息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

「トランボ」 ディズニーは・・・? と考えながら

2017年01月28日 09時53分49秒 | 素人の劇評
観たいと思っていた「トランボ」が、池袋の新文芸座で封切りされていたので、先週に行ってきた。
マッカーシズムの時代。
国民を巻き込んだ赤狩りの時代。
映画界の脚本家、俳優など、「ハリウッド・テン」と呼ばれる「最注意人物」の中の1人であるトランボの苦難、苦悩、闘志の物語。

まず、このような内容自体が、アメリカにおいて「商業ベース」の乗ることの驚きだ。
国民の懐の深さ、大きさなのだろう。人権に対しては、日本よりもずっとずっとはるか先を行っているなと感じる。
日本でも、レッドバージを背景にした映画は、独立プロなどでは制作はされているが、メジャーではない。
人権感覚、民主主義の思想、その体現という意味では、日本は後進国だから。

「ローマの休日」にまつわる話は聞いてはいたが、映像になって改めて見ると、それがいかに困難を伴ってのことかよく分かる。
トランボの生き様は、並みのものではなく、私からすれば、スーバーヒーローとしての存在である。
不屈、といってしまえば一言で済んでしまうが、時代の重苦しさや周囲の圧力を思うと、筋を曲げないで生きていくことはまず「不可能」に近い。

「私がディズニーランドに行かないわけ」の記事にも書いたが、そういう点ではディズニーは、時代の波に抗することはできなかった人物である。
彼は「ノンポリ」に近いとの評論もあるが、自ら「チクリ」をしたことは、その言葉以上に浅はかな人間性を感じる。
時代が時代だけにしかたなかったという意見もあるだろう。今の感覚で、当時の行動を断罪するなという考えもあるだろう。
その時代、ディズニーは、もちろん自分が、後世にどう評価されるなどとは考えてはいなかっただろう。
「今」を必死に生き抜くことしか考えてはいなかっただろう。

今、私たちがやるべきことは、その時代の制約の中で、彼の行ったことが、現時点の私たちの「知恵」から見て、どこが進歩だったのかを発見し、どこが課題であったのかを「評価」することだと思う。
それなしに歴史の進歩はないし、人類の進歩もないと思えるから。
ディズニーも、トランボも、私たちにとっては「貴重な教材」なのである。

重い心で、しかし充実した気持ちで、劇場を出ることができた。
歓楽街に放り出された私に、痛いくらいの寒風が襲いかかってきたが、それすら心地よいものに思えた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつの間に!

2017年01月24日 08時43分12秒 | わたしごと
松方弘樹氏が亡くなったニュースを聞く。
特に贔屓していたとかというわけではないが、驚いたのは、彼が74歳だったこと。
やんちゃ顔の俳優だっただけに、なおさらの感が強い。

最近、あらゆる出来事が、ここ五年くらいに凝縮されているかのような錯覚に陥っている。
例えば、父が死んだのはもう30年近く前なのに、つい何年か前のことのように思い出される。
大学時代の、サークルで京都に行ったこと、北海道の一人旅、バーテンのバイト、あれこれと昨日のように鮮やかだ。40年も経つのに。

生まれてきて、約二万日。
その記憶、思い出は、曼荼羅になるのか、はたまた、斑になるのか。

私しか分からない記憶。誰も共有できないことが寂しい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

研究授業から学ぶ 雑感

2017年01月23日 09時18分39秒 | 教育を考える
今年は体育の研究発表があり、発表後も「それで終わりではなく、年度末まで研究を」という、校長の提案を受けて、三学期早々に私が授業を行った。
まあ、それはそれでよし。
迂闊ながら、この時期、6年生は受験の子がとっかえひっかえ休む。グループでの練習は、その都度調整しなくてはならない。さらに前日は高齢者擬似体験の学習。市の福祉課の担当や手伝いの保護者との交渉を、ほとんどひとりでこなす。さらに次の週に予定している、震災で被害を受けた熊本への募金活動の段取りを児童会の子どもたちとしなくてはならない。
授業の日まで、息もつけないくらいの忙しさで走り回る。
私自身、冷静に考えれば想定できたのに。

