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息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

フェアトレードのチョコ購入 子どもとの約束で

2017年03月19日 22時42分27秒 | 教育を考える
 社会科の最後に、「フェアトレード」についての学習を行った。
 バナナ、チョコレート、スマホのバッテリーに使用されるコバルト、サッカーボール・・・
 それぞれ例を挙げて、世界中の不当な児童労働について、それを是正させる運動について語った。
 
 本来なら、このフェアトレードの学習の際に、サプライズで購入したチョコレートをみんなで「心で味わう」つもりでいたのだが、忙しさで
間に合わず。
 やっと卒業間際の「特別授業」の中で行うことにした。

 池袋の東武デパートの3階にある「People Tree」という店がそうだ。
 チョコは隅っこに置かれていて、あとは衣類、小物などが中心の店だ。
 定員さんは、気軽に話に応じてくれ、「お子さんは、素敵なことを学んで卒業なさるのですね」と、励ましてもいただく。
 チョコを5枚。ミルク、ナッツ、オレンジなど。

 もう少し、世界の児童労働について詳しく話そう。
 「Big Issue」のことも話そう。
 日本の格差についても、話す必要があるのではないか。
 生き方に転じて説くと、説教くさくなるかもしれないな。

 あれこれ楽しく考えている。至福の時間。
 
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贈る言葉 タゴールから

2017年03月19日 11時07分21秒 | 教育を考える
道ができている場所では

道ができている場所では、わたしはわたしの道を見失う。
大海には、青空には、どんな道も通っていない。
道は小鳥の翼の中、星の篝火の中、移りゆく季節の花の中に隠されている。
そこでわたしはわたしの胸にたずねる----おまえの血は見えざる道の知恵をもっているか、と。


苦しんで苦しんで自分の道を切り開いてほしい。
人の詩を代用する程度の凡人教師だが。
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自分の生き方を 自分で決めてほしい 卒業式を前にして

2017年03月17日 22時33分09秒 | 教育を考える
 今年1年間は、久しぶりに「やりがいのある」クラスと遭遇した。
 5年生の担任が1年間で降りての、後釜として担任となったクラス。
 
 初対面から、「おっ、私が試されるようなクラスだな」と思う。
 なにしろ、
 ほとんど手が挙がらない。
 声が、みんなか細くて、自信のない表情で話す。
 まともな発言に対して、「おりこうさんだね」「まっじめー」といったヤジが飛ぶ。
 数人が、教室の隅にたむろして、「席につこう」という担任の声に全く反応しようとしない。
 注意をすると、「なんでぼくたちだけ」といった反発の声があがり、私対子どもの対決の図式が作り上げられてしまう。
 1人のボス的な子に、何人もの子が群がって、そこでは「なんでもあり」の雰囲気が充ち満ちている。
 みんな自分の本音を語らない。息苦しく「目立たない」ようにして日々を送っている感じ。
 それを誰もとがめない。いや、とがめようとする気持ちさえ生まれていないと感じることも多い。
 誰も、落ちているゴミを拾おうとしない。プリント類が、よく破られて落ちている。
 何人かは、授業中にメモを回している。
 掃除など、箒は振り回す、チャンバラをする、上に跳ね上げてほこりを立たせる。
 トイレが隠れた遊び場所となり、授業中でも何人か示し合わせて抜け出して、ひそひそ、こそこそ話したり遊んだり。
 トイレのドアが、よく壊れる。力まかせにドアをねじ曲げているとしか考えられない。
 宿題は、全員がやってくることがない。数人はまったくやろうとしない。
 学校に、菓子ゲームを持ってきては、こっそり食べたり、やったりしている子がいて、その隠蔽を取り巻きが手助けする。
 「死ね」といった言葉は、日常語。
 何人かは、授業中に、横を向けたまま。私の話の間にも、後ろと横の友達と、平気で話している。
 つつかれやすい友達の、消しゴムや鉛筆を勝手に使う。さらには投げて遊ぶ。鉛筆を折る。
 ときどきものがなくなる。くすくす笑い、そして「ぼくが探してくる」と言って探してもらうと、すぐに出てくる。
 女子は、いくつかのグループ(一応、親友らしい)に分かれて、互いに陰口を言い合っている。
 
 最初のクラスの様子である。
 「こりゃあ、前の担任がリタイアするのも無理はない」と思う。
 
 それから1年。
 子ども達の「結束」を打ち破ることはできなかったが、そんな最初の雰囲気に批判的な動きを作り出すことが徐々にではあれ、なんとかできるまでにはなってきた。
 強くは言えないが、「さっ、席につこう!」という声も、「群れ」に呼びかける子も、多くなってきた。
 この1年間でできたことは、「群れた無法集団」を少数派にできたこと。
 
 1年間、同じことを繰り返して訴えたことは、
 「群れるな」「自分の頭で考えろ」であった。

 可愛い子ども達である。
 とりわけ「群れている」子たちは、1人でいる時には、思いやりがあって、心配りのできる、優しい子ばかりだ。
 それが、「群れると」「ボスといると」人が変わったように、モラルを急落下させる。授業をいいかげんにし、低学年の子を威嚇し、周りの友達を茶化す。「同調圧力」の強さ。
 ボスは、スポーツ万能、頭も切れる。なんでもよく知っている。「悪」の遊びを、平気でやる「勇気」がある。
 だから、その傘下になって、一緒に行動することは、おそらく楽しいことなのだと思う。
 彼の「自由奔放」は、いったいどこから生まれてきたのか。それもずっと気になっていたことでもあった。

