息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

うんざりするほど変わらない政治の構図

2024年10月28日 17時53分07秒 | あれこれと
総体としては、中身が変わったとは思えない。
自民と同レベル、またはそれ以上の右翼が受け皿になっているのだから。
立民が連立のリーダーシップをとれるとは到底思えないし、たとえ出来たにせよ、また短命に終わるだけだと確信する。
根本的な対抗軸になれない宿命だ。
また同じことの繰り返し。
共産、社民は、かやの外。
うんざりするほどつまらない循環政治。
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立憲が どう連立を組むか いや

2024年10月27日 22時17分26秒 | 奇妙な風景
いや、自民が、維新や国民民主、保守、参政を取り込む公算が強いかもしれない。
立憲が、野党になりふり構わず協力を求めたりすれば、めちゃくちゃになるかもしれない。
「勝ちそうな候補者に票を入れる」
こんな選挙が続くなら、日本の夜明けはしばらくないなあ。
いつもじれったく、失望しかない選挙。
とにかく小選挙区制はやめましょうよ。
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投票が済んで 私のリトマス試験紙

2024年10月27日 15時03分28秒 | わたしごと
私が投票した候補者は、ほとんど当選したことがない
いつも1割程度の得票率の政党は、小選挙区制度では、まったく話にならないくらいほど当選圏外。
国民が真に平等であるなら、500議席の1割、50程は議席が与えられなければ、割が合わない。 
この悪魔の選挙制度があるかぎり、また、今回のように野党の統一戦線の努力がないかぎり、おそらく、腐りきった現政権が、議席を減らしても「勝利」するだろう。
野党も、半自民的なものばかり。維新や保守は超自民。
自公が負けても、「私たちがお助けいたしますよ」と、番犬志願の政党がぞろり。在野であっても、おこぼれ志願の腐れ野党ばかりだ。
小選挙区はやめる?
日本を中立化させられる?
私の最低のリトマス試験紙。

