公務災害として認定された、木村先生自死の裁判。
これを受けての、全教の生権局長の談話があります。
「1 12月15日、静岡地方裁判所で争われていた木村百合子さんの公務災害認定を求める裁判と、神戸地方裁判所で争われていた船越賀代子さんの公務災害認定を求める裁判で、ともに公務災害と認める判決がだされました。関係者のみなさんの、この間のご奮闘に心から敬意を表すものです。
2 木村百合子さんは、2004年4月、静岡県磐田市立東部小学校に新規採用され、4年生のクラス担任となりました。しかし、担任したクラスには多動性・衝動性が顕著な児童もおり、クラス全体への指導について大きな困難に直面しました。そうした状況にもかかわらず、学校としての支援体制がつくられず、加えて、多忙さゆえの長時間労働も重なり、5月の終わり頃には、心身ともに衰弱していきました。そのうえ、管理職からは責められ、クラスの保護者からは苦情の手紙が届くという状況のなか、2004年9月に自死しました。
3 船越賀代子さんは、2004年3月、5校時終了後にくも膜下出血を起こし、手術後も脳梗塞後遺症による四肢麻痺などの障害が残りました。賀代子さんは、当時、6年生の担任として卒業式に向けての激務が続いており、発症前1ヵ月の時間外労働は140時間、直前の1週間は40時間を超えていました。卒業に向けての仕事、成績処理、ノート点検や授業の準備、帳簿の記入などの仕事に追われたことが疾病発症につながったことは明らかでした。
4 全国の多くの教職員が、木村・船越両事件と同じように、「紙一重」の状況下で働いています。文科省の発表では、2010年度に新採1年目にもかかわらず退職された方は296人でした。内訳をみると、病気を理由に退職された方のうち、90%が精神疾患でした。また、2009年度には、全国の教職員のうち8,627人が病気休職しており、うち5,458人が精神疾患であり、異常な事態です。長時間過密の労働、際限ない業務量の増加、教室内外で生起する負担の数々の中で、多くの教職員が痛めつけられているのです。
5 全教は、地方公務員災害補償基金の静岡・兵庫の両支部は、控訴することなく、ただちに判決に従い、木村百合子さんと船越賀代子さんの公務災害を確定することを強く求めます。学校現場において、教職員のいのちと健康が守られることは何にもまして大切にされなければなりません。同時に、もっとも重要なことは、こうした公務災害を二度と学校現場から起こさないことをめざして、国と地方の教育行政の責任で条件整備をすすめることです。そのためには、初任者研修のあり方を抜本的に見直すとともに、少人数学級を推進し、教職員定数をせめてOECD平均並みに確保することを基本に、教職員の長時間過密労働を解消することが何としても必要です。全教は、その運動を全力ですすめるものです。」
この中で、「紙一重」という言葉がありますが、おそらくは、私も含めてたくさんの先生に、そんな経験があるのではないでしょうか。
私も、前任校で、異動した年に教務主任と六年担任となり、校長から、帰り間際に「これ、明日の朝までにまとめといて」と、何度も起案文書の提出を命じられたことがあります。
とくに3学期は、来年度の計画と、卒業式の練習で、ただでさえ多忙ですから、「明朝提出」は、物理的にも無理な話です。
雪が降り始めた夕方、また校長からの「明朝提出」命令がありました。
これは副校長と協議していかないと、とても出せないもの。
私はいったん帰宅して、車を運転して学校へ。そこで副校長を乗せて、(忘れもしない)東大和にあるファミリーレストランに入り、夕食と打ち合わせ。
この校長は、どうも副校長を「潰す」性癖があるようで、どの副校長とも合うこともなく、または休職に追いやることもありました。
よく考えれば、命令を受けたときに、「これ、無理です」と固辞すればよかったのですが。
今なら言えたのに・・・と後悔。
ファミレスで、冗談交じりに、「部下が死なないと分からないのでしょうね」「いや、死んでも分かりませんよ」と、会話したことも鮮明です。
長々と書かれた、親からの苦情の連絡帳。
「自己申告」という自分の評価表、と管理職の評価。(学期に1,2度教室に来るだけで、何がわかるのでしょう)
同僚に弱みを見せまいと、過度に「はりきってしまう」仕事。
特別に手をかけなければにらない子が、何人もいる教室。
次から次へと、舞い込む「締め切り日付きの)提出書類。
ひとつでも歯車がかみ合わなくなったら、きっと木村さん、船越さんのようになっていくに違いない学校現場です。
都は、木村さんの死の原因について、徹底的に解明するべきです。
そしてそこから得た教訓を、現場にしっかりとおろすこと。
