息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

めげないで!

2010年05月29日 09時39分26秒 | わたしごと
今日は卒業した子供達が進学した中学校の運動会。
朝から霧雨が降ったりやんだりしていて、実施しているのか心配です。
「このくらいなら中学校ではやるんだろうな」と思いながら向かっているところです。
朝の通勤時に、その卒業生たちと、よく駅あたりで会いますが、ここ一週間はみんなジャージ、体操着のまま登校しています。そして日が経つにつれ、足どりが重くなっているような。
「先生、私みたいに体育が苦手な子には、もう地獄です」
そんな言葉を吐き出した子もいました。 そうだよなあ。私も小学校のときは、体が小さくて、鉄棒の逆上がりもできない、マットの前回りすらまっすぐに回転できない、体育苦手な子だったから、運動会は苦痛でたまらなかったのを思い出す。

「めげないで精一杯やればいいよ。結果オーライじゃないんだから」 と、励ましにはならないだろうなあと思いながら激励しました。こんなとき、とっさにうまい言葉が出てこないのですね。

あとわずかで学校に着きます。
笑顔のみんなに会えるといいな。
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そう言えば

2010年05月26日 06時58分01秒 | わたしごと
私が小学校一年生のときは、たしか51人のクラスだったと思う。
担任は小川スエ先生という、おばあちゃん先生。
先生と一対一で話した記憶、まったく記憶になし。

今、40人のクラスで、名簿を片手に「一日一回、すべての子と話そう」としてはいるが、なかなか完全な日はなし。

少し熱っぽい。今日は早く帰ろう。
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たったこれだけで

2010年05月24日 23時14分19秒 | わたしごと
いつも、左の肩に書類バッグ、右手にパソコンバッグを提げて通勤していたのを、思い切って、リュック型、つまり背負い型のバッグを買って、それ一つで通勤するようにあらためました。
いつもは、今日のような雨天の場合、傘を持っていくと、もうそれだけで、両手がふさがってしまい、持ちにくい、歩きにくいこと、この上もないほどなのです。
それが、今日は傘を持っていても片手が余ります。
また、背負うとバランスもよく、今までのような疲れも感じません。(一つのバッグにするために、荷物を思い切って減らしたこともあるのですが)

こんなたわいもないことで、少しとは言え、疲れの度合いが違うとは・・・
まったくおばかな私です。
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健忘 その1

2010年05月23日 00時23分13秒 | わたしごと
文庫本で、横山秀夫の「臨場」(光文社文庫 590円)を買い、電車の中で読み始めました。
これは短編集。
ます゜「赤い名刺」から。
あれ、この設定、どこかで読んだな。きっと横山さんお得意のスタイルなんだ。
と、10ページほど読み進む。
あれ、これ、きっと○○が犯人じゃないのかなあ。私も鋭くなったものだ。
と、さらに10ページ。
しめしめ、やはり○○犯人説にストーリーが進められてきている。推理小説家になれるかもしれない。
そして、さらに10ページ。
やはりね、私の勘はまんざらでもない。

つぎは、「眼前の密室」

どうも、同じような展開で読み進む。
なにか面白くない。
わかってしまうから・・・

もうお気づきでしょうが、帰宅して、私の本棚を見ると、「臨場」はすでに1冊、棚に収まっていたのでした。
つまり、これはもう読んだ本。犯人がわかって当然なのです。

2冊目を知らないで買ったことよりも(これはよくあるので)、読んだことを知らないで自画自賛していた私に愕然。
かなりやばい症状の健忘症なのかもしれません。
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わかったような わからないような

2010年05月23日 00時09分08秒 | 素人の劇評
「第一回○○の人東京大会『かっこいい宇宙人のぼく』」
5/22(土)13:00の部 新宿 タイニィアリス

なにやらおかしな劇団です(笑)。
おそらくは、みなさんで劇を楽しんでいるのでしょう。ついでに観客が楽しんでもらえれば、まあおまけに嬉しいな。そんな感じの劇です。
不条理劇とも、少し違いますし、一応ストーリーもありますから、それなりに楽しむことはできます。
夢の島が、仮想「夢の星」となり、そこに棲む「宇宙人」の家族。なんとも風変わりの人々なのですが、この以上ストーリーには踏み込めませんが、正直「よくわからないや」の感想を書き留めておきます。

このような劇を評する規準を、私は持ち合わせていません。
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離婚式!? 時代も変わった

