息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

木村さん、船越さんの死を無駄にさせない

2011年12月31日 02時42分58秒 | 教育を考える
公務災害として認定された、木村先生自死の裁判。
これを受けての、全教の生権局長の談話があります。

「1 12月15日、静岡地方裁判所で争われていた木村百合子さんの公務災害認定を求める裁判と、神戸地方裁判所で争われていた船越賀代子さんの公務災害認定を求める裁判で、ともに公務災害と認める判決がだされました。関係者のみなさんの、この間のご奮闘に心から敬意を表すものです。
2 木村百合子さんは、2004年4月、静岡県磐田市立東部小学校に新規採用され、4年生のクラス担任となりました。しかし、担任したクラスには多動性・衝動性が顕著な児童もおり、クラス全体への指導について大きな困難に直面しました。そうした状況にもかかわらず、学校としての支援体制がつくられず、加えて、多忙さゆえの長時間労働も重なり、5月の終わり頃には、心身ともに衰弱していきました。そのうえ、管理職からは責められ、クラスの保護者からは苦情の手紙が届くという状況のなか、2004年9月に自死しました。
3 船越賀代子さんは、2004年3月、5校時終了後にくも膜下出血を起こし、手術後も脳梗塞後遺症による四肢麻痺などの障害が残りました。賀代子さんは、当時、6年生の担任として卒業式に向けての激務が続いており、発症前1ヵ月の時間外労働は140時間、直前の1週間は40時間を超えていました。卒業に向けての仕事、成績処理、ノート点検や授業の準備、帳簿の記入などの仕事に追われたことが疾病発症につながったことは明らかでした。
4 全国の多くの教職員が、木村・船越両事件と同じように、「紙一重」の状況下で働いています。文科省の発表では、2010年度に新採1年目にもかかわらず退職された方は296人でした。内訳をみると、病気を理由に退職された方のうち、90%が精神疾患でした。また、2009年度には、全国の教職員のうち8,627人が病気休職しており、うち5,458人が精神疾患であり、異常な事態です。長時間過密の労働、際限ない業務量の増加、教室内外で生起する負担の数々の中で、多くの教職員が痛めつけられているのです。
5 全教は、地方公務員災害補償基金の静岡・兵庫の両支部は、控訴することなく、ただちに判決に従い、木村百合子さんと船越賀代子さんの公務災害を確定することを強く求めます。学校現場において、教職員のいのちと健康が守られることは何にもまして大切にされなければなりません。同時に、もっとも重要なことは、こうした公務災害を二度と学校現場から起こさないことをめざして、国と地方の教育行政の責任で条件整備をすすめることです。そのためには、初任者研修のあり方を抜本的に見直すとともに、少人数学級を推進し、教職員定数をせめてOECD平均並みに確保することを基本に、教職員の長時間過密労働を解消することが何としても必要です。全教は、その運動を全力ですすめるものです。」

この中で、「紙一重」という言葉がありますが、おそらくは、私も含めてたくさんの先生に、そんな経験があるのではないでしょうか。

私も、前任校で、異動した年に教務主任と六年担任となり、校長から、帰り間際に「これ、明日の朝までにまとめといて」と、何度も起案文書の提出を命じられたことがあります。
とくに3学期は、来年度の計画と、卒業式の練習で、ただでさえ多忙ですから、「明朝提出」は、物理的にも無理な話です。

雪が降り始めた夕方、また校長からの「明朝提出」命令がありました。
これは副校長と協議していかないと、とても出せないもの。
私はいったん帰宅して、車を運転して学校へ。そこで副校長を乗せて、(忘れもしない)東大和にあるファミリーレストランに入り、夕食と打ち合わせ。
この校長は、どうも副校長を「潰す」性癖があるようで、どの副校長とも合うこともなく、または休職に追いやることもありました。