 直接対決では、圧倒的に私が負ける。

 学級通信を頻繁に発行し、まずクラスの様子を親に伝えることにした。こちらは「光の部分」。
 事務連絡プリントにはしないで、子どもたちのこと、学習のことを、プラス面だけ掲載することにした。
 私の学校では、ほとんど通信が出ていない。みんな忙しいのだ。

 そして「闇」の部分は、親との会話。電話が中心だが、必ず直近で頑張っていたことから話題にして、そのあとに本題、ということにした。
 
 毎日、叱る、注意するといった場面が絶えなかったが、それでも「憎い」と思ったことはなし。

 いつか叱った子どもから、「俺のことを無視した」という声を浴びたことがあったが、それには自信をもって、「絶対に無視したことはない」と断言できた。その際は、周りの子たちも、「そうだよ、お前の声が小さくて、先生は気がつかなかっただけだよ」「無視したことなんてないよ」と援護してくれたのも、嬉しい思い出だ。

 「死ね」と言われたこと、3回。
 蹴られたこと、1回。(これは、相手の子を追い詰めるような指導をしてしまったから、子どもは足を出すくらいしか手はなかったと思った)

 
 やっと、解決の糸口を・・・というところでおしまいの季節になってしまった。

 「群れ」には、自分の頭で判断することを。
 ボスには、1回自分の良さを考えてみる時間を。
 みんなには、自分の考えを正直に出せる勇気を。

 幸多かれ、子どもたち。   
 
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「森友学園」のHPを訪ねて 

2017年03月01日 01時00分45秒 | 教育を考える
いきなりこんな文が、目に飛び込んできた。

「教育の要
天皇国日本を再認識。皇室を尊ぶ。伊勢神宮・天照大御神外八百万神を通して日本人の原心(神ながらの心)、日本の国柄(神ながらの道)を感じる。
愛国心の醸成。国家観を確立。
教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成(全教科の要)。道徳心を育て、教養人を育成。
「大學」素読による人間学の習得。
大祓詞・般若心経朗唱宗教的情操の育成。
日本人の心の中心である伊勢神宮からほど近い松阪の地ですくすく育った杉の木・檜をつかった木造伝統建築の校舎や和風装飾物・校庭木による日本人DNAの呼び覚まし。
国際語である英語を学ぶことによる国意識の構築。
将棋・算盤などの歴史・伝統文化による教育
剣道・ラグビー・体育文武両道の達成。
和太鼓・西洋楽器の演奏・鑑賞、図面工作による情操教育。
杉の木の校舎掃除から学ぶ清廉潔白さ(潔さ・清しさ・美しさ・素直さ・誠実さ)。」

 この「信念」は、いったいどこから生まれてくるのだろう。
 冗談ならともかく、このような内容のことを、おそらく「真顔で」「確信的な表情で」説いている大人がいること自体信じられない。

 こんな支離滅裂な理念を頼って入学するものもあるのだろうから、暗澹たる気持ちになってしまう。

 いずれ、詳しく論じてみようと思う。
 「馬鹿馬鹿しくて論じる気にもならない」のではあるが、ひとつひとつこのようなものでも、きちんと「論駁」していかなければならない。
 
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西東京市の新採教師の自死に関して

2017年02月26日 00時16分17秒 | 教育を考える
 ちょうど1年前の新聞報道。
「2006年に西東京市の市立小学校に勤務していた新任の女性教諭(当時25歳)が自殺したのは過重労働が原因として、遺族が地方公務員災害補償基金(東京都)を相手に、公務災害と認めなかった処分の取り消しを求めた訴訟の判決で、東京地裁は29日、公務災害と認めて処分を取り消した。吉田徹裁判長は「学校の支援が十分でなく、自殺の原因は公務で発症したうつ病」と指摘した。
判決によると、女性教諭は06年4月に採用され、2年生のクラス担任になった。5月に「児童が万引きを起こした」という情報を受け、保護者に連絡すると、保護者から「事実を示せ」と怒鳴られた。6月ごろには複数の児童の靴や体操着が隠されるトラブルが発生したほか、週10時間の初任者研修とリポート提出も求められ、7月にうつ病を発症して病欠した。
 9月に復帰したが、「いじめがある」などと保護者から携帯電話に訴えられることに悩んでいた。校長から病気休暇を勧められたが、10月に自殺を図って意識不明となり、12月に死亡した。遺族は公務災害認定を求めたが、同基金が「公務が原因ではない」と認めず、遺族が提訴した。
 判決は、児童の万引きでの保護者への対応について「経験の乏しい新任教諭に判断を任されるのは荷が重く、上司らの手厚い指導が必要だった」と指摘。クラスでトラブルが続き、校長に報告すると叱責されると悩んでいたことや、1日2〜3時間の残業では間に合わずに仕事を家に持ち帰っていたことから「全体として業務によって強い精神的、肉体的負荷があった」と認定した。
 文部科学省の調査では、14年度にうつ病などの精神疾患で休職した全国の公立学校の教員は5045人に上る。遺族の代理人弁護士は「教員の健康なくして健全な教育はあり得ない。教育現場の改善を実現していく上で重要な判決だ」と訴えた。同基金は「判決内容を精査して対応を検討する」としている。【毎日新聞】」