2010年05月19日 05時56分03秒 | あれこれと
「離婚を決めた男女が結婚指輪をハンマーでたたきつぶして「最後の共同作業」をする「離婚式」が話題を呼んでいる。厚生労働省の人口動態統計によると、1年間の離婚件数は25万1136件(08年)で、約2分に1組が別れる時代。奇妙にも見える式の背景には、別れを新たなスタートにつなげたいという切実な思いもあるようだ。

 東京都内を中心に離婚式を企画しているのは、千葉県浦安市の元派遣会社社員、寺井広樹さん(29)。昨年4月、大学時代の先輩が離婚する際に「始まりを披露する結婚式はあるのに、なぜ終わりは何もないのか」という疑問を感じ、初めて離婚式を企画した。これが評判を呼び、離婚式プランナーに転身。これまで約20件の離婚式をプロデュースした。・・・・・」(毎日JP)

今や、3組に1組が離婚する時代。
こんな現象があってもおかしくないのかもしれません。

明るい前向きの離婚なのでしょう。
私はそうはいかなかったなあ・・・と、ちょっと複雑。
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まじめな教師が陥る罠

2010年05月18日 09時58分26秒 | 教育を考える
古本屋で、「水からの伝言」という写真集を見つけました。
水の結晶の写真を集めた、けっこう美しい写真集です。

しかし、この本がかつて私たち教師を惑わせた「お騒がせ」写真集だったことは、もう昔の話なのかもしれません。

この写真集、美しいだけならいいのですが、なんとも驚くべき話が書かれていたのです。たとえば、水に「ありがとう」という言葉を見せたのち(水をいれたビンに文字を印刷した紙を貼って、文字通り”見せる”)、その水で結晶を作ると水はきれいな結晶を作り、一方、「死ね」などの言葉を見せた水はきれいな結晶を作らないというのです。もちろん「平和」は美しい結晶を作り、「戦争」は作らないなど、言葉と結晶のあいだには一定の(実に
わかりやすい)関係があるというのでした。

ちょっとばかげた話ですが、これを真に受けて、実際に道徳の授業で使用した教師が、かなりの人数でいたのでした。
つまり、「言葉は水の性質を変える。人間の身体は多くの水分を含むのだから、言葉は人
間の身体にも影響する。美しい言葉を使いましょう」
という「教え」となるわけです。

倖田來未が、テレビ番組で肯定的に紹介したことも、大きく影響いたのかもしれません。

この授業は、初め、TOSS(教育技術法則化運動)と呼ばれる運動に参加する小学校の教師のあいだで広まったようで、今はさりげなく(?)このホームページからは削除されています。

「まじめ」ゆえ、いったん信じると猪突猛進。
これは、オウム真理教の信者の暴走など、新興宗教の信者にもあてはまることだと思えるのですが。

教師は、一般的に「まじめ」です。(私はどうかなあ)
今、ますます「自分を豊かにする」時間がなくなって、日々追われていると、「なにかにすがろう」という気持ちにもなるのも当たり前なのかもしれません。

今回の水についての似非科学は、過去のことですが、今後同じような現象は、教育界に次々と現れてくる予感がしています。
似非科学、そしてカリスマかな。
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構成に妙あり

2010年05月16日 22時28分06秒 | 素人の劇評
「今宵 片眼は死に場所を探す」 Island act.9 5月16日 1時の部 池袋 シアターグリーン

たぶん脚本を書いて演出も手がけた今泉さんが一番楽しんでいたのではないかと思われるほど、登場人物に色をつけ、しかけを駆使した、なかなか面白い劇だと思いました。

占いに支配された中国にある、とある国の、豪族の家に起きた、二つの「毒殺」 (?)事件の真相が、占い師により徐々にあきらかにされていく。
終盤になって、展開はやや煩雑になっていきますが、それでも役の一人一人に彩りを加えるためには納得できる範囲。

最後まで眠ることなく、楽しませていただきました。
役者さんもまだ若く、これから伸びていく劇団だと予感できました。

一つだけ、不満。
それは劇団の年齢構成です。みなさん、若くて・・・
それはそれで、活気、元気が豊富なのですが、一人でも二人でも「年長者」が欲しいと思います。
今回の劇にしても、台詞のテンポがみな速くて、同じ調子なのです。(ラウにしても、ゆったりとした台詞なのですが、会場を重くはできません)
ここに、齢を重ねた俳優が一人でも入っていたら、もっと味のある雰囲気になったのにと思いました。