よく考えれば、命令を受けたときに、「これ、無理です」と固辞すればよかったのですが。
今なら言えたのに・・・と後悔。

ファミレスで、冗談交じりに、「部下が死なないと分からないのでしょうね」「いや、死んでも分かりませんよ」と、会話したことも鮮明です。

長々と書かれた、親からの苦情の連絡帳。
「自己申告」という自分の評価表、と管理職の評価。(学期に1,2度教室に来るだけで、何がわかるのでしょう)
同僚に弱みを見せまいと、過度に「はりきってしまう」仕事。
特別に手をかけなければにらない子が、何人もいる教室。
次から次へと、舞い込む「締め切り日付きの)提出書類。

ひとつでも歯車がかみ合わなくなったら、きっと木村さん、船越さんのようになっていくに違いない学校現場です。

都は、木村さんの死の原因について、徹底的に解明するべきです。
そしてそこから得た教訓を、現場にしっかりとおろすこと。

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ふーーーっ! 年賀状

2011年12月31日 01時59分27秒 | わたしごと
ようやく、今年の年賀状が完成!
パソコンとプリンターとで作業できるようになり、かなり楽にはなりましたが、それでも500枚以上作成するのですから、けっこう時間がかかります。

全部同じ文面なら、一気に、ということもできますが、間柄により、何種類もの年賀状のデザインと文面を変えなければなりません。

親類、幼なじみ、元同僚、現同僚、今担任をしているクラスの子、かつての教え子、大学のサークル仲間、知人。

今年は、このジャンル分けで、9種類の年賀状を作りました。

デザインは、本屋で購入した「世界一かんたん 定番年賀状」という、CDつきのサンプル集からとりました。とにかく安いのです。税抜き419円。(便利は「堕落」を呼び寄せますが)

コメントも、やはり9種類です。

こどもたちには「希望」を。親類には「感謝」を。同僚には「いい職場にしていこう」を。
そんな柱を設けて、楽しみながら文を書きます。

1人1人の年賀状が出来上がると、1枚1枚、それを見ながら、顔を思い浮かべます。

   この一年 生き延びてきたぞと 年賀状

年老いた父が生きていたら、こんな川柳を作っていたかもしれません。

私も、その境地に近づきつつあります。



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この便利さがもたらすもの

2011年12月30日 11時51分01秒 | 奇妙な風景
「セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長兼最高経営責任者(CEO)は29日、フジサンケイビジネスアイのインタビューに応じ、傘下のコンビニエンスストア最大手、セブン-イレブン・ジャパンの国内店舗数を将来的に倍増させ、約3万店規模とする目標を明らかにした。セブン-イレブンの店舗数は12月末時点で1万3718店。鈴木会長は「東日本大震災を機に『近くて便利』というコンビニの特徴が見直された。時代のニーズに合った商品開発をすればまだまだ消費は掘り起こせる」と話し、今後数年間で目標を達成したいとした。
 震災を契機にコンビニの利便性が見直され総菜などを買う女性などの来店が増えている。セブン-イレブンは2012年度に前年度を150店上回る1350店を新規出店する計画だが、倍増に向け来年度以降、大幅に上方修正する可能性が高い。
 出店先は引き続き需要の旺盛な東北地方の被災地、世帯数の多い都市部のほか、病院や大学構内などの可能性を探る。グループ傘下の総合スーパー、イトーヨーカドー内に出店する計画もある。
 日本フランチャイズチェーン協会によると、11月末時点の全国のコンビニ店舗数は4万4250店で、業界では飽和点が5万店とされてきた。だが、鈴木会長は「世の中の変化に対応すれば飽和はあり得ない。出店余地は自社内で競合が起きる段階までは十分ある」と否定した。」(フジサンケイ ビジネスアイ )