 そして1年後、

「西東京市の市立小学校に勤務していた新任の女性教諭(当時25歳)の自殺をめぐり、原因は公務にあるとした一審・東京地裁判決(2016年2月)を不服として、地方公務員災害補償基金が控訴していた裁判の判決が2月22日、東京高裁であった。後藤博裁判長は、一審同様、自殺は公務に起因するとして、基金の請求を棄却した。

判決が確定すれば、手続きをへて、遺族に対する公務災害の補償がスタートする。女性が亡くなったのは2006年。遺族は2008年に基金に労災を申請したが、何度請求しても認めらず、裁判で争っている。女性の父親は「10年は長く苦しかった。控訴を知ったときの、落胆と失望は筆舌に尽くし難かった。これ以上の苦しみを与えることがないようにお願いしたい」と、基金側に上告しないよう求めた。

一方、基金側は「上告するかどうかは時間をかけ、中身を確認してから判断する」としている。

●万引き、上靴隠し、保護者からのクレーム…新人教諭を襲った相次ぐトラブル

判決などによると、女性は2006年4月に採用され、2年生のクラス担任になった。クラスでは、児童による万引き事件や上靴隠しなどのトラブルが相次ぎ、保護者からのクレームも重なったという。

さらに初任研修の課題などによるプレッシャーや、自宅作業なども増え、女性は採用2カ月でうつ病を発症。休職からの復帰後も学級トラブルが続き、同年10月に自殺を図った。意識不明の重体となり、12月に亡くなった。

高裁では、勤務や一連のトラブルの負荷などが争われたが、「学校等において十分な支援が行われず、かえってその負荷を強めるような発言もあった」などとして、業務と自殺の関係を改めて認めた。

●労務管理のひどさ、浮き彫りに

女性の死後10年以上たっても決着がついていない理由の1つに、学校の労務管理のずさんさが挙げられる。

 
労災・公災では、過労死ラインと呼ばれる80時間超の時間外労働などが証明できれば、認められやすい傾向がある。しかし、代理人の平本紋子弁護士によると、今回の事件では、タイムカードなど客観的な時間を示す証拠がなかったという。

「自宅での仕事もかなりあったはずで、私たちは少なくとも100時間以上の時間外労働があったと考えていますが、客観的な証拠が乏しかった。長時間労働が認められれば、早く決着がついたと思いますが、トラブルなどの負荷の部分で争わざるを得ませんでした」(平本弁護士)

それでも裁判では、最大で月75時間程度の時間外労働が認められた。

こうした状況は、女性がいた学校に限らない。連合総研の2016年の調査によると、教員の勤怠をタイムカードやPCなどで管理している学校は1割程度。アナログの出勤簿がおよそ3割で、把握していない・把握しているかわからないという回答が、全体の約半数を占めている。教員の労働環境の悪化が叫ばれる一方で、労務管理はなかなか進んでいないのが実情だ。

もう一人の代理人・山下敏雅弁護士は、「激務が認められても、死んでしまったら意味がない。現場の先生は生の声をあげ続けてほしい」と話していた。
.
弁護士ドットコムニュース編集部」

 10年以上もたちながら、まだ確定していないことに驚く。
 そう、学校にはタイムレコーダーがないのだ。時間外の証拠が得にくい環境、しかも職場以外、自宅での「残業」もきわめて多い職種なのだ。
 今学校は、「自己申告」「業務評価」により、人のことよりも自分の身を守ることで精一杯だという状況が、かつてより過酷になっている。
 
 静岡の木村さん同様に、労災の認定となるように祈る。
 そして、もう二度と同じことを繰り返さないような、国の、自治体の、職場の根本的な改革を望む。
 
 小学校では、新しい指導要領で、英語が1コマ増えるため、3年生以上は、また時間割のコマが増える。
 私たちは、いつ、どこで、授業の準備をしたらいいのか。

 「働き方改革」と言いながら、労働時間の制限を、いかに「ザル」にしようかと策動している「自己撞着」首相にはできるはずがない課題だ。
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周りに荒れたクラスが増えている

2017年02月25日 23時10分47秒 | 教育を考える
 ベテランといえども例外とはならない。
 今や、「明日は我が身」になりかねない「クラスの荒れ」。
 我が校も低学年で荒れ、そして、近隣でも「えっ、◎◎さんまでも?」(彼は、民間の教育サークルの中心で活躍していた)と驚くようなことも聞こえてくる。

 我が校の若手教師が、苦しんでいるのを見て書いた手紙。
 解決にはならないが・・・

 「△△先生
 いつもの笑顔がないなあと思っていたら、「クラスのことで苦しんでいる」ということを耳にしました。
 私のクラスがダントツだと思っていたのに、思わぬライバル登場ですね。

 クラスが大変なとき、それが悪循環となって、金縛りにあったように身動きできなくなってしまうのは、たいてい2つの理由からです。
 1つ目は、①「自分を責めてしまう」ことが、主になってしまうこと。若い人はなおさらだと思う。
 同僚から、管理職から、そして親から、たとえ「優しい」言葉であったとしても、指導や注意、アドバイスを受けると、「ああ、なんて私は技術が、熱意が・・・」と思ってしまう。
 2つ目は、アドバイスが多岐にわたり、量も多くなっていくようで、②「頭がいっぱい」となってしまい。かえって余裕がなくなってしまうこと。みんな良心的に、あれこれと言ってくれるのはいいけれど、それを全部やったら、それはスーパーマンというもの。だけど、やらなくては・・・と焦る。そして、やればやるほど、それほどうまくはいかないし、どんどん「自分」のものではなくなってしまうように思えてくる。

