息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

たまる一方の本と仕事

2010年10月27日 23時44分12秒 | わたしごと
学校を定時に出て、喫茶店に入り、建て替えの段取りについて、ノートを開いて、ペンを走らせている毎日。やるべきことと、やれることとのギャップに、時間的にも精神的にも余裕のない二週間でした。
「あっ、隣のアパートの家主さんに電話するのを忘れていた」「日割りの電気、ガスの振り込み用紙、家に置いてきたままだ」「私の部屋にゴミ箱が必要だから買って帰ろう」「登記の確認しなくては・・・」「電化製品のまとめ買いをどうやったらうまく安くできるだろう」
きりがないくらいやることを思いつきます。

仮住まいはスペースがないくせに、やはり読んでおきたい本には手がでます。

たまるのは疲労と積まれた本と仕事・・・
金は出て行く一方なのに・・・
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壊された家は見るものじゃない

2010年10月26日 23時04分43秒 | わたしごと
夜中に、ちょっと魔が差して、車を走らせ、解体現場を見に行きました。
車から降りて、玄関前に行き、立ちすくんでしまいました。
玄関と、居間の一部が取り壊されて、ブルドーザーがガレキの山の中に突っ込まれて横たわっています。
ちょっと胸がつまりそうな気分。
愛すべき我が家の、見るも無惨な姿。
建て替えされる方に、忠告します。
壊される家は、見るべきものじゃない。
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解体前日に

2010年10月25日 16時13分19秒 | わたしごと
昨日は解体前の最後の日 学校での仕事を途中で投げ捨てて 夜にいよいよ荷物出し アルバム 整理していない膨大な写真 手紙や通帳の入った亡き父のかばん やはり勤めた年月の長さを示している山積みになった歴代「学級通信」のファイル そして最後まで捨てきれなかった本
車で二回に分けて仮住まいに運びました がらんどうに近くなった部屋でもまだ人の気配があります

ああ ここで父が枕元にラジオをつけたまま寝ていたんだな 階段のこのあたりから息子は飛び降りて遊んでいたんだな 父が息子と湯舟に入り タオルで空気袋を作っては ぐっと湯の中に押し込み 泡をたてては面白がらせていたっけな 部屋の一つ一つからたくさんの思い出があふれ出てきます
33年 私たちを守りつづけてくれたわが家に 最後の鍵を閉める際に 奥さんと一緒に 感謝の礼をしました ありがとう
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もうしばらくお待ちください

2010年10月22日 00時17分02秒 | わたしごと
家の解体が25日に決定しました。
32年暮らした家ですので、たまりにたまったものを出していますが、まだまだ処理しきれないでいます。この土日が、いよいよ最後。
思い出はぎゅっとつまった家ですが、思い切って「原則捨てる」方針で頑張っています。
ブログのほうは、しばらくお待ちください。
心機一転、楽しいものにしていきますからね。
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体力勝負の引っ越し 真っ最中

2010年10月10日 04時40分22秒 | わたしごと
家を建て替えるために、半年ほどボロ屋に引っ越します。
いよいよ今日がその引っ越しの日なのですが、まだ私の部屋は、段ボール箱とゴミ袋が散乱状態。本がやっと整理しかけたといった有様です。

新しい家には、基本的には何も引き継がないという原則で、家族はモノの整理をしてきた(つまり捨ててきた)のですが、本はなかなか「思い切る」ことができないでいます。

昨日は、とりあえず思い切って捨てる本だけを、近くのブックオフに持ち込みました。
しめて500冊ほど。
値段は17000円ちょい。う~ん。
長男のCDが半分の値段を占めるので、本はほとんど「カス」みたいなものですね。

疲れました。ちょっと仮眠します。

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なんとはかない

2010年10月05日 22時46分51秒 | わたしごと
朝、私は通勤途中に、乗り換えの駅の構内にある「ロッテリア」で、コーヒーを飲むことを習慣としています。朝ご飯を抜くことは、すでに大学生時代あたりから常習化していますが、ちょっと息抜きに、職場に行きたくないときは「気合い」を入れて、仕事がたまっているときは、パソコンを開くといった具合に使用する毎朝です。

異動して六年ですから、毎朝ここを訪れると、同じ時間帯でコーヒーをすする知り合いができても不思議ではありません。
車椅子で毎朝やってきては、大きな声で、仲間と談笑しているおじさん。
ノートを開いて、ひたすらペンを走らせている同世代と思われる、いかつい男性。
じっと外を見つめてコーヒーを飲み、五分もたたずに退席する中年女性。
アベック(?)で来ては、いつも華やかなおしゃべりをしている、私より一回りほど上の熟年(老人に近いかな)ペア。その片方の女性は、新聞が配達されていない日に必ず、私に「今日は休刊日ですよねえ」と話しかけてきます。

どの人も顔見知りなのに、店を出るときは会釈で挨拶するのに、そんなこんなで妙な連帯感があるのに、誰一人として名前を知りません。
必要ないからなのでしょう。

ここ1ヶ月ほど、最後に紹介した「休刊日」の熟年女性の姿が見えません。
もう来る必要がなくなった。病気になった。引っ越した。仲違いした。生活の習慣が変化した。
理由はいくらでも想像がつきます。しかし、名前も住所もわからない人だけに、確かめる術がありません。
「ちょっと寂しい空間になってしまったな」と思っていた矢先。