学んだことの第一は、状況判断を怠るべからず。
授業のプランは、最終的には授業者個人に帰結する。今回もしかり。ほとんど話し合いは皆無。私はそれなりに勉強にはなったが。

学んだことの第二は、体ほぐし、体つくり運動という分野は、新しい概念であり、まだまだしっかりとした論理的な枠組みがなされていないことがわかった。何冊も本を読んだが、そのほとんどが、学習指導要領の引用であり、なんら納得することがなかった。
これらは、器械運動、ボール運動などとどんな関係があるのか。
体ほぐしは、準備運動とどう違うのか。体を温め、馴らして運動の準備に入る従来のものとは何が異なるのか。柔軟性を高めるのであれば、それはトレーニングと言えるのではないのか。整理運動には使えないのか。
体つくり運動は、一般的なトレーニングと同義でないのか。技を追い求めないとするが、瞬発力、力強さ、柔軟性も、技があってのものではないのか。現に、私たちの研究授業では、この体つくり運動で、「コツを教え合おう」をメインにした展開をしている。

私は学べた。忙しかったが(笑)
こんな老いぼれではなく、若者が、もっともっと学ばないといかん。
しかし、それ以上に現場は過労死状態。みんなコピーですませている現実。
質の低下は著しい。残念だけど。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

したり顔に知性の無さが

2017年01月23日 08時36分36秒 | 言葉の勘違い
国会の中でプラカードを掲げても、何の意味もないと、得意満面で施政方針を説く安部首相の映像を見た。
確かにそうだ。彼からすれば、数の上からは勝負あり。いくらほざいても無駄。連日のデモや、署名などは、彼には主権者としての権利としては映らない。5月のハエ。
金儲けのためなら、武器や原発もセールスする。世界の中心で輝く国を目指すと言いながら、アメリカに盲従する姿勢。それでいながら、愛国を説く愚かさ、矛盾。

彼の実像は如何?
現実主義の政治屋なのか、はたまた自分の炸裂した思考にも気づかぬ、単なる愚か者なのか。
どちらにせよ、この人物に日本の舵取りを任せてはならない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界の中心になりたがる2人の指導者

2017年01月22日 07時26分39秒 | 教訓
 トランプは「アメリカ第一」に。
 安倍首相は「日本を世界の中心」に。

 論理からすれば、どちらかは無理なことになるのだが。
 現実的には、「日米同盟」を基軸とする、番犬たる日本のほうが敗北であろう。

 どちらもナショナリズムが優先されて「インター」の思想が欠如。

 この視点は、歴史的に淘汰されているものではないのか。

 哲学なき2人の行く末に、とめどない不安。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御用新聞記事を読む 慰安婦問題で

2017年01月15日 10時49分52秒 | こんなもの いらない
 やはり産経は立派に「御用新聞」としての役割を十二分に果たしている。
 久しぶりに、藤岡信勝氏の名前も見た。彼も権力の手先となって、頑張っているのだなと。

 慰安婦問題は、国家間の合意であり、それ自体が矛盾をはらんだ「合意」だった。安倍首相の、「金を払ったのだから」という言葉がはからずも本音を語っているように、形だけの解決、あとは不問に付すというものだから、本来の解決とは言えないのだ。「おわび」すらない解決に、「なかったことにしよう」とも取れるようなものに「解決」という名前は付与されない。
 「こんなことが繰り返されないように、互いに後世に語り継いでいこう」
 そんな解決法にならなかったことこそ問題なのだ。


 以下、威勢の良い産経の記事を引用しておく。こんな記事を載せることこそ、日本人として私は恥ずかしい。 

「慰安婦問題の解決を確認した日韓合意を一方的に破るような行為を、韓国側が連発している。「国家間の約束」をほごにする暴挙に対し、政府高官や識者だけでなく日本国民が激怒している。日韓関係は急速に冷え込みそうで、日韓通貨スワップの再開に、国民的理解は得られそうにない。

