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息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

やっと夏休み(笑)

2022年08月03日 19時58分52秒 | 学校の当たり前
今日は、1日仕事をして、ようやく一段落。細かなやり残しはあるものの、「ま、いっか」とばかりに精神的に仕事を完了。
あすから約2週間、学校を離れていられる。
みなさんも、ゆっくり休養を。また充電を。
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若い先生へ 道徳は自信をもって指導していますか?

2020年05月17日 14時23分39秒 | 学校の当たり前
悲しいかな、私には「できません。」
 理由はいくつもあるのですが、1番の理由は「道徳」という「特別の教科」は、「科学でない」からです。例えば算数や理科は、人間が時代を超えて発見したり証明したりした事柄の集大成です。数理科学、自然科学、物理科学、化学とか呼ばれていることにも表れています。国語にしても、教え方や何を重点にするかは統一されたものはないにしても、それぞれの考えで到達した事柄を学ぶことにおいては、算数などと似た側面があります。人文科学などとも称されていますから。
 つまり教科と呼ばれているものは、人類の叡智を、言い換えれば「真理」を追求し、しっかりと受け継ぐ学問群と言えるでしょう。
 しかし、「道徳」だけは違います。「特別の」と、苦し紛れの形容詞がついていますが、これは断じて教科ではない。そう思っています。
 ですから、学問的な到達点とは関係のない「常識」「マナー」「ルール」「エチケット」・・・を学ぶものだけに、それをどう教えていいものか、いや、教えていいものか、いつも悩みながら授業を行っている私です。

 ※同じように考えている教師から、「道徳読み」「途中読み」「批判的読み」といった方法の書籍、意見が出されていますが、どうも私にはしっくりとは馴染めません。「今やらなければならないとしたら、この方法しかない」といった危機感は伝わりますが。

戦前の教訓が生かされていないことも
 2つ目の理由は、戦前の教訓が少しも生かされていないということです。
 私も戦後に生まれ、直接の戦争体験はありません。
 父方の伯父が零戦の操縦士であり、訓練中に事故死したこと、母方の伯母が代々木上原に住んでいて東京大空襲に遭い、着の身着のままで逃げ回ったこと、父が徴用された工場で、右手の親指を決断してしまったこと。そのくらいしか、私の周りの戦争の傷跡が思い浮かびません。それらは、すべてあとから聞いた話です。
 幼少のころ、伯母(空襲で逃げ回った)と池袋に行った際は、北口の地下道を通るのがとても怖かったことも、ひとつの「体験」です。地下道には、その両側に「白い装束」の傷痍軍人が何人も座り込んでいて、アコーディオンを弾きながら「寄付」を募るのです。(すでに戦後、10年以上経っていましたから、大半は「ニセモノ」だと後から聞きましたが)
 そのときは何も気づかなかったのですが、大きくなって、「もし戦争がなかったら」と思うようになってきました。
零戦の伯父の奥さんは、その後再婚。良い旦那に恵まれたとはいえ、配偶者の事故死で、当時の幸せを打ち砕かれたことも確かです。空襲で逃げ回り、財産を燃やしてしまった伯母は、その後露天商から再出発しました。生涯独身であったことも戦争の影響があったようです。父も、親指のない生涯を送り続けることになります。
 私の親類は、まだ良い方だったのでしょう。
 親を亡くし、兄弟を亡くし、夫を亡くし、さらには「外地」で人を殺め、それからの人生が、運命が大きく変わらざるを得なかった方は、それこと限りなくいたことでしょう。

 戦争に向かって突き進む時代、そして戦時中、国民を「喜んで」死に追いやったもの、疑問もなく「お国のため」として、「殺人」たる戦争にのめりこませた要因のひとつに、「修身」の存在がありました。

 詳しくは書きませんが、国家が生き方の善し悪しを決めていたのです。国のため、天皇のために、生きるのだ、死ぬのだと、子どもたちは、学校で毎日教え込まれたのでした。
 戦後は、その誤りを反省し、「修身」は廃止になりました。「国が国民の生き方を説いてはいけない」という教訓です。

 「内容が戦前とはちがうから、いいんじゃないの」と思っている方もいることでしょう。私も以前はそう思っていました。しかし、問題なのは、「国が国民の道徳、生き方を束ねてしまう」ことなのです。

