息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

無節操な国民の作り方

2015年07月31日 03時56分40秒 | 教育を考える
真実から目をそらす育鵬社教科書
 自己顕示欲の強い人と時折出くわす。いかに自分には能力があるか、こんな有名人と仲が良い、認められている、周りの人間は低脳だらけで、自分の力を認められないでいる。
かわいそうな人だと思う。もしあなたに力があるのなら、そんなに主張しなくても、認められているだろうし、時間とともにあなたの力はみんなに伝わっていきますよ、と思ってしまう。
 そんな人に限って、自分のことで反省することがない。意図的にしたのではなく、結果的に迷惑をかけてしまったことにも気がつかない。
 そんな人物を書物に譬えてみると、この教科書がぴったりとあてはまる。

「ロシアの東アジアでの軍備増強をこのまま認めれば、わが国は存立の危機をむかえる・・・」
つまり、ロシアが元凶?
「日本軍の勝利に、東南アジアやインドの人々は独立への希望を強くいだきました。」
「アジアの解放をかかげた日本は敗れたがアジアは植民地から解放され、独立を達成した。」
アジアの独立は、日本の遺産として達成された?
「国があなたのために何をしてくれるかを問うのではなく、あなたが国のために何ができるかを問おう・・・公民は、このように自分を社会などの公の一員として考え、公のために行動できる人のことをいいます。」
「憲法は、権利の主張、自由の追求が他人への迷惑や、過剰な私利私欲の追求に陥らないように、また社会の秩序を混乱させたり社会全体の利益をそこなわないように戒めています。」
 あなたは国のために尽くす一員であり、権利を主張する前に、義務を果たしなさい。あなたの生活している日本という国は、昔からとてもすばらしい国なのだから。
 一貫してこんな調子だ。
 先の人物が、誰からも相手にされず、疎んじられているのと同様に、こんな教科書は「百害あって一利なし」である。

 栃木の大田原市、東京都、大阪市河内長野市、四条畷市、東大阪市、神奈川県藤沢市などが、育鵬社の歴史、または公民の教科書を採択したらしい。

 現在審議されている「戦争法案」を、下から支えるものだ。

 すでに教育の現場では、「メーデー」という言葉すら「聞いたこともない」という若者が教壇に立つ時代となってきている。
 「そんな政治的なことはわかりません」「署名? ちょっと怖いです」「日教組って、政治のことばかり言っていて、現場を混乱ばかりしてきた団体ですよね」「日本人なんだから、君が代を堂々と歌えないのは、もう日本人としては失格じゃないですか」
 現実に私が聞いた言葉である。

 一億洗脳化のためのバイブルを使って、子どもたちを偏見と虚構に満ちたものにしてはいけない。

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「抱く女」 桐野夏生 同世代として

2015年07月30日 00時00分43秒 | こんな本を読みました
「抱く女」桐野夏生 新潮社
 帯に「著者渾身の傑作小説」とあり、「1972年、吉祥寺、ジャズ喫茶、学生運動。
女性が行きづらかった時代に、切実に自分の居場所を探し求める20歳の直子。」「この主人公は私自身だ。」とある。
 桐野さんは1951年生まれ、私は1953年。まあ、同じ時代の空気を吸ってきたと言ってもいいだろう。まして、彼女は飾る文章ではなく、もっと人間の本性やら欲望やらをオブラートにくるむことがない作風だと思えたから、なおさら期待をして読んでみた。
そして久しぶりの一気読み。朝読み始めて、夕方には読了。

 白石一文という小説家がいる。彼の小説は、ヒューマニズムに溢れ、それでいて人の弱さ(自分の欲望に対する姿勢)にも深く言及する作風として、ずっと注目している作家である。その小説群で、いつも残念でならないことが、「時代の描き方」である。
 彼の小説で、時間を経てもなお欠落しているものだと思っているものだ。それは、その時代と登場人物とが、遊離・乖離・分離していることだ。人物の生き様や日常に、その時代が入り込んでいない。彼は、かなり意識して、その時々の事件や出来事を小説の中に挿入して描いてみせるのだが、「とってつけた」という言葉が1番合うのだが、ただの飾り物にしか感じられないのである。だから、彼の小説は、「人物の動き・感情」と「歴史年表」とが二本立てになる。歴史は、人物からは一線を画したエピソードなのだ。
 いつもこれが不満なのであるが、彼の作風は私を満足させてはくれない。いまだに。

