息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

芳林堂が倒産

2016年02月27日 13時29分22秒 | 教訓
今月の8日
雑誌の「世界」を買おうと、所沢の芳林堂に行くと、「取次店からの入荷のトラブルで、本の入荷が延期されています」の掲示。
いやな予感通りの結果になった。
中学生から豊島の学校に勤務していたころまで、池袋の芳林堂は行き付け。
毎日のように通っていたが。
ただ、商売が熱心とは言えず、高田馬場のように、フロアーを二つも三つも借りては、のんびりと構えていた店内。私は好みだったが。
また、本屋が無くなっていく。
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笑顔の絶えない職場になっていますか

2016年02月21日 09時33分27秒 | 教育を考える
今に始まったことではないですが、最近、近隣の学校で、似たようなことを耳にする。

それは、「教育委員会から言われたのですが・・・」「教育委員会に問い合わせると・・・」として、それが真っ赤な嘘、またはその事実がない、そんなことが平然と起きているとのこと。
校長自体の保身のため、独断の職員管理をするため、自分の落ち度を糊塗するため。
きっとそんな動機からだろう。

裏をとることはたいがいできるはずもないから、誰も疑わしく思わない。
たしかめようとすると、「勝手に電話するんじゃない。校長を通して行え」と言われ、実際は不可能になる。


最近、異動に関することで、校長の言動について組合を通して教育委員会に問い合わせてみると、校長の言動とまったく食い違っていることが判明した例があった。
実は校長が勝手に、当事者に圧力をかけていることを、校長が認めた。詳しく書けないのが悔しいが・・・

みなさんの学校、校長の取り巻きだけで、なあなあと運営されていませんか。
平気で休憩時間も会議や作業を入れていませんか。それを何も問題にされない職場ではないですか。
相手によって、物言いの極端に異なる管理職ではないですか。
だれも発言しようとしない、できない職場ではないですか。

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戦争法廃案までの一歩

2016年02月21日 09時25分23秒 | あれこれと
野党の結束の足がかりが、やっと築かれた。
戦争法の廃案だけでなく、無節操、独善、嘘も平気でつくような安倍首相を一刻も早く退陣に追い込むためにも、
また、失言、汚濁した行動を繰り返す自民党の堕落を糺すためにも・・・
まだまだ道のりは厳しいとは思うが、国民は、この結束の「本気度」を見続けている。
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中立 全方位外交を

2016年02月17日 23時56分18秒 | あれこれと
日本は現在、アメリカの手下として存立しています。

なにか争い事があったとすると、武器を持って戦う可能性が、いっそう高まった日本です。
外交、経済的な制裁。
それすら、アメリカの家来となった今では、行使の難しいものとなっていくにちがいありません。

甘いと言われるかもしれませんが、紛争を解決する最終的で唯一の道は「話し合い」しかないと考えています。
実力の行使は、必ずどこかに無理、矛盾が生じ、完全な和解は望めないと思うからです。

しかし現実は難しい。
しかし人類は、それをしない限り存続できないのではないかと思うのです。
私たち、種としての人間の試練。

慰安婦問題がそうだったように、安倍首相の手法は、ひとかけらも「人類史的な思考」がありません。
金儲けをして、ちょっと悔しいが、金持ちアメリカの舎弟としてうまくやっていこうぜ。
こんな人間に、国の代表をいつまでも献上してはいけない。



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悲しい教育学界

2016年02月14日 14時55分02秒 | 教訓
例年の如く、「みすず」1、2月合併号で、昨年に読み逃した本を漁っています。
いかに読書をしていないか、いかに思索していないか、私に突きつけるような本の数々。
また初心に帰って、心の姿勢を正します。

毎年のように気が付き、そして毎年のようにため息をつくことがあります。
それは、この読書アンケートに答えた膨大な数の中に、教育に関わるものがほとんどないことです。
今回も台湾の元校長の活躍?のものがありましたが、それは旧植民地時代の、いわば歴史を紐解くジャンル。
心理学に通じるものもありましたが、教育活動を科学的に論じたものは皆無でした。

アンケートに答える識者の偏りなどがあったとしても、寂しい限りです。

またこれについては考えてみます。
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この国はどこに向かっていくのか

2016年02月13日 14時57分02秒 | わたしごと
安倍政権は、「金儲けが日本のとるべき道だ」「そうすれば、おこぼれが貧困層にも及ぶのだ」「軍事的に強い国こそ生き抜く道」「最強のアメリカとパートナーを組むことが当面の戦略」「しかし排外的な愛国心も国民に根付かせることも肝要である」といったレールを敷いて、政治的活動に熱を入れている。