 今の△△さんとは、ちがうかもしれないけれど、少しでも重なるところがあるのなら、私の考えていることも、少し参考にしてみてください。
 根本的な解決なんてことはできないが、少しは気持ちが楽になるかもしれない。

 今年度、私は教師になって初めて、「死ね」と言われました。昨日までに3回。また、別の子から、ゲーム機を持ってきたことを注意すると、「先生は泥棒だ」「どうせ、お前は親に言うんだろう」とも言われました。
 ちょっとショックでした。
 この1年間。まじめな「学び」などないクラス。いつも、ぺちゃくちゃしゃべっていて、自分の頭で考えようとしない男子。ゴミが落ちていても誰も拾おうともしない。忘れ物をした子に教科書を貸すと、ぜんぜん返してこない。まじめな答えをした友達には「ほらほら、かっこいいねえ」と茶化すヤジの飛ぶクラス。いつも「群れていて」、動かない、スロー、当番の仕事もおしゃべりで終始。注意をすると、無反応。反応するときは、敵視するような目で応えてくれる。
 そんなことが毎日つづいた1年間でした。

 △△さんのところも、似たところがあるのかなと思う。低学年と高学年だから、その様相は異なると思うのですが、教室に「身構えて」入る点では同じかもしれない。
 自分のことしか話していません。もとにもどそうと思う。今、夜中の1時を過ぎたので、「限界」が来たら、途中でもおしまいにします。

 クラスが大変なときに、自分を大変にしてはいけない。△△さんが崩れてしまったら、なんの意味もない。
 まずは、「自分のせいで」なんて考えていたら、即刻、そんな考えは捨てること。(起きるときには起きるんだ。それがたまたま私の番だった。くらいの気持ちが必要だ)
 そう思っていないならよし。ここは読まないでいいよ。
 私は居直ってしまっている。(笑)当たり前のことを、普通にやっていこう、そんなことを考えながら毎日教室に行きます。
 正直、クラスが良くなったという実感はなし。今も、先に書いたことが続いています。
 やりようとか、ボタンの掛け違いとか、誤解とかはあるだろうけれど、担任の至らなさが主たる要因だという例は、ほとんど見た事がありません。
 そこで、②のこと。
 原点に帰ることを、考えてくださいな。
 つまり、「少ないことをていねいにやる」ことです。あれもこれもと、同僚の、先輩のアドバイスは、全部やらないこと。
 こんなときこそ、自分を「余裕のない忙しさ」に置いてはいけない。
 ひとつ、ふたつのことを、じっくりとていねいにやることが1番。
 それは、授業でもいい、子どもとの接し方でもいい。△△さんが、1番重要だと思うことを。
 ちなみに、私がピンチのときの最優先してやろうと思うことは、
 「苦手な子と、ゆっくり話をすること」にしています。よく言われるように、「困った子は、困っている子」。だからこそ、その子と、のんびりおしゃべりをして、その子なりの思いや希望、悩み、楽しみを知る必要があるからです。
 苦手な子と話すと、「指導する言葉」が中心となってしまい、ますます心が離れていってしまうから、そんなことは後回し、サッカーのこと、ゲームのこと、マンガのこと、そんなことをのんびりおしゃべりします。

 ちょっと眠くなってきました。
 △△先生。ドンマイだよ。ここにも、クラス再生希望担任がいますから・
 真剣はいいが、深刻にならないこと。
 あれもこれもと、自分を追い込めないこと。
 最優先することを、まずやること。他のことは無視してもいい。
 そして、土日は気分転換。遊びなさい。
            だめだ眠い・・・     ◇◇ ◇◇」
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若い教師は、このくらいの文書は読みなさい

2017年02月25日 19時38分11秒 | 教育を考える
 「日の丸」「君が代」について、もうほとんど「無知」になっている若い教師は、これくらいの知識は持っていよう。
 本当に「教育者」たらんと思うならば、これを読んで、少しは「教育とは何か」を考えてほしい。
 結論は問わない。
 「知らないこと」自体が教師失格だと思うから。

 1つの文書を引用する。
 それは、「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会 東京「君が代」裁判原告団 共同代表 岩木 俊一氏  星野直之氏のもの。
 それに対する、あなた自身の考え、そして都教委の回答の予想をしてほしい。
 これだけでは分からない方がいるなら、ネットで検索でもすればいい。
 たぶんどちらの意見も出ているはずだから。

 では、学習資料として。

 「要 請 書 

2017年1月25日

「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会
東京「君が代」裁判原告団
共同代表 岩木 俊一  星野直之


東京都教育委員会教育長 中井 敬三 殿



<要請の趣旨>
1.卒業式・入学式等で「日の丸・君が代」を強制する東京都教育委員会(以下都教委という)の10・23通達(2003年)とそれに基づく校長の職務命令により、2016年4月までに懲戒処分を受けた教職員は延べ478名にのぼります。この通達発出以降、東京の学校現場では命令と服従が横行し、自由で創造的な教育が失われています。