地域を限定すれば、そこに住む人が生活するために使う金の総額は、だいたい一定の金額だと思います。そして、その地域には、それで生計を立てている商店も、一定の数だけあることでしょう。人の数、使う総額、店の数・・・これらは、その地域内で、バランスを維持しているのだと思います。(均衡は固定的でないまでも)
上の記事からすれば、セブンイレブンは、その「釣り合い」に割って入ることになります。
つまり、地域の商店に集まっていた金額の何割かが、セブンイレブンに移っていくことになるわけです。
たしかに、消費者からすれば、何でも売っているコンビニは、便利な存在であり、「地元にお金を落とそう」という意識を「乗り越えて」、たくさんの人が足を向けることになることでしょう。

便利になったが、地元は滅びる・・・・潤う要素はないと思うのですが。

そんな単純なことではないのでしょうか。


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引き摺り下ろす「民主主義」

2011年12月29日 22時52分58秒 | あれこれと
業種の違う人と話すと、いろいろ勉強になります。
教員という職業は、いわゆる「モノを作り出す」職業ではありません。
だから、理念ばかりを追い求め(最近ではそれすらしない教員も多くはなったが)、多分に観念的な頭になりそうな私を、いい意味で刺激してくれます。
一軒として、なにも問題のない家庭はないのだということ、みなそれぞれの家庭の(父方の、母方の)歴史を背負って、子どもたちは生きているのだということを、いつも学ばせてくれます。

かつて、ある母親から、こんな連絡帳をもらったことがありました。
「先生たちは、いつも忙しく、毎日遅くまで、大変だと思いますが、うちの夫は、いつリストラに遭うか、毎日ビクビクしながら出勤しています。おそらく給料も先生たちの半分以下かもしれません。正直言って、恵まれた先生が、本当に息子のことを親身になって教育してくれるとは思っていません。」
「息子が一年生のときに、校長先生と話し合ったことがありました。<夫婦は仲のよいことが一番の教育です><早寝早起き、朝ごはんを励行します。手抜きをすると、お子さんは性格までゆがんでくるのです><親子で、週に一回は、なにか一緒に取り組むことが大事です。家族の愛に包まれていると感じた子どもは、まっすぐに成長します>などと、自信満々でおっしゃっていました。そのときに、ああ、この先生は、きっと何もわかってはくれない方だなと直感しました。」

これはある意味、妥当な見方です。
このお母さんとは、かなりたくさん話し込んで、「境遇の違い」で「敵味方」を固定的にしてしまうのではなく、互いに「違い」を理解していくことからはじめましょうということ、教員の家庭も似たようなものであること(うちの恥もさらしながら)などを確認してきました。

これと似たような、いやそれ以上に、「恵まれたもの」に対して「ねたみ」「引き摺り下ろし」の感覚を感じることがあります。

ネットの書き込みでは、よく目にするのですが、
「あんたがたは、めぐまれているからね」
「あほ、ほざくな、わがまま言うな」
「どうせ日教組の受け売りだろ」(前にも書きましたが、私は日教組の組合員ではありません)
「死ぬ、このばかどもが」

内容には立ち入ることなく、ただ、鬱憤晴らしのような、しかも偏見に満ちたコメントを、よくいただきます。
よほどストレスのたまっている方なのでしょうが、匿名とあっては、その方を癒してあげることもできません。

論点がずれてしまっているかもしれません。
こんなイライラの雰囲気が蔓延している日本では、スカッとする(意味はなくても、いい加減でも)言葉を連発する橋本氏に、期待を寄せて、なにか変化を求める(一時にせよ)人が増えるのかもしれません。

[大阪をぶっこわす」
ブログの匿名コメントと、似たものを感じます。

小泉氏、石原氏、橋本氏のような、空疎な政治家の闊歩する時代は、早く卒業させないといけない。



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35年ぶり 昨日のことのよう

2011年12月29日 22時12分01秒 | 思い出を語る
35年ぶりに、「ペコ」に電話しました。
もう「ペコ」なんて呼んでいるのは、かつてのサークル仲間くらいしかいないでしょう。

