息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

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肌寒い「結果オーライ」懲罰指導

2011年11月30日 22時28分35秒 | 教育を考える
もう何年も前のこと。
クラスの子から、最初に、
「先生、忘れ物をしたら、やっぱりおかわりはなしですか」
という質問を、こっそりされることが、何回かありました。
「え、宿題と給食とは、ぜんぜん別のことだから、私はそんなことはしないよ」
の言葉に、ホッとした様子。

どうも、前の担任は、おかわりは、宿題や持ち物を忘れなかった子だけに許可していたようです。
鉛筆、消しゴムなども、たとえ1個でも忘れたら、「処罰」の対象であったらしい。

うすうす感じてはいたのですが、どうも、「●●をしたら、▽▽させない」といった懲罰的な強権指導を、ずっと続けていたらしいのです。
しかも、怒るとなると、所かまわず徹底的に叱る(いや、とことんこきおろす)と言います。

別の時にも、放課後に忘れ物をして、教室にとりにきた、わがクラスの子が3人、彼女(あ、女性教師です。しかも私とほぼ同年配)に、つかまって、説教をうけていました。

「もともと忘れ物をしちゃあいけないの、知ってるでしょ!」
「先生が許せないのは、こんな暗いところで、わいわい楽しそうにおしゃべりしながらいることなんですよ。」
「なに考えてるのよお。こんなときは、楽しくしちゃいけないの!」

かけつけた私の前でも、こんこんと叫ぶように指導している。男子1,女子2の面々は、その迫力に目をうるませている。
「先生、じや、あとはここで引き継ぎます。ありがとうございました」
と、私の手元に。

「もういいから、そっと帰りなさい。警備員さんにお礼とあいさつをしていきなよ」
涙目のこどもたちは、ホッとして帰って行きました。

私の教室とちがい、とにかく、静粛な教室です。こどもたちも、てきぱき動きます。
しかも、それに対して、親の評判もなかなかいいのです。

つまり「結果を出す」ことについて、手段を選ばない指導。
その結果という実績があるから、親は「とにかく忘れ物を絶対にしないようになった」「静かに話を聞いている」「勉強に取り組む姿勢がすばらしい」と、高い評価をする。(または、言えない)

ああでもない、こうでもないと、なかなか「結果」を出せないでいる私たちからすれば、なんともうらやましい光景です。ああ、楽だろうなと思います。
しかし、それを真似しようとは、これまで微塵も思ったことはありません。

少しも「教育」とは言えないからです。
これは「調教」でしかありません。
「叱られるから」「こわいから」「おかわりできないから」実行するのは、少しも自立を促すものではなく、担任が替われば、元の木阿弥。

こんな教員が増えてきた。

教室を見た目で評価する管理職も悪い。
それを放置する行政も悪い。
結果だけを求める保護者も悪い。
それを許す同僚も悪い。
もちろん、教育者とはかけ離れた、権威・恐喝まがいの命令だけで子どもを動かしている本人も悪い。

怒りながらも、一歩踏み出せないでいる私も、もちろん悪い。



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佐川光晴「おれたちの青空」

2011年11月29日 00時58分14秒 | こんな本を読みました
先に紹介した「おれのおばさん」の続編。
今度は、前回の陽介だけでなく、それぞれの短編が、卓也、おばさんの一人称の文章で書かれ、周辺の人物の生き様が描かれている。

限りなく誠実な作家なのだろうと、再認識。

今回のほうは、各編が、やたら前の作品の解説が多く、初めてこれを手にする読者には便利なのだろうが、「おれのおばさん」を読んでいた私にとっては、「余計なお世話」的な感じを抱いてしまった。

しかし、それをもってしても、読み応えのある作品には違いなく、あっという間に読了。

登場人物、それぞれが主人公たりうるのだということが、彼のひとつの主張だと思った。

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幸せと健康を祈らざるを得ません

2011年11月28日 01時00分53秒 | 思い出を語る
日曜日に、吉祥寺にある病院に見舞いに行ってきました。
大学のサークルの後輩、通称Mちゃんが入院したと聞いて。
そういえば、夏以来メールが来ないとは思っていましたが、「便りのないのは、よい便り」程度に考えて、こちらからメールを出さないでいましたので、申し訳ないやら、私にふがいなさを感じるやら。