2.一連の最高裁判決(2011年5月~7月)は、起立斉唱行為が、「思想及び良心の自由」の「間接的制約」であることを認め、処分取消訴訟の最高裁判決(2012年1月、2013年9月)では、「間接的制約」に加え、「戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択することについては,本件事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要」「処分の選択が重きに失するものとして、社会観念上著しく妥当を欠き、…懲戒権者としての裁量権の範囲を超えるものとして違法」として減給処分・停職処分を取り消しました。最高裁が、都教委による累積加重処分に歯止めをかけたのです。
これらの最高裁判決には、都教委通達・職務命令を違憲として、戒告を含むすべての処分を取り消すべきとの反対意見(2012年1月宮川裁判官)を始め、都教委に対し「謙抑的な対応」を求めるなどの補足意見(2012年1月櫻井裁判官、2013年9月鬼丸裁判官)があり、教育行政による硬直的な処分に対して反省と改善を求めています。
  また、東京「君が代」裁判第三次訴訟では、東京都の上告断念により東京高裁判決(2015年12月)が確定し、計31件・26名の減給・停職処分が取り消されています。
  更に、2015年12月10日、東京高裁(第2民事部柴田寛之裁判長)は、卒業式等における「君が代」不起立・不斉唱による懲戒処分を理由とする定年退職後の再雇用拒否を「違法」として、東京都の控訴を棄却し、原告22名に総額約5370万円の損害賠償を命じ、東京都が上告受理申立を行い、最高裁第一小法廷に係属しています。

3.最高裁、東京高裁、東京地裁で確定した処分取消の総数は、67件・57名に上ります(別紙参照)。都教委が、最高裁・東京高裁・東京地裁で「違法」とされた処分を行ったことは、教育行政として重大な責任が問われる行為です。今すぐ原告らに謝罪し、その責任の所在を都民に明らかにし、再発防止策を講じるべきです。その上で、10・23通達などの「日の丸・君が代」強制に係わる従来の都教委の施策を抜本的に見直すべきです。

4.しかるに、都教委は、2012年1月の最高裁判決の直後に「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱について」(平成24年1月24日)を議決しました。その内容は一連の最高裁判決で校長の職務命令が、思想・良心の自由の「間接的制約」であること、「減給以上の処分を選択することについては,本件事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要」だとして減給・停職処分が取り消されたこと、反対意見、補足意見が多数出されていること等をことさら無視して、都教委に都合の良い部分だけを取り出して「日の丸・君が代」強制を合理化するものです。そして、その「議決」を根拠に、従来の姿勢を改めることなく最高裁判決にも反した減給を含む懲戒処分を出し続け、更には「服務事故再発防止研修」を質量共に強化しています。現在の研修は、明らかに内心の自由に踏み込み、著しい精神的苦痛を与えるものであり、東京地裁決定(2004年 民事19部、須藤典明裁判長)に反しています。
また、違法な処分を行ったことを原告らに謝罪しないばかりか、2013年12月及び2015年3月~4月、最高裁判決・東京地裁判決で減給処分が取り消された都立高校教員計16名に新たに戒告処分を科し再処分をするという暴挙を行いました。
  これらは最高裁などの判決の趣旨をねじ曲げないがしろにするもので断じて許すことはできません。猛省を迫るものです。

5.今次卒業式・入学式は、「都民ファースト」「情報公開」を掲げる小池都政発足後初の卒業式・入学式であり、都教委もまたその姿勢が問われています。10・23通達を抜本的に見直し、各学校の創意工夫を尊重し、自由で創造的で真に子どもたちの卒業・入学を祝福するための式になるよう強く求めます。

6.貴教育委員会が、一連の司法の判断を重く受け止め、責任ある教育行政としての立場を自覚するとともに、問題解決のため下記申し入れを誠実に検討し、回答することを強く要求します。

<要請事項>
1 東京都教育委員会が2003年10月23日に発出したいわゆる「10・23通達」を撤回すること。
2 同通達に基づく一切の懲戒処分・厳重注意等を取り消すこと。
3 最高裁判決(2012年1月、2013年9月)及び東京高裁判決(2015年12月4日)に従い、10・23通達に基づく全ての減給・停職処分を即時取り消すこと。
4 2013年12月及び2015年3月~4月の現職教職員16名に対する戒告という再処分を撤回し、該当者に謝罪すること。
5 同通達に基づく校長の職務命令を発出しないこと。
6 卒業式、入学式で同通達に基づく新たな懲戒処分を行わないこと。
7 同通達に係わり懲戒処分を受けた教職員に対する「服務事故再発防止研修」を行わないこと。
8 卒・入学式等での「君が代」斉唱時に生徒の起立を強制し、内心の自由を侵害する「3・13通達」(2006年)を撤回すること。卒業式、入学式で生徒に内心の自由を告知するなどの各学校の創意工夫に介入しないこと。
9 「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱について」(平成24年1月24日)の都教委の「議決」を撤回すること。
10 最高裁判決に従い、「紛争を解決する」ための具体的改善策を策定すること。
11 都教育庁関係部署(人事部職員課、指導部指導企画課、教職員研修センター研修部教育経営課など)の責任ある職員と被処分者の会・同弁護団との話し合いの場を早期に設定すること。
12.本要請書を教育委員会で配付し、慎重に検討し、議論し、回答すること。


<連絡先>「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会・東京「君が代」裁判原告団  事務局長 近藤 徹