彼女は郡山の在。
そういえば、うちの学校の養護教諭のM先生も郡山、前任校のH先生も、長男の嫁さんのお母さんの出身も郡山でした。

受話器の向こうから聞こえてくる彼女の声は、一万日以上も隔てていたにも関わらず、つい昨日にも聞いたかのように、ブランクを感じさせないほど、変わりがありませんでした。

単刀直入に、思ったことをずばずばと言い、目がクリクリってして、不二家の「ペコちゃん」に似ている子でした。
もう時効ですが、彼女は「ベタ惚れ」の私を、見事に振った、私にとっては「歴史上の人物」でもあります。
当時、彼女が住んでいた三軒茶屋にも、結局訪れることもなく、門前払いのはるか手前で、私に「NO」を見舞ったのでした。

現在、彼女は「大五郎」と結婚して、すでにお子さんの就職も決まったとのこと。
大五郎も、同じサークルの後輩。
おそらくは、人情味にかけては、当時のサークル仲間の中では、一番だったのではないかと思います。
茶目っ気があり、それでいて、肝心なときは、自分のことは後回しにするくらい頼りになる。
当時「上っ面」の「いい子」でしかなかった私にすれば、当然の彼女の選択だったのだと思います。
彼女の男を見る目、大五郎の「男気」からすれば、当然の結末だったのでしょうね。

彼女の声は、ほとんど昔のまま、早口で、ややまくしたてる口調もそのままでした。

話は、Mちゃんが四十九日が終わったら、みんなで集まろうということ。
原発は、「怒りというか、もうあきれるほどよ」「郡山はまだ放射能の値が高くて、とても心配」という彼女の言葉通り、日常生活にまで、あれこれと煩わしい苦労をしているということ。
「言ってみれば、私たちが、そのまま人体実験を受けているのと同じだものね」と、私。

東京のものは、まだ恵まれているのかもしれません。

35年も経て、風化していなかった、彼女の声。
幸いなことに、私のイメージは、大学四年生のペコのままです。

あ、これはお互い様ですね。



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今年の重大ニュース

2011年12月29日 00時11分58秒 | あれこれと
2学期最後の学級通信に、クラスのこどもたち1人1人あてのメッセージとともに、「今年の重大ニュース」を載せました。
私としては、私なりの価値観による選択があるわけで、これは、かなり「一般的」なものと言ってもいい、「無難なもの」です。

1月 タイガーマスク運動広がる  
2月 京大などの入試問題、ネットに流れる エジプト・ムバラク大統領が辞任  中国からパン   ダ2頭が到着  ニュージーランド大地震発生、日本人28人含む181死亡 
3月 東日本大震災が発生、未曾有の被害広がる  食料や燃料、日用品の買い占め 計画停電
4月 上野動物園で雄の「リーリー(力力)」と雌の「シンシン(真
   真)」がお披露目  英国のウィリアム王子、世紀の結婚式  
5月 ビンラディン容疑者、殺害される 
6月 環境省、節電対策「スーパークールビズ」開始  平泉が世界遺産に登録  
7月 37年ぶり電力使用制限令  テレビの地上波放送がデジタルへ
   中国で高速鉄道事故  「マル・マル・モリ・モリ!」で愛菜ちゃん&福くんブーム  
8月 野田佳彦首相が誕生 島田紳助、芸能界引退  
9月 台風12号猛威、紀伊半島などに甚大な被害  
10月 カダフィ大佐殺害  タイ洪水で日系企業も被害
  アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏死去  
11月 ソフトバンクが日本シリーズ制覇  アジア太平洋経済協力会議(APEC)野田首相、  TPP参加の意向  
12月 皆既月食  北朝鮮の金正日総書記死去

「先生、なでしこジャパンがありません」との指摘。ああ、そうだった!