 1974(昭和49)年、首相在任中の田中角榮は、児童教育指針として【「五つの大切、十の反省」】を掲げました。
「五つの大切」
1 人間を大切にしよう  2 自然を大切にしょう  3 時間を大切にしよう 4 モノを大切にしよう
5 社会を大切にしよう
「十の反省」
1 友達と仲良くしただろうか  2 お年よりに親切だったろうか 3 弱いものいじめをしなかったろうか
4 生き物や草花を大事にしただろうか  5 約束は守っただろうか  6 交通ルールは守っただろうか
7 親や先生など、ひとの意見をよく聞いただろうか  8 食べ物に好き嫌いを言わなかっただろうか
9 ひとに迷惑をかけなかっただろうか  10 正しいことに勇気をもって行動しただろうか
 
 なにか当たり前のような言葉の群ですが、当時、これが発表されたときに、国民から、マスメディアから、「国家が国民に道徳を説くべきではない」と、激しく批判を浴びました。上から命令調に、国民に対して「かくあるべき」を説くことが、「戦争への一里塚」だとして、拒否されたのです。(内容の是非ではないこと、わかりますか)

★時の施政者が、国民に向かって「道徳」を説くことは、戦後になっても、何回もなされています。上に紹介した以外でも、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をして戴く・・・」と、当時の森首相が発言したこと。(2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年記念祝賀会における発言)最近では、幼稚園で「教育勅語」「五箇条のご誓文」を園児に唱えさせているという報道に、柴山昌彦・新文科相が10月2日の就任会見で「教育勅語」について、「アレンジをした形で、例えば道徳等に使うことができる分野は十分にあるという意味では、普遍性を持っている部分が見て取れる」などと発言をしたり、文科省では、教育現場での扱いについて、そのまま教え込むことはできないとしつつも、「学校において教育勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切だが、憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定しない。」と、後退した評価、活用の道を示したりしました。いつの時代も、国民の道徳形成に、自分の考えを押しつける政治家はつきもののようです。

 「長いものには巻かれろ」といった、主体性のない国民、従順なだけの国民を作っていくことこそ、戦争に繋がるものだとされたのです。学校で教える道徳も、その延長上にあるのです。

 3番目には、教える「徳目」について、また「教材」には、大きな落とし穴があるということです。道徳は、ある場面に出会ったときに、どういった基準で考えればいいか、そして、どのような行動を起こせばいいか、その判断をするための力を養うトレーニングをする教科だと考えます。
 教科書を読めば一目瞭然ですが、そこには圧倒的に「物語」が掲載されています。そして、その教材文の大半は、ねらいとする「徳目」に結びつけようとする文脈、登場する人物の性格・言葉遣い、状況などが満載されています。
 たかだか数ページの物語の中で、子どもたちに、「誠実」やら「友情」やらを感じ取らせる目標のようですが、みなさんの実生活を思い出してほしいのです。
 たとえば、友だちから「お金を貸して欲しい」という依頼を受けたとします。あなたは、その時に何を考え、どういった行動をとりますか。
「その友だちとの関係の深さ」「信頼に足る友だちなのか」「何に使うための金なのか」「金を渡して、それが友だちのためになるのか」「自分は、金を貸して困ることはないのか」「貸さないとしたら、関係はどうなるのか。反対に貸すとしたら、どうなるのか」「他に借りられる相手はいないものか」・・・
 たくさんの視点に立った判断が必要になるのが、現実の生活です。自身の中にある「誠実」や「友情」のために、その時に考えた、たくさんの条件を駆使して結論を出すのです。
 しかし、教科書の物語には、それを可能にするほどの豊富な「手がかり」がないものがほとんどです。つまり、それらを少ない指導時間の中で、確認し、類推し、あるいは無視して、授業を終えなければなりません。(これについては、いずれ詳述します)手がかりのない(少ない)事例から、何が誠実か、真の友情かの行動の指針を出すとすれば、それは誤った判断を導くものとなるのは当たり前のことです。
 
 総論ですが、私の道徳指導の逡巡は、以上3つの疑念があるからです。
 しかし、それでも指導しなければならない現実。それについては、またお話していきたいと考えています。