<回答期限> 2017年2月8日(水)。上記近藤までFAX及び文書で回答すること。」

さて、都の回答は、
 http://www7a.biglobe.ne.jp/~hishobunshanokai/
 で読んでほしい。

あなたの人権感覚が問われる。

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過労死を話題にするなら教員にも

2017年02月25日 10時33分27秒 | 教育を考える
過労死について、マスコミも大きく報じているが、教員のこともぜひとりあげてほしいものだ。
歯止めのない勤務は、私が勤務を始めた30年以上も前から、なにも変わっていない。

いったんクラスが荒れ出すと、親との対応、子どもとの指導、管理職への報告、同僚との話し合い、職員会議での報告・・・
際限なく仕事量が増え続ける。
つまりいったん踏み違えると、じっくり考えて対策を練るよりも、周りとの換券にあくせくするようになる。

そうでなくても、とにかく報告文書に終われている毎日で、ベテランの私でさえも、教室で子どもと向き合い、教科書を開きながら
「さて、どうやって展開させようか」などと考え始める「咄嗟にごまかした授業をすることもあるのが現実。

うちの新採たち、若者たちも、指導書通り、TOSSなどの安直なコピーなどに頼ることが多いようで、「自分で考える」力を喪失させている感じがする。

そのうち、ただのロボット。与えられたものをマニュアルに従って教え込む、そんな教員だらけになっていくだろう。

私生活も犠牲にしながら、それでいてちっとも教養も人格も育たない、そんな教育界の質的低下は、すでに始まっている。

「世も末」なり。
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10.23通達 権力者の発想そのもの

2017年02月18日 22時03分32秒 | 教育を考える
前回の記事のついでに、今や現場ですら話題にならない、しかし現場に「定着」している、あの通達を載せておきたい。
今、改めて読んでみても、なんともばからしく、高圧的、矛盾だらけのものだ。
知らない人は、ぜひじっくり読んでもらいたい。
ここに何も感じることのない方は、憲法を、民主主義を学び直してほしい。

「○入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について

平成15年10月23日

15教指企第569号

都立高等学校長

都立盲・ろう・養護学校長

東京都教育委員会は、児童・生徒に国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ、それらを尊重する態度を育てるために、学習指導要領に基づき入学式及び卒業式を適正に実施するよう各学校を指導してきた。

これにより、平成12年度卒業式から、すべての都立高等学校及び都立盲・ろう・養護学校で国旗掲揚及び国歌斉唱が実施されているが、その実施態様には様々な課題がある。このため、各学校は、国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について、より一層の改善・充実を図る必要がある。

ついては、下記により、各学校が入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施するよう通達する。

なお、「入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について」(平成11年10月19日付11教指高第203号、平成11年10月19日付11教指心第63号)並びに「入学式及び卒業式などにおける国旗掲揚及び国歌斉唱の指導の徹底について」(平成10年11月20日付10教指高第161号)は、平成15年10月22日限り廃止する。



1 学習指導要領に基づき、入学式、卒業式等を適正に実施すること。

2 入学式、卒業式等の実施に当たっては、別紙「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」のとおり行うものとすること。

3 国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること。

別紙

入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針

1 国旗の掲揚について

入学式、卒業式等における国旗の取扱いは、次のとおりとする。

(1) 国旗は、式典会場の舞台壇上正面に掲揚する。

(2) 国旗とともに都旗を併せて掲揚する。この場合、国旗にあっては舞台壇上正面に向かって左、都旗にあっては右に掲揚する。

(3) 屋外における国旗の掲揚については、掲揚塔、校門、玄関等、国旗の掲揚状況が児童・生徒、保護者その他来校者が十分認知できる場所に掲揚する。

(4) 国旗を掲揚する時間は、式典当日の児童・生徒の始業時刻から終業時刻とする。

2 国歌の斉唱について

入学式、卒業式等における国歌の取扱いは、次のとおりとする。

(1) 式次第には、「国歌斉唱」と記載する。

(2) 国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。

(3) 式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。

(4) 国歌斉唱は、ピアノ伴奏等により行う。

3 会場設営等について

入学式、卒業式等における会場設営等は、次のとおりとする。

(1) 卒業式を体育館で実施する場合には、舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与する。

(2) 卒業式をその他の会場で行う場合には、会場の正面に演台を置き、卒業証書を授与する。

(3) 入学式、卒業式等における式典会場は、児童・生徒が正面を向いて着席するように設営する。

(4) 入学式、卒業式等における教職員の服装は、厳粛かつ清新な雰囲気の中で行われる式典にふさわしいものとする」

興味ある方は、別紙「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」も読んでいただきたい。


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新しい指導要領の問題点?

2017年02月16日 18時51分28秒 | 教育を考える
まず、3年、4年の英語が1ゴマ、5、6 年が2コマと、今までより1コマ増えたこと。1週間に1時間授業が増えることになる計算だ。
今、私は6年生の担任だが、月曜日はクラブ、委員会活動も入れて6時間。火曜日、木曜日、金曜日も6時間。水曜日は、職員会議や市の研修会などをあてているために5時間。
本当は、もう1コマ必要だが、火曜日、木曜日、金曜日の朝に、15分の「授業」を入れて帳尻を合わせている。
今回の改訂で、あと1コマ追加するなら、1週間全ての日が6時間になる。
6時間目が3時20分に終わる。
私たちの休憩は、昼が給食指導にあてるので、3時45から45分とることになる。
つまり残された時間は25分。とはいえ、帰りの会や連絡、配布物などで、3時20分ぴったりに子どもは帰るわけではないから、実質15分もあればいい方だ。
これで、学年の打ち合わせ、明日の6時間分の準備、分掌の仕事をこなさなくてはならない。
無謀な話だ。
一応、4時30分からまた15分の勤務があるが、大概は夕会といって、全体の打ち合わせを実施する。