今年は、なんと言っても、3.11と原発のことに尽きることでしょうが、これは今年の、というよりも、これからの歴史を変えるかもしれないほどの衝撃的な出来事でした。

ちょうどうちのクラスは学級閉鎖で、1人パソコン室で、パソコンに向かっているときでした。
低学年の子たちが、下校する時間帯で、だんだんと校庭に出てくる声が聞こえ始めていました。

「あれ、目眩かな」と思った瞬間に、床が大きく横滑りしました。
揺れの幅は1,2mもあったでしょうか、初めて地震で「死ぬかと思った」。

この記事は本腰入れないと書ききれません。続きは別の機会にしましょう。

自慢にもなりませんが、そのあとテレビで、巨大な津波が押し寄せて、車を、まるでオモチャのように押し流す映像を見ながら、「原発が危ないのではないか」と考えました。不幸な的中です。

今度は、自分なりの「重大ニュース」も考えてみることにしましょう。




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「風花病棟」 序盤ながら

2011年12月28日 01時05分04秒 | こんな本を読みました
正確には「こんな本を読んでます」

帚木蓬生氏の小説は、若いときによく読みました。読んだものは長編ばかりでしたので、短編集は今回が初めてのことです。
この作家も、先に書いた佐川光晴とおなじように、小説の柱に「良心」が横たわっていると感じます。
精神科医が主人公。帚木蓬生氏もその職業だから、お得意の分野であることは間違いない。
最初の「メディシン・マン」を読んで、「ああ、短編も、読んだ人の心を重くし、人に寄り添う姿勢には変わりがないのだな」と思いました。

今日中に最後まで読んでしまおう。
コメント (1)
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久しぶりの漫画「ちいさいひと」

2011年12月27日 23時13分14秒 | こんな本を読みました
この漫画が少年サンデーに連載されていること自体に驚きました。
「ちいさいひと--青葉児童相談所物語」 夾竹桃ジン 小学館。419円+悪税。
まだ一巻しか単行本としてはでていません。
帯封に「6日に1人、小さな命が散っている---児童虐待の闇に迫る、真剣ドラマシリーズ」とあります。

ページの途中に、児童虐待に関する情報も、解説として書かれてあり、「漫画」というよりも、児童虐待の解説書といった感じです。
ですから、漫画の芸術性とか、文学性、創造性といったことには、ここでは立ち入ることはしないでおきます。

「美味しんぼ」のような、児童相談所に就職した若い男女のカップルが中心となって、物語は進んでいきます。かなり、典型的な、しかし凄惨な虐待の状況を描いています。一巻では、まだほんのさわりなのでしょう。虐待とその対処、2人の行く末とが両輪となって書き続けられることでしょうから、今後を楽しみにしていきましょう。

私の教員生活の中で、教え子が明らかに虐待を受けている例は、それほど多くありません。
はっきりと「受けていた」子は、3人だけです。
身体測定の日に休む、プールの日に見学する。そんな兆候から分かった子が1人。
「先生、お父さんのお酒をやめさせるには、どうしたらいいですか」と相談を受けて分かった子が1人。
学校ではまったく分からずに、近所の方の通報から分かった子が1人。

一般的には語れませんが、3人の子が、共通していたのは、どの子も親を責めないこと。
「僕が悪いから」「わたしがのろまだから」と言って、虐待の理由を自分に求めることです。
2番目の子は、「お父さんが好きだから、なんとかしてあげたい」とまで言っていました。

子どもにとっては、親は、自分の存在のよりどころであり、絶対的な愛の対象なのですね。
だからこそ、なかなか分からない。解決しないということにも繋がるのでしょう。

すべての漫画に社会性を、などとは思いませんが、これもありなのかなと思いつつ、あっという間に読み終えてしまいました。

少年サンデーの読者って、もう、小学生ではないのかな。



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カウントダウン

2011年12月27日 04時27分36秒 | わたしごと
今年も、あと100時間を切りました。
誰もがそうなのでしょうが、いったい私は、今年の最初にどんな「抱負」をもったのでしょうか。(苦笑)