そこにはなんの哲学も、道徳もない、ただの「死の商人」化した日本しか見いだすことができない、貧しい姿だ。

その自己の政策をすすめるにあたっては、平気で嘘をつくことも辞さない。
政治的に未熟な国民をあざ笑うかのように(それでも政権に懐疑的な国民が増えてはいるのだが)、ひたすら邁進するのみ。

上に「 」で書いたことの真逆の政策こそ、日本が、世界が豊かになっていく唯一の道だ。

嘘つき、ペテン師と言ってもおかしくない政権は、一刻も早く倒すべきだ。
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ベッキーだけにお咎めとは

2016年02月07日 12時45分39秒 | 奇妙な風景
ベッキーが出演している番組や、CMなど、次から次へと「休業」「取りやめ」の報道がされている。

よくよく考えてみると、不可解なことばかり。

①「交際」「不倫」は、あくまで私的なものだ。仕事を奪われるほどのものか。
 芸能界は、それも覚悟の上だという指摘もあるだろうが、ベッキーのイメージという「商品価値」が失せたということもあるだろうが、常軌を逸しているのではないか。

②週刊誌の責任は道義的なものだけで、「すっぱ抜いた」ほうが勝ちなのか。プライバシーに関わることを、ばらまいた責任はないのか。

③これは、あくまで感情的だが、ベッキーの相手がさほどダメージがないのはどうなのか。無いとは言えないだろうが、2人の格差はあまりにも大きくはないのか。

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定時制高校の廃止 なぜか?

2016年02月07日 12時39分08秒 | 教育を考える
定時制の高校が危ない。
エリート校を増やし、予算をたくさん割り当てる。「底辺」「弱者」には切り捨て、予算も切り崩していく。
教育行政は、福祉行政とは密接な関わりをもって進めていく必要があるべきものなのに、まったく正反対の施策を提案した。
なさけない「公務員」たちである。


