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息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

ここにも「水からの伝言」を受けた子が

2017年06月07日 21時52分32秒 | 教育を考える
3人の実習生と話していた。
「小学校の授業なんて、あまり覚えていないでしょ」
と言う私に、2人は、
「ほんとに、驚くくらい覚えていません。運動会とか、学芸会とか、叱られたことなんか、よく覚えているのですけど」
もう1人が、
「ほとんど覚えていません。ただひとつだけはっきり覚えている授業があります」
と言い、その道徳の授業について話してくれた。

「若い男の先生でした。6年生のときの道徳で、コップに入った水がふたつあって、ひとつには、優しくてきれいな言葉を、みんなで投げかけました」
「すてきだね、とか、ありがとう、とか、そんな言葉です」
「もうひとつには、きたない言葉を浴びせます」
「死ねとか、ばーかとか、そんな言葉を、みんなで言いました」
「それを冷蔵庫に入れて、明日どうなっているか見ようという授業でした」

「次の日に、先生が持ってきたコップの中の氷を、みんなで見ました」
「きれいな言葉をもらった水からできた氷は、すごく透き通っていてきれいでした」
「きたない言葉のほうは、なんか白っぽくて、氷が濁っているように見えました」
「先生は、この氷とおんなじで、人もやさしく、きれいな言葉をもらい続けると、心や体がきれいになっていくんだ、と話してくれました」

あ、ここにも「被害者」がいたんだ。

この非科学的な授業について、一時期流行した授業だったが、なんの根拠のない授業だったこと、それはたくさんの批判を受けて、今ほとんど実践している人はいないことを話してあげました。

驚いたことに、今まで、それをずっと信じていたとのこと。
「へー、知りませんでした。先生が言っているから、本当のことなのかなと・・・」

ちょっと夢を壊してしまったが、こんな嘘っぱちを一生信じていたら、それを今度は、教師になって子ども達に教え込んでしまったら、と考えると、それはそれでよかったのかなとも思った。

やはり教育は、恐ろしいものだ。

「水からの伝言」については、
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/
を見て欲しい。
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はいたつです のばかばかしさ つづき

2017年06月05日 09時42分05秒 | 教育を考える
全校あげて、子ども達に「はい、立つ、です」を徹底させようと、管理職から提案されたと、友人が電話で訴えてきました。
はい、と元気よく返事をして、
椅子からきちんと立ち上がり、
「~です」と、発言の文末をそろえる
それを全クラス、全員ができるように指導しなさいとのことです。

私のクラスは、ほとんどが対話形式で行っているので、もしうちの学校でも提案されたら困ってしまうなあと考えながら聞いていました。
友人の学校では、「命令」とあるものの、それがなぜ必要なのか、なぜ学校あげて取り組む必要があるのか、なにも話し合いがなかったと言います。
私は、その提案内容よりも、それについて論議がされないことに、非常な違和感を覚えました。

学校には、摩訶不思議・・・といったものがたくさんあるのに、意外となにも論議の対象、吟味の対象になってこなかったものがたくさんあります。

 直近では運動会。
 行進で、列の横を揃えることに命をかけている先生がけっこういます。
 もちろん、きれいに並ぶということも、「見栄え」からすれば必要かなとも思えますが、私にとっては学習する内容の中では、かなりランクは下に位置します。
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みなさんの区や市では 出張時の休憩はどうなっていますか?

2017年06月05日 06時25分19秒 | 教育を考える
私の勤務する市では、10年以上にもわたって、市の主催する出張・研修や教科等研究会の終了時刻が、「4:45」となっています。
つまり、休憩時間に食い込んで「勤務」が続くような仕組みです。
もちろん学校で事前に休憩をとるわけにはいきませんし(たいがいは給食のあとにすぐに学校を出るか、授業の途中から出かけることがほとんどで、事前に休憩の先取りをするわけにはいきません)、とれなかった休憩をどこかで振り替えなさいといった指示も言われたこともありません。また出張依頼や案内のプリントにも、休憩時間についての文はまったくありません。
毎年、出張のたびに、指導主事にこの件について尋ねているのですが、明確な回答はなく、「検討します」程度の答えで、お茶を濁されています。
「学校で対応していただければ・・・」などと言われたことがありますが、それについて校長会などで話題にされたり、指導主事が指導したりするといったこともないようで、そのいい加減さにうんざりしています。

今年こそ、そんな理不尽な対応を変えてもらおうと、個人として、また組合と協力して取り組んでいこうと考えています。

おとなりの市では、「4:00」終了として、のこりの45分を休憩にあてているとしているようです。

みなさんの区や市では、どうなっていますか?