「初志貫徹」
しかし、その初志を忘れてしまっては、元も子もありませんね。

人生の残りすらカウントダウンできる年齢となり、
「あと何冊、良書とめぐりあえるのだろうか」
「私が、この世からいなくなったときに、いったいどれくらいの人が悲しんでくれるのだろうか。(すぐに忘れてしまうにせよ)」
「それまでに、もっと自分を磨くことができるのだろうか。もしや、食欲と性欲だけしか追い求めることのしない老後になってしまうのではないか」
「この世に、私がいた痕跡を、どんなものにせよ、残すことはできるのだろうか」
「どうやって死ぬが、選択できないものか」
「身辺整理が完了した状態で、みんなと別れることが、はたしてできるだろうか」
「もう一度だけ、逢いたい人と逢えるだろうか。もう一度だけ話したい人と、言葉を交わすことができるのだろうか」

あ、すっかり「初志」のことは忘れてしまっていた。

ま、いいか。未来に向かって、私は生きているのだから。

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ひと昔前には

2011年12月27日 03時55分03秒 | 教育を考える
1.先生の家によく遊びに行った。小学校4年生のときは、自宅から近かったせいもあるが、担任の稲田先生の家を、たびたび訪問したものだった。彼女の家は、犬を飼っていて、とにかく歓迎され、舐められたものだった。それまで近づけもしなかった犬が好きになったのは、稲田先生のおかげである。
私が教員として採用された年、夏休みに、私の家で「合宿」をした。6年生の男女である。寒くはないので、みんな畳に、ソファーにごろ寝状態。一泊だったが、みんな卒業アルバムに、そのときの思い出を書いていた。管理職には内緒だったため、「これ、書かないでね、お願い!」と、削除してもらった。
組合の教員の別荘を借りて「合宿」したこともあった。飯能の川のすぐそばにある別荘で、バーベキュー、花火・・・と、ほとんど徹夜して、みんなで遊んだ。これも別の6年生。

2.「えっ、先生の家に行ってもいいの?」と、今教えている5年生の言葉。そんなことは考えもつかなかったよう。卒業生には、「家出したら、うちにおいで」と言っている。

3.土曜日は午前授業だったため、昼は、みんなで学区域の食堂で、食べながら、あれこれと話をしたものだった。夏休み、事務担当から、「8月は1日でいいから出勤してね。通勤手当が出なくなるから」と言われた。もちろん全休はしないで、せっせとプール当番に励んだ。当時、夏のプールは学校とは切り離されて実施され、1回につき、3500-4000円の日当が出た。若いものは、アルバイト感覚で、割り当てが平均3回くらいのを、10回くらい引き受けて稼いでいた。

4.上記の思い出は、牧歌的と言えばそれまで、「給料の二重どり」「勤務しないのに通勤手当とはいかがなものか」「合宿?けがでもさせたら、どう責任をとるのか」などと批判・非難されそうで、それはそれで納得するのだが、今の教育に欠けているものが、垣間見えてくるように思える。
同僚とも、こどもとも「密な関係」
うーん、ちょっとちがうかな。
「泥臭い」ともちがう。
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若さ それ自体が魅力的

2011年12月26日 00時14分46秒 | 素人の劇評
演劇集団若人第8回公演『お月さまへようこそ』
12月25日(日)14時の部 中板橋 イプセンスタジオ (中板橋新生館スタジオ)

 今年最後の観劇です。そして、私がブログで「素人の劇評」を書き始めてから、ちょうど50本目の、記念すべきものとなりました。
 「6つの作品が繰り広げる恋愛オムニバス作品、アカデミー賞受賞作家ジョン・パトリック・シャンリィの作品に若人が挑む」と宣伝文にあります。