ますます教員の質が下がっていくだろうと憂慮する。
支配者は、馬車馬のごとく、文句を言わず、ひたすら指導書やネットで得た、安直な授業をする従順な教員を再生産していくのだろう。

今回の改訂で、まず感じたことは、教員の、子どもの愚民化に拍車をかける提案だということ。

教員の生活も、仕事も、限界を遥かに越えている。
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研究授業から学ぶ 雑感

2017年01月23日 09時18分39秒 | 教育を考える
今年は体育の研究発表があり、発表後も「それで終わりではなく、年度末まで研究を」という、校長の提案を受けて、三学期早々に私が授業を行った。
まあ、それはそれでよし。
迂闊ながら、この時期、6年生は受験の子がとっかえひっかえ休む。グループでの練習は、その都度調整しなくてはならない。さらに前日は高齢者擬似体験の学習。市の福祉課の担当や手伝いの保護者との交渉を、ほとんどひとりでこなす。さらに次の週に予定している、震災で被害を受けた熊本への募金活動の段取りを児童会の子どもたちとしなくてはならない。
授業の日まで、息もつけないくらいの忙しさで走り回る。
私自身、冷静に考えれば想定できたのに。

学んだことの第一は、状況判断を怠るべからず。
授業のプランは、最終的には授業者個人に帰結する。今回もしかり。ほとんど話し合いは皆無。私はそれなりに勉強にはなったが。

学んだことの第二は、体ほぐし、体つくり運動という分野は、新しい概念であり、まだまだしっかりとした論理的な枠組みがなされていないことがわかった。何冊も本を読んだが、そのほとんどが、学習指導要領の引用であり、なんら納得することがなかった。
これらは、器械運動、ボール運動などとどんな関係があるのか。
体ほぐしは、準備運動とどう違うのか。体を温め、馴らして運動の準備に入る従来のものとは何が異なるのか。柔軟性を高めるのであれば、それはトレーニングと言えるのではないのか。整理運動には使えないのか。
体つくり運動は、一般的なトレーニングと同義でないのか。技を追い求めないとするが、瞬発力、力強さ、柔軟性も、技があってのものではないのか。現に、私たちの研究授業では、この体つくり運動で、「コツを教え合おう」をメインにした展開をしている。

私は学べた。忙しかったが(笑)
こんな老いぼれではなく、若者が、もっともっと学ばないといかん。
しかし、それ以上に現場は過労死状態。みんなコピーですませている現実。
質の低下は著しい。残念だけど。
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なにを今さら 教員の超過勤務

2017年01月15日 10時30分55秒 | 教育を考える
「週に60時間以上働く小中学校の先生の割合が70~80%に上ることが、全国の公立小中学校の教諭約4500人を対象にした連合のシンクタンク「連合総研」の調査でわかった。医師や建設業、製造業など他業種より格段に高い割合だ。特に運動部の顧問の先生は出勤が早く、午前7時前に出勤する人が15%いた。文部科学省も学校現場の負担減へ対策に乗り出している。

 調査は2015年12月、労働組合に入っているかに関係なく、公立小学校教諭2835人、中学校教諭の1700人を対象に実施。小学校1903人(回収率67%)、中学校1094人(同64%)が回答した。

 調査では、週あたりの労働時間を20時間未満から60時間以上まで5段階に分けた。小学校教諭で週60時間以上働いている割合は73%、中学校は87%。小中とも50時間未満の教諭はいなかった。単純には比較できないが、11年に労働政策研究・研修機構が調べた医師の40%を大きく上回ったほか、連合総研が16年に調査した建設業の13・7%、製造業の9・2%、運輸・情報通信業の9・0%を大きく上回っている。

 特に中学の運動部顧問の場合、午前7時以前に出勤する教諭が15%、午後9時以降に退勤する人は22%に上った。「必ず」「だいたい」毎日、家族全員と一緒に夕食をとるのは小学校39%、中学校33%で、民間企業労働者の52%を下回った。」

と、朝日新聞が伝えている。
 私にとっては「なにを今さら」の感。
 教務主任をしているころ、自分でどれくらい時間外の仕事をしているか調べたことがあったが、週で50時間を超える週もざら、30-40時間の超過が普通であった。
 上の調査では、「勤務時間」であるから、この計算方法で言えば、週100時間ということになる。
 そしてそれは、私のように「教務主任」だから特殊だということではなく、土日に学校に行くと、いつも何人かの同僚が「やり残した」仕事を抱えて「出勤」しているのだった。
 慢性的な超過勤務状態。

 「教頭」(東京では副校長)は、さらに雑務が多い。
 現任校でも、土日出勤の常連さんである。

 文科省も、都も、このような状況を無視するわけにはいかず、「多忙感」といった、気持ちの問題のような言葉でもって対処しているが、「やりようで効率化は図れる」程度の解決策でしかない。