 「極めて遺憾だ」「国際条約の中で国家としてしっかり対応してほしい」

 菅義偉官房長官は4日夜、BSフジの「プライムニュース」に出演し、昨年12月28日に韓国・釜山の日本総領事館前に新たな慰安婦像が設置されたことについて、こう語った。静かな口調ながら、怒りがこもっていた。

 これだけではない。韓国内では一昨年末の日韓合意後も、慰安婦像の新設が続いており、歴史問題を蒸し返している。

 近現代史研究家の細谷清氏が、韓国メディアの報道を分析した結果、韓国には昨年秋時点で40体以上の慰安婦像があり、日韓合意後に最低15体も新たに設置していることが分かっている。
慰安婦問題を追及してきた拓殖大学の藤岡信勝客員教授は「日韓合意自体が問題だった。もはや韓国とは絶交すべきで、関係を持つべきではない」といい、続けた。

 「韓国側は合意自体、最初から守る気がなかった。韓国はこれまでも『歴史問題は終わった』といい、日本から援助を引き出してきた。だが、その約束が守られたことは一度もなかった。もはや『韓国には信義がなく、外交的な約束はできない』と思わざるを得ない。一方、韓国側は『日韓通貨スワップの再開』を求めている。仮に再び結んだら、日本は大きな犠牲を払う。韓国経済が破綻したとしても、それは自業自得だ」(産経新聞)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なにを今さら 教員の超過勤務

2017年01月15日 10時30分55秒 | 教育を考える
「週に60時間以上働く小中学校の先生の割合が70~80%に上ることが、全国の公立小中学校の教諭約4500人を対象にした連合のシンクタンク「連合総研」の調査でわかった。医師や建設業、製造業など他業種より格段に高い割合だ。特に運動部の顧問の先生は出勤が早く、午前7時前に出勤する人が15%いた。文部科学省も学校現場の負担減へ対策に乗り出している。

 調査は2015年12月、労働組合に入っているかに関係なく、公立小学校教諭2835人、中学校教諭の1700人を対象に実施。小学校1903人(回収率67%)、中学校1094人(同64%)が回答した。

 調査では、週あたりの労働時間を20時間未満から60時間以上まで5段階に分けた。小学校教諭で週60時間以上働いている割合は73%、中学校は87%。小中とも50時間未満の教諭はいなかった。単純には比較できないが、11年に労働政策研究・研修機構が調べた医師の40%を大きく上回ったほか、連合総研が16年に調査した建設業の13・7%、製造業の9・2%、運輸・情報通信業の9・0%を大きく上回っている。

 特に中学の運動部顧問の場合、午前7時以前に出勤する教諭が15%、午後9時以降に退勤する人は22%に上った。「必ず」「だいたい」毎日、家族全員と一緒に夕食をとるのは小学校39%、中学校33%で、民間企業労働者の52%を下回った。」

と、朝日新聞が伝えている。
 私にとっては「なにを今さら」の感。
 教務主任をしているころ、自分でどれくらい時間外の仕事をしているか調べたことがあったが、週で50時間を超える週もざら、30-40時間の超過が普通であった。
 上の調査では、「勤務時間」であるから、この計算方法で言えば、週100時間ということになる。
 そしてそれは、私のように「教務主任」だから特殊だということではなく、土日に学校に行くと、いつも何人かの同僚が「やり残した」仕事を抱えて「出勤」しているのだった。
 慢性的な超過勤務状態。

 「教頭」(東京では副校長)は、さらに雑務が多い。
 現任校でも、土日出勤の常連さんである。

 文科省も、都も、このような状況を無視するわけにはいかず、「多忙感」といった、気持ちの問題のような言葉でもって対処しているが、「やりようで効率化は図れる」程度の解決策でしかない。

 これでは、日常的に私たちがレベルアップするわけがない。私の学校でも、若い教員は、指導書と、コピペで毎日をしのいでいる様子で、創造性とはかけ離れた世界にいる。
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ささやかな永遠のはじまり」 盛田隆二

2017年01月10日 21時53分02秒 | こんな本を読みました
 彼の作品は好きなのに、この作品はどうも好きになれなかった。

 いわゆる「不倫」を扱った作品なのだが、主人公の女性が、やたらに「善人」すぎる。
 かつての婚約者に裏切られたことを、今度は自分がしているということを、この「善人」ぶりが帳消しにしてしまう印象。
 