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あなたへ9 母方の系譜

2024年10月20日 18時26分20秒 | あなたへ
 あなたの母は、8人兄弟。半数が女性である。母は末っ子だったので、あなたには伯母が3人いることになる。その伯母には、全てあなたの「子育て」の世話になり、さらに2人の伯母は、母の営むバーで、長い間「ママ」をしていたため、父方と比べて、関わりが何倍も大きい。
 前述したように、父方では、日光の従弟の家族、家中駅前の「都賀屋」の家族、そして祖母くらいしか、深いつながりはなかったようだ。(年賀状などの義理的なものはあったものの)
 母方の祖父母については、残念ながら、どちらも記憶がない。祖父は1945(昭和20)年7月1日に気管支炎か肺炎を患い、祖母は樵の不注意による倒木の下敷きになり、1951(昭和26)年10月17日に亡くなっているのだから。
 ここからは「ようだ」の文が続く。あなたの妹が、母から聞いてメールで教えてくれたものばかりなので、あなたは、母方の親戚、先祖の輪郭程度しかわかっていなかったため。「ようだ」の文は、ほとんどが母から聞き取りをしてくれた妹からの情報なのである。
祖父茂吉は、栃木県特産の米と大麻の等級を決める農林水産省の検査員。背が高くハンサムで優しかったようで、あなたが性格も姿も似ていると親戚のだれもが話すのを、あなたは聞いているはずだ。茂吉は五人の兄弟姉妹で、次男だったようだ。長男(和十郎)は勝の婿養子で尊祖父が足利で織物工場を経営しているところに、一緒に連れていかれた。したがって、尊祖父母の勝とは別居状態だったようだ。茂吉の母である勝は、足利にはついていかなかったそうだ。 長男だけ連れていったらしい。長女のイツは宇都宮の外科医の斉藤医院に嫁ぐ。あなたの従兄の修一(仁一の長男)の妻である「まりちゃん」の祖母にあたる。ご主人が亡くなった後は産婆として人のために功績をしたとのことで、黄綬褒章を授与された。次に次女のスイは代々木に嫁いでいるが、 この代々木の家のよしろうは、キミの実姉の一人息子にあたり、そこに嫁いでいったそうだ。つまり茂吉にとってもキミにとっても親戚になる。「 代々木のおばあちゃん」として、あなたはぼんやりと記憶している方だ。五男の五郎は栃木市内に養子婿に入って、別姓の五郎を名乗ることになる。東武鉄道に勤務していたようだ。
母キミは隣村のうすくぼ(おそらく臼久保、隣村だ)から嫁いできた。あなたの母からは、いつも「おきみさん」と呼ばれていた祖母だ。早くに母を亡くしていたそうで、兄弟に世話をしてもらっていた。キミも5人兄妹だった。うすくぼの長男、次男が足尾銅山のおじ、郡山のおじが三男、代々木のおばは長女で、キミは末っ子。郡山のおじはキミのすぐ上の兄。キミ以外はみんなお金持ちだったと、あなたの母から聞いている。母の生家、つまり祖父母の家は、都賀郡家中宿で姑の勝が小商をしていた家だったようだ。酒、タバコ、化粧クリームなど売っていて、今でいう小さなマーケットという感じの店だった。すでにこの家は解体され、そこから50mほど先に新しい「母の実家」が建てられているのだが、古い家には、あなたは何度も泊りに行っている。古く、平屋の一軒家。商いをしていた雰囲気がまだ残っていて、正面のガラス戸を開けると、広い土間。右手は一段高くなって、広い板の間。その真ん中に、今では懐かしい囲炉裏が掘られていた。その奥が、広い畳の広間。左手に縦長の畳
の部屋(といっても仕切りがなかった)があったと、あなたは記憶している。裏の庭、と言っても畑ばかりだったが、白壁の蔵があり、その前に、山椒の木が植えられていたことも記憶している。
家の前は、鍛冶屋。カンカンと、地金に打ち下ろす金槌の音も、あなたにとっては懐かしい光景のはずだ。
かつて、近くの家中小学校の教師が宿直の時には、夕飯はこのお勝店(おかつたな)に来て食べていたようだ。
昨年の夏に、名古屋の母に会いに行った際、聞き取りをして、そのメモを頼りに、あなたはかなり詳細な「家系図」を描いてみた。しかし、ここに記すには、あまりにも細かすぎた。ここに記したものだけでも、その正確さを確かめる時間も能力もない。
したがって、あなたの記憶に、また戻ろう。母の兄弟姉妹である。はじめに書いたように、特に母の姉たちは、あなたの「母親」同然だったのだから。
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「最後の乗客」監督の真摯な姿勢

2024年10月19日 16時54分01秒 | 素人の劇評
シネマ・ロサ。9時20分の上映とあって、客もまばら。55分の短い映画だ。
東日本大震災の犠牲者と生き残ったものとの、奇跡的な出会い。ストーリーも会話もストレートで、だからなのだが、監督の真面目さが映画全体にあふれていた。父子の、理不尽な、そして身勝手な別れを、必死に修復しようともがく姿が痛々しい。
演技やカメラのアングルなど、硬いと思ったが、その真摯さで帳消しにできるほどの内容だった。
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心から願う

2024年10月18日 01時03分53秒 | あれこれと
国民をなめんじゃねえよ
そんな結果になることを
切に切に
願う
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麻生太郎の名言は忘れない

2024年10月15日 16時35分22秒 | 教訓
思いつきで軽はずみな言葉を発する方だから、本人はきっと忘れていると思うが、私は絶対に忘れられない名言がある。
2年前、三重県桑名で講演をした際に発したものだ。
「政治に関心を持たなくても生きていけるというのはよい国です。考えなきゃ生きていけない国のほうがよほど問題なんだ。」 
国民を愚弄した、いかにも彼が言いそうな、支配層が考えていそうな、含蓄のある言葉だ。
政治のことは考えなくてもよろしい。我々が生かしてあげてるのだから。裏金?統一協会?そんなことは考えなくてもいい。
なにはともあれ、何があっても任せておきなさい。愚民というのは、何も考えたり、悩んだり、怒ったりせずに、お上に平伏していればいい。
そんな愚民を作り上げたのは、あなた方だ。
この選挙で、何も変わらないとしたら、してやったりですね。悔しいが。