 さて、「抱く女」。直子の目から見た時代は、いったいどんなふうに描かれているのだろうと、期待して一気に読み終えてしまったのだが、私には何も、その時代性が伝わってこなかった。もちろん、帯に書かれている、ジャズ喫茶も、学生運動、セクトの対立、雀荘、バイト・・・も小説の中に出てくることは出てくる。「大学でいったい何を学ぶのか」といった課題も提示はされている。しかし、ただそれだけなのだ。それが、彼女の中でどう反映し、どういった葛藤をし、学生生活や考え(思想)に血肉化されていくのかなどは、微塵も描かれていないのである。かろうじて、彼女の友人の元恋人、彼女の兄がセクトに入り、自死を選択したり、内ゲバに遭ったりするという箇所はあるが、その描写も薄っぺらなものだ。ここでも時代は「エピソード」なのだ。
 桐野さんなりの時代のとらえ方なのだろうとも思う。また、誤解を恐れずに言えば、桐野さんは、ただその時代を意識することもなく、流されてきただけなのだろう。
 だから、時代のトピックとも絡み合えないでいるのだ。
 尻が青いなりに、「同じ方向を見るのが恋愛か、見つめ合うのが恋愛か」「セクトの抗争は必然なのか」「プチプルの私たちが革命の担い手になれるのか」「反帝・反スタは、市民に理解を得られるのか」「共産党の躍進でどう社会は変わるのか」「中ピ連は一過性のものなのか」「経営者になってマルクス主義に目覚めたらどうすればいいのか」「利潤を求めない社会って実現可能か」「自他ともに愛することができるのだろうか」「学生時代に、つまらない講義ばかりを受けて、本来の意味で学問をしていると言えるのか」「解体している自治会の再建は意義のあることか」「同時に2人の女性を愛してしまったが、これは許されないのか。あり得ないのか。」「日本に革命は起こるのか。」「組織は常に腐敗するのか」「社会主義ではギャンブルをどうとらえるのか」
 こんなことを、喫茶店で、サークル室で議論していたころがなつかしいし、私にとっては、当時の「小選挙区制導入のたくらみ」や「学費値上げ」などに反対する運動そのものが「日常」であった。
 私と同じ体験をしていないからダメだと言っているわけではない。桐野さんの描く「時代」も、彼女にとって真実なのだろう。ただ、せめて小説では、桐野さんが挿入した「時代」の何かに正面から向き合って、それを掘り下げてほしかった。
 彼女の小説は、「生」と「性」に貪欲な人物が多い(と思う)。だからこそ、だからこそ、それと時代とを絡みつけてほしかった。
 真面目に、一生懸命に生きてきすぎてきたのかなあ、だから物足りなく感じるのかなと、同時代の小説家に寂しさを覚えた。
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この国の指導者は これほどにも堕落したのか

2015年07月29日 14時46分49秒 | 教訓
「従来の憲法解釈との法的安定性を欠くなどという形式議論に終始しているのは国家にとって有益ではない」

磯崎首相補佐官のホームページである。
つまり、くだらぬ解釈論議をするよりも、国家は臨機応変に立ち回るほうが、ずっと国のためになる、とか。

まあ、それが本音なんだろうと思う。

グダグダくだらない論議なんかするんじゃねえ。
日本の国家にとって何が必要で俺たちが決めてやるのがベストなんだ。

驕りたかぶり、国民を蔑視した、お偉いさんの下劣な頭脳が垣間見ることのできる内容だ。

法を無視して、その時々の指導者が、都合のいい解釈で、国政を左右する。
この考えが破綻していることは、すでに歴史が証明しているのではないのか。

彼をタイムマシンに乗せて、昭和10年代の日本に招待したいものだ。

傲慢で、品性を欠いた政治家も高官が、この日本を動かしていると思うと、「亡国」という言葉が、すぐに出てくる。
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創価学会のみなさんへ

2015年07月29日 11時29分17秒 | 教訓
宗教のことは、よくわかりませんが。
創価学会のことも、従兄弟に熱心なのがいるくらいで、詳しく知っているわけでもありませんが。
たしか、二代目のの戸田さんは、戦争に反対して獄中の生活を余儀なくされたのでは?
私が大学生のころは、貧しいものの味方、平和を希求する政党としてのイメージが公明党にはありました。
いつから、あなた方の支持する党が、このように権力の手先のようになってしまったのでしょうか。