もう1ヶ月も入院していたとのこと。精神的にまいっての入院とあって、げっそりやせているのかと思っていたら、なんのなんのしっかり体格は維持されていて、一安心。

面会室で一時間ほどおしゃべり。サークルの面々の音信を聞くと、親の介護で職を捨ててしまったり、旦那が脳梗塞で倒れたり、お母さんを亡くしてしまったり、当の本人が肝臓を病んでいたり、新たにガンが見つかったり・・・と、本人も係累も、ちょうど「金属疲労」が訪れていて、日々苦労が絶えない様子。
私は、大学卒業後、意地でみんなと会わないとしてきただけに、私の中の彼ら彼女らは、30年以上前の面影、フレッシュな大学生のイメージしかありません。
私が、こんなに老いたのだから、みんなも・・・当然なのですが、なかなか実感として湧いてこないのです。

そろそろ終点の駅が、はるか先とはいえ、小さく見えてきたころの私たち。

みんなの幸せと健康とを、強く、強く願っています。
Mちゃんも、負けるな!!
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便所掃除

2011年11月28日 00時41分49秒 | すてきな詩にひたりませんか
久しぶりの詩の紹介です。
「トイレの神様」という歌が、最近はやりましたが、こちらの方が、ずっと先輩で、しかも格調高い詩です。(この詩の最後の連を、歌手がパクッたようで、歌には違和感があります)
金八先生の番組でも、とりあげられていました。
著者の濱口國雄は、この詩を書いたとき、国鉄職員で、敗戦後の混乱期に、トイレ掃除をしていたそうです。国鉄の組合員として、死ぬまで労働者側に立っていた彼だったようです。(共産党を除名されても)

便 所 掃 除

        濱 口 國 雄  

 扉をあけます
 頭のしんまでくさくなります
 まともに見ることが出来ません
 神経までしびれる悲しいよごしかたです
 澄んだ夜明けの空気もくさくします
 掃除がいっぺんにいやになります
 むかつくようなババ糞がかけてあります

 どうして落着いてしてくれないのでしょう
 けつの穴でも曲がっているのでしょう
 それともよっぽどあわてたのでしょう
 おこったところで美しくなりません
 美しくするのが僕らの務めです
 美しい世の中も こんな処から出発するのでしょう

 くちびるを噛みしめ 戸のさんに足をかけます
 静かに水を流します
 ババ糞におそるおそる箒をあてます
 ポトン ポトン 便壺に落ちます
 ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど 苦しい空気が発散します 
 落とすたびに糞がはね上がって弱ります

 かわいた糞はなかなかとれません
 たわしに砂をつけます
 手を突き入れて磨きます
 汚水が顔にかかります
 くちびるにもつきます
 そんな事にかまっていられません
 ゴリゴリ美しくするのが目的です
 その手でエロ文 ぬりつけた糞も落とします
 大きな性器も落とします

 朝風が壺から顔をなぜ上げます
 心も糞になれて来ます
 水を流します
 心に しみた臭みを流すほど 流します
 雑巾でふきます
 キンカクシのうらまで丁寧にふきます
 社会悪をふきとる思いで力いっぱいふきます

 もう一度水をかけます
 雑巾で仕上げをいたします
 クレゾール液をまきます
 白い乳液から新鮮な一瞬が流れます
 静かな うれしい気持ちですわってみます
 朝の光が便器に反射します
 クレゾール液が 糞壺の中から七色の光で照らします

 便所を美しくする娘は
 美しい子供をうむ といった母を思い出します
 僕は男です
 美しい妻に会えるかも知れません

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三流の国民には三流の政治家

2011年11月27日 23時31分48秒 | 奇妙な風景
見出しは、本多勝一氏の言葉だと思ったが、大阪の結果は、その思いを強くした。

私の感覚からして、なんで?という、怪奇現象なのだが、当の大阪県民、市民には、どうもそうではないらしい。

①「維新の会」というネーミング自体、私には「虫酸が走る」ものなのだが、
 ①-1 歴史小説やNHKの大河ドラマのように、経済的要因や社会構成体などを捨象して、単なる人間模様としたものばかりが、いつの間にか「維新」の言葉に抵抗を示すことのない国民が作られてしまっていること。
 ①-2 教育の現場では、すでに「政治的教養」などはアンタッチャブルであること。「日の丸・君が代」など、卒業式の論議では、話題にすらされない。しかも、新しい教員は、政治的にまったく無知であり、「政治」に関して、彼ら彼女ら自体、なんの関心も持っていない。そんな教員が教えて育つこどもたち=未来の主権者である。