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日々 乞うもの

2024年10月14日 21時58分13秒 | わたしごと
どうだった? それ違うんじゃない?
やってみたらどう?
くそこのやろう
憎たらしいやつ



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あなたへ8 待望の妹誕生

2024年10月14日 17時39分23秒 | あなたへ

1964年8月7日に妹が生まれた。東京オリンピックの年。新潟の大地震、新幹線が開通した年。小学5年生のあなたにとっては、かなりインパクトのある年になった。
 夏休み、すでにあなたの母は病院に入っていて、あなたは、くろおばのアパートに移って、連絡を待っているだけだった。東長崎の駅から、南に5分程度のおばの住処。北に5分程度にある、長崎産婦人科。夜遅くだったのを、あなたは覚えている。当時は、おばの部屋には固定電話がなかったので、きっと近くの部屋に住んでいる方の電話の呼び出しに、おばが出たのかと思える。
 おばのざらざらしたゴツい手を堅く握って、病院に急ぐ。モルタル、クリーム色が風雨にさらされて茶色に近く変色した壁の、古い、言い方を変えれば「風格のある」病院だ。
 その日の、あなたの記憶はそこまでのようだ。その時に、妹と対面したのか、母と会えたのかは記憶にない。あなたの父が、その時にいたのかすら覚えていない始末。あなたが、おばに託されていたことを考えれば、父はどこかで自転車に乗っていたのか、または前橋で、来るべき食堂開店を目指して修行をしていたのかもしれない。
記憶にあるのは、妹、母ともに元気だということ。たしか妹は、3120gだった(これもかなりいい加減な記憶であるが)ということくらいか。
 名付けの場面の思い出は、あなたにとってはかなり鮮明だ。父が、「みさにしようと思う。みは美しいの美をあてようと思ってる。問題は、さをどんな漢字にしようかなんだ。」と持ち出してきた。
 すぐさま、二階から辞典を持ってきて、「さ」と読む字を必死でさがしたことは鮮明だ。
 査、唆、早、詐、紗、佐、左、嵯、砂、沙・・・とにかくたくさん「さ」の字が並んでいる。
 おそらく、どんな意味の漢字なのかを調べたのだろう。そのあとすぐに、「沙か佐がいいと思うな。意味を調べると、沙は、砂とか水滴のような意味みたい。佐のほうは、人を助けるって意味があるよ。だから、どっちかって言うと、佐のほうかな」と、父に報告した。
 父も同じようなことを考えていたらしく、妹の名前は、「みさ」美佐ということに決まった。
 数日後、妹は母に抱かれて、家にやってきた。小さい、顔が赤い、目を閉じたまま、眉の上に鉗子(かんし)でできた傷なのか、赤い黒子状の血豆のようなものがある、人形のような妹である。
 小竹町に引っ越す前の、東長崎の家では、母はかなり思いつわりに苦しんでいた。香りのきついものには、嘔吐をもよおし、よく居間の北側の窓から顔を出しては、新鮮な空気を吸い込んでいる母の姿があった。
 「こいつが、母のつわりのもとだったんだ。」とも、ちょっぴり恨みも混じった感情で、しかしそれ以上に、家族が一人増え、自分が一人っ子ではなくなったんだという嬉しさが勝った。
 11も下の妹ながら、あなたは「兄思いの妹」に生涯にわたって、さまざま助けられていく。そんなことは微塵
も予測することはできない、愚かな兄だったのだ。
 待望の妹の誕生。母は32歳、父は39歳、あなたは11歳、そして妹は0歳。まだまだ、若くエネルギッシュな家族である。
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運動会 ふー

2024年10月14日 09時20分11秒 | わたしごと
快晴、やや暑かったが、無事に運動会が終わる。
ダンスは手本を示せない担任二人だったが、それを子どもたちのリーダーが補ってくれた。やはり子どもの力は無限。
私は、台本を作り、それを子どもたちと修正しながら、練習を繰り返した。
「スターマイン」。連射の打ち上げ花火。入場の仕方や、赤いバンダナ、黒いTシャツで火と夜空を表す。
最後の1週間は雨に泣いたが、それでも子どもたちは楽しく取り組んだのではないかな。
150点あげてもいい。

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被団協 解散までの遠い道のり

2024年10月14日 09時10分39秒 | 教訓
原爆の投下があり、酷い被害があり、それでも核兵器の幻想に取り憑かれた現実があり。
被団協は、そんな否定的な眼前の事実にNOを訴えるために生まれたものだ。
世界の愚かな指導者や、それに与する勢力、関心を寄せることをしない民を、方向転換させることができるのか。 
この活動、運動は、人間としての、人類としての、在り方に深く関わるものだ。
私なりに惜しまずに、側面から応援したい。
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『体にまつわるエトセトラ』シモダアサミ

