息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

思わぬ収穫

2011年01月31日 00時49分23秒 | わたしごと
家の建て替えは、なかなか大変なものですね。
業者との打ち合わせ、各種の手続きなどもありますが、隣近所と上手にやっていくことが一番デリケートで疲れるものです。
なにも軋轢が生じることもなく、建て替えが済んだ方もいるにはいるでしょうが、友人、同僚に聞いてみると、結構大きな割合で、「トラブった」「気を遣った」という事例も多いようでした。

私の家の場合、隣接する五軒のうち、厳しい注文をいただいた家が二軒。四割打者です。

一軒は、私の敷地内に作るブロック塀の材料やら規格やらを「指定」してきました。どこかの業者に見積もってもらい、それを我が家に送ってもきました。立ち会いもしたい、工事の様子を写真に撮って見せてほしい。私の家の敷地が一段高く、すでに塀があるのですが、お隣さんの希望(要求)に応えて、その塀を補強する意味で、私の家も作ろうとしたあとでの要求です。建築業者にも、集中的にふた桁の電話をしたとのこと。
段差のある土地の境界を心配する気持ちは当然のことですから、それにはできるだけ応えたいと思いますが、かなり執拗な行動です。

もう一軒。これは不明確な境界線からきたものです。
きちんと両家が話し合えば、それで済むことですが、口調が一方的で、威圧的で、押しつけるようなもの。これについても、あとあと禍根を残さないようにと誠心誠意応えているつもりなのですが。

ストレスもたまるにはたまりますが、これによって我が家の「団結」(ちょっと大げさな表現ですが)が強くなったことは幸いでした。
なかなか話が通じ合えなかった次男とも、これを機に本音で話し合えるようにもなれましたし。

ピンチはチャンス。

こどもたちによく言う言葉です。これが我が身に適用されるとは・・・
雨降って、地固まる・・・でいきましょう。

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今度は「産経」の品のない主張

2011年01月30日 02時50分13秒 | 教育を考える
「「当然の判決だ」。卒業式、入学式で教職員らが起こした混乱の正当性を否定した28日の東京高裁の逆転判決。東京都教育委員会など教育関係者の間には、安堵(あんど)の雰囲気が広がったばかりか、1審判決への改めての批判が出た。一方、原告の教員らは「裁判所はひどいところだ」と、逆転判決に納得がいかない様子だった。
 東京都の石原慎太郎知事は28日の定例会見の中で、「国歌や国旗に対する国民の反応や現象は日本だけちょっと奇異。判決は大変結構だと思っています。ごく妥当だ」と話した。
 大原正行教育長も「主張が認められたことは当然のことと考える。今後とも、学校における国旗・国歌の指導が適正に行われるよう取り組んでいく」とのコメントを発表した。
 厳粛な卒業式や入学式の実施のため、都教委ではこれまで、国歌斉唱や起立を拒んだ教員たちに毅然(きぜん)とした態度で臨んできた。
 通達を出した平成15年度に懲戒処分を受けた教員数は179人。同種の事案での全国の処分者の9割以上を占めたこともある。
 しかし、最近では斉唱時の起立を拒む教員は激減。東京都の21年度の処分者はわずか5人になった。国旗の持ち去りや引き下ろし、表立っての式典妨害など「実力行使」は影を潜めている。
 正常化が進んだ背景には、東京都日野市の小学校で音楽教諭が国歌のピアノ伴奏を拒み戒告処分とされたことに関した、職務命令をめぐる訴訟で19年2月、職務命令を合憲とする最高裁判決が出るなどしたことがある。各地での同種訴訟でも教員側の敗訴が相次いでいる。
 ただ、東京都に限らず各地の一部の教員らは、「起立の義務はない」と校長らに「予防訴訟」を提起したり、学校が不起立教員の名前を教委に報告することを「個人情報の違法収集だ」として訴えを起こしたりするなど、あの手この手の「裁判闘争」を続けている。支援組織によるホームページを通じて訴訟の経過報告や集会の案内、カンパ要請をしながら支持を呼びかける活動が一般的だ。
 北九州市では校長が式典前に「心を込めて歌うように」と教員に命じたところ、「内心の自由を侵害した」と裁判になるなどしている。
 こういった現状について、公立学校での校長経験を持つ、埼玉県狭山ケ丘高校の小川義男校長は「国旗や国歌をめぐってここまで係争が相次ぐのは日本だけの光景。国家や同胞といった者への感覚、意識がいかに希薄になっているかを象徴的に示す裁判ともいえる」と指摘。そのうえで、「学校行事という公的な場で『俺は立つ』『私は立たない』などと始まれば儀式など成り立つはずがない。そもそも違憲だと判断した1審東京地裁の判決自体がおかしな判決だった」と話している。」(産経)