 とにかく「若いなあ」という10人の俳優さんたちです。
 ですから、テンポ、せりふの言い回し、椅子を使っての台上前転などの動作に、若々しい、活気に満ちたものを感じました。ショートコント風の恋愛オムニバスも、1つ1つがしっかりとこなされて、意図する場面も、自然に笑いがこぼれるほどでした。
 軽いタッチで、後に残るものは多くはありませんでしたが、これは脚本と、選者のせいでしょう。さわやかさは、いただけたのですから、それで充分です。
 注文は、2つあります。
 ①「若い俳優」中心の劇団には、いつも書くのですが、劇団の年齢構成についてです。今回は、どの作品もクリアしていましたが、少し「重い劇」あるいは「中高年の必要な劇」
では、厳しいものがあると感じます。もちろん「客演」として、年配俳優を呼べばいいことですが、劇団に「いるだけで重くなる」「存在自体が落ち着いた雰囲気を醸し出す」俳優が複数いればいいのになあと思いました。若いということ、それ自体は確かに魅力的ではあるのですが、それだけでは行き止まりになる場面が、必ず到来すると思います。
 ②最後のドラマ。「ホモ」の挿入は、必要あったかなと思いました。それを劇に入れることには、別にこだわりはないのですが、劇団として、何か意図はあったのかなと。「笑い」をとる場面に使われていたようで、私にはやや違和感がありました。別の小品でもよかったのではないか。そんな思いです。

 これからまだまだ伸びていく予感のする「若人」です。
 たくさんの挑戦をし、成功しては喜び、失敗しては、悔しさを抱きつつも這い上がり、さらに上を目指して努力し・・・
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たいした1日とは言えず

2011年12月25日 03時26分17秒 | わたしごと
こんな時刻まで起きていてしまった。
夕飯後に本を読み出して、だらだらと時間を費やした。
「千のプラトー」は、宣言したものの、私には「高い壁」のように感じる。(あきらめはしないが)

昨日、三鷹の駅からバスに乗る前、イチョウの葉が風に舞っていて、刺すように寒かったけれども、そのふきだまったイチョウの葉の山や、つむじ風に舞う黄色い葉に、しばらく広場で魅入っていました。

クリスマス・イブだったのですね。
そういえば、31のアイス屋、KFC、コージーコーナー、不二家と、軒並み行列ができていた。
世相に合わせるのは、大変なことでもありますね。

古着屋にぶらっと行って、マフラーを1つ買ってきました。
「POLLO」のだから、スコットランド製かな。
500円也。
温かければ問題なし。(値段と品質とは、かなり合致するけれど)

今日は、今年最後の劇鑑賞。
恋愛モノのオムニバス。最後にふさわしい中身を期待。

手帳の来年のカレンダー付きリフィル、あと年賀状を200枚、モーニングの申し込み、冬休みの個別補習を保護者に確認、高いプリンター用のインクのスペア購入。



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困った愚民と粗雑なファシスト

2011年12月24日 17時21分43秒 | 教育を考える
「大阪市の橋下徹市長は21日午前、野田内閣の閣僚らと相次いで会談した。このうち中川文部科学相との会談では、大阪維新の会(代表・橋下市長)の教育基本条例案に文科省が異議を唱えたことに関し、「政治家は教育について何も語るなということか」と詰め寄る場面もあった。」(読売新聞)

なんと粗雑な意見表明なのだろう。
彼の発言の手法の1つなのだろうが、一部の異論に対して、それが全否定のような印象にすることで、自分を被害者に祭り上げる。結果的に「同情を買う」というのだろう。

政治家が教育内容に「何も」語るなというわけではない。
語っていいものと、語ってはならないこととの識別をはっきりしないといけないということなのだから。

施政者は教育内容について、自分の都合で押しつけてはいけないとの教訓がある。
戦前の教育行政を考えてほしい。
教える中身を、すべて国が決め、管理してきた歴史。
天皇は神、日本は神国である。国のために命も捧げられる国民になろう。日本の文化、政治を世界に広めてこそ世界の繁栄に繋がるのだ。
反対は許されない。「非国民!」
悲惨な戦争の道を突き進んでいったのは、この、統制された教育の「おかげ」である。



