肉体の限界まで極めた競技を観るのは楽しいが。
心から楽しめないのは、いくつもの理由がある。
①圧倒的な商業主義。金儲けを至上とするイベントになり下がったのは間違いない。膨大な金額の放映権、スポンサー契約による独占販売権、招致に至る黒い噂。金が絡む話題には事欠かない。
②ナショナリズム最優先。国別メダル獲得のあからさまな報道は影をひそめつつあるが、それでもテレビでは、「がんばれニッポン」の異常コールが続く。
さらに心苦しいのは、表彰式、金メダルをとるたびに、日の丸が揚げられ、君が代が流れる。こうして日本人の歴史認識は、麻痺していく。
③勝者にしか光が当たらない残酷さ。勝者はただ1人、または1チームのみである。当たり前のことだが、勝者の何十倍、何百倍の敗者の存在。メディアは、その敗者の努力、背景について、もっともっと取材し、紹介していくべきだ。日本選手ばかりの紹介、賛辞には辟易する。
④審判の判断への苦情が相次ぐ。柔道が最たるものだろう。バスケットボールもバレーボールもしかり、ルールをこれまで変えていないスポーツ競技はないだろう。より明確に、より競技の実際、実態に合わせて改正していくことは必要だろう。微妙な判定、納得いかない判定が、甚だしく多かった今回である。
⑤ ③とも関連があるが、勝ち負けのない祭典にならないものだろうか。なぜ勝つことが必要なのだろうか。
⑥オリンピックの直前まで、バレーボールのネイションズリーグが行われていた。3か月、世界各地を巡り、予選ラウンド、決勝ラウンド。日程をこなす選手の疲労は計り知れない。そこで世界一が決まり、またすぐにオリンピックである。2回も同時期に世界一を決める必要はないだろう。選手の疲労は想像以上だろう。現に女子チームには、いつもの体のキレや粘りがないように思えた。
人類の団結、平和の希求を模索する祭典であってほしいが。