もし教員の方が読んでいましたら、コメントで教えてください。
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都教委の「校務改善」を嗤う

2017年05月28日 00時17分28秒 | 教育を考える
 とにかく忙しい。
 子どもと向き合う前に、報告文書、会議、行事・・・が優先となり、肝心の授業の準備ができない。
 子どもと接する時間がとりない、学力の遅れを取り戻す取り組みができない。

 都教委は、「多忙感」という言葉でもって、私たちの過密した勤務を「気持ち」にすり替えているわけだが、
一応「校務改善」には、なんらかの手立てが必要だとは感じているようだ。

 ここに、教育長人事部から発行されている「校務改善NEWS」18号がある。
 平成28年10月発行。
 18号も出ているんだ。それならば、さぞかし・・・そんな期待を裏切る内容の紙面。

 おそらく推進校、先進校のひとつだと思われる、荒川区峡田小の実践報告が掲載されている。

 ここでは、
 「(1)学校経営方針に直結で校務改善
(2)凡事徹底と分かりやすさで校務改善
(3)トップダウンとボトムアップで校務改善」
 をメインに実践したとのこと。もうなにか期待はずれの予感がする。

 それを受けて2つの事例を紹介。
 「実践例1 常に清潔な環境で信頼される学校づくり」
 「学期2回の机上整理整頓デー」そして「全教室の学習環境を統一」

 具体的には。「〇整理 →不必要なものを処分する 〇整頓 →必要なものを使いやすく 〇清掃 →学習環境をきれいにする 〇清潔 →「整理・整頓・清掃」を習慣にする」
 「○黒板、電子黒板やロッカー、本棚等の配置 ○清掃用具等、備品の置き場所、置き方 ○当番表や印刷物、児童の作品等の掲示の仕方 ○児童の作業スペースの確保」

 2つ目は「実践例2 OJTの充実」 具体的には「年間13回の計画的な実施」
 その内容は、「○効率化で生み出された時間の有効活用 ○持ち回りの講師(教員)による運営 ○教員個々の専門性の活用 ○職層に応じた学校運営への参画意識の形成」

 そしてその成果として、「業務作業効率のアップ」「服務事故の防止」「落ち着いた学習環境」「学力の向上」「教職員の資質・意欲の向上」
「指導力の向上」なのだそうである。

 まとめとして「学校全体での校務改善への取組が、学校経営方針に直結し、学力の向上、学習規律の定着、教育環境の充実等の推進につながった。
校務改善推進委員会が中心となり、組織的に負担軽減、業務の効率化を図ることで、教職員の校務改善への意識向上につながった。
効率的な業務の取組により、研修の充実に向けた時間の確保ができ、教職員の資質と意欲の向上、および指導力の向上につながった。」

 これを読んで深い感銘を受ける教員はいるのだろうか。断じて言える。「1人もいない」と。
 この小学校の教員にも訊いてみたい。「多忙感は解消されたのですか」「未来が明るくなりましたか」と。
 これも、笑顔で「はい」と即答される教員は、1人としていないのではないか。

 これが1番新しい号のニュースなのだと思うと、暗澹たる気持ちになる。

 ここには「効率的にやればなんとかなるのだ」という思いに充ち満ちている。しかし問題は、「効率的にやっても、それをぶちこわすくらい絶対量が多いこと」なのだ。
 工夫すれば、はい、この通り、楽になったでしょ。
 そんな次元のものではないのだ。
 
 まず、「子どものため」と言われながらも、切り捨てられるものを徹底的に切っていくことだ。
 それは、私たち職員の人数、勤務時間から割り出された「妥当な量」まで徹底的に行われなければならない。
 削れないのなら、人数を増やして対応しなければならない。
 
 無制限の残業を可能にしている「4%」の手当も再検討すべきだろう。
 現在認められている「4項目」も、まったく現実とは乖離している。学年会がなぜ「自分の都合」であって「仕事」ではないのか。テストの採点も、持ち帰った仕事も、なぜ「残業」とはならないのか。
 管理職は、タイムカードもない職場で、部下の勤務状況をどうやって把握しているのか。(というより、把握できていないはずだ)

 この号を見るかぎりでは、本当に私たちが充実し、ゆとりをもって子どもと向かい合うことなど、万に一つもない。
 むしろ、これを機に、管理強化していこうという魂胆しか感じることはできない。

 二枚舌。都教委。
 
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せめて休憩時間を 出張の日は休めない

2017年05月21日 08時20分09秒 | 教育を考える
 私の勤務する自治体では、研究、研修の際の「終わりの時刻」は、4時45分です。
 
 先日も15時開始の「人権教育推進委員会」の会合があり、5時間目の途中で教室を抜け出して、その会合の行われる庁舎へと向かいました。
 バスと電車を乗り継いでいくと、4,50分はかかるため、やむなくタンクーを呼んでの移動です。(これも実費でもらえるわけではありません)