わからないことだらけで、創価学会のホームページを開いてみました。「創価学会について」を開けてみると、日蓮上人の「自分の幸福を願うならば、まず周囲の平和を祈るべきである」という言葉。さらにそれに引き続いて「個人の幸せは世界の平和、安穏なくしてありえない」とあります。万人の幸福、世界の平和、これが創価学会の根本の目標だとのこと。
崇高な理念です。

私の勘違いで、初代会長の牧口さんも、治安維持法違反、不敬罪容疑で投獄されています。戸田さんも然り。創価学会は、言論、思想統制をはかる国家権力と闘ってきた歴史があるのですね。

そんな創価学会を基盤にした公明党が、殺し、殺されるリスクをはらんだ、しかも憲法違反の法案の成立に手を貸していることに、とても違和感を覚えます。

いったん武器を使ってしまうと、争いは自国の正当性ばかり主張しあい、泥沼化し、さらにはたくさんの尊い命が奪われる(または奪う)ことになります。

学会のみなさん、組織がいったん、ある方向に進み始めると、それを是正することは、ひどく難儀で困難なことは承知です。
しかし、今、ここで声をあげなければ、日本はとんでもない禍根を残すことに、学会の歴史にも大きな汚点を残すことにはなりませんか?

どうか、学会で、また公明党に向けて、異議申し立てをしてください。
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むかしむかし 英雄となった総理大臣がいた

2015年07月28日 11時37分20秒 | あれこれと
みんなの学校に建てられている、あの石像。みなさんはきっと、どんな人の像か知らないと思いますが、校長先生が少し時間をとってお話することにいたしましょう。
あのお方はと~っても偉い方。
日本の総理大臣になられた方です。しかも普通の総理大臣ではない。
日本の国、いや世界に平和をもたらした方なのです。
この方は、日本が世界大戦で敗れたこと、そしてそのあとも、国民が少しも、その戦争の教訓を汲み取ることなく、毎日の楽しさぱかりを追い求めていることを、大変嘆いておられました。
このままでは、またもや日本は他国を侵略して、自分の国だけを利する、堕落した国になってしまう。なんとしてもそれを国民に知らせなくてはならない。積極的に平和を作り上げる国にしなければならないと、いつもいつも考えていたのでした。
しかし、それはとても難しいことです。
彼にはお祖父さんが総理大臣だったという経歴はあるのですが、それがなにになるのでしょう。
考えて考えて考え抜いたあげく、彼は、人生をかけて国を変える妙案を思いつきました。この考えは、自分の人生を犠牲にすることです。
さっそく実行開始です。
彼は、さっきも話したように、祖父が総理大臣だということを利用して、また努力も重ねて、日本の総理大臣に上り詰めることができました。
さて、大変だったことは、それからです。自分の周りには、戦争好きで、口の軽い人を侍らせ、さらに、日本が世界中で戦争ができるような法律を国会に、国民に提案しました。
あとは、彼の苦渋の演技が始まります。
この法律を通すために、昔の裁判の判決を出してきたり、政治家の判断でいかようにも戦争に参加することができるのだという答弁をしたのです。賢い彼です。計算通り、国民から猛烈な反対の意見が出されました。
アンポ反対って聞いたことないでしょうねえ。このときより、もっと昔に、ものすごい国民の運動、あ、体育じゃないです、があったのですが、それに匹敵するくらいの反対の運動がわき起こったのです。いままで政治に関心の薄かった若者まで、毎日のように国会を取り囲みました。テレビや新聞でも、この法律は戦争を防ぐのではなく、かえって人を殺し、殺される関係を作り出すものだとして、連日報道されました。
彼もまた頑張ります。「今、反対しても、いずれは、これでよかったと思える時が絶対にきます」「これしかない、私の信念です」と一歩も引きません。このころは、与党の議員さんたちも、自分のことしか考えない、堕落した政治家ばかりでしたから、誰も何も言いません。
彼の思惑通り、この法案は国会で、多数決により、法律として成立してしまいました。
彼は満足した顔をして、周りの取り巻きと握手をしました。
このときには、新聞社の世論調査では、彼を支持する国民が、世論調査史上初の0、7%にまで下がっていました。
これでよかったのだ。彼はこの法律の成立後、議会を解散して、自らは立候補しない旨を明かします。
このあとの展開は、教科書にも載っていますから、だいたいのことを知っている人もいるかもしれませんね。
彼のいた政党は、選挙で1議席も当選するとこなく、消滅してしまいました。
国民は、平和を願う市民団体、文化人、学者、政党などが結集して、すべての選挙区に、「前の国会で成立した戦争法案を廃止するためだけの公約をもった候補者」を一人だけたてて戦ったのです。
私も涙が出るくらいに感激しましたが、すべての選挙区で当選。
選挙後の国会で、先の法律が、衆議院、参議院ともに、満場一致で法律をなくすことができたのです。
議員さんは、互いに抱き合い、握手をしあい、それはそれはすばらしい光景でした。
そして議員さんは、全員が議員を辞職して、また自分の仕事にもどっていきました。