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もう「職員会議」とは呼ばせない

2020年04月14日 23時25分21秒 | 学校の当たり前
※前号のちょっと補足です。「ブラック」と言われるほどの超定額働かせ放題の現在に仕立て上げたのは、もっぱら政権の怠慢が主な理由ですが、同時に、当時の日教組の戦術の誤り(いつか説明するかもしれません)も大きな原因です。
 そして、辛い、痛い言葉ですが、岡崎勝が「こうした(註 ブラックと言われる)『働き方』に鈍感だった普通の教職員の『労働条件への意識の低さ』が招いた結果でもある」と言ったことも後押ししているのかもしれません。(「現代思想」2020年4月号「迷走する教育」の中の岡崎論文より)
もう「職員会議」とは呼べない伝達会
 「ただでさえ忙しい学校で、くどくどと職員会議をしていることは、時間の無駄ですよ。学期1回だって、多いくらいです。短時間でさっさと終わらせて、その分、仕事に回すのは、けっこう働き方改革になっていると思いますよ。」
 最近話した若い先生の言葉。

 「これから職員会議を始めます。あらかじめお伝えしておきますが、提案のあと、話し合いの時間はとりません。質問だけ、質問だけですよ。ここは話し合いの場ではありませんから、意見は出さないでください。」
 これも最近の職員会議の風景。

 長い議論の末に卒業式の原案が職員会議で決まる。司会者、「それでは、プリントの卒業式実施計画案の<案>の字を消してください。」こちらは、30年も前の職員会議。もともと、職員会議に出されるものはすべて「案」として提案され、話し合われていました。

 「校長先生から、来年度、体育の研究指定校にという提案がありましたが、みなさんのご意見をうかがいます。どうぞ、たくさん意見を出してください。」
 今から数年前の職員会議。めずらしく意見を求める会議となる。日常の多忙、前回も指定校を受け、少し間を置きたいなどの意見が続出し、不本意、という表情で、校長が「分かりました。研究校は受けないこととします。」の回答。
しかし、翌朝、「やはり、受けることにしました。」と、大どんでん返しの言葉。
職員会議は 開かなくてもいい?
 今から20年前に、職員会議に関して、大きな転換がありました。2000年1丹21日「学校教育法錨行規則等の一部を改正する省令」(文部省令第3号)が公布され,翌年4月1日から施行されることになりました。
 そこでは、校長の職務の円滑な執行に資するため,職員会議を置くことができる」とされ,第2項では「職員会議は,校長が主宰する」と定められました。つまり、職員会議は、校長の考え次第で、極論すれば、開かないでもいいことになりました。しかも、その性格は「決定事項の伝達」なのです。
 それまでの職員会議は、「校長は,校務の運営上必要があるときは,職員会議を開き,所属職員の意見を求めて,適正な学校運営に努めなければならない」という表記でした。
 違いがわかりますか?

 それ以降、職員会議は、あくまで「校長の都合で」開かれるものであり、意見交換ではなく、あくまで決定事項の追認の会だという性格を帯びたものに「変質」してしまったのです。

 たしかに、職員会議は、私の若いころは、例えば「日の丸」「君が代」などを巡って、その扱いをどうするかで、管理職と職員とが対立していた状況で(これはいずれ詳述します)、延々と夜遅くまで会議が続くこともしばしばでした。行政や管理職にとって、学校の運営はきっとやりづらいものだったに違いありません。(同情するわけでは全くありませんが)そのあげく、なのでしょう。それが、20年前の職員会議の「大改革」だったのだと考えます。
つまり学校の「上意下達」の完成です。仕上げは、今から5年前の「通知」です。

26文科初第424号   平成26年6月27日
校内人事の決定及び職員会議に係る学校内の規程等の状況について(通知)
このたび、一部の学校において、校内人事の決定に当たり、教職員による人事委員会等の組織を設置したり、教職
員による挙手や投票等の方法によって、選挙や意向の確認等を行ったりしていた事案や、校長が主宰することとさ
れている職員会議において議長団など校長以外の教員を議長とするような事案が国会等において指摘されている
ところです。・・・・
① 校内人事の決定に当たり、校長の選任ではなく教職員の互選等により選ばれた教職員を主たる構成員とする人事
委員会等の組織を設置し、当該組織が校内人事の原案を作成し校長が追認するなど実質的に当該組織が校内人事を決
定しているような状況は、校長の権限を実質的に制約しかねないため、法令等の趣旨に反し不適切であり、このよう
な組織は設置すべきでないこと。仮に校長が校内人事に関する組織を置く場合には、校長の指揮監督のもと必要に応
じて校内人事に関する事務を行うための組織であることを明確化することなどにより、校長の権限を実質的に制約す
ることのないように規程を整備すること。
② 校内人事の決定に当たり、教職員による挙手や投票等の方法によって、選挙や意向の確認等を行うことは、校
長の権限を実質的に制約しかねないため、法令等の趣旨に反し不適切であり、行うべきでないこと。