 つまり、このような出張の日には、休憩時間が設定されていないのです。
 
 毎年、会合があるたびに、その初回で指導主事に「お願い」の発言をします。
 今年も、終わり際に強引に手を挙げて、こんなことを言いました。

 「毎年お願いしていることですが、大事なことだと思うので、ぜひ話し合って、なんらかのお答えをいただきたい。
  出張の日の休憩時間のことです。この市では、どの会合も4時45分が終わりになっています。教科等研究会をはじめ、市が主催するものは全てです。
 いつも考えるのは、このような日では休憩時間についてどのように考えていいのかということです。今日も私は授業の途中で抜け出してきました。
 昨年、指導主事のかたに問い合わせてみたのですが、はっきりとはお答えいただけませんでした。
 学校で対処していただきたいとか、検討しますとかおっしゃられたと思うのですが、はっきりとしたお答えはないままに、今に至っています。
 お願いです。きちんとした統一見解を話し合って決めていただきたいのです。
 学校での対処ならば、そうするように校長会などで、周知徹底していただきたい。当日は無理だとしても、休憩時間の振替くらいは可能だと思いますから。または、他の自治体で行っているように、閉会の時刻を4時に統一させることも検討していただきたい。
 1日くらい・・・という声も聞きましたが、これは私たちの労働条件の中の、大事なひとつの契約なのです。
 私が、この市にきてから、この点については、まったく改善されていない。というよりも、話し合われたことすらないのかと思うくらいです。
 今年こそ、きちんと話し合っていただけることをお願いします。」

 過労死寸前の勤務の中で、せめて45分の休憩時間くらいは、厳密に設定し、とらせてほしい。

 <ちなみに、発言のあと。何人もの先生から、「ありがとうございました」「私も同じ思いでした」「ここに異動してきて、おかしいと思っていたところだったので、すかっとしました」の声をいただいた。言ってよかった、が、早く改善してもらいたいものだ>
 
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研究授業も終わり ふつーのブラックに

2017年05月13日 19時48分45秒 | 教育を考える
 金曜日に研究授業が終わり、重い荷物がひとつ減った。
 今年が新しい研究のスタートともあって、研究主題などが未定のままで行ったために、「実験授業」的な
色彩が強い分、負担は軽いが、やはり経験年数の多い私でさえも、緊張は一応する。

 「週に60時間以上働く小中学校の先生の割合が70~80%に上ることが、全国の公立小中学校の教諭約4500人を対象にした連合のシンクタンク「連合総研」の調査でわかった。医師や建設業、製造業など他業種より格段に高い割合だ。特に運動部の顧問の先生は出勤が早く、午前7時前に出勤する人が15%いた。文部科学省も学校現場の負担減へ対策に乗り出している。

 調査は2015年12月、労働組合に入っているかに関係なく、公立小学校教諭2835人、中学校教諭の1700人を対象に実施。小学校1903人(回収率67%)、中学校1094人(同64%)が回答した。

 調査では、週あたりの労働時間を20時間未満から60時間以上まで5段階に分けた。小学校教諭で週60時間以上働いている割合は73%、中学校は87%。小中とも50時間未満の教諭はいなかった。単純には比較できないが、11年に労働政策研究・研修機構が調べた医師の40%を大きく上回ったほか、連合総研が16年に調査した建設業の13・7%、製造業の9・2%、運輸・情報通信業の9・0%を大きく上回っている。」

 という記事も、最近は多くはなっているが、新しい指導要領が、超過密の授業を強いているので、抜本的な対策をたてないかぎり、無理な話だ。

 教え子だった卒業生の親が開いている「焼き鳥屋」で打ち上げ。
 急な予約にもかかわらず「貸し切り」としてもらえた。感謝。


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過重労働は部活だけではない フラック化した現場は過労死ライン

2017年04月23日 06時35分01秒 | 教育を考える
 今日の東京新聞の日曜版別冊に「過重労働の教員」の特集が掲載されている。

 部活の指導については、ようやく目が向けられつつあるが、問題はそれだけではない。
 東京では、副校長の仕事量が多すぎるとして、あれこれと提言や対策が練られたが、私のいる学校の副校長がその恩恵を授かったとは、とても思えない。よく土日に出勤するは、平日も7時台に出勤し、帰りが8時9時も珍しいことではないからだ。
 文科省は、「多忙」とは言わず、「多忙感」という言葉を使用して、なにか忙しいことが「気のせい」のような意味合いで使用。本質的な問題をはぐらかしているし。

 この特集に書かれている記事、統計をいくつか紹介してみよう。
 おもに小学校の教員に関するものだけになるが、詳細は新聞を読んでほしい。

 ①週当たりの労働時間  50時間~60時間未満 27.1%  60時間以上 72.9%
   ※50時間未満が0%である。長時間労働の最右翼の建設業ですら、60時間以上は13.7%。医師ですら40.0%
    異常としか言いようがない。ちなみに中学校教師は86.9%。恐ろしい調査結果だ。