 この記事を読んで、箇条書きに、そのペテンぶりを。

①公平を装いながら、さりげなく原告への偏見を植え付けるような記述がいたるところに見られる。
②「当然の判決だ」と考えているのは、「東京都教育委員会など教育関係者の間」と、いかにも一般的に、幅広く存在しているかのような記述。
③「正常化が進んだ背景」この表現自体が、そもそも奇妙。権力にとっての「正常化」であること。
④「都教委ではこれまで、国歌斉唱や起立を拒んだ教員たちに毅然(きぜん)とした態度で臨んできた。」これもしかり。肩入れも甚だしい。
⑤「北九州市では校長が式典前に「心を込めて歌うように」と教員に命じたところ、「内心の自由を侵害した」と裁判になるなどしている。」この事例も、読む人に「えっ、なんでこんなことで
裁判になるの?」と思わせる誘導。
⑥「国家や同胞といった者への感覚、意識がいかに希薄になっているかを象徴的に示す裁判」このコメントも滑稽だ。むしろ私には、原告は真の愛国心を持っている人たちだと思えるのだが。
⑦一方、原告についての記事では「あの手この手の「裁判闘争」を続けている。」として、卒業式を妨害している「輩」のような印象を与える表現。

こんな下品で偏見に満ちた、三流の記事に、世論がなびいていくことこそ、「世も末」だと思う。

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色眼鏡と短絡思考から判決文を読むとこうなる

2011年01月29日 02時15分18秒 | 教育を考える
 なんと稚拙で、「常識」に名を借りた煽動なのだろうと思う。
 「当然の」「妥当な」「納得する人は多いのではないか」「当たり前」と、薄っぺらな根拠で結論づける。「そう考えないやつは、おかしいのですよ」と暗示するような表現で。

 「スポーツ観戦では当たり前の光景」「国際社会での当然のマナー」とは言うが、これを拒否して罰せられることはない。学校現場では「罰せられる」のである。
 一部の教職員組合が、イデオロギー的立場に基づいて、「反国旗・国歌」運動を繰り広げ、教育現場は混乱した」とあるが、そうさせたのは、政治的な駆け引きで指導要領に「掲揚・斉唱」を盛り込んだ国側ではないか。
 色眼鏡で判決を見ると、こんな論調になるという典型。

「入学式や卒業式で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱するよう、教職員に求めた東京都教育委員会の通達は、合理性があり、合憲である――。
 東京高裁はそう判断し、「通達は違憲」とした1審・東京地裁判決を取り消した。
 日の丸・君が代は国旗・国歌として、多くの国民に定着している。自国はもとより、他国の国旗や国歌に敬意を表すのは、国際社会で当然のマナーである。高裁判決は妥当な司法判断と言えよう。
 この訴訟で、原告の都立高校の教師らは「懲戒処分までして、日の丸・君が代を強制するのは、憲法で保障された思想・良心の自由を侵害する」と主張した。
 2006年の1審判決は「教職員に起立や斉唱の義務はなく、拒否しても処分されるべきでない」と、原告の訴えを認めていた。
 これに対し高裁判決は、「国旗に対して起立することは、特定の思想を外部に表明する行為ではないから、それを命じても、思想・良心の自由を侵害することにはならない」と指摘した。
 理由の一つに、国旗掲揚や国歌斉唱が、学校の入学式や卒業式だけでなく、スポーツ観戦でも一般に行われている事実を挙げた。納得する人は多いのではないか。
 学習指導要領は、教師に対し、国旗の掲揚と国歌の斉唱を指導するよう定めている。しかし、それが学校で十分に守られていなかったために出されたのが、都教委の通達だった。
 教師が個人的に様々な歴史観や世界観を持つのは構わない。だが、指導要領に反してもいいということにはなるまい。
 国旗・国歌を巡っては、君が代のピアノ伴奏を拒否した教師が懲戒処分の取り消しを求めた訴訟で、最高裁が07年に「伴奏を命じる校長の職務命令は、特定の思想を強制するものではない」と、合憲の判断を示している。
 今回の高裁判決も同じ流れにあると言えるだろう。最高裁判決以降、同種の訴訟では、教師側の敗訴が続いている。
 かつて、一部の教職員組合がイデオロギー的立場に基づいて、「反国旗・国歌」運動を繰り広げ、教育現場は混乱した。
 だが、国旗・国歌法が制定され、今やすべての公立学校で、国旗が掲揚され、国歌が斉唱されている。起立や斉唱を拒否する教師の数も年々、減少傾向にある。
 子どもの手本となるべき教師が、入学・卒業式を厳粛な雰囲気で行うのは当たり前のことだ。」
(2011年1月29日 YOMIURI ONLINE)


