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息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

ノーサイド? 無理無理!

2011年08月30日 01時09分51秒 | あれこれと
「ノーサイド」
なかなかうまいことをおっしゃる。
んっ、しかし待てよ。
私には、どうも「みんなチャラにして・・・」というように聞こえるのだが。
だとしたら、いや、「わだかまりを捨てて、スタートラインにみんなでつこう」という、やや積極的な意味だとしても、
それははたして可能なことなのか。

野田氏は、明日から党首であり、首班指名されれば国の代表である。
明日からにも、党首として、国の代表として歩み始めるのである。

これまでの各派閥の温度差を、そこに流れる政策の違いを、どう「ノーサイド」にしてスタートさせるのだろうか。
それを本当に実現させるならば、すぐにでも、「グループの解散」と「個々の考えている政策をいったん捨てなさい」という指令を出さなければならないのではないのか。

「チャラ」ではなく、「これまでのわだかまりが、いかにして生じてしまったのか、徹底的に論議しようじゃないか」と党員、議員に向けて発する必要があるのではないのか。

これこそが、ドジョウのような「泥臭い」、しかし、国民に納得される方策だと思うのだが。

「とにかくノーサイド」として、形ばかりの再出発だとしたら、明日からでも、民主党は空中分解し始めることだろう。

残念ながら、これを期待すること自体、バカバカしくなってくる。
おそらく、「膿み」を抱えたままで、野田氏は歩み始めることだろう。

そして、かつての自民党同様に、派閥間の力学と、政権にしがみつきたい欲望とで、またしても国民に背を向け始めた政治活動を、何度も何度も繰り返すことだろう。

確信を持って・・・


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新聞記事は事実を伝えているか 読売の場合

2011年08月28日 21時48分13秒 | 教育を考える
さすがに「御用新聞」、読売の記事は読者をさりげなく「お上に従え」式の論調になっていることがよくわかる。
しかも、その不採択の経緯も、意図的に肝心なところを、あえて記事にしないなど、ペテンまがいのものでもある。(調査員の推薦になかった教科書が突如採択協議会で採択されたこと、「答申をそのまま承認するのが一般的」として、協議会の奇っ怪な採択については不問にしていることなど、さも不採択が「けしからん」ことをしているかのような印象を与えている)

あとに引用した、朝日、赤旗と、読み比べてほしい。


「沖縄県竹富町教育委員会は27日、来年度から使われる中学校の「公民」の教科書について、同町など周辺3市町でつくる八重山地区の採択協議会が選定した育鵬社版を採択しないことを決めた。
 採択協議会が選んだ教科書を教育委員会が不採択とするのは異例。石垣市、与那国町の他の2市町はすでに育鵬社版を採択している。教科書を無償とすることを定めた法律では、同じ地区内では同一の教科書を採択しなければならないと定めており、今後、県教委が指導する見通し。
 教科書採択は、現場の教師が務める調査員の意見を参考に、採択協が教科・種目ごとに選定し、関係する各市町教委に答申。各教委は答申をそのまま承認するのが一般的だ。
 しかし、3市町の教育長ら8人が委員を務める八重山地区の採択協は23日、「公民」については、7社の教科書から、調査員が推薦した東京書籍版などとは異なる育鵬社版を賛成多数で選定した。」(読売)

「沖縄県の竹富町教育委員会は27日、来春から中学校で使う公民教科書について、同町など3市町からなる「八重山採択地区」の協議会が選定した育鵬社版を「不採択」とし、かわりに東京書籍版を採択した。委員5人の全員が賛成した。石垣市や与那国町はすでに育鵬社版を採択しており、同一地区内で結論が割れる異例の事態になった。
 育鵬社版は「新しい歴史教科書をつくる会」を脱退した元会長らが編集に携わる。
 委員会が公民教科書の審議に入ったところで、委員の一人が「不採択」を求める緊急動機を提出。協議会が「参考」とした調査員3人の報告書で、育鵬社版は推薦されていない▽憲法9条の役割などがほとんど記述されていない――などを理由とした。」(朝日)