2024年10月05日 23時32分02秒 | こんな本を読みました
コミック。祥伝社 960円+悪税。
生理、お尻、乳首、毛、あそこ、声、目つきなど、自分の気になる箇所について、「心配しないでいいんだよ」と解き明かしてくれる。
気持ちが軽くなる。
月経カップは、初めて知ったもの。
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あなたへ 8 父方の貧弱な記憶と記録

2024年10月05日 21時13分50秒 | あなたへ
家系図を作成して、先祖代々の足跡をしっかりと記録している家があると聞く。我が家は、戦国大名の血が流れているとか、教科書にも載っている偉人がご先祖様だとか、そんな話を、稀に誰それから聞かせれることがあった。聞いているあなたは、それで家系に興味を抱くこともなく、ここまで来てしまったようだ。
 あなたが知りうる限りの先祖をたどってみよう。
 まず、父方について、あなたは考える。それがなんとも頼りないものだ。父は、英雄。大正14年2月28日生まれ、平成元年9月27日、64歳で没。祖母はヨシ。昭和50年4月26日、80歳で死去。祖父は、佐市郎。昭和40年2月25日、69歳。曾祖母は、クマ。昭和46年6月23日、91歳。曾祖父は三郎治。昭和12年7月24日、66歳。これは、あなたの家の墓に記されている記録だ。(23,24,25,26,27と、よくきれいに並んだものだ)そこから先を、あなたは何も分からないでいる。
祖父は、栃木県下都賀郡都賀町(かつては都賀村だったろう)上新田で、自転車屋をしていたと、あなたは父から聞かされている。まだ幼いころに、何回かその家に、あなたの母と行ってるし、そのころは、曾祖母が長い間、床に臥せていた状態だった。つまりすでに自転車屋は廃業していたに違いない。鶏を何羽か飼っていたこと、家の前、通りを挟んだ向こう側には畑があって、さやえんどうを採りに行った記憶が、あなたにはある。また、通りに沿って流れる小川には、アルミ製の缶に入った「ヤギの乳」が冷やされていて、それを飲まされたことも、あなたは覚えている。下から熱湯が湧き出てくる五右衛門風呂は、苦手だったことも。こう考えると、父の実家には、いっとき「遊びに行った」のではなく、しばらく住んでいたのかもしれないとも思える。
 後から、あなたが聞いた話だが、このころ祖父は、家中駅のそばで、「愛人」と暮らしていたらしい。祖母は、この家や、そして日光中禅寺湖湖畔にある父の姉の嫁ぎ先や、あなたの小さい頃、妹が生まれた頃の、東長崎、練馬の家を、互い違いに「手伝い」に来ることになる。わしっ鼻の祖母であった。
これ以上、遡れないあなただ。家中の駅前には、ゆきおちゃんという祖母の兄であった「たかおじさん」(父方では、あなたが一番好きなおじさんだった)が、昔パチンコ店をやっていたし、そのあと中華料理店にくら替えしたあとも、よく訪ねていたものだったが、たかおじさん、その奥さんが亡くなり、ゆきおちゃん夫婦も別れることとなって、今は行き来がほとんどなくなってしまった。駅前には、後藤さんという親戚の化粧品屋もあったが、今は店も閉まっているし、代替わりをしているはずだ。合戦場の駅には、おそらく「大塚」という名の家が何軒もあり、父の伯父たちがいるはずだが、今は年賀状のやり取りも途絶えてしまっている。ゆきえちゃんという、あなたを可愛がってくれた伯母(正確ではない)も、住んでいる。
 なんとも断片的な、あなたの記憶である。一番、あなたに身近な父方の親類は、日光の従弟だろう。ひとしちゃんである。あなたと同い年で「ちゃん」はないのだろうが、小学生のときは、夏休みになると10日から2週間近くも、泊めていただきお世話になった家の長男だ。よく中禅寺湖でボートを漕いで一緒に遊んだ仲だ。あなたの父の姉、サヨの長男。彼には姉「フサエちゃん」がいるが、父は異なる。サヨ伯母の最初の結婚については、あなたは何も知らない。(伯母が再婚した家は、昭和21年に起こった日光中宮祠一家殺害事件に見舞われた家で
もある。これは、あなたは後から聞いたことである。松本清張の小説にもなっているが、簡単な引用だけしておこう。「1946年5月4日未明、栃木県中禅寺湖畔の上都賀郡日光町(現在の日光市)中宮祠の旅館から出火し周囲を含めて6棟が全焼。旅館の焼け跡から経営者のH(当時46歳)と妻(同42歳)、Hの義父(同72歳)とHの三男(同11歳)、次女(同8歳)、三女(同5歳)の6人の焼死体が発見された。6人が寝床に入ったままの状態で死亡していたばかりか後頭部を切られた跡があるなど、他殺と思われる不審な点もあったにもかかわらず、日光警察署は無理心中と結論づけて被疑者死亡として捜査を打ち切った。
しかし、事件の真相は当日投宿していた在日朝鮮人のAとBが帳場に盗みに入ったところを家族に発見されたため、旅館の台所にあった包丁で一家6人を刺殺、現金400円と小切手480円と背広などを奪い放火して逃亡したというものであった。」伯母の夫である「みさおさん」が、この家の何に当たるのかは、あなたは知らないでいる。)
 あとは、東長崎時代に、お手伝いさんとして、幼いあなたの世話をした「なおみちゃん」とそのお姉さんの「しずえさん(だとあなたは思っているが確かではない)。西新井で八百屋をやっている「まっちゃん」(父の従妹か)、浅草の履物問屋の伯母さん。(名前はとうに忘れてしまっている。娘さんが優秀だと言うことくらいしか記憶にない。一度、あなたの母と泊りに行ったはずだ。) 
 あなたは、「大塚家」のルーツに興味を持って、父に聞こうとする前に、父は死んでしまったのだ。
 東久留米五小時代。あなたは、その日、研究授業の日だった。朝、早く起きて一階に下りると、あなたの父は台所兼食堂で、窓側の椅子に腰かけていた。「おっ、今日は早いな」と父があなたに言う。「今日は、みんなに授業を見せる日なんだ」「おおそうなんだ、ま、がんばれよ」これが最後に交わした会話。
 その後、父はひばりが丘駅の北口階段(改築前のもの。段数の多い、急な階段であった。)を登り切ったところで、壁にもたれかかるようにしてこと切れたらしい。心筋梗塞なのだろう。昭和病院に搬送されても、死亡の確認だけだったのだろう。64歳、まだまだ若かった、あなたの父の死だ。
A4の用紙の一枚半に収まってしまうほど、あなたの記憶は貧弱である。
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『立秋』乙川優三郎