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論理と民主主義に関して鍛えていない日本人の結論

2011年01月29日 01時29分08秒 | 教育を考える
 私には、この争点は「教員の思想ヶ信条の自由」よりも、学習内容として一律・強制的に特定の国家観を教え込んでいいのか、のほうがよりよいのだと思うのですが。
 どうも、裁判所は、上に行けば行くほど、権力の番犬になっていく傾向があるようです。
 ここで闘っている方々に敬意を表して。

「入学式や卒業式の君が代斉唱では日の丸を向き、立って歌うよう強制する東京都教委の通達や校長の命令は違法だとして、都立高校などの教職員とOBの計395人が都教委などを相手に、従う義務はないことの確認などを求めた訴訟の控訴審判決が28日、東京高裁であった。都築弘裁判長(三輪和雄裁判長が代読)は「通達は憲法に違反しない」と判断、義務がないと認めた一審東京地裁判決を取り消し、教職員らの請求を退けた。
 原告側は上告する方針を表明した。
 都築裁判長は通達について、「式典での国旗掲揚、国歌斉唱を指導すると定めた学習指導要領に基づいている。一方的な観念を子供に植え付ける教育を強制するものではない」と述べた。また、「全国の公立高では国旗掲揚、国歌斉唱が以前から広く実施されている。起立して斉唱しても、特定の思想を外部に表明するとは言えない」と指摘。憲法が保障する教育や思想良心の自由を侵害しないと判断した。
 原告側は通達違反を理由にした懲戒処分などの事前差し止めも求めたが、「訴訟要件を満たしていない」と訴えを却下した。
 判決によると、都教委は2003年10月、都立学校の校長に国旗掲揚、国歌斉唱やピアノ伴奏の実施方法を通達。校長の職務命令に従わなければ、服務上の責任を問うことを教職員に周知させた。」(時事通信) 

「1月28日午後1時すぎ、東京高裁(民事24部・都築弘裁判長/三輪和雄裁判長代読)で「君が代」強制をめぐる裁判の判決があった。原告は都の教職員395人。一審の難波判決(2006年9月21日)は、「教員には思想信条の自由があり国歌斉唱義務はない。都教委の強制は憲法違反」という画期的なもので、良心を貫く教員を鼓舞したものだった。しかし、この日の控訴審判決は無残なものだった。判決が伝えられると、裁判所前で待っていた約200人の原告・支援者の顔がこわばった。宮村原告団長はマイクを握り「すべて門前払いの内容。考えられる中で最悪の判決だ」と震える声で語った。ある支援者は裁判所に向かって「日本の裁判所は死んだのか!」と叫び続けた。」(レイバー日本)
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躍動する生命 「糞尿譚」

2011年01月29日 01時11分35秒 | 素人の劇評
1月28日(金)19:00 厳寒の夜
劇団俳小「糞尿譚」 池袋 東京芸術劇場

父と一緒に観て、語り明かしかった。
一緒に行ったT先生と同じ感想を持ちました。

勧善懲悪でもなく、ハッピーエンドでもなく、1人の正義の味方のヒーローが登場するでもなく、徹底的に人の裏表をさらけ出す。
学生時代に感動した「どん底」を思い出させてくれました。

2時間半と、休憩をはさむ長い劇なのですが、そのパワフルな演技に眠気も生じることなく見続けてしまいました。
ずっとこの劇団は、注目してきた劇団です。一番気に入っているのは、その「真摯さ」。

きっと興行的には厳しいのでしょうが、いつまでもがんばり続けてほしい劇団でもあります。
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土地の境界線なんて いい加減なもの!?