 上司との関係が続く中で、「さて、どういう結末にしていくものか」と、心配していたところ、やはり、この上司の「死」によって幕引きとしてしまった。予想通りである。
 もっとどろどろとしたものにすることは、彼の作風にも合わない。
 最後は、「きれいに」決着、というわけである。

 きっと彼は、書きながら迷ったことだろう。
 いや、「こんな小説、書かなければよかった」と思いながら書き続けたのかもしれない。

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成人式 私は何を?

2017年01月09日 16時06分47秒 | 思い出を語る
街中で晴れ着姿が映えています
若いことは、それだけでも生命力に満ち溢れていて魅力的ですね
私は二十歳に何をしていたか。
う〜ん、思い出せないのです。

一浪したので、大学一年は19歳で成人の日。
つまり二年の正月。

もう新宿でバーテンのバイトをし始めた頃かもしれません。
学校とバイトとサークルの掛け持ち。かなり中途半端な生活をしていたような記憶です。

バイトのことは誰にも言わなかったから、なおさら、ちぐはぐな感じだったと思います。
そのころは、好きな子はいなかったはずだから、張り合いもなく、学校ではサークル室に入り浸り。
つまらない生活だったかも。

ただ、この3つの生活圏が、その後の私の人生を決めたことも事実です。

少しはblogで書きましたが、1000を越す記事の、どこに書いたか、もうわかりません。

blog、整理をしないと。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「幸福のとき」 そして「街の灯」

2017年01月07日 21時35分19秒 | 素人の劇評
立花座第2回公演
「幸福のとき」 東京芸術劇場 シアターウエスト
1/7(土) 13:00 星組

 「暖かい心でこの劇場からお帰りになる様」というパンフレットに書かれた主宰者あいさつの希望通り、
ほかほかとした気持ちで、池袋の街に解き放たれました。
 原作なのか、訳のせいなのか、役者の演技の質なのか、はたまた演出なのか、よくは分かりませんでしたが、始まったばかりの10分20分は、「なんて固い演技なんだ」「進行も荒っぽい」(工場主の言葉にいとも簡単に周りが信じたこと、小屋を逢い引き専門のホテルにして稼ぐところ、簡単に一目惚れする場面など)と思い、少し不安なスタートだなと案じていました。
 しかし劇が進むにつれ、その気がかりも払拭するくらいに劇中の世界に入りこんでいました。
 同時に、チャップリンの「街の灯」を思い浮かべました。
 
 20年前の北京が舞台とのこと。さしずめ日本では、昭和20年、30年代と重なるのでしょう。
 私が、物心ついたころのことです。池袋の街では、地下道に傷痍軍人がアコーディオンを奏でて募金を所望し、芸術劇場の脇には、闇市があって、伯母もその中でいて、生きるのに必死だったころ。
 隣り近所、知人、町ぐるみが、ともに「貧乏人」として括れた時代でした。だからこそ、みな、互いに底抜けに優しい。
 そんな頃だと思って観ればいいのだなと思いながら、展開を凝視していました。

 劇に登場する者達は、なんと優しいのだろう。もちろん「淫売婦」も、意地悪なその息子も。
 あからさまな悲観も楽観もないラストのシーンなのですが、「暖かな心」になったことは、この劇の、劇団の力によるものでしょう。

 どなたかも書いていましたが、子役は、みな好演技。今の子は、素晴らしい力を持っているのですね。

 役者のみなさんの「固さ」はあるものの、チームワークとポリシーは、しっかりと伝わってきました。

 今年最初に観た劇。素敵なものでよかった。

 
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

届いているだろうか 年賀状

2017年01月07日 01時12分16秒 | わたしごと
 年賀状の宛名をパソコンで入れている最中に、突然に宛名作成ソフトがフリーズしてしまった。
 いくら待ってもだめ。
 しかたなくパソコンを再起動することにした。
 