「沖縄県の竹富町教育委員会(竹盛洋一委員長)は27日、竹富町立中学校で今後4年間使用する教科書を採択する臨時会を開き、社会科「公民」は5委員全員一致で「つくる会」系の育鵬社版を不採択とし、東京書籍版を選びました。
 「公民」の審議が始まると、大田綾子委員が、先に採択地区協議会が答申した育鵬社版不採択の緊急動議を提出。(1)調査員の推薦に入っていない(2)原発の危険性に触れず安全性のみ強調、男女平等に一切触れないなど現代社会が抱える問題点を適切に取り上げていない―と指摘しました。進行役の委員長を除く全員が発言。育鵬社版不採択と東京書籍版の採択を全員一致で決めました。
 会議が休憩に入ると、それまで静かに見守っていた会場いっぱいの傍聴者から拍手がわき起こりました。会議終了に際し、竹盛委員長は、結果について「(採択地区協議会の)役員会で、県の指導のもと協議されるので見守りたい。町教育委員会は大きな問題をクリアしました。子どもたちのための教科書を選んだと自信を持っています」と語りました。
 傍聴していた仲山忠亨元教育長は、目をうるませながら、「良心を見る思いでした。主体性を発揮して、立派な教科書を選んでくれました。厳しいなかでの採択、本当によかった」と語りました。」(赤旗)




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安心感と緊張感

2011年08月28日 20時44分52秒 | 素人の劇評
8/27 14:00-
真夏の極東フェスティバル 「エダニク」王子小劇場

舞台装置は、みすぼらしい限り(あえて?)なのですが、それをもってしても、収穫ありの観劇でした。
台本、そして役者の演技力、この両輪がしっかりしていると、安心して劇の世界に浸ることができるものです。
今回は、そのどちらもが満足のいくものでした。

会話中心の劇、といってもいいのでしょうが、それを楽しむと同時に、いつ「爆発」するかもしれないという緊張感も一緒に体験することができて、あっという間に終わってしまった感がありました。
とりわけ、「沢村」役の原真さんの演技力に惹かれました。よどみない台詞を、ひとつひとつ抑揚を変えたり、間をとったりと、これこそ「プロだなあ」と思わせました。

場という舞台だけに、内容的に難しいところもあったことだと思います。ただ、その点については、意図的か、または無意識にか、さりげなく「流した」感じがしました。(「差別問題」が絶対ではありません)
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事実を隠蔽することが「愛国」ではない

2011年08月26日 01時44分22秒 | 教育を考える
しんぶん赤旗くらいにしか記事が載らない、この現実。
教育ほど、手がつけやすく、時の政権が「国民の賛意」を得ていじくりまわせる、しかも国民にはその「真意」がつかみにくいもののようです。
大阪の暴挙と同じように、「勢い」があれば突破できると踏んでいるかのような、今回の理不尽な動き。
戦場となった沖縄県での出来事だけに、なおさら失望と怒りを覚える。

「沖縄県石垣、竹富、与那3市町の中学校で2012年度から4年間使用する「公民」教科書について、23日開催の教科用図書八重山採択地区協議会(会長・玉津博克石垣市教育長)で「つくる会」系の育鵬社版教科書が選定されたことに、驚きと怒りが広がっています。社会科「歴史」は帝国書院でした。同協議会では「歴史」「公民」とも、調査員は「つくる会」系教科書は推薦しませんでしたが、協議会はこれらを選定対象に加え、無記名投票の結果、「公民」は育鵬社5人、東京書籍3人となりました。」

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たてつづけだけに

2011年08月23日 22時05分45秒 | わたしごと
学生時代に新宿でバーテンのアルバイトをしていたときに、大変お世話になった女性が亡くなりました。
私の勤めていたバーの隣のスナックで働いていたかたです。
先日のサークルの先輩に続いて、同年代で二人目。
周りから、少しずつ知人、親友が減ってきています。
生前に話をたくさんしておけばよかったと、連続の後悔です。
私ははたして、今話さなければならない人ときちんと話しているのか。否。
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スマートフォンを買ったのはいいけれど