教育は、時の権力者と一線を画すべきである。

橋下氏は、「熱い」だけで、日本の過去の教訓から何も学んでいない。
こんな暴論がまかり通るなら、「愚民」を詐欺的論法で引きずり回して、気がついたときには手遅れ。そんな結論が待っているのは自明である。




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世俗と格調の「高さ」の混在 「草にすわる」

2011年12月24日 00時56分59秒 | こんな本を読みました
白石一文は、奇妙な作家であると思う。
本人は、おそらく「格調の高い」しかも「ヒューマニズムに溢れた」小説を追い続けているのだと推測するのだが(この推測が違っていたら、もう、この以下の文章はまったく意味がない)、なかなかそれが成功していないと思えるからです。

「草にすわる」には、2つの小説が掲載されています。
表題作と「砂の城」。新刊ではなく、2003年の発行とありますから、これは、2000年に「一瞬の光」で脚光を浴びてから、3年後のものということになります。

この2つとも、所謂「恋愛」についてが、理屈っぽく(私は好きですが)語られ、その一面としての「性」もあけすけに描写されています。
それが、なかなかうまく繋がっているとは言えない。(タレントのゴシップ、AVについても語られているせいかもしれませんが)

非常に卑俗な文章があれば、格調高い文章もある。
それを「ウリ」としているなら、それはそれでいいのですが。

白石文学は、まだまだ確定していない。そんな思いを強くする作品でした。

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大胆な実験 「ハムレット― to be or not to be」

2011年12月24日 00時05分33秒 | 素人の劇評
「ハムレット― to be or not to be」東京演劇集団風
12月23日(金) 東中野 レパートリーシアターKAZE 14時の部

「リヤ王」に続いて、今月2本目のシェイクスピア劇。
この「風」については、存在は知っていたけれど、観る機会にたまたま恵まれませんでした。
正統派の劇団、重厚な劇を公演を基調とする、歴史のある劇団。(違っていたら、私に教えた友人が間違った認識をしていたことになります)

 今回観劇した「ハムレット」は、九州の中学・高校を周り、61回の公演を経て、本拠地に戻ってきたと言います。つまり「数をこなしてきたもの」ということなのでしょう。期待に胸をふくらませて、二階にある会場に向かう階段を上りました。

 「実験」そんな言葉がぴったりする劇でした。
 舞台美術は、誰から見ても「こだわり」を感じるものでしたし、何枚かのパネルの組み合わせ、移動による効果は、劇団の意気込みを感じさせるには十分なものでした。

 劇団のホームページを見ると、ブレヒトの作品もたびたび上演するとのこと。(もっと早く知っておけばよかった!ブレヒトは、私が演劇好きになるきっかけを作ってくれた戯曲家ですから。あっ、辻さんの名前を見て気づきました。東京演劇アンサンブルと袂を分けた方々ですね。私にとっては、昔のアンサンブルには、青年期に大変触発された劇団ですし、つまりは、この「風」のメンバーさんたちにも、大きな恩恵を受けていることになりますね。不思議な縁を感じます。)

 さて、昨日の公演。
 しっかりとした構成と、俳優さんの力量の高さを感じました。所謂「新劇」は、せりふが翻訳調で「堅苦しく」なるものなのですが、そこから脱皮させようとする努力も伝わってきました。(まだ完全とは言えないまでも)
 それから、この「実験」による表現方法の模索です。私には、正直言って、それが成功していたのかどうかは語ることはできません。
 例えば「水槽・・・」も、私にはあまり必然性を感じませんでした。
 パネル、背景の色が、あまりコントラストになっていないで、舞台全体が色調で平板になっていたことも、少し気になりました。
 
 とはいえ、劇団の飽くなき「前進」への意欲は、頭が下がります。
 古典をそのまま従順にするのではなく、常に新しい解釈、新しい表現を追求していく、青年のような、みずみずしさを持った劇団ですね。

 これから、しばらくは注目して、観続け、見守っていきたいと思いました。
 
 
コメント
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