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こんな偏見の固まりさんも いるのですねえ

2011年09月18日 00時54分16秒 | コメントさんに答えます
私の記事の「EXILEは やはりただの商売人」に、匿名の方からコメントがありました。

その文章は。たった1文。
「あなたはただの日教組」
これだけです。

単なるレッテル貼りの文ですが、この内容の粗雑さ、品のなさよりも、これを投稿しただろうと思われる方の頭の中の回路に
興味を持ちました。

以下、私の考えです。

①ちなみに私は、日教組の組合員ではありません。私は、日教組の主義・主張がすべて分かっているわけでも、日教組に共感しているわけでもありませんから、はなはだ迷惑千万です。日教組としても、同じでしょう。(まあ、私ごときを日教組が相手にするわけはありませんが)

②EXILEの商業至上主義に対して、日教組はどこかで批判していたのでしょうか。または、私の考えに、日教組が普段主張していることと、相通じるものがあったのでしょうか。「ただの日教組」として、短絡的に書かれたものでは、なにも分からないものです。

③つまり、このコメントは、単なる「いじわる」「恫喝」といった目的のためだけのものなのかもしれません。コメントした匿名さんは、EXILEの熱烈ファンか、日教組に恨み辛みがあるか、そのどちらもであるか、なのでしょうが、人のブログに理由もなく決めつけの文を残すだけとあっては、常識を欠いた方であると同時に、聞く耳を持たない頑固者(よく言えば、です。正確には偏見・先入観に充ち満ちた独善的な方)なのでしょうね。

④この手のコメントは、たまにいただくことがあります。今回も、管理人の権限で削除しようとも考えたのですが、「こんなくだらない、しかも理由も示さないコメントを、ぜひみなさんの教材に(もちろん反面として)ご参照ください」という趣旨で、残すことにしました。(こんなレベルの低いコメントに、私自身が怒っていることもあります)





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パラオの国旗の由来から

2010年03月03日 21時43分51秒 | コメントさんに答えます
「児童、生徒たちには「パラオ共和国」の国旗についても教えてあげてください。
その成立、選定理由についても。」

コメント、ありがとうございました。
この、パラオの国旗について、たくさんの授業を、私も見てきました。

※パラオは、一時期、日本に占領されていたにもかかわらず、日本に対しては「親日」として、友好関係を持っている。
※国旗は、色は違うものの、日本の日章旗のデザインをもとに作られたものであり、円がやや左に位置するのは、「日本に失礼だ」と考えた、パラオの人々のやさしさに他ならない。
※戦後、日本は青年海外協力隊など、海外援助に力を入れ、それによっても、日本に対してパラオの人々は信頼や親しみを持ちつづけている。
※一時期、首長に「コバヤシ」という日系人がなったときもあり、その親日ぶりがうかがえる。

といったもので、「法則化運動」(現在は、「toss」というホームページで、授業の情報交換を行っています)と言われた運動団体の若い教師たちが、好んで、この授業を行っているようです。

私も、あの残虐な侵略戦争の中にあっても、占領した土地の住民に対して、密かに食糧を渡したり、逃亡を見て見ぬふりをしたり・・・と、やさしい日本人がいたことを、否定もしませんし、また、そんな日本人のことをたくさん「発掘」して紹介できたらなと思っています。

ただ、私は、この授業については、かなり懐疑的です。
この「公開授業」(いずれも道徳でした)を見たあとの協議会で、
「円を左にずらした理由が、真ん中では日本人に失礼になるからとありましたが、それはどのような資料に基づいて、こどもたちに紹介したのですか?」
とう質問をしました。また、
「パラオの国旗は、公募されたと聞きますが、このデザインになった背景に、日の丸が大きな影響を与えた、というのは、同じくどの資料から得られたのですか?」
という質問も、授業者にしてみました。

二つの学校の授業者とも、同じ回答でした。
「これは、すでにすぐれた授業として紹介されたものを、私なりに作り替えたものなので、出典や資料には当たっていません」とのこと。

私は、家に帰り、このパラオの国旗に関する指導案を検索して調べてみました。
結果は、どの指導案にも、この授業の根拠となるべき、資料も、パラオの人々の発言も、まったく紹介されていませんでした。

つまり、本当かもしれないし、そうでないかもしれない、それが、今の時点での、国旗制定の由来なのです。

私たちがあることを教える場合、その内容について、かなり慎重に対処しなければならないことは言うまでもありません。

この授業の実践者は、「日本人の気概」を教えたいと熱望するあまり、自分の希望や憶測を優先させて、こどもたちに教えてしまったのです。

気持ちはわかりますが、これこそ、えまのんさんが「論理的」だと崇拝する方のホームページで執拗に批判している「洗脳教育」そのものではありませんか?