 校内人事は校長の専決事項である。挙手や投票で人事を決めてはいけない。

 この職員会議の「変化」は、教育界全体の流れの中の1つにしかすぎません。要するに教育行政がスムースに下に下りるような「支配」の仕組み全体を鳥瞰しないと分からないものです。あとでお話しする、「校長―副校長―主幹―指導―主任―平」といった上意下達の職階制、自己申告に代表される業績評価、給料・昇級・退職金の差別化などと、表裏一体のものです。

 私は2つ前の学校まで、「教務主任を推薦してください」「研究主任は○○先生にお願いしたいのですが」といった意見を出し合う職員会議を経験してきました。オープンすぎて、強い語気や自信満々の先生の意見が通ってしまうこともありましたが、きちんとした理由や理屈のある意見交換であり、その結果は、ほぼ全員が納得したものであったことを記憶しています。

 今や「職員会議」という言葉が空回りしています。
 広辞苑で、「会議」を引いてみると、「①会合して評議すること。何かを決めるため集まって話し合うこと。その会合。「編集―」 ②ある事項を評議する機関。「日本学術―」とありました。

 つまり、学校の「職員会議」は、もはや「会議」という名称としてはまずいものだと考えます。
 「伝達会」「承認会」とでも呼ばれるほうが妥当でしょう。

 最初に紹介した若い先生の言葉を、どのように思いますか。
 私は、この「命令承認会」では、次のような弊害が生じると思います。
 ①物言わぬ先生が多くなること。これは、必ず子どもの教育に、致命的な悪影響を及ぼすこと。
 ②職階制とも絡み合って、管理職への「忖度」過度な教員が増えること。これも教育活動を汚すことになる。
 ③話し合いがないために、「当事者意識」が欠如し、「やる気」がトーンダウンする。
 ④一部の「経営」層と、もの言わず黙々と働くものとの二極分化が生じること。百害あって・・・

 すべて「昔はよかった」とは思わないが、職員会議に関しては、明らかに「昔がよかった」と思う。
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何回過労死してもおかしくない学校現場

2020年04月11日 10時23分14秒 | 学校の当たり前
「今のあたりまえ」を「あたりまえ」しないために 若
い世代に伝えておきたいこと (2)
人として健康に生きる権利――絶対量を減らさない「働き方改革」は有害無益
 昔、飲み会で、酔って気持ちよくなった校長が、「自慢するわけではないが、私は平のとき、1回も年休をとらなかったのを誇りにしている。」と、自慢していたことを思い出しました。お追従なのだろうけれども、周りの先生たちがこぞって、「へー、すごーい。熱血先生だったのですね。」と褒めちぎり、酌を重ねてしていたのを、遠巻きに鼻白む心地で見ていました。

 以前勤務した学校で、自己申告の際の面接で、ある先生(親の介護で、よく休暇をとる、いや取らざるを得ない方でした)が、校長から、「あなたは、家庭と学校の勤務と、どちらが大事ですかと聞かれたら、どちらと答えますか。」(もう聞いているじゃない!)と言われ、「家庭です。」と答えました。校長は、「そうですか。私は学校です。あなたには働いていることに対しての責任感が抜けていると思いますよ。」と言ったそうです。この例はさすがに希有なもので、さっそく教育委員会の指導課に報告し、校長を指導してもらいましたが。
 
 教員の給与を4%上乗せするかわりに、残業手当を支給しないという「給特法」(正式には、「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」)ができたのは、1971年のことです。つまり、私が教員になる7年も前、ずっとずっと、はるか昔のことです。それより少し前の1966年に行われた勤務状況の調査によると、教員は平均して、1週間に2時間ほどの時間外労働をしているという結果が出ました。
 そしてそこから割り出されたものが、4%の上乗せだったのです。教師の仕事は「線引きが難しい」特殊なものだからという理由で、設定されたものだったのでしょう。