②政治は、もうテレビのバラエティ番組と同じ次元としてしか捉えられていない。だから、有名、威勢がいい、リーダーシップ(中身は問わない)が強い、変化を訴える(これも内容は関係なし)などが受け入れられていく。地域のエゴすら、票になる。

③橋下氏の主張は、小泉氏と大差がない。つまり、効率や経済性の最優先、そして「お上への忠誠」の強要である。政治が、一人一人の生活にかなりの程度、大きく影響しているにもかかわらず、その中身を慎重に吟味しようとせず、「勢い」を信じ、それに身を委ねてしまう態度。彼の主張ははたして「大阪市民のため」になるのだろうか。そして、それが国民の生活の向上につながるのだろうか。

横山ノックを選んだ大阪住民は、またしても「タレント」を選んでしまった。

もう、いい加減に目覚めてもいいものを。
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重圧の予想にうんざり

2011年11月27日 14時06分17秒 | わたしごと
学芸会は、大成功。演技の基本、創りあげる楽しさを教えると、毎日のように表現、せりふ、演技を、少しずつ少しずつ考えて、日ごとに進化していく劇になりました。したがって、当日はベストの内容で披露することができました。難しい「ヴェニスの商人」でしたが、切れ目なく進行していく姿に、しかも照明、大道具、効果なども、すべてこどもたちがやりとげることもでき、私は横で安心して観ていられました。こういった充実感は、たまらないものです。

終わったと同時に、これから1ヶ月のことを考え、気が重くなりました。
個人面談、成績(もちろん授業も進めて)、卒業式の提案、学校評価の提案と来年度の構想、しかもうちのクラスには、寄り添ってあげて、ゆったりと構えてあげないといけない子が複数いる(それはうちに限ったことはないけれど)。
時期的に重なっていくことは予想していましたが、その前に私を「任命した」管理職が的確に予想してほしかったと思います。
どうも「よそから来るから、だれも希望しないところを押しつけてしまえ」的な発想を感じます。
教務主任、学年主任(「元気な学年」という表現はなかなか微妙な意味合いです)、卒業関連の主任・・・これからしんどくなる予感(確実に・・・)



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立川談志 また1人

2011年11月23日 23時10分51秒 | わたしごと
立川談志は、小学校、中学校時代に、「笑点」で、落語に対して興味を持てるようになった恩人。
途中で自民党の政治家になり、彼に対して心が冷えてしまったが、政界を去ったあとは、彼なりの落語論、新作を、私もよく読ませてもらった。
高座の彼を見たり聞いたりしたことはなかったが、独創的な考え方について、それなりの興味を持ってきた。
「高慢」「独善的」という評価には、私も否定するものではないが、「芸」に対する真摯な姿勢には共感できるものが多かったと思う。
合掌。


「戦後の落語界を騒がせ続けた風雲児、立川談志さんが亡くなった。実力派の 噺 ( はなし ) 家として落語通をうならせ、後進に多大な影響を与えた一方で、その毒舌と奔放な行動で物議を醸すことも多かった談志さん。数々の名演をファンの脳裏に刻み、波乱に満ちた生涯の幕を閉じた。
談志さんは、「落語は人間の業の肯定である」との自説を「現代落語論」などの著書で展開。心理を深く掘り下げ、型にとらわれることなく、人間の本質をあぶり出すことに主眼を置いた。「芝浜」「文七元結」といった人情噺から、「らくだ」「黄金餅」などブラックユーモアにあふれた噺まで幅広い持ちネタを誇り、時事問題を盛り込む「源平盛衰記」でも独自の切れ味を見せた。」