それは、公演を重ねていくうちに、「客演」という形で解消できるかなとも思いましたので、あまり心配はしていませんが。

次回の公演も楽しみです。


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机上の空論 都教委の研修に参加して

2010年05月15日 22時55分22秒 | 教育を考える
主任教諭任用時推進者研修
という長ったらしい名前の研修に参加してきました。遠い立川です。

新しく主任教諭となった人への研修の推進役を養成するための研修だとか・・・

2時から5時までの3時間。
金曜日とあって、みなさん午後の授業を、同僚に託しての参加です。
やはり教師は疲れているのですね、講義の最中、私の席からぐるっと見渡すと、半分以上の方は、効果的な「睡眠学習」を選択しています。

内容は、これから学校現場に若い人が激増してくるときに、教員の「心構え」や「ワザ」がなかなか伝承されなくなり、全体的に力量が低下していく由々しき事態になりつつある。そうならないように、OJT(横文字が好きみたいです)など、研修に力を注いでほしいというものです。

現状認識については、まったくその通り。しかし、その方法や、提示する内容の効果については、まったく的外れのようです。

まず、6月末までに、1時間×3の研修を行えというのですが、あと1ヶ月と少しの期間で1時間の研修を設定できる学校は、おそらく1校もないでしょう。これについては、少しわかっているのか、「時間的に余裕がないときは、1時間でまとめて二つを行ったり、短い時間を数回開いても・・・」と言います。それは、提案としては、すでに「敗北宣言」をしているのに等しいのでは?

研修の内容は三つ提示されました。「主任教諭の職務・役割」「授業や分掌の仕事における助言・支援」「学校課題の解決方法」です。
主任は、校長の意図を把握して、主幹を補佐する。教諭に指導、助言する。簡単に言えばそんなものです。
東京では、統括校長→校長→副校長→主幹→主任教諭→平教諭という階層が、ここ数年のうちにできあがってしまいました。学校現場は「教育の論理」ではなく、「上の意向」が優先する、かなり倒錯した世界となってしまったわけです。

私は昨年までは、平教諭で教務主任、主幹さんは生活指導主任。主幹さんは2年でここを去り、あっという間に副校長となって去ってしまいました。私のひとつ前の教務主任さんも主幹で、こちらはパソコンがよくできなかったようで、私が引き継いだときはなにもデータとして残してはくれませんでした。彼も1年で「はいさようなら」の人でした。

さて、三つの内容ですが、はじめの主任の職務については保留しますが、あとの二つはとても大事なことです。これは、お上が命令するまでもなく、学校でみなさんと話し合っていくべきことがらです。

ところが、です。研修会でいただいた冊子に、なんと驚くなかれ、三つの内容の研修の「シナリオ」が掲載されているのです! 
「それでは、時間となりましたので、席を元に戻してください。」
こんな台詞まで、いたれりつくせり・・・(主任教諭は、それすら知らないのだと言いたいのでしょう)
「私たちは、いつも順調な状態であるとは限りません。仕事に対するモチベーションが高いときもあれば、低いときもあります。モチベーションが低い時期が続くと本人だけでなく、組織全体にも影響が及ぶ可能性もあります。組織の活性化を図る上でも同僚や若手教員に対して適切な働きかけを積極的にしていくことが主任教諭には求められます・・・」
いやはや、大変な職についてしまった、休むことも、疲れることも許されないのだなと、いまさら主任を受けたことを後悔しています。
「自己責任」がやはり中心の内容です。「みんなで支え合っていこう」ではなく、「あなたがしっかりしないと、学校に迷惑がかかる」という考えで貫かれています。

書きたいことはたくさんありすぎて・・・(陳腐なワークシートのことも)

この、都の考えることは、現場ではまったく通用しないものです。

①そもそも時間的に設定することが、不可能に近いこと。(休憩時間に食い込んでやるしかない)
②縦の上下関係のできあがった職場では、すべての教員が、給与、職場の待遇、異動先をかけた「競争」社会とならざるを得ず、「協力」「協同」よりも、いつの間にか「こっそり自分だけ得をする」ために働くようなベクトルとなってしまうこと。これは、教育の場にとっては、悲しむべき現象です。

都は、自分たちで作った学校内部の崩壊過程についてまったく無反省であり、今回の研修も、人畜無害、さらには有害となってしまうおそれが大きいといえます。

※研修の冒頭に「限られた時間ですので、質疑応答の時間は設けません」と言われました。3時間もあって、講義は二つありましたが、内容的に2時間もあれば十分のものでした。「アンケートに書いてください」とも言っていましたから、問答無用とまではいかないにせよ、自信ないのでしょうね。アンケートにはたくさん書いてきました。





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チャレンジ ランドくん?