これを受けての、全教の生権局長の談話があります。
「1 12月15日、静岡地方裁判所で争われていた木村百合子さんの公務災害認定を求める裁判と、神戸地方裁判所で争われていた船越賀代子さんの公務災害認定を求める裁判で、ともに公務災害と認める判決がだされました。関係者のみなさんの、この間のご奮闘に心から敬意を表すものです。
2 木村百合子さんは、2004年4月、静岡県磐田市立東部小学校に新規採用され、4年生のクラス担任となりました。しかし、担任したクラスには多動性・衝動性が顕著な児童もおり、クラス全体への指導について大きな困難に直面しました。そうした状況にもかかわらず、学校としての支援体制がつくられず、加えて、多忙さゆえの長時間労働も重なり、5月の終わり頃には、心身ともに衰弱していきました。そのうえ、管理職からは責められ、クラスの保護者からは苦情の手紙が届くという状況のなか、2004年9月に自死しました。
3 船越賀代子さんは、2004年3月、5校時終了後にくも膜下出血を起こし、手術後も脳梗塞後遺症による四肢麻痺などの障害が残りました。賀代子さんは、当時、6年生の担任として卒業式に向けての激務が続いており、発症前1ヵ月の時間外労働は140時間、直前の1週間は40時間を超えていました。卒業に向けての仕事、成績処理、ノート点検や授業の準備、帳簿の記入などの仕事に追われたことが疾病発症につながったことは明らかでした。
4 全国の多くの教職員が、木村・船越両事件と同じように、「紙一重」の状況下で働いています。文科省の発表では、2010年度に新採1年目にもかかわらず退職された方は296人でした。内訳をみると、病気を理由に退職された方のうち、90%が精神疾患でした。また、2009年度には、全国の教職員のうち8,627人が病気休職しており、うち5,458人が精神疾患であり、異常な事態です。長時間過密の労働、際限ない業務量の増加、教室内外で生起する負担の数々の中で、多くの教職員が痛めつけられているのです。
5 全教は、地方公務員災害補償基金の静岡・兵庫の両支部は、控訴することなく、ただちに判決に従い、木村百合子さんと船越賀代子さんの公務災害を確定することを強く求めます。学校現場において、教職員のいのちと健康が守られることは何にもまして大切にされなければなりません。同時に、もっとも重要なことは、こうした公務災害を二度と学校現場から起こさないことをめざして、国と地方の教育行政の責任で条件整備をすすめることです。そのためには、初任者研修のあり方を抜本的に見直すとともに、少人数学級を推進し、教職員定数をせめてOECD平均並みに確保することを基本に、教職員の長時間過密労働を解消することが何としても必要です。全教は、その運動を全力ですすめるものです。」
この中で、「紙一重」という言葉がありますが、おそらくは、私も含めてたくさんの先生に、そんな経験があるのではないでしょうか。
私も、前任校で、異動した年に教務主任と六年担任となり、校長から、帰り間際に「これ、明日の朝までにまとめといて」と、何度も起案文書の提出を命じられたことがあります。
とくに3学期は、来年度の計画と、卒業式の練習で、ただでさえ多忙ですから、「明朝提出」は、物理的にも無理な話です。
雪が降り始めた夕方、また校長からの「明朝提出」命令がありました。
これは副校長と協議していかないと、とても出せないもの。
私はいったん帰宅して、車を運転して学校へ。そこで副校長を乗せて、(忘れもしない)東大和にあるファミリーレストランに入り、夕食と打ち合わせ。
この校長は、どうも副校長を「潰す」性癖があるようで、どの副校長とも合うこともなく、または休職に追いやることもありました。
よく考えれば、命令を受けたときに、「これ、無理です」と固辞すればよかったのですが。
今なら言えたのに・・・と後悔。
ファミレスで、冗談交じりに、「部下が死なないと分からないのでしょうね」「いや、死んでも分かりませんよ」と、会話したことも鮮明です。
長々と書かれた、親からの苦情の連絡帳。
「自己申告」という自分の評価表、と管理職の評価。(学期に1,2度教室に来るだけで、何がわかるのでしょう)
同僚に弱みを見せまいと、過度に「はりきってしまう」仕事。
特別に手をかけなければにらない子が、何人もいる教室。
次から次へと、舞い込む「締め切り日付きの)提出書類。
ひとつでも歯車がかみ合わなくなったら、きっと木村さん、船越さんのようになっていくに違いない学校現場です。
都は、木村さんの死の原因について、徹底的に解明するべきです。
そしてそこから得た教訓を、現場にしっかりとおろすこと。