2011年08月22日 23時43分03秒 | わたしごと
秋のような涼しい、ここ何日間です。
おそらくこのまま秋に突入することはないにしても、半袖が心許なく感じられる日々はありがたい。

携帯電話が壊れてしまい、急遽、母の家に向かう途中、豊橋のソフトバンク店で、新しい機種を購入しました。
流行に負けて、スマートフォンです。
ソフトバンクはiPhoneがウリなのでしょうが、ここはあえて国産のシャープ製を選択。
006SHという最新のものです。

よくよく考えたら、スマートフォンて、どんなもので、どんな機能があるのかさえ知らないで購入してしまいました。
まあ、パソコンの小さいのがスマートフォン・・・・でいいのかなあ?
まだ、通話とメールしか使用してないから、「豚に真珠」なのかもしれません。

さらに、携帯のときに使用していた「アラーム」や「カレンダー」も、どこを探しても見つからない。
きっとどこかにあるのでしょうが。

そこで、ガイドブックを買ってきました。
早く覚えないと・・・
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苦手な不条理劇に接して

2011年08月20日 23時43分13秒 | 素人の劇評
「「これは僕が神様になりたかったけれどなれなかった話で、僕の彼女が実は地球だったってオチが待っている話なわけで、あとやっぱりそんななかでも僕は普通の人間だったのだけどだけれど、だがしかし、同じ空の下でメルト、君とメルト、略してメルト」が正式名称。
劇団エリザベス。
8月20日 15時30分の部。 池袋シアターグリーン。

本公演はシアターグリーン学生芸術祭Vol.5参加作品。日本大学芸術学部代表としての本公演部門参加は、四年ぶりなのだそうです。

題名の長さからして、力のこもった思いが伝わってきます。しかも、それが不条理の劇と訊くと、かなり気合いを入れて劇場に足を運ばなくてはなりません。
いままで、不条理劇を観て、途中で帰ってきたか、または居眠りを決め込んで時間の経過をひたすら待つだけでしたから。

今回は・・・最後まで寝ずに見ることができました。
不条理劇は、こちらの感性で観るものでしょうから、なにが眠らせなかったのかなと考えました。
面白かった? いや、「ラブ・コメディ」といっていたにもかかわらず、「コメディ」として笑った場面は皆無だったと思います。ギャグもかなり俗的でしたし・・・
琴線にひっかかったものが・・・う~ん、これもどうか。言葉の豊潤さというものも、正直言ってあまり感じるものはなかったと思いました。
劇団の人には申し訳ないけれど、一番の理由は「体調がよかった」ことでしょう。(すみません)
俳優さんの演技は、それぞれが個性的で、それなりに見応えがあったこともありました。もっと「日常生活」を扱った脚本なら、それぞれの個性を活かした素敵な劇になるだけの力量があったと思いました。
舞台装置も、光の使い方が素敵でした。

私の感性が、未発達だったとも言えますね。
ただ、内容的には私の「常識」を覆すほどの「台詞」もなく、世俗の典型部分をオムニバス調にコントにしたようだったという印象。どうせ劇化するならば、徹底して冒険してほしかったと思いました。
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松本龍氏の「生き様」 大学時代を考える

2011年08月19日 01時18分51秒 | 奇妙な風景
「知恵を出したところは助けるけど、知恵を出さないやつは助けない。そのくらいの気持ちを持って。」
「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと、我々は何もしないぞ。ちゃんとやれ」(被災した漁港を集約するという県独自の計画に対して)
「お客さんが来る時は、自分が入ってからお客さんを呼べ。いいか、長幼の序がわかってる自衛隊ならそんなことやるぞ。わかった?」(応接室に村井知事が後から入ってきたことに対して。村井の前職は陸上自衛官)
上記発言に続けて、「今の最後の言葉はオフレコです。みなさん、いいですか、絶対『書いたらその社はもう終わり』だから」

