員の、子どもの愚民化に拍車をかける提案だということ。

教員の生活も、仕事も、限界を遥かに越えている。
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待っていた 月刊みすず1,2月合併号

2017年02月04日 09時42分45秒 | こんな本を読みました
楽しみにしていた月刊みすずの「読書アンケート」特集号が発売された。
さっそく退勤後、遠回りして池袋のジュンク堂で購入。
所沢の芳林堂、大泉学園のジュンク堂では扱っていないので、しかたない。
しばらくは、各界の方々の推薦図書を鳥瞰することで、楽しい時間が過ごせそうだ。
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