 宛名を入れていく際に、その都度こまめに保存していればよかったのだが、後の祭り。
 今年、誰に出したかの記録は、再起動とともに消えてなくなってしまった。

 できた年賀状は、その都度、おとなりのコンビニ前のポストに投函していたので、現物にあたって確かめることも不可能。

 しかたなく、
 「パソコンが凍ってしまい、誰に出したのか分からなくなってしまいました。もしかして、2通着いた家もあるかもしれません。その時は、
  年賀状のお年玉の当選確率が2倍となると思って喜んでください」
 と文を付け加えた。

 機械は、これだから何かが起こると、どうしようもなし。

 文明の利器に対しては、能力のない私にどうすることもできない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年賀状 しめて600枚 ほぼ完了

2017年01月04日 23時52分41秒 | わたしごと
 たくさん担任を繰り返すと、こんなにも多くなるものだ。
 600枚購入して、いま、あと10枚足らずの残り。
 2年続けて担任ということもあって、単純には計算できないが、ざっと30回別の子どもたちの担任となり、
1クラス35人くらいが平均だとすると、
 35×30
つまり700人の子を受け持ったことになる。

 もう音信不通になってしまっている子もいるが、半数前後の子とは年賀状で、最低年に1回は交信を続けていることになる。

 いまはっきり分かっているのでは、バイクの事故で死んでしまった子が1人だけ。
 私は25で教員となり、最初に6年生を持ったので、年齢差13。
 最初の教え子は50に届く年齢だ。

 きっと町で出会ったとしても分かるまい。(笑)

 みんなどうしているのだろう。

 早ければ、孫のいる「おじいさん」「おばあさん」もいるにちがいない。

 教室でギターを弾きながら、「きみのひとみは10万ボルト」(あれ、100万ボルトかも)を歌ったあの頃が懐かしい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日 東京にて

2017年01月03日 15時03分10秒 | わたしごと
中旬に私の研究授業。久々の体育。あの腕白坊主たちが生き生き動き回り、互いにアドバイスしあえるには、はてさてどうしたらいいもんじゃろうか。
今夜はその構想を練らないといけない。
あ、そうだ。
年賀状の残りと、来た賀状の整理をしないと。
読みたい本もたまってきたし。

やれるところから丁寧に。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「袴田事件 裁かれるのは我なり」

2017年01月02日 00時07分21秒 | こんな本を読みました
山平重樹 著 ちくま文庫

重い本を、元旦に読んでしまった。
袴田事件については、あれこれと読んできたが、第一審で、無罪を確信しながらも、不本意に死刑判決文を書くことになり、その後の人生を、後悔の念にかられたまま生き続けた裁判官がいたことは知らずにいた。
熊本典道氏。

袴田さんを死刑にしてしまった自責の念を抱きながらの人生。一方の袴田さんの、死刑確定後、いつ「絞首」の告知があるかと恐怖と、それに伴う錯乱の日々を送る理不尽な毎日。
どちらも残酷なものだ。

私の抱えていることなど、とるに足りないものとしか思えなくなりそうな重さだ。

この本では、再審の決定後の熊本氏について、なにも描かれてはいない。
彼はどうしているのだろうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちっぽけな星から 一匹の生き物が

2017年01月01日 00時32分50秒 | わたしごと
黄色い恒星をまわる、ちっぽけな第三惑星。
その夜の部分から、一匹の生き物が、宇宙を見上げている。
あと何十年もない寿命の、やや年老いたオスが。

降るほどの満天の星に向かい、焦点の定まらない目で、
「神様、私はいったいだれなのですか」
「私は、この星に何のために生まれてきたのですか」
と話しかけている。
むろん返事など期待もできない。

しかし、なおもその生き物は問い続ける。
「私は生きることに疲れてしまいました。自ら私の生死を決めることは罪なのでさょうか」
「私たちの仲間は、何十億もこの星にいるのですが、たがいにねたみ、憎しみ、争い続けているのです。そんなわれらに嫌気を覚えて、いまや絶望の域に達しています」

「孤独な生き物です。ただ死ぬのを待つのなら、今にでも私の存在をなくしたいのです」

130億光年の広がりの中の、哀しい孤独
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする