息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

なんて空疎な「イジメ ゼッタイ ダメ」

2020年12月31日 22時23分55秒 | わたしごと
本を読む傍らで、連れ合いが紅白歌合戦を見ている。
すると、「イジメ ゼッタイ ダメ」(ナカテンがあるかもしれない)という題名の歌が登場した。少女グループである。○○ドリームとかいう、私は初めて見るグループだ。
ちょっと気になり聞いてみると。
やはり。なんと空疎な歌詞なんだ。この曲で、励まされた人がいるかもしれないし、それは否定はしないが、私には、「あなた 変わりなさい 変わりなさい」と、言われているようで、なじむことができなかった。
もちろん、いじめは許せない行為であるし、それをなくすには、事情や個々の性格に応じた言葉が必要だろう。
だからこそ、この曲のように、「紋切り型の言葉の羅列」で、いじめられている人が癒されはしないし、いじめている側にも「変革の力」になるともおもえなかった。

虚しい曲である。自己満足な歌である。
真面目なメッセージが、金儲けのネタにされているように思えた。

ファンの方には申し訳ないが。
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2020年の重大ニュースは・・・

2020年12月31日 08時59分35秒 | わたしごと
①いつ倒れても、いつ死んでもいい歳になったと実感した年。
 友人のムロが、朝起こしにいったら、すでに息をしていなかったということを聞き、その1週間前にラインで話したことを思い出しつつ、我が身にも「死」の使いがひたひたと迫っているのだなと思った。私よりも1つ下だということもショックであった。
 メトメ、たざきくん、大五郎、そしてムロ。周りから、すっと消えていく。
 私の家系も、父が64,祖父は68。70を越えられないで二代続いている。女性は80,90台と、長寿なのに。男はどうも短命だ。
 明日、無事に目が覚めるのか。よく考えるようになった。

②「経済効果(つまり儲け)」「国益」「利権」「忖度」で動く権力の腐敗を、改めて知り、そして嘆く。
 物証がなければ、「答弁を差し控える」。発言を合図に、側近や官僚が証拠を隠滅する。資料も出さずに発言を訂正し、「説明責任を果たした」と豪語する。「道義的責任がある」としながらも、何もしない。同じ党から、なにも意見が出てこない。この国は、いったいどうなっていくのだろうか。前政権を「継承」すると言い放った、現政権も、この腐敗を不問のまま、やり過ごすのだろう。支持率が下がったと報道されているが、それでも5人に2人は支持しているのだ。
 一方の国民は、自らが主権者であるとを忘れたかのように、その権利を行使しようともしない。
 ストライキなどは、最近耳にもしないし、報道もされていない。おそらくストを打てば、国民が黙っていないのだろう。「迷惑だ」「権利ばかり主張するんじない」と。もうすでに、国民の大半は、「労働者の権利」や「民主主義」など、微塵も頭の中にはないのだろう。
 
③学校教育、少しもよくはなっていない。
 私が教員になって、もうすぐ引退するまでに、よくなってきているのか。残念ながら、否である。
 表向きには、「人権」「対話」「個々に応じた」「働き方改革」・・・と、美辞麗句を並べている教育施策であるが、実態は、その言葉とは相反した現場が、依然として続き、または、より悪化した方向に進んでいる。以前と異なるのは、それが「制度的」に年々引き継がれていき、もう後戻りできなくなってしまったという閉鎖状況になってしまっていることだ。
 若いものには、その「狂った現場」が当たり前になってしまっているのだ。
 卒業式では、あの通達すら知らない。みな正面を向き、「国旗」を仰ぎ、「国歌」を何の疑いもなく起立し斉唱する。職員室では、すでに話題にもならない。疑問を持ったものがいたとしても、提案される職員会議は「議論の場ではない」と、質問すら許されない。それでも納得できないでいても、それを発露する場がない。管理職からは「意見があれば、主任、主幹を通して」と、釘をさされる。いまや、主幹は、そのほとんどが管理職の「番犬」であるから、疑問など通るわけがなく、かえって「睨まれたくない」という気持ちが先に立ち、なにも言わなくなる。自分を守らなければならない職場なのだ。
 「給料が上がる」「出世する」、そんな価値観は、私の若いころには、ほとんど聞かれなかった言葉だ。ベースアップの話題があったが、今や「自分だけ上がればいい」というものに成り下がっている。自己申告の提出により、その評価、成績で、教員が分断され、格差をつけられている。みな、自分の生活を守るのに必死なのだ。
 「自分を守る」ことに躍起になっている教師が、やれ「人権」だ、「民主主義」だなどと教えられるわけがない。(職場での痛みを、反転して子どもに伝えようとしている良心的なものもいるが)
 道徳が「教科」になった。教科書を従順に使えというのである。そこで見られた授業の風景には、ぞっとするものがある。
 「自分の権利ばかり主張するのはいけないと思います」「それはわがまま」「人のために自分をぎせいにできるなんてすばらしい」
 個の伸長が、社会の進歩につながることなどは話されることは少ない。あくまでも、「みんなのために我慢する」なのである。
 
