私が高校二年生のときに、長野県の簗場というところにある学生村にご厄介になりました。夏休みの学生村は、私のように受験を控えた高校生、大学のサークルの合宿などが主流だったと思います。
同じころに同宿したのは、東京演劇アンサンブルの若手の役者さんたち。まだ人見知りをする私に、気軽に声をかけてくれました。男性二人、女性一人の三人組。
そんな中で記憶に鮮明なのが、私に詩をいくつも教えてくれたこと。みなさん、すべて暗唱しているようで、「あ、きっと発声や台詞の練習にもしているのだな」と思えました。
なかでも「おすすめだから、空んじるといい」と、教えてもらったのが、谷川俊太郎の「ネロ」、そして、ブレヒトの「けしてできないなんてお言いでない」でした。
この二つの詩は、それからの私にかなりの影響力をもったものです。
とりわけ、ブレヒトのほうは、私を演劇好きにさせるきっかけとなりましたし、ブレヒトを通して社会に目を向ける契機ともなったものです。
しかし、この詩は、どこからの引用のものなか、いまだに発見できないでいるのです。
当時、ブレヒトの「母」「肝っ玉おっかあ」という劇の話がでていたかと思い、その脚本を当たってみましたが、見つからず。もしかしたら、役の違いもあるかもしれません。
どなたか、お分かりならば。
同じころに同宿したのは、東京演劇アンサンブルの若手の役者さんたち。まだ人見知りをする私に、気軽に声をかけてくれました。男性二人、女性一人の三人組。
そんな中で記憶に鮮明なのが、私に詩をいくつも教えてくれたこと。みなさん、すべて暗唱しているようで、「あ、きっと発声や台詞の練習にもしているのだな」と思えました。
なかでも「おすすめだから、空んじるといい」と、教えてもらったのが、谷川俊太郎の「ネロ」、そして、ブレヒトの「けしてできないなんてお言いでない」でした。
この二つの詩は、それからの私にかなりの影響力をもったものです。
とりわけ、ブレヒトのほうは、私を演劇好きにさせるきっかけとなりましたし、ブレヒトを通して社会に目を向ける契機ともなったものです。
しかし、この詩は、どこからの引用のものなか、いまだに発見できないでいるのです。
当時、ブレヒトの「母」「肝っ玉おっかあ」という劇の話がでていたかと思い、その脚本を当たってみましたが、見つからず。もしかしたら、役の違いもあるかもしれません。
どなたか、お分かりならば。