息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

すてきな詩にひたりませんか 1

2009年10月31日 21時19分29秒 | すてきな詩にひたりませんか

    八木重吉

雨の音が聞こえる
雨が降っていたのだ

あの雨のようにそっと
世のために働いていよう

雨が上がるように
静かに死んでいこう

 そろそろ自分の生きてきた道をふり返り、まとめあげていかなければならない時期にさしかかっているのに、なんと迷い多く、後悔だらけの日々が続くのだろう。

 この八木重吉の境地までにはほど遠い私だが、「悔いなく」人生を全うしてみたいものだ。
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95になる伯母

2009年10月31日 21時01分54秒 | 思い出を語る
 起きたら夕方の4時になっていて 一週間の疲れが溜まっていた記し(:_;) 。なにもとらないで伯母のいる施設に急ぎました。
 私の伯母は、実母の長姉で、今年で95になります。私の母は、水商売をしていましたから、競輪選手の父が遠征でいないときは、いつも伯母の家に行って、泊まっていました。 ですから、私にとっては伯母は「半分母親」と言っていいくらいの身近な存在です。伯母は生涯(まだ分かりませんね)独身、子どももいないため、なおさら私は可愛がられました。

 ちょうど夕飯の時間とぶつかってしまい それでも笑顔で応対されて伯母と面会
この頃はみやげは いつもかりんとう。腐らないのと、小さなサイズで誰にも食べやすく、周りのお年寄りにも配ることができるから。彼女はまだ隙あらば何かを盗まれるという強迫観念があるため、伯母との話では、毎夜その「大事な」かりんとうを胸に抱いて寝ているとのこと。その光景を想像したら 胸が締め付けられるようでした(:_;)

 栃木で探しているホームの引受先の決定は まだまだのようで、一昨日には伯母は直接区役所に赴いて、状況を聞き、ぜひ急いでほしいと直談判したとのこと。
引っ越したときの布団の始末や、ゴミの回収日の心配まで、あれこれと話して退散してきました。


 何も食べずに飛び出したものだから、帰り道 小さな「おにぎりやさん」で、あさりの佃煮入りのおにぎりを150円で一個買い、店の前の長椅子で、通行人がじろじろ見る中で頬張りました。
 ご主人は会社のリストラにあい、プレハブの組み立て式小屋を購入。道路脇に地主に月二万で場所を借りて開業したとのこと。一日百個の売上とのことです。かなり厳しい計算です。それでもリストラ直前よりも「少しだけいい」「ストレスがないだけいい」とのこと。おとなしい人みたいで、営業マンとしてはさぞかし苦労したろうな、上司からはノルマのことでさぞやねちねち言われたのだろうなと想像できます。

 まだ重いからだながら これから電車に乗って帰宅の道につきます。
 だんだん月は太ってきています。
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安易でうわべだけの言葉替え 「障がい」

2009年10月29日 21時28分22秒 | 奇妙な風景
障害を「障がい」と改める理由

★大分県福祉保健部の場合
「2 変更の理由
 「害」の字は、身体障害者福祉法の制定の際に「礙」や「碍」(礙の俗字)の字が当用漢字の制限を受けて使用できないため、代わりに使用されるようになりました。
 しかし、「害悪」「公害」等「否定的」で「負」のイメージが強く、別の言葉で表現すべきとの意見があり、また、「障害者」という表記は、ピープルファースト (障がい者である前に人間である)の理念からも適切ではありません。

 英語では、「the handicapped」「the disabled」「disabled person」「peoplewithdisability」「challenged」等の言葉があり、そのまま使用することを提唱する方もいらっしゃいますが、どれもまだ一般的ではなく、せめて「障害」をひらがな表記で「障がい」や「しょうがい」にすることによって、否定的なマイナスイメージを和らげようとする動きが、行政を中心に広がりつつあります。

こういう経緯をふまえ、本県でも「害」をひらがなにすることにより、県民の皆様の障がいに対する理解への契機にすることとしました。
 なお、表記をこのように変えることについては、賛否両論がありますが、「差別感や不快感を感じる人が少しでもいるのであれば‥」という理由からも改めることとしました。」

★八潮市の場合
「1 変更の理由
 一般的に「障害」の「害」の字には、「悪くする」・「わざわい」などの否定的な意味が強く、人を表すときに「害」を用いることは人権尊重の観点からも好ましくないという意見があります。
 また、「障害」を他の漢字や英訳表現をそのまま使用すべきという意見もありますが、どれもまだ一般的ではなく、せめて「障害」をひらがな表記で「障がい」や「しょうがい」とすることによって、否定的なマイナスイメージを和らげようとする動きが、行政を中心に広がりつつあります。
このような理由から、市が率先して障がいのある方に不快感を与えないように表記を改めることになりました。
「障害」を「障がい」と表記することについては、賛否両論ありますが、市民の皆さんに「障がい」に対しての理解を深めていただくと共に、障がいを持つ方への差別解消への契機とするため、ご理解とご協力をお願いします。」