 コロナの影響で、子どもたちの格差が、想像以上に広がっている。共働き、保護者が失業、または不安定に職業でいる、母親だけで生計を立てている家庭。これは、私の見立てであって、必ずしも正確な把握ではないのだが。2学期に行ったテストで、そんな「家庭群」と、それ以外との家庭群とで、大雑把に算数の平均点を比べてみると、なんとほぼ20点近い差があった。これほど顕著に開いていたのは初めてである。
 余裕のある(これとて、正確な表現ではないが)、すでに塾で、通信で、家庭で、予習・復習しているのだ。

 それなら現場はどうしているのか。
 以前にも書いたが、宿題は保護者が採点するのだ。通知表も指導要録丸写しのもので、少しも保護者が理解できるものではない。
 例えば国語「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」の観点で、「よくできる」「できる」「がんばろう」のどれかをもらって、子どもに何と言っていいか戸惑う保護者は少なくないだろう。
 それではと所見欄を見ると、「道徳」の所見欄より小さく、さらに今年から2,3の箇条書きで「すっきり」させたのだという。ますます分からないではないか。
 「公徳の大切さを意識しながら生活する」「自分でよく考え、工夫しながら取り組む」「生命を大切にし、自然に親しむ」「相手の立場に立ち、公平に行動する」などという項目も、「できる」「がんばろう」の択一で評価できるのだろうか。

 あげればきりがない、学校の矛盾。こんな状態で去っていくのかと思うと、慚愧の思いだ。

 まずは3つ。悲観的なものばかりだ。

 
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「ビックイシュー」販売員さんのこと

2020年12月29日 13時34分11秒 | 教訓
今日の東京新聞1面に「人とつながっていたいから」という見出しで、いつも購入している尾崎さんの記事が掲載されていた。
当初は先週の予定だったらしいが、今日に延期され、さらに1面に移されたようだ。
これまで、買う度に挨拶や軽い会話しかできないでいた私だったので、記事を読み、彼の生い立ちが垣間見ることができた。
正直、私は話し込めないでいた。彼の生い立ちは、おそらく複雑で厳しいものであったに違いないのだろうが、それを聞いて、「大変でしたね。頑張ってください。」と紋切り型の言葉しか返せないような気がして。
「波瀾万丈」といった単語では、簡単には括れない人の人生を、どう受け止めて、どう返したらいいのだろうか。
尾崎さんとは、ほとんど歳が一緒であった。
それも私には辛い。

おそらく、また会うときは、また「こんにちは」「寒いですねえ」「また!」くらいしか言えないだろうが、少しだけ私の笑顔の深みが増すかな。
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ブックオフの買い取り しめて一万ちょっと

2020年12月29日 09時17分42秒 | わたしごと
恒例の、本棚の整理。
今年も、本棚からあふれた愛すべき本を泣く泣く売却する。
約200冊。そのうち値段のつかないものは約50冊。値打ちはあるのになあ。
151冊に値がついて、合計11170円。1冊70円ちょいか。悲しい現実だ。
まず高値のついた本。
時間は存在しない 500円
我らが少女A  300円
灯台からの響き 350円
これがベスト3。

250円と査定されたもの。
ある男
ことばにできない宇宙のふしぎ
ひこばえ 上
ひこばえ 下
他者と共にあるとはどういうことか
地図帳の深読み

200円のもの。
家族じまい
ヒューマニティーズの復興をめざして

悲しい5円という査定
街場の教育論
AKB48とブラック企業
エブリシング
こんなにも恋はせつない
国語入試問題必勝法
彼女たちの事情
ぶらりミクロ散歩

相手も商売だからなあ・・・と自分に納得させて店を出る。
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経済政策に由来するものが不純だ