2010年05月12日 21時50分18秒 | わたしごと
今日は、今月末に全校を挙げて実施する「おまつり」の計画をクラスでたてました。
すでに、中身は「迷路」「ボーリング」「豆の箸つかみ(いや、箸の豆つかみかな)」「なぞなぞ」「まちがいさがし」の五つのブースで挑戦してもらい、それぞれの得点を合計したものを、学年ごとにランキングを出すということに決まっています。

さて、店の名前なのですが、私の提案して「チャレンジやさん」は、こどもたちには「ちょっと幼稚じゃない?」と、かなり不評。
そこで、みんなからアイデアを出してもらい、その中から決めることにしました。
「みんなのチャレンジや」「しんけんや」「チャレンジの店」など、私から見れば、「そんなに飛躍してないんじゃない?」と思われるのですが、みんなはけっこう真剣です。

五つほどの中から投票で決め、Tくんの出した「チャレンジランド」に決定。(そんなに違うかなあ・・・ちなみにチャレンジやさんは0票)

ここまでで1時間目の大半を消費。黒板の上に大きく「名前はチャレンジランド」と書いて休憩時間。

2時間目は予告しておいた漢字テストです。新しい漢字でのテストは今回が最初。
「はね、はらいをしっかり見るから100点とるのは大変です。もしとれたら、それはそれはすばらしいことです」と鼓舞し、さあテストの開始。

今回は白紙を配り、私が問題を黒板に書いて、みんなはそのまま写し、答えを埋めるという方法でやりました。(問題用紙の印刷が間に合わなかったこともありますが)

最初に「名前」と書いて(  )を書き、
「みんな、ここには名前を書くんだよ」と指示。

・・・・テストが終わり、空き時間で採点を急いで行うと、五人の子が非の打ち所のない完璧な字体で満点。思ったより、好成績です。
もちろん、限りなく0に近い子もちらほら。こちらのほうこそ、なんらかの手立てを講じないといけません。

「ん?」
おかしな答案用紙を発見。
氏名を書く(   )の中に、「チャレンジランド」と書いた子が二人もいたのです。

あとで、尋ねてみると、
「だって、先生、名前を書きなさいって言ったから、黒板の上に、<名前はチャレンジランド>って書いてあったから、あ、そうなんだと思って・・・>

聞いていたみんなも大笑い。
どこまでが本当で、どこまでが冗談なのか・・・・マカ不思議な我がクラスです。


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厳しさとは

2010年05月12日 01時33分25秒 | 教育を考える
私は教育学部の出身ではないけれども、教室内での教育が成立するかしないかは、教師と、または児童間での「対話」が成立するかどうかで、大半は決まるのではないかと思っています。

よく規律と静粛さだけを追求しているような、とりあえず「静かに」「自学している」(かのような)クラスを見かけますが、そのほとんどは、担任の「権威」や「厳しさ」によって子どもたちが、それに合わせているのであり、授業の中身といえば、薄っぺらな、マニュアル通りのものであって、本当に子どもたちが内面から成長する場でないことが多いのは、単なる偶然ではないような気がしています。

私たちは何に対して「厳しさ」を持つか。

そのボタンの掛け違いで、うわべの「よい態度」を育成することが、今やすべてになっている。それが当然として、担任すら勘違いしている状況が、なんと多いことか。

真理を追究することに対する「厳しさ」が第一であり、それに付随してくるものが学習の姿勢や態度なのです。

しかも、これはなかなか実現することは難しい。根気のいる指導なのです。

こどもたちは、なかなかにしたたかで、教師の「厳しさ」の内容や程度を、即座に察知して、それに合わせてきます。

私などは、カテゴリーとして「やさしい」部類に入るようで、そうなるとなかなかおしゃべりをばっとやめたり、姿勢を正しくしてくれようとはしません。
こんなとき、私も「鬼」と化すのですが、それを続けることには、いつもためらいがあって、すぐにもとの「やさしい」担任となってしまいます。

たまに怒るのですから、効き目はいっときといえども十分にあります。
しかし、こどもたちはサーカスの動物ではない。
昨日も、授業中の教室移動の際に、いつまでも整列中におしゃべりが途絶えないものですので、ガーンと一発怒鳴りつけました。そのとき、こどもたちはおびえるような顔つきで、以降、移動する体育館まで、誰一人として話したものはいませんでした。

「こんなことも必要だ」と思われる方もいることでしょうし、私も言わなければならないときまで「やさしさ」を堅持しようとは思っていません。

要は、これが日常茶飯事となって、こどもたちはまるで調教されている動物のようになっても困るなと思うからです。
そんなときは、必ず「なぜそれが今必要なのか」をフォローして話すようにしています。

見た目はしーんとしていますが、中身は空虚な学級を作りたくない。ああでもない、こうでもないと、みんなが対等に(ときとして担任も)クラスの課題を、学習の課題を話し合える、そんなクラスにしていきたいと思うのです。