 ②OECDの調査、中学校教員の調査だが、調査国平均が週の労働時間38.3時間なのに対して、日本は53.9時間。
  唯一の50時間越えの国である。

 ③小学校教諭の平均出勤時刻は7時31分、退勤時刻は19時4分。在校時間は11時間33分だ。しかも、持ち帰りの仕事の時間が1時間36分もある。1日のうちで13時間も仕事に追われているのだ。まともな生活ができるわけがない。


 平均値であることからして、この数字をはるかに越えて、「過労死」寸前、また「過労死」ラインをはるかに越えた過重労働をしている教員は、とてつもない大きな割合で存在していることだろう。

 給与の4%分が「特別措置法」により支給されているが、だからといって、この現状を良しとは言えるものではないだろう。
 とても4%で納得できるような「働き」の量ではないのだ。

 教員の「真面目さ」、そして昨今により鮮明になってきている「従順さ」を利用しての過重労働に早く手を打たないと、それこそ教員、学校、子ども、そして日本の未来は破滅する。
 確実に。

 

 

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教育勅語のトリセツ

2017年04月22日 09時53分38秒 | 教育を考える
 民主主義とは相容れないものだとして、戦後「排除」された教育勅語の亡霊が、また巷を徘徊するようになった。

 3月8日には、稲田朋美防衛相が参院予算委員会で、「教育勅語に流れている核の部分は取り戻すべきだ」と発言。

 3月14日には松野博一文部科学相が、「教材として用いることは問題としない」と発言。
 そして政府は3月31日、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定した。

 4月4日には、菅義偉官房長官が記者会見で、道徳を含めた学校教育の教材に教育勅語を使用することについて「憲法や教育基本法に反しない適切な配慮の下で取り扱うことまでも、あえて否定すべきではない」と発言。

 4月7日には、義家弘介副文部科学相が衆院内閣委員会において、教育現場の朝礼で子どもたちが教育勅語を朗読することについて、「教育基本法に反しない限りは問題のない行為」と答弁。

 11日には、再び稲田防衛相が教育勅語について、「親孝行とか、夫婦仲良くとか、友達との信頼関係とか、現代でも通用するような価値観」と発言。

 森友学園問題では、大阪府教育庁私学課が大阪教育合同労働組合に対し、、「教育勅語の効力は1948年に失われているが、道徳心を養うということは重要であり、目的や効果に照らして、幼稚園の設置者が十分に考慮して、建学の精神に従って活用してもらうことには問題はない」との回答。

 、「憲法や教育基本法等に反しないような形」とはどのようなものなのかについて具体的に示されていないことは、文科省も政治家も、「様子見」の
状態であることを伺わせるが、教育勅語を否定しないという点で、これらの動きを歓迎する勢力に大きな力を与えたことは間違いのないことだった、

 普通に考えれば、「歴史的教材」として、「反面教材」としての使用なら、積極的に使用すべきだ。

 しかしこれが「教育勅語にも、普遍的な道徳が説かれていた」となると絶望的である。

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本すら読めないでいる・・・またまた多忙の話題 うんざりするが

2017年04月17日 00時51分40秒 | 教育を考える
 永井愛の「新 明暗」をバッグに入れたまま、1週間が過ぎてしまった。

 私のカバンには、いつも4種類の本が入っている。
 「積ん読」に近い収納で、たいがいは帰りがけの喫茶店で、その中の1冊を読めればいい程度なのだが。

 その4種類は、

 ※自然科学の本
 ※小説など文学
 ※社会科学の本
 ※教育関連の雑誌または単行本

 この中から、その日の気分、必要性に応じて、何を読むかを決める。

 この習慣を、数十年続けてきたが、最近は、何もしないでボーッとしてコーヒーをすすることが増えてきている。
 歳のせいだけではないだろう。

 やること、考えることが多すぎるのだ。

 週案の余白に、ここ何日かでやらないといけないものを書き出してみた。

 
 1.迎える会の台本作り  2.地域巡りのコース、日程の計画  3.各教科の教材研究  4.毎日の学級通信
 5.自己申告  6.学級経営案  7.住所録作成  8.緊急連絡網作成  9.離任式の割当と原稿推敲
 10.離任式 職員寄せ書き  11.当番表の作成と清掃の仕方の検討  12.給食の際の手順の検討
 13.社会科見学 訪問先の予約  19.遠足の実施計画  20.遠足しおり作成  21.卒業生 私立への抄本などの発送
 22.校内研究について校長との打ち合わせ・・・・・
 