2020年12月28日 10時56分30秒 | 教訓
国が経済政策を立案し、実行に移すのは、国民の生活や経済活動に対して、より有効に働くと考えて練り上げたものだと考えてきた。
私は経済学については、全くの素人であり、「利潤追求こそが格差や腐敗や利己主義の蔓延の根源」だと、ただ単純に考えてきた。
だから、いまの政権は、goto~のような、車購入のさいの補助金のような、企業だけが潤うだけの政策を実施し、働くものにはなんの恩恵にもならない政策に腹をたててきた。
さらに最近、これに加えて「政権維持のための政策」も、視野に入るようになってきた。
支持率が下がれば、またはその無能ぶりがマスコミで叩かれるや、とたんに発せられるものだ。
10万円の給付金、マスクの配布などがそうだろうか。
そして、さらに政権の狡猾さが露呈する。利権を絡めるのである。または、人脈を絡めて、より近しい者や企業に、そこから得られる権利や利益を振る舞う。

始めに戻そう。
経済政策とは、いかなるものか。
誰のためのものなのか。
腐敗を示唆する報道は、毎日の如く。

世界を見渡しても、魅力ある大統領、首相が見つからないのも悲しい。
みな権力の座を死守しようと、なりふり構わず策謀している輩ばかりが目につく。
制度も人も、私には光が見えてこない。
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高須氏の「論理」 再び

2020年12月27日 21時08分47秒 | あれこれと
「村上氏はウェブニュースのインタビューで「今の総理大臣は紙に書いてあることを読んでいるだけではないか」「(コロナの対応について)各国の政治家に比べ日本の政治家は最悪だった」などと断じた。
これについて高須院長は「村上春樹先生は日本人ですか?」と問いかけた上で「日本人が選んだ代表を最悪と言うのは日本人が最悪だと言っているのと同じだと思います。残念な発言です」と日本を代表する作家の発言を嘆いた。」

 著名人だからといって、すべて正しいことを話している訳ではないことは当然のことである。
 ただ、反対に、著名人だからこそ、その発言は多くの人に、大きな影響を与えるということを、肝に銘じておく必要があると思う。
 
 今回の高須氏の発言はどうだろうか。
 彼の発言は、村上春樹氏に対して、「あなたは非国民だ」と言っているに等しい、恐ろしい、しかし稚拙なものである。
 この件に関しては、私も村上氏と同意見である。
 日本の政治家は三流。そして、それを選んでいる国民も三流(ここは高須氏と相通じるところもあるかもしれない)だと考えている。
 日本人が選んだ代表を批判することが、そのまま「愛国心のない」「日本人としての資格のないもの」だとは思わないし、思ってはいけないことだ。
 高須氏の論理構成は、ネットに横行する「国益に沿わない意見=反日」としてレッテル貼りをする勢力と瓜二つである。
 政治家を批判することは、むしろ「国を愛するがゆえ」ということが理解できないのだろうか。

 高須氏のような言動が、ますます権力を腐敗させ、日本を滅ぼしていくのだ。
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高須氏には申し訳ないが

2020年12月26日 10時53分06秒 | 教訓
「旧型の蔓延のみならず変異した新型コロナウイルスの脅威にさらされている一番大切な時、桜のパーティーとかどうでもよい話しばかり馬鹿みたいです」と批判。
闘病中の高須氏には申し訳ないが、「どうでもよい話」では、さらさらないのだ。
コロナ対策ももちろん大事。
だからといって、不問にふしたり、無視したりして良い問題ではない。
国民の税金を使って行った「パーティー」が、自分の支持者、後援者のために、私物化され、「格安」で振る舞い、足りない分は補填していたこと。それを「あり得ない」として、虚偽答弁を何度も繰り返していたこと。真実が露呈するや、「それは秘書が」と責任転嫁。

単なる「パーティーをやって、けしからん」ではないのだ。
好意的に考え、高須氏は、コロナと天秤にかけて、相対的に「桜」は低い価値のものであるとコメントしたかなとも考えたが、どうも文脈からして、そうではないらしい。
となると、あなたの感覚は、権力を持つものにすり寄ったものであるとしか考えられない。
「お上に楯突くな」では、あなたの描く日本の未来像は、果てしなく暗黒なものになってしまうだろう。
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虚しさしか残らない