さて、あの総理大臣。
彼もきっと国会の中継を見ながら、満足して涙していたにちがいありません。
あれだけ憎まれ、そして法律が成立したあとには、何も言わずに去っていった方なのですから。
もう国民は愚かではありません。
賢くもなり、平和を取り戻し、悪徳代官のような議員も排除することができたことは、自分が汚名を着せられ、罵倒され続けてきた彼のおかげだということは、容易に想像がついたのです。
彼にノーベル賞を、国民栄誉賞を、また総理大臣に、そんな声もたくさんあがりましたが、彼はそれに応じることはなく、一介の市民として普通に生きることを選択したのです。どこに今住んでいて、何をしているのかすら、だれにもわからないのです。

彼の自分の一生をかけた名演技によって、今の日本。つまりどこの国も敵にすることなく、どの国とも仲良くする。国と国との争いごとは、けっして武力で解決しない。話し合いを何度も何度も、粘り強く行って解決していく、そんな国にすることができたのです。
まあ、みなさんはこれが当たり前のこととして考えているし、いまや全世界の人たちが、このような約束でもって、平和な世界を保っているのですが、ちょっと前までは、戦争の起こらない年はないくらい、人と人とが殺し合う歴史を歩んできたのです。

この石像は、国民が贈った感謝の気持ちです。これすら、彼はいりませんと断っていたのですから、ちょっと押しつけがましかったのかもしれません。

ごめんなさい、校長先生は、涙が出てきてしまいました。
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安倍首相 「沖縄 うりずんの雨」を見て涙

2015年07月27日 16時18分59秒 | 教訓
なんてことは、太陽が西から上るくらいの確率でないでしょう。
岩波ホールに行ってきました。もちろん安倍さんの姿はありませんでした。
沖縄の歴史は、そのまま今の戦争法案につながってきます。映画の中には、アメリカ側から撮影されたものが多数使われており、それを見るだけでも、戦争の惨たらしさが伝わってきます。(沖縄戦で犠牲になった兵士や住民の死体が、抑えているとはいえかなりの数出てきます)
「沖縄は捨て石」という表現がでてきますが、まさに、その言葉こそが沖縄の歴史であり続けているのです。
同じ構図は、原発にも共通するものです。
今回の法案が通れば、「敵」からすれば、沖縄の基地がより重要なターゲットになります。また同じことの繰り返し。
「国のため」と、夥しい血を流し、命を捧げてきた沖縄の人々の悲願が、また無視されることになりかねないのです。
本土に住む日本人という考えは、別の余分な対立を呼び起こしそうですが、支配層は、そろそろ目覚めないといけない。
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批判ばかりしないでよ と言われますが

2015年07月27日 09時58分16秒 | 教訓
やはり出た、この論理。
昨日のNHK日曜討論で、稲田政調会長が何度も繰り返して言い張っていた言葉。
「対案を出さず批判ばかりするのは無責任だ」

批判ばかり、なんでも反対
与党がよく使う言葉だ。
たしかにそうだ。今回の戦争法案では批判ばかりだから。
しかし、それが果たして無責任なのか?

誰かと同様に、例えばなしで考えてみよう(笑)
奥さんが、とんでもない金額のダイヤの指輪を買ってきた。
「えっ、本気?こんなの買ってきたら、明日から生活ができなくなるよ。だめだよ、今すぐに返してきなさい。」
「あなたは何でも私のやることなすことにケチをつけるのね。そんなに言うなら、もっと私が納得できる指輪を買ってきなさいよ。いつも反対ばっかりなんだから、もう?」
やはり例えばなしは難しいものです。
買うこと自体にNo。すべてチャラにして、もとに戻せというのが対案なのですから、新しくダイヤを選んで呈示するわけではないのです。
戦争法案では、廃案にすることが対案。
武器を銃から刀にしろとか、後方支援の仕方を少し手直ししましょう、そんな対案はさらさら提案できるものではなく、憲法に反する、殺す、殺される事態を招くような、そんな法案を廃することを対案として求めているのです。

稲田さんの論理は、揚げ足とりでしかなく、残念ながらあなたの品性と知性が欠如していることをあらわにしてしまいました。
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おかしなおかしなおかしな教科書採択

2015年07月26日 08時39分22秒 | 教育を考える
次の東京新聞の記事を読んでいただきたい。
なにかおかしなことが見つかりませんか?

