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死刑について

2018年07月28日 21時14分01秒 | わたしごと
 死刑は「解決」ではない。
 あくまで「落としどころ」なのである。

 したがって、死刑を執行してとしても、被害者の、そして周囲の人たちが心がおさまったということもないだろう。

 なぜ裁判までして、犯罪の動機を調べたり、状況や理由を問うことをしたりするのだろう。

 私がクラスで、子どもの言い分を聞くのは、「許す」ためである。
 どうしてやったの? それは今考えるとどう思うかなあ? それを君がされたら、君はどう感じるかなあ?
 そして、これも「落としどころ」として、相手に謝罪をする。

 「許さない」という選択肢もあるが、教育の現場ではほとんど見られないかもしれない。

 殺人は別格だということも、分からなくはない。
 もう、被害者は戻らないからである。

 たとえ権力だとしても、人を殺すことは許すべきでない。
 「許す」ことを前提にした刑罰であるべきだと思う。「許せない」という判断なら、死ぬまで服役させればいい。(終身刑)

 そして、なによりも、なによりも、「人は判断をまちがえる」のだと考えるべきだ。そのために、冤罪の可能性を否定しきれない以上、死刑によって事件を終わらせてはならない。

 
 何回でも書くが、死刑は解決ではない。
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自己肯定感 アンケート回答

2018年07月27日 23時12分25秒 | 教育を考える
 職場の研究テーマは「自己肯定感」。
 日本人はことのほか低いとされるものだ。
 奥ゆかしいからかもしれない。文化の違いだ。こればかり強調すると「ナルシスト」を生産する教育となってしまう。
 計ることのできないもので曖昧な概念だ。

 そんな懸念はなんのその。校長さんは、ただひたすら「自己肯定感を!」とハッパをかける。
 みな優しいが従順。したがって、言われたことには真面目に取り組む。
 会議では、中堅以上の五人くらいしか発言をしない、おとなしく頼りない職場。


 夏休みに入り、この研究に関して、全員に感想、意見を書いてもらい1冊の冊子にまとめた。
 なんだみんなけっこう、いろいろ考えているじゃないか。
 もっと発言しないとね。「わからない」「理解できない」も、立派な意見だよ。

 そんな学校の研究推進部長を務めている。

 なんでもありとしたアンケートで、私の書いた回答。

 「小学生時代に「自己肯定感」など考えたこともなかったように思う。また反対に「自分なんて」と自暴自棄にもなった覚えもない。両親と、子どものいない伯母達にそこそこ可愛がられ、仲良しの友達も何人かいて、楽しかったことが、遠巻きの「自己肯定感」だったかもしれない。ただ改まって「お前は自分のことを愛しているか」などと聞かれれば、なんと答えただろうと考えると、素直には「Yes」とは答えなかったとも思う。すこぶる自信のなかった私だったから。
小学生に「自己肯定感」を芽吹かすためには、人の中で「愛されている」「居場所がある」「みんなの幸せの一端を担っている」ことが認識されることでしょうか。生活指導面では、1人の子も見捨てないという姿勢を学校全体、学年、学級全体で貫いていくこと。学力もしかり、なのですが、現在の「学力偏重」のベクトルの中で、忙しい学校が「見捨てない」ことを実質的に実現できるか、私はちょっと絶望的に感じています。」

 
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佐川光晴「日の出」

2018年07月26日 00時03分52秒 | こんな本を読みました
 どうも自分が横道に逸れているなと感じたときには、かぎって佐川光晴の小説を読むことにしている。
 (ちなみに、自信をなくしたときは、北方謙三のハードボイルド)

 今回の「日の出」も、期待に違わず一気に読了。
 やはり彼は「誠実」の作家。

 徴兵逃れの主人公と、その曾孫当たる女性教師の、2つの物語を交互に著し、2人を紡いでいく。
 在日朝鮮人と日本人との暗い歴史、世相を背景にして、2人とも誠実に生きぬき、それが直接間接に結びつけていく。
 
 もう少し絡み合っても・・・という不満はありつつも、私なりには満足している小説だった。
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夏休みの補習に寄せて

2018年07月23日 21時05分41秒 | 教育を考える
 「うるさい子は呼ばないことにしたの」
 「そうよね、邪魔する子はいてほしくないし」
 「うるさいし、全然勉強しようとする気持ちがないものね。」

 そんな会話を聞いていて、暗澹たる思いになった。

 「あっ、この人たちは教師として失格だな」

 それでは、その「うるさい子」は、いったいどこで学習をしたらいいのだろうか。
 家で保護者の監視のもと、または1人きりでやればいいと思っているのか。

 職場でも、このような話がよくされることがある。

 「そういう子ほど、学ぶ楽しさを求めているのではないのかなあ。そして、大変ではあっても、そんな子をやる気にさせることこそ、
  私たちの仕事だと思うよ」

 そんな言葉を投げかけているのだが、それで改めようとする教師は半分くらいか。

 どうしようもない教師が増えている。
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40年やって これかよ!

2018年07月16日 19時59分15秒 | 教育を考える
 通知表作成やらなにやらで、休みが続いてしまった。

 とにかく忙しいのだ。
 
 教務は、ただ空白に会議をはめ込めば仕事をしていると勘違いしているようで、
 成績処理日で、特別の時程にしたのにもかかわらず、会議を入れてしまう。
 
 昨年の職員会議で、7月上旬とした「成績表締め切り」を撤回させて、11日(これでも早い!)にした
 はずが、今年になって、「所見だけは早く出すように」と。
 しかも、学年で読み合わせ、副校長に提出、返ってきたものを訂正して校長に提出、直されたものを本番の紙にプリント。
 それを専科でチェック。
 これを、昨年の合意を反故して、前倒しした日程で提案してきた。
 
 私の学年には、臨採の若い女性教師がいるが、新人に関しては、7月3日に出せと言う。
 その日に所見を学年で読み合わせして提出だと。
 その日は保護者会だというのを、あなたが決めたのでしょ。
 どうやって読み合わせをしたらいいのでしょう。

 管理職(側も含めて)、「念には念を」と、日程をきめ細かくして、「親切」めいたことをしたつもりだろうが、
 立場が違えば、「親切」が反対に「強制」と変じてしまう。

 哲学なき教務。

 理念なき管理職。

 従順な教師たち。

 私たちにとって、1番大事な「授業」を基軸にした学校のスケジュールを立てられない職場は、いずれ腐っていくことだろう。
 いえ、もうすでに。
コメント (1)
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