2020年12月25日 06時27分10秒 | 教訓
安倍元首相の会見は、絵に描いたように、予想通りのものだった。
「私は知らなかった」「責任は、議員活動を全うすることで果たしたい」
物証がないから、だそうだ。これだけ状況証拠は揃っているのに、である。
虚しさ、と書いたが、やはり怒らなければならないと思う。
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愚かなり

2020年12月22日 06時23分34秒 | 教訓
議員辞職。健康上の理由と言う。
国会で証言。「私は知らなかった」とでも言うのだろう。
愚かな、国民の代表だ。それを選ぶ国民のレベルもも、たいしたものじゃない。
ガースーは、そのうちガス欠になるだろうが、この言葉を真面目に、意図的に仕組んだバカさ加減が笑える。
人は総じて愚かなり。
かく言う私も。
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国民の誤解?

2020年12月17日 06時26分15秒 | 教訓
連夜の会食について菅首相は、「国民の誤解を招いたという意味において真摯に反省」と述べた。
つまり国民が「誤解」「勘違い」をしたということ。
言い方を変えれば、「私は悪くない。あなた方が勝手に勘違いして攻撃してるんでしょ」ということになる。
ならば、菅首相の「正解」「正答」とはなんなのか。
あなたの何が正しかったのか。それを聞かない限り、こんな子ども騙しのような言い訳で納得はできない。
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死ぬまでにやりたいこと(序章)

2020年12月13日 15時02分42秒 | 教訓
流行りのリストアップをしてみようかなと。
考え出したら、あれもこれもと100以上も出てきてしまった。楽しい反面、「あ、やりきれないかも」と思うくらいひらめいてしまっている。
これをまとめるまでに、死んでしまうかもしれないなと苦笑する。
さあ、絞りこんで、実行に移そう!
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民青の活動を久しぶりに

2020年12月13日 14時49分16秒 | 教訓
高田馬場駅前で、青い幟を見かけ、近づいてみると、「民青」とある。
米や缶詰めなどのフードバンク をしているようだ。
ここ何年か、民青の活動を見たことがなく、やはり若い層ではジリ貧なのだと寂しい思いでいたので、少しばかり嬉しくなる。
数人の彼ら彼女らは、明るい笑顔で、道行く人に呼び掛けている。
コロナ禍による生活への影響についてのアンケート依頼、フードバンクの案内。テーブルの上の品数は決して多くはないが、それ以上に、メンバーの温かみを感じた光景だった。
「社会変革」と言っては大袈裟だが、少数ながらも自身を突き動かす意思表示に無量の感慨。
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やりがいのない仕事も一段落

2020年12月12日 10時05分48秒 | 教訓
私が教師になってから、最低の通知表の作成がやっと一段落した。やりがいを見つけられない仕事に対しては、自分を宥め、騙し、説得する時間に手間取る。
保護者会で、共通のプレゼンが用意されていて、そこには、今回の通知表について、「新しい学習指導要領の改訂にそって評定がすっきりしました」「分かりやすくなりました」「がんばったこと、がんばってほさかいことが明確になりました」とある。大嘘。
これをもらった保護者で、自分の子どもの学校生活が「よく分かりました」と納得するのは、一人もいないだろう。
無数に近い欠点だらけの通知表。いくつか挙げてみれば、
まず、指導要録丸写しの通知表だ。要録は、教師サイドの指導の資料だ。それをそのまま通知表の観点に採用していること。例えば「知識、技能」を3段階に分けて評定をもらった親は、何を考えるか。国語で言えば、漢字の読み書き、文法、文章表現の技術、ローマ字の習得などがその中身だろう。その欄にポンと「もう少しがんばろう」という丸印が押される。さて何をがんばるのか?皆目分からない。では、所見で見てみよう。
あれそれについての記述がない。
そう、今回は「所見は、すっきり箇条書きにしました」「2、3項目で簡潔になりました」なのだ。ちっとも分かりやすいとは言えないではないか。何を頑張ればいいのか。謎解きだ。返されたテストで推理し、対策は親が考えなければ、我が子はついていけなくなる。落伍者となってしまう。
新しく教科となった道徳には、所見と同じくらいのスペースをさいて、やはり「所見」欄がある。中身がない文章だ。授業の一部を取り出して、「友情はすばらしいものだと再認識していました。」「ルールを守る大事さを書いていました」こんなことは、思ってなくても書ける。そもそも、我が子の「道徳心」が、担任にはわかるのだろうか。
「生活の様子」は、さらに分からない。「生命を大切にし、自然に親しむ」「運動する習慣つけ、元気に生活する」「公徳の大切さを意識しながら生活する」「自分でよく考え、工夫しながら取り組む」など10項目。これを2段階「できる」「がんばろう」で選り分けられる。「ときどきできる」「よくわからない」「なんとも言えない」があればいいのだが、白黒をつけられて親に渡されるのだ。担任は、おそらく自信を持ってつけられないはずだから、クラスで目立った「トラブルメーカーさん」「生活がはっきり乱れている」子をターゲットにして、「がんばろう」を。また評価する自信のない子(ほとんどの子)には、「ま、できるにしておけば摩擦はないだろう」となる。
私が教師になって、最低の通知表。
内部からは、私がピーピー不満を進言している程度で、周りは黙々従っているだけ。愚痴は言うが(笑)
さて、保護者がこれをもらって、さてどう受け止めるのか。なにも反応がないなら、学校も地域、家庭も、体たらくな「思考停止」状態に成り下がった証だと言えよう。
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絶対的な善はあり得ないだろうが