 こんな発言を続けて、結局は復興担当相を解任された、福岡県選出の国会議員、松本龍氏。

 「マツモト」という響きにちょっと興味を持って、インターネットで調べてみると、私にとっては驚くことが、二つも出てきました。

 1つ目は、彼の養祖父は「解放の父」と呼ばれた松本治一郎。父は元参議院議員の松本英一であったことです。1948年、参議院初代副議長時代、天皇への「カニの横ばい」式拝謁を拒否した方です。これは「カニの横ばい拒否事件」と言われ、以後、非人間的な拝謁は廃止されたのです。そして、彼は解放同盟の副委員長を経験しているということも、(初めて知った)驚きと同時に「ああ、松本治一郎の孫ならあり得るだろうな」といった感想を持ちました。
 お祖父さんは有名な活動家です。ですから、今回の解任騒動も、「三世議員によくあるケース」といったくらいしかの感触を持つ程度でした。

 次に驚いたことは、彼の履歴です。
 1951年〈昭和26年〉5月17日 生まれ。そして中央大学法学部政治学科卒業とあります。
 彼が現役で入学したかはわかりませんが、少なくとも二年や三年は、法律学科の私と同じ敷地内で学業に励んでいたことになります。
 それがなんで驚いたかと言うと、彼はその大学生時代に、「未解放」「被差別」の問題に対して、どう考え、どう行動していたかです。
 当時の中央大学は、神田駿河台にあり、「空が四角に見える」と言われたほど、狭く仕切られた校舎と周辺の補助的な施設があったのみでした。サークル活動は、どの大学でもそうだったように、たくさんの「硬派」なものがまだたくさんあった時代です。
当時、大学紛争で解体した自治会を再建しようという動きも盛んだったころです。

 しかし、残念ながら、「りっぱな血を受け継いでいるはずの」松本龍君の名前は、私の知りうる限り、上のどの組織の活動の履歴の中からは出てきません。
 中大の部落研は、当時かなり学友に「目立つ」活動を行っており、「新歓の勧誘」では、先の狭い中庭南門近くに毎年陣取って、しきりに勧誘を繰り広げていました。また、中断していた学園祭「白門祭」の際には、「橋のない川」の上映を企画し、それを「差別だ」と糾弾するセクトや「解放研」と名乗る、一方のサークルから阻止行動を起こされています。ふだんにも、ビラによる啓蒙などの宣伝活動も、かなり活発だったと思います。

 このような大学に、おそらくは毎日通っていた彼だったでしょうから、一度や二度は、「部落研」や「自治会再建」の活動を知る機会は、あったことでしょう。(後者は、全クラスでクラス討論をして、再建委員を選べる条件のあるところは、進んで選出していますし)
 そんな中、彼はどのようなことを思い、どう行動したのでしょうか。

 前者なら、声をかける、質問するくらいの「興味」はなかったのでしょうか。
 後者なら、クラスの中心になって、討論を巻き起こすくらいの主体性はなかったのでしょうか。

 同じ民主党で、参議院議員、解放同盟中央書記長である、松岡徹氏のホームページで、松本氏と対談した記事が掲載されており、松本氏はこんなことを発言しています。

 「松本 全国の時代に同じ思いで日本で初めて民だとみずから名のり衆議院に立候補し、全国の兄弟姉妹の注視を浴びるなかで松本治一郎は当選した。私たちはなぜ、兄弟姉妹という絆で結ばれているのか。その原点に戻って考える必要がある。
 バブルを経験し、豊かさを経験し、「隣は何をやっているのかわからない」という現状にある。共同性の崩壊だ。そうしたなかで子どもの犯罪やドメスティックバイオレンスが出てくる。そういうものをなくすためにも、地域の絆、新しい共同性というものを創りあげていくことが重要だ。人間は一人では生きることができない。人は助け合わなければ生きていけない、ということだ。だからこそ、全国は結成されたのだし、一致団結して前にすすむ、ということを再度確認する必要がある。」(2005年1月 6日)