 当時は、日曜日だけが休み。土曜日は午前中の授業がありました。土曜日、子どもたちが下校すると、先生たちは学校近くの飲食店に繰り出して、1週間に起こったあれこれを、みんなで出し合って、「昨日、△△くんがとつぜん泣き出して・・・」「九九の指導で、いいのがあったよ。」「そうか、○○先生の家は、介護で大変なんだ。ここはひとつ、みんなで支えてあげないといけないね」などと談笑していたものでした。昼食が終われば、学校に戻って仕事の続きをする人、そのまま帰る人、遊びに行く人と、三々五々に解散していました。温かく、のんびりした風景を思い出します。(土曜日にリュックを背負って出勤する先生も、よく見られました。授業が終わったら、山登りに行くんだといった先生でした。けっこうそんな光景も見られた昔です)
 平日の放課後も、先生たちで、よくテニスや、野球、ソフトボールも楽しんでいました。落ち葉を集めて、「焼き芋集会」を全校で行ったあとの残り火で、暗くなった校庭に椅子を持ち出して、ビールを飲みながら焼き肉パーティー(今では考えられないことですが)をした記憶もあります。

 これは、50年も前、つまり半世紀も前の時代のものです。そして、その50年の間に、たくさんのことが噴出してきます。学校の荒れ、ゆとり教育から「詰め込み」教育へ、大阪での児童・教員殺傷事件、防犯カメラの設置、下校を徹底せよとの風潮、金銭教育、外国語の導入、「総合の時間」の創設、情報モラル教育、週五日制の導入、パソコンによる業務の移行、プログラミング教育、食育教育、いじめ防止教育、安全教育、環境教育、オリンピック・パラリンピック教育・・・・挙げていくと、このページが埋まってしまうくらい、たくさんの指導内容、業務が、現場に入り込んできました。

 学校は、「捨てる」ことには非常に消極的です。「子どもにとって有意義だから」という言葉には、とても弱い現場です。したがって、仕事は増える一方。さらに、先に書いた「週五日制」で、1日少ない1週間となったところで、増えた分をこなさなければならなくなってしまったのです。

 2016年度に文科省が実施した公立の小中学校教員を対象とした実態調査によると、平日における平均の労働時間は、小学校が11時間15分、中学校が11時間32分となっています。勤務時間は、7時間45分ですから、それを引くと、小学校では3時間30分。これが1日分の「残業」です。これを1週間の5日分に換算すると、なんと17時間30分となります。
 気をつけないといけないのは、ここには「持ち帰り」の仕事の分が含まれていないということです。
 1か月を単純に4週としてみると、月に70時間+持ち帰りの残業!
 一般に、月80時間の超過勤務が「過労死ライン」と呼ばれています。小学校の先生は、3人に1人は、その過労死ラインを越えているとも言われています。

 ※教員は他の職種と比べて、どれくらい残業しているか、面白い統計があります。なんと「過労」の代表とされる医者を引き離して、「堂々の」1位なのです。2012年の『就業構造基本調査』に,週間の勤務時間の分布を職業別に集計した表があります。ご覧になり、驚いてください。
 私が教務主任をしていたころに、自分なりに「勤務時間」を記録していたことがあります。教務主任の仕事は、3月、4月あたりが「激務」なのですが、その3月に、超過勤務が120時間、他の月でも85時間平均でした。仕事が遅い私ですが、すでに私は何度も過労死していてもおかしくなかったのです。

 ※平成28年、総務省の統計によれば、30歳の公立小中学校の教員の平均年収はボーナスも含めて、521万円。一般行政職の地方公務員は、467万円。約50万円の差があります。月に換算してみると、約3万円ほど教員が高いことになります。教員は「教職調整額」という、行政職よりもやや多い基本給をもらっていますが、これを考えずに計算すると、70時間残業をして、3万円の増額。つまり、1時間当たり450円となります。残業の値段は、時給450円なのです。ふつうは、平時の時給の1,2倍、1.5倍として計算される残業手当も、私たちは、バイトの学生の3分の1程度しかもらっていないことになります

 「教員の仕事は、特殊で時間として厳格に測れないところが多い」と言われます。みなさんも、経験上、そんな仕事がかなりあることはご承知の通りです。しかし、その論法で、「見返りに4%」の定額働かせ放題が現在まで続けられてきたことも忘れてはならないと思います。やはり私たちの労働は、厳格に時間として測定すべきものだと考えます。
 働くことは、「仕事を一定の時間の範囲で行い、一定の賃金を支払う」といった単純なものです。ですから、大事なことは、「人として健康に生きる権利」がなによりも優先されなければならないでしょう。
 「残業時間に正当な手当を支払う」そして、「残業時間を皆無にする」は、どちらも追求していかなければ意味がないのです。
 別の号でお話しますが、今回の「変形労働時間制」は、この点で、まったく私たちにとり、不利益なことは増しても、得することは、ほとんど皆無のものです。
 