 ざっと34の「To Do」リストができあがった。

 この土日は、私用のために、全く校務ができなかったから、さてどうしようかと思う。
 
 学校に行けば、上記の中で、じっくりできるのは、せいぜい2つか3つ。

 疲労して、疲弊して、学校を出れば、もう読書の余力はない。

 学ばない教師は、教師とは言えない。
 そう思って、教員生活を送ってきたが、いよいよ「こなす」だけで精一杯の労働者となりつつあるのだ。

 学年会すらとれない勤務では、個々の力量だけで、その学年が維持されるようになっていく。
 去年もまさにそうだった。

 学校にも、私たちにも、そして子どもにも未来はない。
 もちろん、それは日本の行く末にも直結している。

 
 
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新担任としてやってみたいこと その11

2017年04月15日 10時12分18秒 | 教育を考える
⑫ 保護者とのいい関係を作るために
  --ともに子育てをしているという視点で--

 「開かれた学校」とか言いながらも、かつての学校より、保護者と担任との関係は希薄になっている。
 家庭訪問は、「地域巡り」となり、担任は学区域を回って家を確認する程度。よくても玄関先で話を2,3交わすだけ。
 「よかった」とは言えないまでも、以前は家にあがって、出されたお茶をすすりながら、子どもの家での様子、子どもの長短、担任への希望、
お家へのお願いなどを、しっかりと話せたものだった。

 学級の懇談会も回数は減り、その内容も事務連絡程度のものでしかないようだ。中には、学級懇談会を避けて、学年全体の会で終わらせている学年もあるとか。それぞれの子育ての悩みや、うまくいった交流など、今は皆無なのかもしれない。

 12月の個人面談で初めて話をした、などという保護者もいたりするのである。

 だから、なにか子どもの問題行動などで、いったん話がこじれると、「互いに見知らぬ同士」である担任と保護者は、つまらないことで意見がすれ違う、互いに攻撃的になる。
 交通事故の、見知らぬ当事者間の紛争処理の如し。

 子育てや学校の教育活動を、裏から支援するはずのPTA活動も、私からすれば形骸化してきていて、「前年通りのことを そつなくすること」ばかりが役員の暗黙の至上命令となっている。新しい試みなどは、ほとんど感じられない。
 したがって、毎回役員のなり手がほとんど出ずに、たった4,5人のポストの選出にも四苦八苦している。最悪は「くじ引き」で決める学級も出てきている。
 そこで本部が考えることは、PTAの活動内容を抜本的に改革して、「楽しさが実感となるようなPTA活動」を論議するのではなく、過去の役員経験をポイント制にして、その少ないものから役員にしていくといった掟を作って縛ろうとする。
 だから、規制の強化と役員希望の減少は、互いにいたちごっことなって、毎年最初の保護者会が、暗いイメージでしか迎えることができないでいる昨今となりさがってしまっている。

 そんな実態を前にして、これまでに、私がやっていること。

 ★最初に書いたが、地域巡りまでに、子どものちょっとした「よい印象」「がんばったこと」「できたこと」などを、全員分を、一言でもいいので親に伝える。この方法は、連絡帳に書く、付箋に書いて連絡帳に貼る、学級通信に書き込む、電話で知らせるなど、あらゆる方法で行う。最初の担任からの連絡がどのような内容かで、保護者の担任を見る印象は大きく変わるものである。「ああ、この担任は、うちの子の、いい点から見てくれている」と感じるだけでいい。ここをつながりのスタートとする。
 もちろん、一時期の「対症療法」ではない。1年間心しておくことでもある。

 ★やはり「学級通信」の威力は大きい。これも書いているので、省略する。

 ★保護者会で、<「お休み」「苦情」以外の連絡もがんばって書いて担任に届けてほしい。子どものちょっとした変化、成長を、親も担任もダブルで褒めて、自覚させていきましょう。>と強調した。
 新学期が始まって1週間。現在、15冊、つまり子どもの数の約半分のお家から連絡帳が届いた。
 「先生の毎日の話が楽しいらしく、夕飯のときは、先生の口調のまねをして、再現しています。こんなに息子が学校のことを話してくれるのは初めてのことなので、嬉しいかぎりです・・・」
 (1日1回、どこかで私は子どもに1話の約束をしている。子どものころのこと、笑い話、科学の話、最近のニュースなど、子どもがのってくれそうなことを3分程度で行っている)
「朝、私の用事で、最後に息子が家をでることになりました。かぎをきちんとしめることを伝えて出かけたのですが、帰宅してみると、なんと食べた食器が私のもふくめてキッチンの流しの中に、しかも水を張って沈める形で片付けられていて感激! 息子が帰ってきて思わず抱きしめてしまいました」
 「教室のたくさんの本から、毎日1冊ずつ借りてきては、真剣に読んでいます。去年は私が買っていた本など見向きもしなかったのに。くやしいのと嬉しいのとで・・・(笑) 先生、娘をほめてあげてくださいね」
 「ピーマンの嫌いな妹のために、夕飯のときに、息子が<フレー フレー ○○>という、嫌いなピーマン食べちゃうぞ応援ソングを歌ってくれました、妹はけらけら笑って、なんと半分以上も食べることができました。すごい息子の超能力、書かずにはいられませんでした。」
 などなど・・・