「東京都教育委員会は二十三日、都立の中学校や特別支援学校中学部が来年度から使う歴史と公民の教科書に、「新しい歴史教科書をつくる会」の流れをくむ育鵬社版を選んだ。同社は、つくる会に協力していた扶桑社の子会社で、扶桑社版などの教科書も含めると、二〇〇一年から五回連続での採択となった。
育鵬社の歴史、公民教科書は、都立中や中高一貫校など十校と、点字本が必要な視覚障害を除く都立特別支援学校(聴覚障害、肢体不自由・病弱)二十一校で、一六年度から四年間使われる。採択は無記名投票で行われ、教育長と教育委員の計六人のうち四人が育鵬社版、二人は別の教科書に投票した。
都立中などの教科書選定では、つくる会に賛同して教育改革を目指した石原慎太郎元知事が一九九九年に初当選し、〇四年に都教委の六人全員が石原知事の任命した委員になって以降、都立の中学や特別支援学校で扶桑社などの教科書の採択が続いた。
一二年には猪瀬直樹前知事、一四年には舛添要一知事が就任し、教育委員のうち石原元知事が任命した委員は二人に減っている。
委員会後に取材に応じた中井敬三教育長は「採択理由は各委員から聞き取りをして、一カ月後に都教委のホームページに載せる」と話した。
都教職員組合の木下雅英書記長は「現場の教職員の声を聞いて選んだのか、子どもたちにとって本当によい教科書なのか」と、採択結果に疑問を呈した。」

別のホームページで、採択時の委員会の様子をうかがうと、この委員会で、なにも論議することなく採択されたとのこと。

「検定済み教科書発行者一覧の中から無記名投票により、学校ごと、教科ごとに教科書を採択するということでお願いしたい」と、指導部長より採択の方法について提案がされた。都教委が各学校の教育目標に照らして作成し、選定審議会が承認した「教科書採択資料」(学校ごと、教科ごと。以下、「資料」という)が事前に配布され、それを参考にして各教育委員は投票をしたようだ。

無記名投票については、「都教委の考え、判断によるのであって、それを定める法令はない」とのこと(乙武委員の質問への回答)。

「資料」には、記述内容についての調査項目ごとに、その教科書が取り上げた箇所数を数え、数を記すとともに、数の最も多い発行者には☆印を4つ、数が少なくなるにしたがって☆を少なくし4段階で表示している(下欄は立川国際中等学校の歴史の調査結果の一部。箇所数は、2段目から略した)。「☆印の表記は、教科書の優劣を判断したものではなく」とただし書きがあるが、投票結果を見ると、教育委員が☆印を見て投票したことは歴然としている(教育委員が膨大な時間を使って、全ての教科書を読んだとも考えにくい)。」(レイバーネットより)

日本の文化・伝統を扱っている箇所数
歴史上の人物を取り上げている箇所数
国際関係・文化交流を取り上げている箇所数
神話や伝承を知り、…資料数

こんな観点でまとめた一覧表が配られ、数字が記されている。恣意的なもに思える、これは育鵬社版の点数が1位だ。

論議もされず、採択理由はあとから委員に聞いてまとめるという。
結論が先にあって、理由はあとから考える。
こんな話し合い、小学校でもしない。
無責任極まるものだ。
委員は、なぜ黙っているのだろう。都の、国のロボットなのか。
山口さんも、乙武さんも、もっともっと勉強するか、勇気を持つかしてほしい。
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安倍首相 ありがとう

2015年07月25日 18時40分36秒 | わたしごと
感謝状やファンレターと思ったのですが、住所もメルアドも知りません。首相官邸、でもたぶん着くに違いないのですが、このご時世、カミソリの刃でも入ったものだと勘違いされても困ります。
ひそかに、ここだけで感謝の気持ちを綴っていこうと思います、

まず最初に、安倍首相。だいぶ支持される方が減ってきましたが、どうか、どうか、いましばらく首相をお辞めにならないでいてください。党内の不満勢力も、ますます勢いを増してくることも予想するに難くないのですが、いままで通り、あなたの真っ直ぐな政治姿勢を貫いてください。がんばってください。