さらにやっかいな「超勤4項目」 それ以外は「教員が自主的に・勝手にやっていること」

 私たちの超勤(残業)と呼ばれるものは、現在、次の4項目に限られています。
   教育職員に対し時間外勤務を命ずる場合は、次に掲げる業務に従事する場合であって臨時又は緊急のやむ
を得ない必要があるときに限るものとすること。
イ 校外実習その他生徒の実習に関する業務
ロ 修学旅行その他学校の行事に関する業務
ハ 職員会議(設置者の定めるところにより学校に置かれるものをいう。)に関する業務
ニ 非常災害の場合、児童又は生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合その他やむを得ない場合に
必要な業務
 これだけです。つまり、勤務時間を過ぎて学年会を行ったり、家でテストの採点をしたり、通知表の所見の下書きをしたり、気になる子がいるので家庭訪問をしたり、逆に夜、保護者が学校に相談を持ってきて対応したりすることなどは、すべて「自発的行為」(つまり自分で勝手に行ったもの)として、勤務時間の調整にはあたらないのです。
 まだまだ「ブラック」を脱しない学校現場です。
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「今のあたりまえ」を「あたりまえ」しないために 若い世代に伝えておきたいこと (1)

2020年04月05日 21時32分46秒 | 学校の当たり前
職場新聞を作りました。おそらく最後の年に、なにか残さないとと、焦っての作成です。
以下その記事です。

私は、1978(昭和53)年に、25歳に教員になりました。今から42年も前のことです。大学を卒業してから、新宿でバーテンをしたり、大学院に行き、すぐに中退してしまったり、塾の講師をしたり、埼玉で学校事務をしたり、玉川大学の通信教育で教員免許をとっていたりと、ふらふらした挙句の就職でした。
 教員になりたてのころは、まだ携帯電話などあるはずもなく、公衆電話はテレフォンカードか、硬貨の続けざまの挿入の時代。もちろん、パソコンもなく、ワープロの登場も、それから数年を待たなくてはならない時代でした。このあたりのことは、また記事にすることがあるかと思います。
 
 昨年、挫折した「職場新聞」の再チャレンジです。組合にぜひとも加入してほしいという願いもあるにはあるのですが、私の世代の仲間が、すでに大量に退職してしまい、若い教員に現場で「昔のこと」を伝える人が激減してしまっていることに危惧を覚えて。
 「昔はよかった」などというつもりはないのですが、私にはどうも今の学校教育は、「よくなってはいない」と実感することが、たびたびです。
今、みなさんが勤め、子どもたちと向き合って学習している学校の様子も、私の入ったころと、大きく様変わりしてきています。

えっ? メーデーってしらないの?
 ひとつ前の学校でのことです。4月の下旬に、同じ学年を組んでいる若い先生に、「あっ、5月1日はメーデーだから、1日クラスをお願いします。」と話しかけたところ、「えっ、先生。メーデーってなんですか?」と尋ねられたことがあります。そのときは、かなりショックでしたが、もしかして、今、その話をしたら、大半の若い先生が、「私も知りません。」と言うかもしれません。
 去年のことです。教科等研究会での話し合いのときでした。私が、若い先生たちに、「みなさんは、学級会では、子どもたちとどんなことをとりあげて話し合っているの?」と尋ねたときです。先生たちから、一斉に「先生、学級会って、なんですか?」と、反対に質問を受けました。ああ、今の先生たちには、「学級会」という言葉は、もう死語になっているのだ。そして、学活では「係の活動」や「行事の準備」であけくれしているのだなと思いました。
 そんな世代間のギャップというものについては、年を追うごとに数が増してきています。
 もちろん昔のことは、知っていても役に立つものばかりではありません。しかし・・・
 