今朝、「ノートおじさん」が私のもとにやってきて、
「あのおばあさん、死んだらしいよ」と教えてくれました。彼と話をしたのは、これが初めて。
「なんでも、いつも一緒のじいさんの話だと、なにか食べ物をのどに詰まらせて、あっけなく死んでしまったそうだ」
「まだ六十の真ん中くらいで若かったのによう・・・わかんないもんだよなあ」

少し体が重く沈んだような気分になり、彼に礼を述べて、店を出ました。哀しいね。


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またまた言葉のすり替え

2010年10月04日 21時07分32秒 | あれこれと
「この度の私の政治資金団体に関る問題で、お騒がせしておりますことに心からお詫び申し上げます。

 私は、これまで検察庁に対して、私が知る限りのことは全てお話をし、二度にわたり不起訴処分となっており本日の検察審査会の議決は、誠に残念であります。

 今後は、裁判の場で私が無実であることが必ず明らかになるものと確信しております。

 衆議院議員 小沢一郎」

 彼の行ってきたことは、「法」に抵触しなかったということ。
 無実とは違ったものであるが、彼は、それを巧みにすり替えようとしている。
 残念ながら、現在の法律では罰せられることはないが、倫理としては政治家にふさわしくない手法であること、限りなく黒に近い灰色であることは間違いのないことだろう。
 「騒がせて」すみません、ではなく、「法には触れないがいけないことをして」すみません、と言って欲しかったが・・・

 まあそれは無理か。
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言葉によるペテン

2010年10月04日 02時15分46秒 | 教育を考える
「神奈川県内のすべての県立高校で日本史を必修化するのにあたって、県教育委員会が作成中の「近現代史」の教科書に日本の過去の歩みをことさらにおとしめる記述があった問題で、教科書案から問題の記述がほぼ削除されたことが27日、分かった。最終案は29日に作成され、決定する見通し。教科書記述の改善について有識者らによる検討会議は「バランスがとれている」と評価している。

 4月末に示された教科書のたたき台では、南京事件を「南京大虐殺として国際的な非難をあびた」などと、日本軍の「残虐性」を強調し、犠牲者数も過大な数字を記述していた。しかし、最終協議で出された教科書案では、欄外記載となり「大虐殺」の表記や犠牲者数は削除された。

 日露戦争での日本の勝利がアジアに期待と希望を与えた点については、前回は「この期待に日本は応えることはなく(植民地を拡大していく)」と否定的な記述だったが、今回は史実が淡々と紹介された。

 神奈川県の日本史の必修化は、県教委が平成25年度実施を目指す独自の試み。松沢成文知事は「(必修化で)愛国心や郷土愛がはぐくまれると思う。しっかりした日本人の育成に日本史は不可欠」と説明していた。しかし、前回のたたき台には自虐的な記述が随所にみられ、県議らから批判が出ていた。

 教科書案は指摘された自虐的記述を大幅に修正。執筆担当者側は「考え方を押し付けないよう注意した」と説明したという。来年1月から教師用指導書の議論が始まる予定。検討会議では「人権や戦争の記述は教師用指導書で根拠を示し扱い方を例示する慎重な工夫が必要」と指摘された。

 ≪藤岡信勝・拓殖大客員教授の話≫

 「比較すると、前回の記述がいかに反日的な意図を持って書かれていたかが分かる。個々の問題点は削除されたようだが、文部科学省の検定を受ける教科書では、本文で極端な記述を避けつつ指導書で自虐的な歴史観を展開する方法がしばしば行われてきた。指導書の作成過程を注視していく必要がある」

【用語解説】日本史必修化

 神奈川県の日本史必修化は学習指導要領にある学校設定科目の枠を使って「郷土史」「近現代史」を新設。全生徒が2科目と日本史のうちのいずれかを選択する。高校の学習指導要領では地理歴史3科目のうち必修は世界史だけ。選択科目の日本史は履修率が低く、平成?年に神奈川など1都3県の教育長が連名で必修化を求める要望書を国に提出していた。東京都も?年度から全都立高で必修化する方針。」(産経)

自虐、反日だと声高に言われると、なにか自分がいけない主張をしているかのように、日本を愛していない非国民、どこかの国の回し者のような気持ちになってしまう。
こんな安っぽい言葉による決めつけに負けてはならない。

自国の過去の暗い部分も、これからの平和な日本を作り上げていく上で、目を背けてはならないことである。
「過去の日本はすばらしかった」と、私も思えればそうしたいが、そんなノー天気にはにってはいられないほど、「やはりいけなかったのだ」ということは山ほどある。

産経は相変わらず、一方的で独断的で、扇情的な記事を配信しつづけている。
常連の藤岡信勝氏の談話もしかり。
彼は、人生の後半を、「権力の犬」として全うするのだろうか。
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子ども手当は焼け石に水か

2010年10月03日 14時58分48秒 | 教育を考える
「経済的に困窮する家庭に小中学生を補助する自治体の「就学援助制度」の受給対象となった09年度の児童生徒数が、前年度より5万1982人増え、過去最多の148万8113人に上ったことが2日、文部科学省の調査で分かった。増加傾向が続いており、95年度の調査開始時から15年間で2倍近くに達した。文科省は「経済情勢は好転しておらず、今後も増えることが懸念される」としている。」(共同通信)

単発の給付金は、あくまでも「対処療法」である。
根本的な貧困対策こそ求められているのだが・・・




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