2011年01月27日 00時10分56秒 | わたしごと
建て替えている家の土地の境界線が変わりそうです。
今まで境界線だとばかり思っていたブロック塀が、じつはお隣さんの敷地にまで「越境していた」ようなのです。
お隣さん立ち会いで、土地を掘り返してみると、いままで確認できなかった「境界石」が出てきたからです。
それは、これまでのブロック塀よりも、私の家に約10cmも引っ込んだところだったのです。
私としては、どこに境界があろうと、はっきりすればそれでいいのですが、やっかいなことに、
もしこの境界が「確定」されると、今建て替えの家が、建坪率50%を越えてしまい、申請のやり直し、設計を変更させる可能性も出てきてしまったことです。

なんで、そんな越境塀が今まで、何も問題がなく存在していたことが不思議です。(お隣さんは、かなり厳格な方のようですし)
この塀は、私の父と私とが購入したときからあるもので、この塀が境界であることは、私たちにとっては「自明」のことでした。
お隣さんの「登記簿」にも、塀が境界線として描かれています。

ちょっとしたミステリー。

公図も、登記簿も、結局はいい加減なものであったのですね。

両家の子孫に「誤解」を残さないよう、きちんと話して、確認や公簿の変更を提案しようと考えています。
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ぎりぎりの人事異動

2011年01月24日 01時05分00秒 | 教育を考える
今年は、人事異動の内示が大幅に遅れるようだ・・・
そんな声が、どこからも「ヒソヒソと」聞こえてきます。

「第177通常国会は24日召集される。会期は6月22日までの150日間。参院で野党が多数を占める中、菅直人首相は2011年度予算案と、予算執行に必要な関連法案の年度内成立に全力を挙げる。」

このニュースの記事にもあるように、まだ来年度の予算が決まっていないからです。
「仕分け」され、生き残った小学校1年生の35人学級。それに伴う教員の増員、施設の改善などが、どのように決まるか、未確定。
それを受けて東京都が態度を決めるのですから、遅れるのは当然かもしれません。
算数や理科で加配されている「少人数指導」の担当を、横流しして、35人学級の増員分を「帳消しにしていまう」ことも十分考えられるので、なおさら現場がどうなるか、3月末ぎりぎりになることも想定内のことと思われます。

私も今年は「異動」に関係しているので、かなり気がかりです。
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日航パイロットの整理解雇に思う

2011年01月20日 23時46分19秒 | 奇妙な風景
 これは「しんぶん赤旗」からの引用ですが、私たちの未来は、いったいどのような社会を目指しているのか、暗澹たる思いになってしまいます。
 好景気のときには「いずれ来るであろう不景気に備えて、賃金の引き上げは控えめにしたい」、不景気ならなったで、「会社の維持のためには、賃金抑制、解雇もやむなし」。
 つまり、私たちにとっては、働いても働いても、「良き日」は訪れることはないのです。


「昨年12月末に日航を解雇となったパイロット81人と客室乗務員84人の165人のうち、88%が原告団に加わりました。東京地裁前には、原告団と支援者260人が参加。パイロットは模擬制服、客室乗務員は「沈まぬ太陽」をイメージしたオレンジのスカーフをまいて、労働者の権利を守り、安全最優先の日航再生を実現しようと宣伝しました。

 提訴後、都内でおこなわれた記者会見で、近村一也航空労組連絡会議長は、「更生会社は4要件を守らなくてもよいといわんばかりで、許しがたい。安全を支えてきた人を解雇し、安全文化を根底から覆すのか」と語りました。

 パイロットの山口宏弥原告団長は、「米国の圧力で、日航に113機のジャンボ機を買わせ、採算のとれない地方空港を乱造した国の責任を不問にしていいのか。日航は労働者をコストでしか考えず、安全や技術を軽視している」と訴えました。

 客室乗務員の内田妙子原告団長(日航キャビンクルーユニオン=CCU委員長)は、「原告団に参加できなかった人の思いも含めてたたかっていく」と表明。客室乗務員の原告には、JAL労組の組合員として解雇された2人(現在はCCU加入)も参加していることを報告しました。