理想論かもしれませんが、今まで持ってきた学級の子たちは、それなりにそのような方向でクラスを、友達の集団を、担任との関係を作り上げてきたと自負しています。
けっして、かっこいいクラスではありませんが。

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月曜が辛いのは子どもだけでない

2010年05月11日 06時57分42秒 | わたしごと
もう徹夜もどきはできません。帰宅すると、そのまま夕飯もとらずにダウンでした。
朝から雨。今日はダブルの出張なので、やや憂鬱です。
教務主任会、そのあと組合の機関会議。
充実した毎日。とは聞こえはいいが、時間的にも気持ちの上でもゆとりがないのは、よくないですね。
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「私はこれで学校をやめました」になるのだろうか

2010年05月10日 04時30分33秒 | 教育を考える
勤務時間を学校で守り、土日もしっかりと休みをとり、さて、日曜日の夜から、
仕事をちょっと・・・という、「あたりまえ」のことをやってみました。

今やったことは、
①明日締切の自己申告書。
②学級経営案。
③来週の予定、つまり週案。
④講師の方に、今週の授業内容の依頼メール。非常識な時間にしてしまいました。
⑤水曜日の児童集会のたたき台作成
⑥社会科 地図記号の学習プリント
⑦保護者による読み聞かせのまとめ役のお母さんに日程表受領のお礼メール

 です。まだ、学級通信が・・・国語のプリントが・・・


 しかし、4時半だからなあ
 1時間くらいは寝ないと・・・

 勤務時間を守り、家でなにもしないと仕事が破綻するか、家でやったとしても今度は自分の生活が破綻し、体が破滅するかのどちらかなのは目に見えています。

 書きながら怒りが湧いてきました。
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なんと姑息な

2010年05月09日 12時49分14秒 | あれこれと
「たちあがれ日本(平沼赳夫代表)が今夏の参院選で、プロ野球・巨人で活躍した中畑清氏(56)を比例代表で擁立することが8日、明らかになった。たちあがれ日本は週明けにも正式発表する予定だ。」(スポーツ報知)

 申し訳ないが、彼に何が期待できるのか。
 タレント候補として、票集めの道具とされるのなら、中畑氏は怒らなければいけない。
 そうでなければ、彼は「公約」を私たちに表明しなければならない。

 姑息で単純な選挙の手法に、騙されてはいけない。
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趣味はなんですか?

2010年05月09日 04時28分18秒 | わたしごと
人と会うと、たいがい聞かれる「ご趣味はなんですか?」
私もそうなのですが、この問いに自信をもって、きっぱりと、「○○です」
と答えられる人は、それほど多くはないと思います。

以前、何人かの会合で自己紹介をしあった際に、「趣味は読書です」と答えた
女性の方(私と同世代くらい)がいました。
ああ、この方は文学の話題を持っていけば、生き生きと語るのだなと、
「太宰とか、芥川なんかを?」
と尋ねると、「あ、いや、そのような昔のではないんですよ」とはにかみながら・・・
「あ、では最近の・・・村上春樹とか・・・」
「いえ、ちょっと文学は苦手なもので」

 そうなると、私の頭は混沌としてきます。文学以外?
「すると、もっと学術的なものなどかなあ」
「そんな教養はないんですよ、ホホホ」

「う~ん、あ、つまりいろんなジャンルを幅広く?」(「自分で言いなさいよ!」)
「それほど広くは読んでないし、時間もないですし・・・ホホホ」(「え、趣味っておっしゃったのでは?」)

結局、その方の「愛読書」は、美容院でまとめて読む女性週刊誌でした。
 
 まあ、本を読むという「規格」は満たしているにはいるのですね。
 ただ、それを堂々と「趣味」として公言できる勇気に、私は「尊敬」「畏敬」「畏怖」の念を覚えたものでした。

 私は演劇鑑賞が好きです。このブログにも記録していますが、半年で12本。一般の方よりも足繁く通ってはいると思いますが、それが「趣味」と言えるのかどうか。
 本も好きですが、どちらかというと読む量より、買うほうが勝っていますし・・・
 女性も好きですが、「趣味はオンナです」などと言おうものなら顰蹙もの。しかも、これは単なる本能であるとも思えます。
 
 高橋秀実さんに「趣味は何ですか?」という本があります。(角川書店)
こちらも「無趣味」の自覚から「趣味探し」を行っていくという内容です。
 何もしていないところに、生きている実感がある、それもまた人生の味わいとの結論(私なりにまとめると)は、私の本音にも近いのかなと、少し安心。

 

 
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