2024年10月05日 02時42分59秒 | こんな本を読みました
うーん。どうなんだろうか。心理描写の名手には違いないが、今回の主人公の設定には、読者として、自身との隔たりがあまりにも大きすぎて、いつものぐいぐいと引き込まれるような感触には程遠い小説だった。
愛でる読者もいるだろうが、私には、主人公の立つ位置が、隔たり過ぎる。

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石破氏よ 居直りなさいな

2024年10月03日 18時19分51秒 | 奇妙な風景
無理な注文かもしれない。
あなたは、党内で、孤立無援を貫いた闘士ではなかったか。
それがどうしたものか。力関係を急速に意識して、腰砕けの発言を繰り返す、フツーのおじさんに成り下がったよう。
「原発ゼロが自己目的ではない」、裏金議員の非公認もどこへやら、国民に判断材料を与えず解散宣言、女性閣僚二人だけ、地位協定は「今、具体的に指示を出しているわけではない」。
あなたは、何を目指して総裁になったのか。これでは、「首相になりたくてなりたくて。なれたら、その地位にしがみつこう」と、自分の保身に明け暮れる、ただの政治屋になったも同然の、あわれな姿にしか映らない。
主義主張には、相容れないものが多い彼だが、もう少し骨のある人物だとおもっていた。
残念ながら、彼も長くはないのだろう。

それでも世論調査では、支持率が50%を越えるという。
国民の皆さん、もうそろそろ真面目に、世界を含めた、我が国の未来を考えませんか。
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