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大阪に注目

2011年11月19日 13時23分47秒 | あれこれと
 労働運動の不幸な分裂、タレントにことのほか弱い大阪の政治的土壌などの状況で争われる大阪の市長、知事選。
 こんなときに、組合がその立場を越えて、共同声明を出しました。
 「独裁」一辺倒の批判が、はたして妥当かどうかは、やや疑問の点がありますが、「強力な政治的指導力」が、小泉内閣の誕生以来、国民には「魅力」として受け入れられている現在で、どれほどの効果があり、橋下氏の「野望」を打ち砕くことができるか、興味をもって見守っています。

 教育に携わるものとしては、教育が政治に振り回されないための一歩となるか、これも我が身に関わることとして考えています。
 
    庶民の街、大阪に独裁政治はふさわしくない
   「維新の会」の独裁政治を許さない行動をおこしましょう 
 大阪府も、大阪市も大きな政治戦がたたかわれています。橋下徹氏が代表を務める「大阪維新の会」による独裁政治は、庶民の街大阪にはふさわしくありません。独裁政治が、庶民のくらしを守ったためしはありません。 私たちは、労働者のくらしと民主主義を守るために、「独裁政治は断固許さない」ことで一致しました。そして、それぞれの立場で「独裁政治ノー」の行動をおこすことを確認しました。 大阪に働く労働者・労働組合のみなさん。立場の違いを超えて、「独裁政治」反対の声をあげ、くらしと民主主義を守りましょう。
2011年11月16日
全大阪労働組合総連合 議 長 川辺 和宏
全国労働組合連絡協議会大阪府協議会 議 長  石田 俊幸            
全日本港湾労働組合関西地方本部 執行委員長   佐野 祥和
国鉄労働組合近畿地方本部  執行委員長  園  秀樹
全日本建設運輸連帯労働組合近畿地方本部執行委員長   垣沼 陽輔       
関西マスコミ文化情報労組会議     議 長     小本  淳       
おおさかユニオンネットワーク     代 表     垣沼 陽輔
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期待を裏切らない作品「おれのおばさん」

2011年11月19日 00時00分02秒 | こんな本を読みました
人間の変化、変革を描くことができるか。
私の読み方は狭いのかもしれない。
人間の複雑さ、人生の切なさ、重さを描く作品は、数多くあり、それはそれで、一応の評価をえていめようだが、私はいつも不満に思っている。
これらの作品は、あまりにも「変化」に乏しいからだ。

内面の葛藤や、主人公の頭の中での自問自答は、あまたあるけれども、それが、どんな人との関わりで、どんなものやことを通してのものであるか、とても乏しい量である。

佐川光晴の小説は、私の「我が儘」な期待を裏切らない作家の1人である。

「おれのおばさん」もそうだった。一気に終盤まで読み、最後の10ページは、読み終えるのがいやで、ゆっくりゆっくりと深く考えながら読み、ゆっくりゆっくりとページをめくっていった。

彼の持ち味は「誠実」であると思う。

青春小説・・・「青が散る」以来かもしれない。
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あれこれ×α

2011年11月17日 23時14分43秒 | わたしごと
母からジャガイモが送られてきた。北海道の友人からたくさんもらったとのことで、このジャガイモは、北海道→愛知→東京と旅したことになる。移動するごとに、ジャガイモに込められた心が蓄えられて、味もよくなっていくことだろう。ありがたく頂戴する。

今日は、目と頭が痛く、学校を休んでしまった。1週間後に迫った学芸会が気がかりなのだが、風邪の前兆か(すでにひいているのかも)、いつものようにパソコンに向かいすぎの疲労か。きっとそのどちらもなのだろう。体が「休め」と言っている。

佐川光晴の「おれのおばさん」、あとわずかで読了。読み甲斐のある本は、ページが残り少なくなると、心細くなって、だんだん読むスピードを、あえて落としてしまう。
前回に紹介した、「かかわりのない」小説より、ずっとドロドロした人間関係を描き、模索し、それをなんとか前向きにしようとしている作者の誠実さを感じる。
「ああ、人間って、人生って切ないな」程度の小説とは違う。
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私の感覚がおかしいのか