 年の功なのだとも思う。
 若い人がやって、うまくいくかはなんとも言えないが。
 ただ、その意図することは、自分なりの工夫で取り組んでほしいと思う。
 卑しい動機かもしれないが、「親とむだなトラブルを起こしたくないため」に、そして、こちらのほうが重要なのだが、「子どもたちが、親により、担任により、目を輝かせて成長を遂げられる」ように。
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新担任としてやってみたいこと その10

2017年04月13日 00時45分11秒 | 教育を考える
⑪ すぐれた実践と思ったら まず真似してみる

 まなぶ=まねぶ なのだと思う。
 私も、「あ、いいな」と思うものは、まず取り入れてみることにしている。
 もちろんクラスの子どもの実態に応じてであるが。

 そして、実際にやりながら、それを自分の「オリジナル」なものへと変えていく。

 学級通信も、先に紹介した村田栄一氏の「ものまね」からスタートしたものだ。とにかく書き貯める。
 それは「クラス紹介」というよりも、自分の実践の総括となるものだから。

 「ノートと対話しなさい」という合い言葉にしてのノート指導もしかり。キーワードでまとめる、吹き出しで自分の考えを書きなさいと奨励することも、昔のことで、誰かからは記憶にないが、まず真似からのスタートである。

 挙手のさいに、今日の挙手、発見の回数を、指で示して手を挙げる、私はグー(0回)の子を指すことで、まんべんなくクラスの子が「活躍」できるようにしていることも、練馬時代に先輩がやっているのを真似したのが最初。

 私の、今行っていることは、その中の「生き残り」、つまり「すぐれている」と思い、「自分なりの改変」をしたものに他ならない。

 今、「掃除のしかた」について考えている。
 私の学校では、机を1人1人が後ろに運び、ほうきの担当が一列になって、ゆっくりと掃きながら進むという方式をとっている。
 その後、机を前に運び、後ろをまた行列で掃く。それから机をもとの位置に運び、椅子を下ろして整頓する。

 まず、あぶなっかしい。時々、机を倒して大きな音をたてる。足にでも落としたら骨折するだろう。重い机を3度も運ぶのも非効率的だ。
 掃く方法も、たぶんに形式的。すみからすみまで目が届かないやり方だ。

 これについては、またここに書くが、従前の清掃方式が定番となっている理由はあるのだろうか。
 同僚に聞いてみたいと思っている。
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新担任としてやってみたいこと その9

2017年04月09日 22時46分39秒 | 教育を考える
⑩ 話し上手への道を

 「先生、25回だったよ」「だめだなあ」
 かつて(あっ、今もそうかも)私は、話をすることが苦手で、だらだら長く、しかも「あのー」「えーと」を連発していたものだから、聞いている子どもたちは、すぐに飽きてしまい、さらに何を言っているのかつかめない状態であったにちがいない。
 6年生を持ったときに、クラスの女子に、1時間の授業の中で、私が何回「あのー」「えーと」を言ったか数えてもらったことがあった。
 言わないようにしていたにもかかわらず惨敗の結末。

 「しゃべってなんぼ」「聞かせてなんぼ」が教師だと先輩から聞いた言葉だ。
 たしかにそうだと思う。

 いまだに私は話が長いと感じるときがある。
 それでは、私だけが納得するだけだ。

 向山洋一の著作に、「指示はひとつ 終わったあとのことも示せ」(記憶違いがあったら失礼)という「格言」があったと思うが、これは確かにそうだと思う。
 教師の言葉は、単純であり、何をして(考えて)いいのかが明確であることが必要なのだ。

 子どもとのかけあいに自信のないものほど饒舌になってしまう。
 
 話し上手になることを、いつも心がけて訓練していくべきだろう。それは教師としての生命線なのだから。

 それでは、どうやって・・・それは自分で考えるしかない。自分の話し方の分析をしてからこそ、対策、工夫があるわけだから。

 ちなみに最初私は「落語」を聞きまくった。
 ここで得られたものは、「間」の取り方。これは今の自分にはかりしれない武器となっている。
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新担任としてやってみたいこと その8