 日航の人員削減は、会社本体の目標1500人に対し、すでに1700人が希望退職に応募。営業利益も当初年間目標の250億円に対し、昨年4月~11月に1460億円も収益を出しています。解雇の人選基準も、経験豊かなベテランや、航空身体検査など安全のため休職した人たちを対象とするなど不合理なものです。

 訴状ではこうした問題点を指摘し、整理解雇という強硬手段をとってまで人員削減をしなければならない理由は存在しないと主張。会社更生中の整理解雇であっても「4要件」を満たす必要があることを強調しています。」(1/20付)


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石原発言を追跡される方は

2011年01月18日 12時15分03秒 | あれこれと
すでにお知らせした、例の石原発言について、詳細を知りたい方は、こちらに。

まず、レイバーネットから、「石原都知事の同性愛者差別発言、なにが問題か?」の集会の様子。
http://www.labornetjp.org/news/2011/0114hokoku2

さらに詳しく知りたい方は、石原都知事の同性愛者差別発言に抗議する有志の会
まで訪問してください。
http://ishiharakougi.blog137.fc2.com/

残念ながら、私は熱が下がったら、あらためて・・・
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発熱!

2011年01月17日 03時11分42秒 | わたしごと
自分の時間のほとんどが、建設業者との交渉、次男の彼女の家との話し合い、二軒のクレーマーとの交渉、住宅資金の手続き、相続に関する手続き、以前父が融資を受けた信用金庫に眠っていた登記簿の抵当権の抹消に費やされて、仕事がたまる一方。
とうとう体と心が悲鳴をあげたようです。
思い切って休むしかないかなあ。
大人、親って、けっこう大変なものです。
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さて問題です

2011年01月16日 03時50分35秒 | あれこれと
次の発言は誰のものでしょう。
かなり難易度は低いので恐縮ですが。

「12月7日、3日の発言の真意を記者に問われて、
「(過去にサンフランシスコで)ゲイのパレードを見ましたけど、見てて本当に気の毒だと思った。男のペア、女のペアあるけど、どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」
(同性愛者のテレビ出演は)「それをことさら売り物にし、ショーアップして、テレビのどうのこうのにするってのは、外国じゃ例がないね」」

 1つ目はすでに紹介済み。

 そう東京都のトップに君臨(と、自分では思っている)、ある三流小説家、四流政治家です。

 この2つの発言、ふたつ目は賛成です。しかし、はじめの発言はいけない。
 「気の毒」の裏返しとして、「どこか・・・足りない」→奇妙だのあとは、「気の毒」か「変わったもの見たさ」とに分かれるからです。
 「気の毒」も以前書いたように、「上から目線」、「変わったもの見たさ」もそれとほとんど同根の発想ですから。
 「別にいいんじゃないの」といった発想から、テレビ番組批判は説得力がありますが、この方の批判はそうではありません。
 「変なものを見せるな」といった、根本的にずれたところからの目線なのです。


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報告

2011年01月16日 00時42分59秒 | わたしごと
味噌作りは、お母さん方の協力(5人)もあって、順調に終わりました。
あとは3ヶ月後のできあがりを待つ子供たちです。
それまでに、何回か「かび」の除去を行います。
本来は、大豆を栽培するところから始めないといけませんね。
「麹」も使用していたのだから、「発酵」の不思議も学習させたいと思います。
「発酵」=「腐る」と思っている子がほとんどです。
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手前味噌

2011年01月13日 07時56分24秒 | わたしごと
今日は味噌つくりに挑戦します。 詳細はあとでねo(^-^)o
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ちょっと我慢しすぎたかな

2011年01月12日 00時34分35秒 | わたしごと
家の建て替えに当たり、二軒の家主からクレームを受けています。
一軒は、すでに自分で作った塀がありながら、私の家にも塀を作れと要求しているもの。
譲歩して「じゃ補強する意味で作りましょう」と約束したら、次は「ブロックは○○mm以上のものにせよ」「水回りは十分か」「工事に立ち会わせろ」「工事をしている写真を出せ」と・・・