2020年12月07日 20時06分43秒 | 教訓
すぐさま、友人から、「おいおい、この世に、叩いて埃の出ないもんなどないだろ?そこそこ、楽しんで、そこそこ、拒めばいいじゃないか。お前は頭が硬すぎる。窒息してしまうぞ。」との進言があった。
そうだよね。
埃のついたものを全て拒否していたら、たぶん私は生きていけない。
そんな「頑固」な私も、タバコをやめられないし、町の個人商店を根こそぎ廃業に追いやったコンビニも利用している。ブラックなamazonも、ただ本が安いので、頻繁に利用している。
どう生きたらいいのか、日々悩みに悩んでいる、情けない私だ。
しかし、いったん知ってしまったら、どうしようもない。
一貫性は欠きながらも、私なりに優先順位をつけて生きていくしかない。
いくつかには折り合いをつけながら。残念ながら妥協しながら。
優先の上位には、自分なりに力を注ぐ。
不完全な人間が、不完全ながら頑張れることを続けていきたい。
戦争に繋がると思う、あらゆること。地球の未来や存亡に関わること。個人の内面に ズカズカ踏み込んでくるもの。
我が身可愛さの不完全な私なりに。
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享楽のディズニーランド こうして時代は変わるのだが

2020年12月07日 18時46分19秒 | 教訓
息子夫婦がディズニーランドに行ってきた話をしている。さぞかし楽しかったに違いない。それはそれで、いいのだろう。
物事に対する感じ方は、それぞれなのだから。

何度も書いてきたが、私はディズニーランドには、関心はあるが、行きたいとは微塵も思わない。行けば、ただ、ただ白けてしまうだろうと思うからである。
創業者が、仲間を売った。ずいぶん昔の話である。もう誰も話題にもしていないかもしれない。
そんな昔のことに拘るのは、頑固で融通が利かないと思われるだろう。

小学生のころ、毎週金曜日の七時は、私の至極の時間であった。隔週でプロレスとディズニーランドが交代で放送された。どちらも楽しみな時間。力道山の勇姿も魅力的だったし、ちょび髭のウォルト・ディズニー自らが登場し、解説するアニメの世界にも魅惑されたものだった。

大学生のときに、アメリカのマッカーシズムの本を読んだ。いわゆる「赤狩り」である。こんなことは学校では、微塵も教わっていない。研究会に、勉強会にと、そのテーマを追って出掛けた。
ディズニーの証言により、たくさんの映画関係の仲間が、職を追われたことを初めて知ることとなった。

今、ディズニーランドで働いている人には、そんな歴史も頭にはないだろう。罪はない。ただ無知なだけだ。

華麗な、可愛い、幻想的なしかけに、心から幸福感を享受する客にも罪はない。しかし、これも無知ゆえのことかもしれない。

こうして「昔のことはどうでもいいじゃない」人間が増えていく。
歴史がすっきり清算されずに、過ぎていく。

そして、気がついてみると、取り返しのつかない時代となっている。

気がつけば、まだましか。
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