<政治家に訊く>といったインタビューでも、大学時代の思い出はほとんど皆無に近いようです。
「私自身も九州出身で、高校まで地元の学校に通っていました。そして高校卒業後は中央大学法学部に進みました。
 ─中央大学出身者は国会議員にたくさんいますね
 ここ数年で議員の入れ替わりが激しく、以前に比べて同窓生の数は減っているようです。」
                                    (2010年4月22日、《THE JOURNAL》}
 
 推測するに、学生時代は「ノンポリ」として、大学の自治活動にも参加せず(悪く言えば、無関心で)、父の、祖父の歩んだ社会問題に対しても、触れることなく、過ごしたということなのでしょうか。
 「その時は気がつかなかったが、今は頑張っている」といったことも、ままあることでしょうが、彼の最近の言動や出自を考えると、どうもそうではない可能性が高いのかもしれません。

 あくまで推測です。大学時代を知る方で、彼の「生き様」についての、私の「偏見」「先入観」を崩していただく情報をいただくことができれば、それはそれとして素直に謝罪するつもりています。




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未来を「ゴミ捨て場」にはさせない

2011年08月16日 22時03分25秒 | あれこれと
この大震災で、学校の教職員と子どもが、533人、死亡または行方不明。
福島、宮城、岩手だけで、25000人の子が、転校、または別の学校に「避難」して学校生活を送っています。

これから何十年も、自分の故郷に、自宅に、母校に帰ることができないということは、こどもたちにとって、どんなものか。
想像するだけでも、悲惨で、悲しく、切ないことです。

未来のこどもたちに、愚かにも同じことを繰り返さない社会を創りあげて、贈るためには、やはり「原発」は早急に廃炉にしないといけない。
制御できない廃棄物を、何十万年地下に格納して、未来を「ゴミ捨て場」にしてはならない。

現在の被害にも、未来のこどもたちにも、どちらにも責任をもたなければならない。
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呼び戻せるなら

2011年08月15日 08時59分23秒 | わたしごと
今日は敗戦記念日。
大正の最後の年に生まれた父は、敗戦をちょうど二十歳で迎えたことになる。
ああ、親子でありながら、その時の様子、父の思ったことを何も聞くことをしなかった。
『ばかな戦争だったよ』くらいはよく聞いたものだったが。
召集されて江ノ島に行ったこと、米軍の戦闘機の機関銃掃射に遭ったこと、断片的な事柄しか思い出せない。

今ならたくさん話せるのに、聞くことができるのにね。

戦争に繋がるものすべてを、さりげなく排除・固辞する知恵と勇気を。
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「モールス」 ホラー+純愛

2011年08月14日 23時54分11秒 | 素人の劇評
映画です。
「モールス」新宿で見てきました。

「雪の中を裸足で歩く少女と、たったひとりナイフを握り中庭の木に怒りをぶつける少年。少女に恋すること、それは文字通り命がけであり、まさに全身全霊を傾ける献身の愛を意味する。演じるのは『キック・アス』でブレイクしたクロエ・グレース・モレッツと『ザ・ロード』で鮮烈な印象を残したコディ・スミット=マクフィー。2人の優れたティーン俳優を主演に、『クローバーフィールド/HAKAISHA』で注目を集めたマッド・リーヴス監督がスウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』をリメイクした本作は、世界的に高い評価を得たオリジナル版に勝るとも劣らない傑作ホラーであり、同時に切なさ溢れる究極の恋愛映画に仕上がっている。」

見る前には、「ただのホラーなのでは・・・」と考えていましたが、なんのなんの、淡く、切なく、そしてほろ苦い余韻の残る映画でした。
「死なない」「死ねない」ということも、「死ぬ」こと以上に残酷なことなのだろう。

二人の若い俳優の好演もあって、めったに見ないジャンルの映画ながら、じゅうぶんに楽しむことができた。




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危ない教科書

2011年08月14日 01時00分46秒 | 教育を考える
とりわけ社会科の教科書で何を採択するかは、現在、きわめて政治的なものとなっています。
文科省の検定によって各社の教科書は「均等」「均一」と思われがちですが、けっしてそんなことはありません。
現在、検定によって、かなりの大事な部分を「去勢」された教科書と、過去・現在の「負の部分」を少しでも見えないようにさせようとする「愛国・拝外」教科書とが混在している状況です。