国を愛する気持ちを育ててほしい、そんな希望に熱くなっている方は、少なくないことでしょう。私も、半分は、そんな気持ちの持ち主です。(半分は、以前にも書きましたが、「シンボルなんて愛国心の育成にはいらないのでは・・・」という考えです)

非科学的なもの、根拠の乏しいものを、さも「事実」だとして教え込む教師が、たくさんいたら、戦前の日本やドイツ同様に、ファシズムに繋がってくことでしょう。現在の北朝鮮も、おそらくはそんな教育(特定の価値観や思想があって、教育がそれに従属する)なのでしょう。

ついでに、私は日本という国が好きです。日本に生まれてきてよかったと思っています。
ですから、だからこそ、あの侵略戦争で、帝国日本のシンボルであった、現在の歌と旗とを一掃して、新たに国民が納得するものを生みだしてもらいたいのです。
それによって、「日本は生まれ変わった」としてもらいたいのです。
私には在日朝鮮人の友人がいますが、やはり「今の君が代、日の丸は、意味合いが変わったのだというけれど、私たちは、やはりこだわりがあるし、感情として、ねじれがあるのです」と言われます。
これも、無視できない思いです。

えまのんさんのコメントからそれました。

パラオの国旗の件が事実だといいですね。しかし、これを安易に教室に持って行くことには、現時点で私は反対です。
さらに、これが事実であったとても、大局的な歴史の事実、日本が、特にアジアに対して行ってきた侵略行為自体の免罪符には、とうていならないことも、認識しなければなりません。


国のレベルで行ったことと、個々人で行ったこととは、しっかりと区別してかからないと、とんだ誤りをします。
「小泉首相は、規制緩和により、国民を「貧困への自由」に導く先導を果たした。しかし、彼も家庭では、よきパパであった。だから、そんなやさしい人を責めてはいけない」
という論理が通用しないのと同じように。





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私の考えを 再度お知らせします

2010年02月23日 23時55分31秒 | コメントさんに答えます
コメント、ありがとうございました。

えまのんさんの主張、私なりに考えてみました。

①「「悪法も法なり」で、法律は守っていただかないと困ります。」

 これは、前回も書きましたが、その通りです。ですから、私も卒業式では起立するでしょう。「悪法は守る必要はない」などとは言っていないと思うのですが。

 「国旗、国歌として法律で定められたものを認めないというのであれば。法律を軽視している、「消費税法に反対ならば、消費税は納めなくてもいい」というのと同様でしょう。」
繰り返された文章ですが、それも前回書きましたが、私は消費税を支払っています。

 ただ、私が「起立する」のは、「生活のため」が第一で、国旗国歌法に対しては否定的です。消費税についても、反対ながらも、いやいや払い続けていることも事実です。

 このような立場を、えまのんさんが認めないと言われるのであれば論外です。

 法は時代の推移に伴って変遷していくものであり、それがその時代の「正義」を意味するものならば、「正義」そのものが、時代の産物であり、相対的なものであるわけです。
 つまり、現在施行されてる法も、時代の流れとともに変わっていく(変わらざるを得ない)ものであり、「あるから」として、絶対化してはならないことも当然のことです。

 庶民に負担を強いる「消費税」は、いずれ淘汰されるかもしれない。
 戦前の侵略のシンボルであった「日の丸・君が代」も、別のものにすげ替えられるかもしれない。そもそも国家にシンボルなど要らないと、法律が廃棄されるかもしれない。(生類憐れみの令、明治憲法、尊属殺人、治安維持法など例を挙げるまでもありません)