これから述べる感謝の言葉は、きりがないほど私の胸の中に蓄えられています。
子どもは親の背中を見て育つと言われますが、国民はずっと安倍首相の背中と言わず、その時々の発言、表情、振舞いを、凝視してきました。そして、その都度、その都度、あなたは私たちにかけがえのない、貴重な「教え」を与えてくれました。

あなたはこれまでの歴代首相の中で、抜きん出たオーラを感じさせます。
ですから、それを妬んだ敵を作ることも多かったことでしょう。よくぞ耐えたものです。

さて、私が感謝すべきこと。

その1つ目は、なんと言っても「憲法」の重みを再認識させたくれたことです。中でも9条。すなおに読めば、日本は戦わない、武装しないという意味の条文ですが、あなたの先輩たちによって、それがいつのまにか、自衛隊という軍隊を持つようになり、自衛権は「集団的」も可能に成り下がってしまいました。しかしあなたは、憲法を変えることはせずに、憲法解釈を変えることでここまでやりくりしてきました。すばらしい策略です。
それによって私たちは、憲法がどれほど国民に定着しているかを、改めて認識させられたのです。権力者をもってしても憲法は、なかなか変えることはできないものだ。それをあなたから学んだのでした。

2つ目は、言葉の便利さと怖さについてです。
 オリンピック誘致の際の「コントロールされています」などという、勇気ある大胆な発言。あなたは、ことあるごとに、事実と「希望的観測」とを、織り交ぜながら、実に効果的な発言を繰り返してきました。
「早く質問しなよ」とか「日教組!」などのヤジを始めとして、「これしかない」「絶対にありえません」などの断定的な力強い意見をたびたび国会で答弁されました。これを見ていた子ども達は、「ああ、政治家に、総理大臣になるのはかんたんなことなんだ」と勇気づけられたにちがいありません。政治的無関心の広がる国民にあって、若い世代が「軽い気持ち」で政治に関心をもち、そして参加するハードルをぐーんと下げてくれたのです。
 そしてなによりも、こんな嘘やでたらめな発言を繰り返していると、やがて支持を失っていくものだという、健全な真理をも教えてくれました。

3つ目は、国民に対しての冷静、いや冷徹な見方についてです。新国立競技場の白紙撤回は、世論がというよりも、自分の地位があぶないと判断しての英断でしょう。実にすばらしい判断です。そして、一方では安保法案、沖縄、原発などは、世論を顧みようとせずにまっしぐら。爽快な姿勢でもあります。
信念があれば、たとえだれが反対しようとしても、世論が反対したとしても、我が道を貫き通す。立派です。
私たちは、あなたによって、「ああ、独裁者とはこんな人のことを指すのか」「こんな政治家こそ、あってはならない希少価値的政治家」と学び続けているのです。サンプルとしての存在価値。感謝に絶えません。

4つ目。愛国心についても、あなたから数々の示唆をいただきました。
もともとあなたは、「憲法は押しつけられたもの」「強い日本を作る」といった、それこそ日本を世界に冠たる国になさろうとする愛国者だったはず。それが、アメリカに行っては、「あなたの手先、番犬になります」「同盟を強固にしていきましょう」と、あえて頭を下げていました。すてきな二枚舌。
内心、忸怩たる思いだったに違いありません。
この相矛盾する態度が、ふだん「愛国心を強気で叫んでいるものほど、信用できない」という教訓を、私たちに与えてくれました。

5つ目。同調するものだけを珍重する、寵愛するあなたから学べることです。
残念ながら、あなたのお友達には「人格者」「知性的な人物」は皆無のようで、なんともお気の毒です。失言、暴言があとをたたないことは、同情に値するものです。意見の違うものには耳を貸さず、近い意見を持つものだけと親密におつきあいするという生き方からは、民主的で、器の大きな人物は育つことはないということを勉強しました。
類は友を呼びますが、それだけでは友とは言えず、ただの野合の塊のままなのですね。
異なる意見を交わすことなく、相手の意見に聞く耳を持たないものは、やがてその「友」すら失うことになるでしょう。いい勉強です。

きりなく書けますが、あなたは戦後の首相の中で、ぬきんでて「価値」ある首相です。
どうか参院での論議をがんばってください。

もし辞めるとしたら、安保法案が廃案になってからにしてください。

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廃案目指して 国民的参加のゲーム開始!