2017年04月08日 01時10分45秒 | 教育を考える
⑨ 子どもたちと一緒に クラスの決まりを作る

 すでに2日で、いくつかの「約束」を子どもたちとしました。
 そのいくつかの例を。

 A 「先生は授業の終わりをがんばる。みんなははじめをがんばろう」
  
 「先生は、楽しい授業になるようにたくさん勉強して準備します。だからきっとぎりぎりまで授業をやりたいと思っています。でも、みんなは休み時間はたっぷりととりたいよね」
 みんな「うんうん」
 「だから、先生はチャイムがなったら、ぴたっと授業を終わらせるようにがんばる。そのためには、みんなにも協力してもらいたいんだ」
 「それは、みんなが授業のはじめに、次の授業の準備をして、座って待っていてくれること。そうすればすぐに授業が始められて、うまくいけば、チャイムの前に終わらせることがむできるかもしれない」
 みんな「うんうん」
 「だから、お互いにがんばろうよ。先生は終わりを、みんなははじめを」
 
 次の授業の開始。みんなが声をかけあって、みごとに着席していた。

 B 「トイレはアイコンタクトで」

 「授業中、トイレに行く人がいると、先生は途中で授業をやめて待っていることにしています。だから休み時間に行ってほしい。それでもやっぱり急にお腹が痛くなったり、おしっこをしたいと時もあるよね。そんなときは、周りの人に気づかれないように、じっと先生を見つめてください。先生が気がつかなかったら、ウルトラマンのシュワッチの手をしてください。そうしたら先生は気づいて、だまって、ウンウンと合図をします。そうしたら、そーーっと教室の後ろから抜け出して、トイレにいきなさい。そうすれば、みんなは授業に集中したままでいられます。」

 C 「ぐにゅぐにゅをたのむ」

 「テレビの画面に今日の予定がありますが、何分かたつと画面が黒くなっています。そんなときは、誰でもいいから、マウスをぐにゅぐにゅしてください。また画面が出てきます」
  さっそく画面が黒くなって、何人かの子がマウスで復旧してくれた。

 D 「グー、1、2、3・・・・で手を挙げて」

 「先生は、1日で、全員の子が手を挙げて発言してほしいと思っています。だから手を挙げるときは、今日何回手を挙げて発言したか、指でサインを作ってください。0回ならグー、1回なら人差し指で1というサイン、5回以上は、パーでわかるようにしてね。先生はグーの子を優先して差していきます。これでできるだけ、たくさんの子が手を挙げ発表することに近づけます」


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教師になって初めての経験 多忙極まった顛末

2017年04月07日 22時54分59秒 | 教育を考える
 始業式の翌日。つまり新学期の2日目。
 私は、いまだに担当学年の教科書を開いていない。
 教員になって初めてのことだ。
 
 すでに書いてきたことだが、今年の職場の多忙は半端ではない。
 土日明けの3日から私たちの実質的な準備が始まったことや、日程の組み立て方が過密だったこと、学級事務、学年会を何も考えない計画が1番の問題ではあるのだが、それにしても、教室にも行けない、教科書も手にできないといった状況は、異常としか言いようがない。

 
 今日はなんとか年の功で切り抜けたものの(教科書配布、ガイダンス、自己紹介、大掃除など)、月曜からの授業はそうはいかない。

 今日の午後をふり返ってみる。会議などは何も予定は組まれていないのだが、私の仕事を列挙してみると、

 インターナショナルスクールに通い、その休みに私の学校に登校するK君の母親が来校し、今後のこと、休みの間の連絡などを話し合う。→終わってから、図書室に出す「1年間の団体貸し出しの書籍予定」の申し込み内容を検討する。→その途中で、保護者から電話。さっそくの子育て相談である。母親を励まし、本人へのアドバイスについてアドバイス→再び、図書関連の申し込みに戻る→Xさんから、固定時間割作成について相談をされる。去年までの私の担当を引き継いだ同僚。いくつか矛盾点があり、それを直すようにと話す→今日、入学式があったので、卒業生が学校にやってくる。しばし中学校の話をする。→「家庭数」の報告がまだだった。→住所録などを調べて担当に報告→再び卒業生の第2波。担任のこと、部活をなににするか、30分ほどおしゃべりする→月曜日の保護者会の資料を作成する→途中で、月曜から始まる算数のグループ分けについて学年で打ち合わせ→再び保護者会資料→電話あり。アレルギーの子の親との面談の日程について問い合わせ、今日の4時から行うことに。→再び保護者会資料作成に→保健の先生から、月曜の身体計測の確認をという要請で学年で対応→月曜から始まる算数のグループ分けをお願いする→栄養士さんと、アレルギー面談の打ち合わせ。去年の資料を見る。→アレルギー面談。管理職、養護、栄養士、そして私と保護者と児童→そして夕会。学年毎の様子を報告し合う。さまざまな連絡。管理職から「週案を出してください」との発言。「いつやればいいんだ」と心の中で反論→そして、勤務時間を超える→保護者会の資料、作りながら分担をする→入学式に臨時で、教室の椅子を借りたままで、いくつかまだ戻っていないことを担当に報告。他の教室に返却してしまったことが判明。取りに行く。→ほぼ保護者会の資料完成。分担を決める→やっと教室に行き、パソコンとテレビとをつなぐ。この画面で1日の予定を子どもたちに提示をする。→固定時間割検討。まだいくつか矛盾あり→ここで6時半。