「夜間定時制高校4校の廃止(閉課程)に反対する会長声明


2016年02月01日

東京弁護士会 会長 伊藤 茂昭

 東京都教育委員会は、平成27年11月、「都立高校改革推進計画・新実施計画(案)」(以下、「計画案」という。)を取りまとめ、その中の「定時制課程」の「改善」において、チャレンジスクールや昼夜間定時制高校の規模を拡大する一方で、夜間定時制課程(以下、「夜間定時制高校」という。)のうち、立川高校(立川市)、小山台高校(品川区)、雪谷高校(大田区)、江北高校(足立区)の4校を廃止(閉課程)するとした。
 しかし、東京都においては、平成9年度から平成18年度における「都立高校改革推進計画」の中で、101校存在した夜間定時制高校のうち44校が、チャレンジスクールや昼夜間定時制高校への統合対象とされることとなった。これに対し、当会は、生徒らの学習権を侵害するおそれが高いことなどから平成16年6月7日付け「都立定時制高校の廃校による募集停止措置についての意見書」を発表し、再検討を求めた。にもかかわらず、平成16年度以降、定時制高校の統廃合が進められ、現在、夜間定時制高校は44校となっている。
 こうした統廃合の結果、夜間定時制高校は、全日制高校に通うことの出来ない生徒らの最後の受け皿としての機能が期待されているにもかかわらず、平成22年度都立高校入学者選抜においては、夜間定時制第二次募集では、募集定員に対し合計300人を超える応募があった。現在も、廃止(閉課程)の対象とされている立川高校では、平成27年度都立高校入学者選抜の二次募集で入学希望者が募集定員を超えている。こうした状況において、さらに4校の廃止(閉課程)が計画されているものである。
 今回の廃止(閉課程)の理由として、計画案では、まず夜間定時制高校設立の当初に想定されていた「勤労青少年」の生徒は減少の一途をたどり多様な生徒が在籍するようになっていて、多様な生徒の状況に応じた指導を行う必要があるとされている。しかし、当会の先の意見書においても指摘した通り、そもそも多様な生徒のニーズに応える上で、学校の種類や数の拡大はともかく、夜間定時制高校という既存の学校の廃止が必要といえるのかとの疑問は払拭されていない。上記計画が減少してきたとする「勤労青少年」は正規雇用者のみを意味し非正規雇用者を除外していると考えられ、非正規雇用者が増加している実態が踏まえられていないと言うべきである。また、同じく夜間定時制高校の廃止理由とされる、全日制・定時制併置校における施設の共用による利用上の時間的制約という弊害についても、学校現場における長年にわたる自発的努力によって工夫、解決されてきたものであり、さらなる廃止(閉課程)を要するほどの弊害があるのか、疑問がある。
 また、夜間定時制高校は、少人数の家庭的な雰囲気の単学級(ないし少数学級)として運用されてきたとの特性もあって、昼間就業しながら夜間勉学する勤労生徒をはじめ、帰国子女、外国から日本に帰化した生徒、在日外国人などの外国人生徒、社会に出たあと高校卒業の必要性を感じて入学してくる成年者の生徒、高校を中退した生徒、様々な原因で中学校まで不登校であった生徒や引きこもり傾向であった生徒、心身にハンディキャップをもつ生徒、夜間中学出身者などの、多様な生徒を受け入れ、憲法26条第1項に定める、教育を受ける権利を保障する重要な受け皿となっている。これに対し、計画案では、生徒らの多様なニーズに応えるという視点から既存のチャレンジスクール及び昼夜間定時制高校の規模拡大と、チャレンジスクール2校の新設が検討されている。しかし、これらの学校は単位制で、特に3部制の高校については教員同士の情報共有が難しいなどの指摘もされているところであり、多様な課題を抱えた生徒に対して個別・丁寧な対応を目指す夜間定時制高校とは趣旨が異なる。その上、チャレンジスクールは応募倍率が高いことが指摘されており、新設されても狭き門であって、夜間定時制高校へのニーズを持つ子どもたちが、事実上、教育機会を失う結果となりかねない。
 さらに、夜間定時制高校が対象として想定する生徒らにとっては、通学費の増大や通学時間の長時間化は、経済的、体力的、精神的に通学そのものを困難とする可能性が高い。既に、これまでの統廃合の結果、例えば、立川高校定時制課程に在籍する生徒の居住地は、平成27年5月1日現在、全生徒301人のうち、立川市49人、八王子市47人、東大和市29人、武蔵村山市24人、昭島市20人などと広域化している。また、江北高校は平成27年4月7日現在、4学年併せて180人もの生徒が在籍しており、需要が高い。さらに、雪谷高校と小山台高校は、比較的近距離に位置し、2校が同時に廃止(閉課程)の対象となれば、周辺地域の生徒に対する弊害は大きい。なお、計画案においては、既存のチャレンジスクール等7校の規模拡大が検討されているものの、これらの学校の多くは、廃止(閉課程)される4校とは地域を異にし、生徒らが通学に利用する路線も異なっており、4校の廃止(閉課程)を補完するには不十分であることは明らかである。こうした状況においては、4校が廃止(閉課程)となれば、通学に要する経済的、体力的、精神的負担の増大は避けられない。まして、子どもの貧困がますます拡大し、学費等の自己負担を強いられる者が増加している現状においては、こうした負担増が教育機関へのアクセス権に及ぼす影響は重大である。
 以上の実情を踏まえれば、夜間定時制高校4校を廃止(閉課程)することは、現在の夜間定時制高校へのニーズを持つ子どもらにとって、その学習権を侵害するおそれが極めて強く、たとえ限られた予算の有効な配分を理由としても決して許容されるものではない。
 従って、当会は、夜間定時制高校4校を廃止(閉課程)とする計画に対し、強く反対する。」
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道徳の教科化で「はしゃぐ」教育界

2016年02月07日 12時25分35秒 | 教育を考える
「道徳の教科化に向けていろいろな研究団体がそれぞれの方法で研究やメッセージを発信し始めているけど、表現は適切かどうかはわかりませんが、あまりはしゃぎすぎるのはどうかと思います。
特に、道徳の教科の指導をどうするかというアプローチは、本質を見失うのではないかと心配しています。いったい国家は何を狙っているのかという意味での本質を。
 道徳の教科化と同時に打ち出されているのか、他教科においても道徳的価値を「教える」ということ。
 たとえば、理科の植物の授業で生命の大切さを強調させるとか、文学的教材の読み方を特設道徳的に読ませるとか……。
 こうなってくると、もはや道徳の授業をどうするかの問題だけではなくなってくるということです。授業そのもの、いや、学びとはいったいどういうことなのかまでさかのぼって研究していかないと、逆に国家の路線にのっかり、国家優先な学校づくりに加担することになります。」

と、全生研の塩崎さんが書いていましたが、「感情・価値観を押しつける」ことに向けた道徳の教科化は、すこぶる危険なものだと私は考えています。
あくまで、科学・事実の学習のもとで、価値観を自分で作り上げていくことが教育なでしょう。
この動きは、どう考えてみても「教化」です。

この問題は、18歳選挙権のことともかかわり、「教育の中立性とはなにか」とも絡み合います。


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