 これでは、日常的に私たちがレベルアップするわけがない。私の学校でも、若い教員は、指導書と、コピペで毎日をしのいでいる様子で、創造性とはかけ離れた世界にいる。
 
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運動会が終了

2016年10月03日 10時53分51秒 | 教育を考える
一日遅れて運動会が終了
今回は「高さ」よりも「技の広がり」「集団の動きの美しさ」を追求したもの
前半はバランス系、2人、3人技の披露、最後はウェーブ、ポップアップピラミッド、人間起こしが、みんなきれいに決まり、保護者席からの大きなどよめきと拍手をいただいた
ま、6年生は親の前では力を発揮できるので、なにも心配することなく臨むことができ、笛の合図も曲に合わせて、さらに子どもたちの動きにもうまくマッチさせることができた
ただ私は不満足
「表現」として、技をあるテーマでつなぎたかったが、雨ばかりの日程と、現時点での6年生の集団的な力量のなさから断念
そつなくはできたが
それでも最後には、子どもたちのサプライズ(感謝の言葉を突然コールしてくれたこと)で、これまで学校で1度も泣いたことがない私も、いきなり目の前がボッと曇ってしまった
集団の規律ばかり強要することが多い運動会に、あまり価値を見出だせない私も、こんなときは心が震える
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教師受難の時代へ

2016年08月02日 09時32分10秒 | 教育を考える
「次期学習指導要領を審議してきた中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の特別部会は1日、審議まとめ案を公表した。小学校の授業時数は、中学年と高学年の外国語教育の強化で140時間(1単位時間は45分)増えて計5785時間となり、授業時数を大幅に減らし学力低下を招いたと批判された平成10年度改定(14年度実施)の「ゆとり教育」前の水準に回復する見通し。高校では日本と世界の近現代史を融合的に教える「歴史総合」の新設など大幅な科目再編案が盛り込まれた。
 中教審は8月中に詳細を詰めた上で年内にも答申をまとめ、文部科学省が今年度内に学習指導要領を改定する予定。新指導要領の全面実施は小学校が32年度、中学校が33年度、高校(29年度改定)が34年度からとなる。」(産経)

 まあ、今に始まったことではないが、教師の苦難が一層深まるな、の予感。
 小学校では、クラブ、委員会を入れると、5,6年生は週30コマ。つまり毎日が6時間授業となる。
 その議論は置いてみるとしても、どう考えても納得できないことは、「いつ会議をするんだ」「いつ教材研究するんだ」「休憩時間は吹っ飛ぶな」という疑問、不安。
 6時間授業を終えると、すぐに休憩時間となる。4時45分の勤務時刻まで、約1時間と少し。きっと45分与えられた休憩時間も、学級事務や打ち合わせ、明日の準備、テストやノートを見る時間となってしまうだろう。それでも圧倒的に時間は足りない。
 毎日明日の6時間の授業の準備は、たかだか10分、15分でできるものではない。
 ちょっとクラスに問題が生じれば、それに忙殺される。
 その対応が長引けば、今度は「授業が手抜き」だと非難される。

 現場のことは何も考えてはくれない文科省。
 まっ、今に始まったことではないが・・・


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やりがいのある6年生と

2016年04月30日 04時12分05秒 | 教育を考える
サプライズの6年担任です。
再任用となり、卒業学年はもうないかなと思っていたのですが、校内事情からやむなく了承です。
1年間の短期決戦。

賢いが、自分の枠からはみ出さない、覇気の感じられない子たち。自分と周りの距離を、いつも推し量って疲弊している子たち。
強い刺激や、「毅然たる指導」に飼い慣らされてしまって、自分らしさを出せないでいる子たち。
そんな子どもたちと、より自然な「子どもらしさ」を追い求めてのスタートです。

教室が「癒しの場」となるように。そして「学びの場」となるように、この1か月は、無理をしてでも、これまでの残り物を崩す取り組みに終始してきました。
毎日の学級通信。学年便りの番外号の発行。
「ほめてください」メッセージを、全員に贈り、保護者に褒めてもらう。
教室に500冊の本を常備して、次々と紹介していく。
知恵の輪、トランプ、科学マジックの小物を置く。
「考えよう」「遊んでみよう」のコーナーの設置。
私の「小さいときの思い出」(失敗談が主流)を毎日一話。
班の中での定期的な席替えの推奨。
電子辞書を教室におき、「自由に活用していい」とする。
教室のパソコンに「ランドセル」のソフトをインストゥールして、使用していいことに。
ローマ字入力くらいはみんなにできるようになってほしいために、スズキ教材の「キーボー島アドベンチャー」の登録をし、それぞれが学校でも家庭でも取り組めるようにした。(3年以上のクラスの全員を登録して、同僚にも勧めた)
「文章トレーニング」により、日記を書く。コマ目に通信に掲載する。


やっと、「私流」が少しずつ浸透してきた兆候が・・・
先週にクラスの目標を話し合い、「スローガン倒れにならないものを作ろう」「飾り物にしない」「本音で考えよう」の前提で、話し合いました。
さらに、「忘れない工夫」として、インパクトのあるものにしようということで、天才バカボンのパパの口調で表記しようということに。
決まったのは、

  ○話は最後まで聞くのだ!
  ○いっぱい遊ぶのだ。でも、勉強にも命をかけるのだ!
  ○ひとりの友だちも、泣かせてはいけないのだ!
  ○失敗やまちがいをおそれてはいけないのだ!

の4つ。

 まだまだ途上のものながら、家庭訪問では、保護者から「期待しています」の声をたくさんいただく。

 12回目の6年担任。
 楽しく格闘中。
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