 ですから、私は法律を絶対視していませんし、賛成、反対を、自分なりに「仕分け」しているのです。
 そこで、

②「現在の日本の国旗、国歌が不適切であるならば、「国旗国歌法」を改正するように政治活動を行うべきでしょう。しかし、そのような政治活動を行わずに、定められた法律に反対し、それを認めないというのは、どうしたものでしょうね?」

 まさか「政治家になれ」ということではないでしょうが、私なりにできることをしているつもりです。学習会や集会に参加する、署名をする、このブログを維持する、友人に話す、投稿する・・・ささやかながら、これも私にできる、立派な「政治活動」だと思います。
 なにも、大々的に組織を作って、政界に進出することだけが「政治活動」だとは思っていらっしゃらないと考えますが。
 ですから、私は、国旗国歌法を認めてないでもよい資格があると思うのです。

③「教師が卒業式において、礼を示す必要がないのか?」

 「礼」とはいったいなんなのでしょうか。
 一般的に言えば、「礼」を示す必要はありますし、こどもたちにも、「六年間の成長の証を、この卒業式で出せるようにがんばろう」「たくさんの保護者、来賓の方がお見えになるから、その方々に、よかった!と思ってもらえるように、みんなで考えよう」とは指導しています。
 辞書には、「敬うこと。礼儀。うや。」といった、かなり曖昧な表現で定義づけられています。
 「法を守る」といった意味合いであるならば、私は及第点だと思います。
 えまのんさんは、どうも私を、「不起立の闘士」のように過大評価されているのではと思われます。私は、ふつうの教員です。
 クビになることを恐れて、「悪法」もいやいや遵守している、どこにでもいる教員です。
 かいかぶっていただいたのは光栄なのですが、えまのんさんは、主張する相手を間違えたようです。今、東京では、三桁にのぼる「勇気ある」教師が、不起立の態度をとったために、処分を受け、再雇用を拒否され、東京都を相手取って、その処分を撤回させるために係争中です。

 最後に。
 これが私の現在の考えです。
 しかし、これとて「鋼鉄」のように鉄壁のものではありません。
 上にも書きましたが、自分が納得できるような、「完成された思想」を持つことができるように(まあありえませんが)、柔軟な頭で、寛容と同時に批判的な精神で、死ぬまで追い続けていこうと思っています。

 えまのんさんも、あのブログだけに固執することなく、幅広く学び取っていけるよう、祈っています。

 
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先入観を排除すること

2010年02月23日 23時23分46秒 | コメントさんに答えます
「現在は国旗国歌法が成立して、国旗掲揚・国家斉唱の拒否は処分の対象となるが、そのようなものが無くとも、日教組の反日教師に強制的に国旗掲揚・国家斉唱させても何ら思想の侵害ではない(彼らの思想は何ら変わらない)から、彼らの言い分などをまともに受ける必要など無い。」

「マルクス主義のように子供を親から隔離して公共の施設で共産主義の洗脳教育をするのは、その子供の思想及び良心の侵害であるが、それはあくまでもその子供が共産主義以外の思想書を購入して読書する行為や好きなテレビ番組やニュースを見る行為等々の行為を侵害し制限する結果であって、思想や良心という思惟や観念を直接的に侵害しているわけではないし、そのようなことは、物理的に不可能であり、あくまでも行為侵害(制限)でしか思想や良心の自由など侵害できない。」

コメントで、「こちらのblog記事が、私なんかよりもっと論理的に指摘されてます。」と推奨されたブログを訪問してきました。
かなりの時間をかけて読んだのですが、正直言ってがっかりしてしまいました。
「論理性」という言葉を掲げながら、予断と偏見に満ちあふれた、それこそ「政治的なプロパガンタ」です。
ブログから、二つほど引用して紹介しましたが、「決めつけ」そのものですね。
これが明晰な論理性を持ったものだと思われること自体は自由ですが、偏見の上に構築された主張は、けっして「論理」とは言えないのです。

「反日教師」とは、どんな教師を指すのでしょう。
私は日教組の組合員ではありませんが、このブログの管理人さんがやっきになって、「彼らの言い分などをまともに受ける必要など無い。」と、声を高めるほど、今の日教組は現場に影響力はありません。
マルクス主義についても然り。「共産主義」と同義に使用していますが、そんな大雑把で粗い用語の使い方は、説得力はありません。おそらくは、「北朝鮮」「中国」を想定しているものと思われますが、それならそのように論を展開すべきものです。