2015年07月24日 16時19分12秒 | 教訓
バスの中で、若者二人が雑談しているのに耳を傾ける。
「もう60日ルールというので決まりじゃねえの」男性の声だ。
「それはそうなんだけど、これまで以上にたくさんの人が声をあげているのよ。世論調査でも、安倍さんの支持率は急落しているし。なんか逆転しそうな予感がするのよ私」
と女性の声。
「でも、いやだから意地でも通すんじゃないの?おれ、自衛隊に入らなくてよかったよ」「へ~、自分だけ助かろうなんて、情けないなあ」「弁解しないし。自衛隊の人、冷や冷やして見てんのかなあ」「私が家族なら辞めてもらうかも」「日本は武器は持ちませんじゃ、だめなのかなあ」「俺は意気地がないからだけど、あの憲法はすぐれものだと思っていたけどなあ」「私も。アメリカみたいに、すぐに戦いを仕掛ける国じゃなくて、紛争を話し合いで解決する最先端の日本だと思うから安心していたのよ」「みんな軍隊を持ってる国ばかりだから、いざと言うときにはダメなんだって」「目には目を、それじゃあ昔とおんなじよね」「これで廃案になったら、歴史の教科書に載るんじゃねえの」「かもね。高校の先生が、これまでの歴史で、民衆が世の中を変えたのは、日本ではほとんどないって」「なら、すげー」「ちょっとした国民的ゲームよね」「俺みたいに、もうだめなんじゃねえの。みたいな奴がたくさんいるからなあ。これで廃案です、安倍さん失脚なんてなったら、感激しちゃう
し」
こんなに、政治論議をしている若者を、私は初めて見た。
安倍首相の、強引な悪政のおかげで、国民は政治を学習している。
悪を積み重ねて、自ら墓穴を掘り続けている、あわれな総理大臣なのだ。
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某国首相の日記から

2015年07月23日 23時44分48秒 | あれこれと
「●月○日
 上院で、法案が強行採決。
 ああ、とうとうここまできてしまった。
 勢いというものは、怖いものだ。
 かつて少年時代に、デモ行進をする、大きな群衆を見て、祖父に「こんなの怖くないもん」と息巻いたことがあって、ずっと突っ張ってきていたが、
 本当は内心ビクビクしているのだ。勢い、意地なのだ。
 だから、コロセウムの立て直しに金がかかると民衆が騒ぎ立て、私が白紙撤回したときは、ほんとにホッとしたものだ。
 あとは、この法案。
 いやいや、島の問第、新しい燃料工場のこと、あ-、かっこつけて物知り顔で決断なんかするんじゃなかった。
 歯が痛い。心が痛い。」

「×月□日
 もっと民衆が騒げば、また白紙撤回の決断はできるのか。タイミングが肝心だ。
 私は、私が1番可愛いに決まっている。人気を維持したり、回復させたりして、うまくすり抜ける手をうたなければ。
 私たちのグループの「去勢された姿」は無様である。
 石葉くんは、直前に弱音をはいたものの、何食わぬ顔をして賛成票を投じたし。
 阿蘇宇くんも、へらへらしているだけだし。
 頭がきれると思っていた谷餓鬼くんすら、私の番犬然としている。
 だれかが、私にご注進して、ふむふむ、ならばしかたないのお・・・そんな筋書きすら不可能な状況だ。
 お前らは、ニッキョー層にも及ばぬ。
 救国の志士は、いないものか。
 ああ、耳が痛い。良心が痛い。」
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3流の国民は2.5流へ 政治家は3流以下を堅持

2015年07月22日 23時39分29秒 | わたしごと
ようやく国民が政治的に目覚めつつある(手遅れかもしれないが)

そして、私たち三流の国民は、選んだ政治家が三流、いやそれ以下の輩ばかりだったことに気付きはじめた

「こらしめてやる」 水戸黄門ばりの権力者然とした偉いお方
「粛々として・・・」をオウム返しにのたまうばかりの自民党の顔
「10本もたばねたことはいかがなものかと・・・」と、自ら議長を務め、強行採決したあとで弁解する卑怯者
同じ「責任逃れ」はごろごろ見つかる
「世論が納得しているとは思えない」と、採決直前に善人ぶった発言をした防衛畑の鉄仮面
「この競技場、見たときに、私は牡蠣みたいだと思って・・・」 政界を去ったとばかり思っていたが、「神の国」とのたまった元首相
「みなさんの事務所にたくさんの抗議電話が来たところありますか?」「こんな程度ですよね」と、独断の感想。これも元首相だ。