2011年11月15日 18時56分57秒 | わたしごと
瓶の先端を、つまり私が口をつける部分を指でつまんでビニル袋につめる、コンビニのバイトのおにいちゃん。
客の顔も見ずに、洗い物の片手間に『いらっしゃい』『ありがとうございました』を連呼する、牛丼屋の店員。
食べ物の真上で釣り銭を渡す、コーヒー店の従業員。
私の手が不潔に思えるのか、釣り銭を、私の手のひらに、接触しないように放り投げてよこすドラッグストアのレジ。

皆さんは、不快に感じたことはありませんか。
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川上未映子「すべて真夜中の恋人たち」

2011年11月13日 20時54分56秒 | こんな本を読みました
またまた切ない物語である。
人と関わることを避けて(いや、関わることをしてこなかったというほうが正確か)生きてきた、三十代半ばの女性、冬子。
その姿勢は、物語の終わりまで変わることはないのだが、「現代風」な友人、石川聖が唯一の「関わり」とも言える。
そこに、偶然に出会った男性の三束が、つかずはなれずの淡い関係ながら、彼女の生活、精神に比重を高めていく。
しかし、結末は切なく、しかしすがすがしい。

と、ここまで書いて、私には、ここまでが精一杯の讃辞。

この作家もそうであるが、なんで「関わり」を書かないのだろうかと不満である。
もちろん作品中の彼女も、彼女なりの「関わり」と言えるのかもしれない。
ただ、内面の移り変わり、葛藤の描写はあっても、他者との関わりで得られたものが、あまりにも少ないと思う。

この小説でも、主人公と石川、三束との会話は、あまりにも一方通行である。
いやな言い方をすれば、それは誰にでも書ける会話である。

描かないのか、描けないのか。
もはや、現代社会には、他者との関わりで、自分を変えるという場面は消失してしまっているのか。

そんな小説家が出ないものか。
いや、いるのだが、私が知らないだけなのか。

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社会の未来像

2011年11月13日 09時01分31秒 | わたしごと
最終的に利潤を至上目的とする社会は、なんとかできないものだろうか。
富めるものと、持てないものとの格差。
予測もできない不況。そしてそのしわ寄せ・犠牲の行き着く先は。いつも国民の生活。

資本主義社会にとってかわる社会はないものか。

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TPP参加をめぐって

2011年11月13日 08時52分38秒 | あれこれと
アメリカ主導であり、無理難題の要求に対して拒否できないものであること。
経営規模が、日本と他国とは格差があるのに、それを考慮されることがないものであること。
「大規模化すればいい」といった議論もあるが、日本の国土・環境からして、はたして競争に耐えられる大規模化できるのか疑問であること。資本の論理で、日本の農業は「丸投げ」されるように思えること。
むしろ国の条件の違いを尊重した条件交渉の場を求めるほうがいいのでは。
低下する自給率の改善には、少しもプラスにならないこと。

TPPには、参加しないほうがいい。
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う~ん

2011年11月12日 23時12分03秒 | 素人の劇評
「とんでも医者」 劇団新和座
11月12日 新宿 シアター・ミラクル 13時の部

結成2年の劇団だと聞きました。
正直言って、発展途上の劇団という感じです。
「新しい試み」とパンフレットに書かれていましたが、うーーん、見つけることが、私にはできませんでした。
モリエールの原作を、劇団なりに味付けをしたのでしょうが、人間の愚かさを焙り出したいのか、恋心の強さを言い張りたいのか、ギャグを見てもらいたかったのか、冒頭のタップが「新鮮」なのか・・・劇団の意図が中途半端だったのではないかと思いました。
出演6人、雑居ビルのワンフロアーという狭さ、普段着のような衣装、寂しく感じた舞台装置・・・厳しい条件での上演で、さらに上演が49分。私は、チケットプレゼントで無料でしたで、なんとも懐は痛まなかったものの、3000円の入場料は、かなり割高に感じたのではないでしょうか。

どうも辛口になってしまいますが、もっとカラー、こだわりを感じさせてほしかったと思いました。

代表をはじめとして、意気込みは充分に感じ取れる舞台です。
さらに、がんばっていただきたく、今回は褒めません。
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