面白いブログであることは認めますが、かつての「全貌」や「正論」などと同じように、この管理人さんも、自分の「思い込み」から自由になれないでいるようです。

人の考えや思想を成長、発展させるには、寛容な頭の器が必要条件です。

私は、「絶対の考え」など持っていません。ですから、「えまのん」さんの考えも、できるだけ「先入観」を持たずに、自分なりに消化していこうと考えています。






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えまのんさんからの「疑問」に答えます

2010年02月22日 23時55分21秒 | コメントさんに答えます
コメントをいただきました。
「この質問に、まともに答えてくれた強制反対派のblogは皆無ですけどね。」
と、なかなかの自信家の方のようですが、私が答えるまでもなく、たくさんのブログ、サイトで、この「えまのんさん」の疑問に対する答えはしつくされていますので、この点については、あなたの勉強不足だと思います。残念ながら。

「日の丸、君が代が国旗、国歌としてふさわしいかどうかという問題と、国旗、国歌に対する礼儀作法は切り離して考えるべきでしょう。それとも、「消費税法に反対ならば、消費税は納めなくてもいい」という類の思考の持ち主ですか?」

そうできないから、教員は苦しんでいるのです。悪法も法です。
国旗国歌法が撤廃されて、それらに敬意を持つ人も、持てないでいる人も自主的に判断することのできる世の中であればいいと、私は考えます。「礼儀作法と切り離して」考えてはいるつもりですよ。しかし、それは私にとっては、あくまで「礼儀作法」であって、心底認めているわけではないのです。

「国際的な儀礼慣習のテキストにも載っている行為ですよ。」

そうですね。ですから、日本の国旗、国歌は、戦前の暗黒時代を引きずったものではなく、新しいものに作り変えて、心底敬愛できるものにしてもらいたいのです。
その願望は、決して「国を愛していない」「国旗・国歌に対する敬愛がない」ということではないことも、「えまのんさん」にはわかっていただけると思います。(なお、私はシンボルなどいらないのでは・・・とも考えてしまうこともあります)


「なら、なぜにオリンピックで選手団の旗、選手団の歌として日の丸、君が代が盛大に全世界に向けて流されるわけですか?
その理由を考えたことがありますか?
あれは国旗、国歌ではなく、選手団の旗、選手団の歌であることはオリンピック憲章にも明記されています。
しかるに、「先の戦争で、その侵略のシンボルとされたもの」を選手団の旗、歌とすることに違和感を覚え、反対運動を繰り広げる人がいないのはなぜでしょう?」

反対運動を繰り広げている人がいないという認識は、いったい何を根拠に結論づけられたのでしょうか。きっと、「えまのんさん」の周りには、そういった方がいないというだけのことでしょう。ネットで、「君が代 日の丸 反対」とでも打ち込んで検索してみてください。驚くほどの人たちが、反対運動を繰り広げているのがわかると思います。
これまで反対運動の存在を知らなかった「えまのんさん」も、考えが変わるかもしれませんよ。

「なぜ、卒業式だけに反対するのか?」

読みが足りません。卒業式の記事を掲載しただけで、ほかの場面については、あたかも私が賛成しているとでも考えたのでしょうか。
あえて述べますが、当然のことながら卒業式だけの問題ではありません。
国旗、国歌が象徴しているように、日本が戦後処理をきちんとしてこなかった問題でもあり、国民自身が、先の戦争の教訓をあいまいにしたまま今日に至ってしまったことにもつながります。



「えまのんさん」のように、「常識」と考えている方の考えも否定するつもりはありません。また、これから「えまのんさん」が初めて出会うでしょうが、「いや常識ではない」と考えている人もいるし、それはそれで説得力もあるのです。

それを、国家が指図するのでなく、ああでもない、こうでもないと、議論しあいながら「常識」を形成していく社会のほうが、より健全だとは思いませんか。

「えまのんさん」の疑問は、残念ですが、あなたの先入観からのものが多いようでした。











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