もう一軒は、南側の家の主人。「いやー、驚きましたよ。常識では考えられない」と電話。前の家よりぐっと、その家に近づいたことがいけないという。(もちろん建築基準は満たしている)
大地主さんで、私の家の南側に駐車場を持っていた方。当時は、南の面がひらけていて、日光が一日中当たる快適な家でしたが、数年経って、私の家に隣接してどーんと二階屋を建築。「小さく前にならえ」をしたような、私の家と彼の家。「花が好きと考えて40cmずらしたんですよ」とはいえ、それ以来日光からはほとんど縁のない我が家になってしまった。
それから約30年。
小さな40坪ちょっとの土地で、なんとか太陽をと、建物の隙間がある東南に、少しばかりの庭を作り、南西にはベランダを作って、(北に蓄熱装置を置くためもあって)少しでも快適に・・・と苦心して図面を引いたものでした。
しかし、そんな30年の日陰生活も、これからも太陽の恩恵をを精一杯受けることのないことも、彼には理解ではないのであろう。
彼にとっての「常識」は、「土地を余るほど持つ」彼の「常識」に過ぎない。

ちょっと「理解ある」主人になりすぎたかもしれない。

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騙されてはいけない もっと逼迫している

2011年01月11日 01時47分05秒 | 奇妙な風景
☆この調査はあくまでも平均値。けっして一般家庭を示していないことを認識していないと、ひどく焦り、失望・絶望する結果となる。

「総務省がまとめた2009年の全国消費実態調査で、単身世帯を除く1世帯当たりの貯蓄残高と負債残高が、いずれも1969年の調査開始以来初めて減少に転じた。景気後退で家計の収入が減り、貯蓄を取り崩したり、住宅購入を控えたりする動きが広がっているのが主な原因だ。

 この調査は5年に1回の大規模調査で、今回は09年9~11月、約5万7千世帯を対象に実施。その結果、単身世帯を除く1世帯当たりの貯蓄残高は、09年11月末時点で平均1521万円で、04年の前回調査時の1556万円から35万円(2.2%)減少した。世帯主の年代別にみても、全年代で減少しており、特に、雇用環境が厳しい30歳未満は10.8%減と、最も落ち込みが激しかった。

 一方、1世帯当たりの負債残高は平均543万円で、前回の584万円より41万円(7.0%)減少した。負債の大半を占める「住宅・土地のための負債」の残高が、前回より41万円(8.1%)少ない463万円に縮小。高齢世帯が住宅ローンの返済を進める一方で、若い世帯が住宅などの購入を控えている様子がうかがえる。

 実際、今回同時に調べた1世帯当たりの平均年収は656万円で、前回調査の701万円より45万円(6.4%)減少。総務省は「収入が減ったことで、家計には貯蓄に回す余裕も、新たな借金をする余裕もなくなってきている」と分析している。」(アサヒ・コム)

☆次の見方のほうが、私たちの実感に近いでしょうし、より世の中を正確に表していることと思います。

「現在は4世帯に1世帯、もしかしたら3世帯に1世帯が貯蓄ゼロになり、ギリギリの生活をしていることになります。しかし別の統計では日本人世帯の平均貯蓄額は1,400万円とも1,600万円とも言われています。あなたの家庭にはこれと同じくらいの貯蓄があるでしょうか・・・もちろんある人もいるでしょうが、無い人が多数のはずです。これはなぜでしょうか・・・それは平均という算出方法の盲点が原因です。
 上の図(すみません、掲載できません。想像してください)は各貯蓄額における世帯数のグラフです(拡大してみてください)。これによると貯蓄ゼロの世帯は1000世帯以上あるのですが、同時に貯蓄額が7000万円以上もある世帯もかなりいるのです。ここに平均の落とし穴があります。
 平均の算出法は簡単ですね。すべての数字を合計した数を合算した数で割ればいいのです。では仮に1億円もっている人が1人いて、残りの9人が貯蓄ゼロの場合、平均はいくらになるでしょうか?

(1億円+0+0+・・・+0)/10人 = 1,000万円 となります

なんと貯蓄ゼロの人が9人もいるのに平均は1,000万円にもなってしまうのです。これが平均の落とし穴なのです。かなりの世帯が貯蓄ゼロでも、1人だけとんでもない額の貯蓄をもっていれば平均が底上げされてしまうのです。このように今の日本では一部の勝ち組が何億、何十億円もの資産を保有しているので、例え貯蓄ゼロ世帯が増えようとも平均は1000万円を超えている結果になってしまいます。ハッキリ言って平均という数値ほどあてにならないものはありません。」
  (格差脱出研究所のHPより http://finalrich.com/sos/sos-economy-no-saving.html#4)




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