こんな低レベルな議員に、国の、国民の未来を託していたのかと思うと愕然としてしまう。

その愕然の極みが、国のトップに居座っているものなのだから、なにをか言わんや。

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安倍首相の例え話を嗤い飛ばす

2015年07月22日 00時51分54秒 | わたしごと
「けんか」「火事」と、必死で「国民の理解」を得ようと、やっきになっている安倍首相だが、はたして、この例え話は成功しているのか。
もちろん「否」である。
残念ながら、彼の持ち出した例え話で、さらに支持率を下げていくことだろう。

この例え、どちらも「私人」の「お助け」の話である。
しかし、安保法案はそんな次元のものではなく、国家間の問題なのである。
助け船を出して、仲直りして、「よかった、よかった」といえるものではさらさらない。

「助け船」を出したことにより、当人だけでなく、その背後にいるすべての「国民」が仕返しをされることになるのだ。
テロになるのかもしれない、または戦争に発展するかもしれない。

「仲直り」も、おそらくは望めるものではないだろう。
国家間の争いにおいては、どちらも必ず「救出のため」「平和維持のため」「相手国の挑発・攻撃」と口にする。
真相は国民にはわからない。やっかいなことに、秘密保護法まであるのだから、なおさら真相は闇の中である。

アメリカをみれば分かる、中国を見ればわかる、戦争に邁進していたころの日本を見ればわかる。

個人間で「助け合って」、それでよかったなどという事例は、過去の戦争にはほとんどと言ってないだろう。

あえてこんな事例を出したのか、安倍首相の想像力があまりにも乏しいのかわからないが、この例え話は完全にいただけない。

もはや、意地になって法案成立に向かって突っ走っているだけの彼だけに、あちこちほころびの発言が、以前にまして顕著になってきている。

「支持率のために政治をやっているのではない」
もちろんそうだが。
「ある種のイメージを貼り付けられてしまった。戦争法案とか(の指摘は)すべて間違っている」
自分が貼られる要因を作ったことには気付いていないようだ。

アメリカの属国になってはいけない。
憲法を無視した「ペテン」手法(麻生さんがもらしたナチスドイツの手法そのもの)を許すわけにはいかない。
戦争を招き寄せる法案に組みすることはできない。

まだ諦めるのは早い。



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どう切り開いていくか 戦争法案廃案のために

2015年07月20日 10時26分50秒 | わたしごと
体調を崩している間に、大変なことになってしまっていた
衆議院を、戦争法案が通ってしまったのだ

ペテン、詐欺、インチキ、ズル(笑)、確信犯・・・
どんな罵詈雑言も間に合わない、安倍手法は、反面教師としてなら絶好の教材となるものだが、
それはそれとして、とにかく廃案にしていかないと、とんでもないことになってしまう。

こままま放置すれば、たとえ参議院でなにがあろうと、差し戻されて、衆議院の三分の二の賛成で可決してしまう。

そて、それをどう打開できるのか。可能性を探ってみよう。

①世論
 軒並み各紙の世論調査で、内閣支持率が支持を逆転して、半数を超えた。高村氏などのいきがっている発言もあるが無視はできないだろう。
 圧倒的な数字の不支持率で、倒閣をはかる。

②公明党
 世論調査では、公明支持の層も9割が強行採決に反対しているとのこと。創価学会は、戦時中に弾圧された団体ではなかったのか。
 権力よりも平和を希求してほしい。学会からの声がわき起こることを望む。

③自民党内
 こんなに「結束」した、つまり内部での議論の高まりのない「ヘボ政党」に成り下がった今、中からの声はなにも聞こえない。せめて、
 良識の府としての参議院では、気骨のある議員の登場を期待したい。(無理かな)
 党議拘束を撤廃くらいしてもらえないものか。
 会期延長により、「参議院などなんの役割もない」と、安倍内閣から烙印を押された参議院。怒りはないものか。

④原発、沖縄、TPP、70年談話、新国立
 すべて国民の意思とは乖離した方針で進む安倍内閣だ。この事案では必ず、矛盾した動きをとることだろう。それに乗じるのは気が引けるが、
 それぞれは、戦争法案と関係ないことではない。

 ひとつ提案。
 どこか東京ドーム、武道館のような会場を、1日借り切って、文化人、芸能人、学者、市民・学生などなど、たくさんの人々が、持ち時間を設定して
 意見、パフォーマンスなどを演じる機会をつくれないものか。
 いつ入場、退場してもいい、飛び入りで発言してもいい。そんなアバウトな方法で。
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