 頭の中が固くなってしまい、もう体が仕事を受け付けない。

 みな放り投げて、学校を出る。

 かといって、それでいいわけない。土日に出勤するしかないのだ。

 

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教育勅語は 否定されるべきものだ

2017年04月05日 23時52分20秒 | 教育を考える
 色眼鏡で見る、偏見・先入観でしか判断しようとしない、レッテル貼りの、典型である。
 こんな記事を読み、信じる「おひとよし」があまたいるのだろう。

 「・・・こそが言論統制」
 「かみついた」
 「言及するまでもない」
 「弾圧」「妄想」
 そして、自分の都合の良いときだけ、権力の盾とするための「憲法」条文
 下品であり、権力の番犬としての御用新聞の記事。
 「真実を追究する」姿勢が微塵もない、もっとも信用できない新聞だ。
 
 


「教育勅語について「教材として用いることまでは否定されるべきでない」とする政府答弁書をめぐり、野党と一部メディアが大騒ぎしている。安倍晋三政権の「戦前回帰」との表現まで持ち出して世論をあおる論調も出てきた。教育勅語を完全に否定するやり方こそが言論統制ではないか。

 騒ぎのもとになったのは政府が3月31日に閣議決定した次の答弁書だ。

 「学校において教育に関する勅語をわが国の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切であると考えているが、憲法や教育基本法などに反しない形で教育に関する勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」

 これに、朝日新聞がかみついた。4月1日付朝刊1面で「教材に教育勅語 否定せず 政府答弁書 憲法に反しない形で」との記事を掲載した。3面でも「教育勅語 肯定の動き」「第2次安倍政権で顕著に」との見出しが並んでいた。

 2日付社説「教育勅語過去の遺物が教材か」に至っては、根拠も示さないまま「この内閣の言動や思想をあわせ考えれば、今回の閣議決定は、戦前の価値観に回帰しようとする動きの一環とみなければならない」と、おどろおどろしく断じていた。まさに「妄想」全開である。

 また、毎日新聞も4日付朝刊で「戦前回帰 疑念招き」「安倍政権 保守層に配慮」との見出しを掲げた。東京新聞の報道は、言及するまでもない。

 一連の報道に野党も便乗する。民進党の野田佳彦幹事長は3日の記者会見で「教育勅語は片言隻句を見ると共感する人もいるかもしれないが、トータルでは主権在君だ」と政府批判に利用した。山井和則国対委員長は4日、学校法人「森友学園」を引き合いに「本質は教育勅語を幼稚園児に暗唱させるような愛国教育を行っていることが問題だった。安倍政権は間違った方向に進んでいることが、教育勅語の復活ということについてもいえる」と、脈絡の分からない批判を展開した。そして
 質問攻めにあったのが菅義偉官房長官だ。3日の記者会見で、昭和23年に「指導原理的性格を認めない」などとして衆参両院で排除と失効確認が決議され、教育基本法が成立したことで「法制上の効力は喪失している」と説明した。ところが、「教育勅語が戦争中に果たした役割、天皇のために命をささげなさい、臣民になりますというところに関して反省はないのか」(ジャパン・タイムズ記者)などの飛躍した追及が相次いだ。

 4日も同じ状況が続いている。菅氏の「親を大切に、兄弟姉妹は仲良く、これは当たり前。教育上支障のないことについては取り扱うことまで否定しない」との発言に対し、「ほかの話でも教材にできる。なぜ(教育勅語の教材使用を)否定しないのか」(共同通信記者)との政府による「表現」弾圧を求める質問まで飛び出した。

 野党や一部メディアは教育勅語の排除と失効確認の決議を錦の御旗のように扱うが、決議はGHQ(連合国軍総司令部)の統治下に行われたものだ。終戦後、教育基本法を策定した当時の教育の専門家による教育刷新委員会は、「親孝行」や「友情」といった時代を超えた道徳の基準である教育勅語の精神を否定するつもりはなかった。

 政府は教育勅語を教材に活用するとは言っていないし、そのつもりもない。にもかかわらず、重大事が起きたかのように騒ぐ野党やメディアの姿は異様だ。憲法19条が保障する思想・良心の自由や、言論の自由を定めた憲法21条を自ら踏みにじっているといえる。(産経新聞 田北真樹子)」
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