「今のあたりまえ」は、けっして「あたりまえ」のものではない

 例えば、卒業式ひとつをとってみても、今の形が昔から「普遍的に」続いてきたものではありません。私が在職している40数年の間には、大きく変化して(されて)きています。
 通知表も同じです。職員会議も・・・
 そして、ここからは私の考えなのですが、それらの変化、改革は、便利になったり、よりよくなったりしているとはとうてい言えるものではなく、よくよく考えると、むしろ時代に逆行しているのではないかと思えるものが、たくさんあることが分かってきました。
 今、みなさんが向き合っている「あたりまえ」のことを、「あたりまえではない」と、私なりに伝えていこうと思っています。
 今、「働き方改革」と言われて推進している「勤務時間の移動」措置も、文科大臣の言葉を聞くまでもなく、すでに残業を減らす目的のものではないことは自明のことです。これについても、どこかで、分かりやすく説明をしていこうと思います。

 伝えたいことは 山ほどあります!
 教師として生きていくことは、とても楽しく、やりがいのあるものです。民間の営業職と違って、すぐに結果が出てくるものではない職業ですが、子どもたちの卒業後に、噂で「○○さんは、今、医者になりたくて猛勉強している」とか、「■■くんは就職して、初任給の際に、両親を旅行に招待したらしい」といった活躍や成長を聞いたり、子どもたちが学校に遊びに来たりして思い出話に浸ったりするときなど、教師になってよかったと思えるものがたくさんあります。(私だけの影響ではないはずなのに・・・)

 先生たちがゆとりを持って働き、また専門職として尊重され、教育を司ることができ、しかも家庭や地域でも一家庭人、社会人として貢献できるようになる日は、残念ながら、私の在職時代には来なかったようです。幸い、私の息子も教員になりました。そんなに教育論議をしている親子ではないのですが、彼にも父親の思考(思想とまではいきません)の変遷を残しておこうと思っています。

 この春休みに、「若い先生に伝えておきたいこと」をリストアップしてみたところ、おそろしいくらいの数になりました。しかし、どれをとっても、絶対に語っておきたいものなのです。どこまで描くことができるか、1年をかけて書き続けていこうと思います。そして、私の考えは決して絶対ではないことは、自分でよく分かっています。40年教員をしていても、「理想の教育ってどんなものですか」などの質問に、ただたじろぐ私です。異論、反論は、ぜひ私まで。私も、もっともっと学びたい。
 以下、連載予定のテーマです。どこまでできるか、今年のチャレンジのひとつです。


1.縛られている卒業式  2.ブラックは加速している 給特法について 3.あゆみ、要録、テスト、
評価  4.義務教育は無償なのに 私費負担について  5.村田栄一がいなかったら私は教師にならな
かった  6.宿題の丸つけと教育格差  7.国民の祝日について  8.市教研と私たちの研修権  
9.参考書は必要経費にならない?  10.PTAは、PAになり、下請けになりつつある  
11.主幹、指導、主任 昔は?  12.学担はどう決まっていた?  13.はやりのスタンダードを、
よく検討してみよう  14.麹町中の取組をよく考えてみたら・・・  15.道徳との向き合い方  
16.仕えた校長の思い出  17.自己申告は何を目指すのか  18.職員会議 その変遷
19.担任の家によく行ったこと 居残り勉強  20.学級通信を出し続けること
21.「服務」という恫喝  22.もの言わぬ若手教師というけれど  23.運動会・組体操
24.組合について  25.性教育 萎縮している時代 七生養護学校の事件について
26.文学教材が貧困になっている 大学入試が大きく後退している  27.教員間のいじめのこと
28.プール、水泳指導はいずれ?  29.保護者とのトラブルが増えている理由
30.再任用は6割の給料!  31.教え子とのつながり  32.思い出に残る先生
33.思い出に残る子ども 気になっている子ども  34.学習指導要領との付き合い方
35.指導書、赤本は、とうとう使わなかった  36.「多数決」について  37.ユーモアは必需品
38.発達障害 インクルーシブ教育はうまくいっているのか  39.話し合い・コミュニケーション
40.教科書を選ぶのは?  41.苦い思い出  42.教室に本を大量に置くこと  
43.なぜ管理職を目指さなかったのか  44.society5.0について
45.問題研究会で学んだこと  46.全生研、歴教協、児言研、仮説実験授業から学んだこと
  47.オリパラ 副読本のまやかし  48.法則化運動と距離を置いて ・・・・・


 これでも抑えたほうなのですが、逆に、これを1年間で描ききれれば、上々ですね。

 1週間に1号を目指していきますが、なにせもともと「自堕落」な素質をもっている私です。残された少ない日々を意識しながら、自分に鼓舞激励していこうと思っています。よき読者(批判も大歓迎)となっていただければ幸いです。

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