今月中に、中学校で来年度から使用される教科書の採択が、各地で行われています。

栃木県大田原市、東大阪市、東京都立学校、神奈川県藤沢市、東京都大田区、武蔵村山市、横浜市が育鵬社の歴史・公民。
東京都特別支援学校では自由社の公民。
これだけの自治体が、後者の教科書を選びました。

過去に目をつむり、歴史の真実から教訓を得ることをしない教科書から、こどもたちは何を学べばいいのでしょうか。
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父とタンゴ

2011年08月13日 02時35分28秒 | 思い出を語る
「ラジオ深夜便」で、コンチネンタルタンゴの「あおぞら」(「青空」でなく「碧空」だったと・・・)が流れています。
父は、タンゴのレコードを何枚か持っていて、中でもこの「あおぞら」が好きで、よく私も聴かされました。
他にも「小さな喫茶店」「真珠とり」(こんな名前だと思いますが)などをよく聴いていました。
家には、幼い私が踏んで板が軋んでいるギターがあり、それで「演歌」の伴奏をしていました。(「影を慕いて」だったと)
田舎で、本家のおじさんと、母方の「シゲゾーおじさん」たちと、バンドを組んでいたとも聞いていますから、当時の父はきっとモダンだったのでしょう。


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あれこれと

2011年08月11日 13時06分53秒 | わたしごと
杉並、奈良と、『排外的愛国』教科書は採択されず。当然ではあるが、その当然の結論に帰着しないところに日本の脆弱な民主主義がある。

牧歌的な理想主義者の菅さんは、政治家としては、あまりにも稚拙で憐れにも思えた。『思いつき』と指弾された一連の発言にこそ、彼の本音、よく言えば真骨頂があるのだが、雑多な寄せ集め政党では、それも果たせるほどの人脈やらカリスマ性もない。残念だが、彼には『市民運動で頑張る、人のいいおっちゃん』を在野を貫いたほうが、後世に不動の評価を得ただろう。

東日本大震災による津波が、南極の棚氷を破壊して、山手線内の面積に匹敵する氷山を誕生させたらしい。たかだか30センチの津波ながら、連続して押し寄せたために巨大な圧力になったとのこと。日本の被害だけでなく、海外、地球規模の影響にも目を向けないといけないな。

サッカーの日韓親善試合、久しぶりの快勝。香川の二つのゴールはともに、相手のゴール前に走り込み、切り込んでのシュート。『流れの中で』の典型的なものであった。体格的には恵まれない日本人だけに、連携と小回りの勝利。

一方の『なでしこ』だが、最終予選は11日間で5試合の過密日程。開催国の中国がすべてナイターだというのも納得がいかない。まだ暑さが残る九月一日からであるから、その計画、運営に憤りを覚える。
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平和記念資料館 企画展「生きる」

2011年08月10日 00時11分26秒 | あれこれと
広島の平和記念資料館で開催されている「生きる」を見ました。(7/15-12/14 入場無料 資料館地下一階)

「被爆者一人一人の人生を見つめ、原爆がもたらした被害の深刻さと、「生きる」ことについて考えてみませんか。」
パンフレットのはじめに書かれている文章です。

パネルに、肖像写真と、被爆の様子、その後歩んだ道のりについて、淡々と書かれてある展示を、ゆっくり、一人ずつ熟読しながら見て回りました。

「14万人が死亡」と聞いても、「ああ、東京ドーム満員にして三杯分なんだな」と、それだけでも尋常でない数字を意識するのですが、その一人一人が、原爆一つによっていかに「ねじ曲げられたのか」までは、なかなか感じることはできないでいました。

この展示された中の、畠中さん一家について、とりわけ胎内で被爆した百合子さんの「その後」には、最後の文を読み終えることができないほどの衝撃でした。

風化させない努力を、広島の人たちは続けているのですね。

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