★公明党の場合
「これまで、障がい者の方や障がい者団体から「害」の漢字は「マイナスのイメージが強く、漢字で表記する必然性はない」など変更を求める声を頂いていました。公明党としても同じ考えであり、障がい者の人権をより尊重していくため、ひらがなで「がい」と書く表記に変えるべきだという認識で一致しました。」

 少なくとも、障害→障がいの表記変更は失敗であり、無意味な変更だったと思います。
 普段使用している用語を、より正確に、しかも人権に配慮したものとすることには、なんら異存はありません。当然のことですし、これからも、日本語をより素敵な言語とするために、国民全体で取り組んでいく課題だと思っています。(「精薄」とか「痴呆」など、ずいぶんひどい表現が長い間闊歩してきたものです)

 今回の「改正」で、「害」がマイナスイメージを持つからというのなら、なぜ「障」の字も検討されなかったのだろうと、素朴な疑問が湧いてきます。
「さしさわり」は、「害」と似たり寄ったりのものではないでしょうか。

 ついでに、「がい」としたところで、「がいって、もともとどんな意味?」と問われれば、やはり元の「害」にたどり着かざるを得ない「残し方」をしたことも、おかしなことです。

 残念ながら、25年前に出された、ユネスコの「Terminology of Special Education」第二版でも、ディスアビリティ(disability)だけでなく、「インペアメント(impairment)」「ハンディキャップ(handicap)」「ディスオーダー(disorder)」「デフィシェンシー(dificiency)」「ディフィカルティ(difficulty)」などがすべて「障害」と訳されていて、ニュアンスの違った用語も、日本では十把一絡です。この分野での用語の検討の立ち後れが顕著となっています。

 「障害者」は、「害のある人」でも「障害物」でもありせん。また「さしさわりのある存在」でもありません。

 
 私には、これ以上の知恵はありませんが、もっともっと正確な言葉を創造してほしいと願っています。


 

 
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石原さんもいりません

2009年10月28日 00時24分55秒 | 奇妙な風景
「 2016年夏季オリンピックの招致に失敗した東京都が、これまで公表していた招致活動経費150億円以外に、招致にかかわって50億円を超える税金を支出し、招致関係経費は総額200億円にのぼることが26日、明らかになりました。日本共産党都議団が情報公開請求し開示された文書などで分かりました。

 明らかになった招致にかかわる支出は、▽都の五輪招致本部の人件費28億6253万円▽石原慎太郎知事らの招致関係の海外出張経費のうち知事本局負担分5647万円▽都五輪招致本部以外の局が行った招致にかかわる宣伝物6億6544万円▽生活文化スポーツ局のスポーツイベントのうち招致を目的とした事業費14億2570万円▽在京外国大使館との情報連絡会での招致活動961万円▽五輪招致を目的とした都議の国内外出張3684万円―などです。

 このなかには、不況に苦しむ商店街の支援事業予算1億2752万円を流用して五輪招致のフラッグを掲げさせたこと、五輪のプレイベントと位置付けて07年以降開いている東京大マラソン祭りや、招致活動に資するためアジアの大都市代表を招いた費用で2億6424万円をかけたことなどがあります。

 記者会見を行った日本共産党都議団の吉田信夫幹事長は「都は(これまで公表した招致経費)150億円以外の部分を明らかにしようとしていないが、税金の使い方を明らかにするのは都の当然の責任だ。さらに調査し議会で追及していく」と述べました。 」(しんぶん赤旗)

先日、私たち東京都の地方公務員の「賃下げ」勧告が出されたばかりの記事だけに、怒り心頭です。

あの招致セレモニーで、石原知事たちのスーツは、オーダーメイド。1着20万円もしたとのこと。一方の私は、ざっと計算して、1年で17万以上、給料が減ることになります。
ベースダウンについては、あれこれ賛否両論があるでしょうが、都民の足元を温めることなく、せっせと打ち上げ花火にばかり浪費する都知事以下、都庁の「だらけた幹部」の姿勢には、うんざりします。

イエスマンばかりを、近くにはべらせて、「裸の王様」となっている石原さんは、もういりません。
万が一、次も立候補したら、私は本気で、住民票を他県に移すつもりでいます。



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時流に乗った三流記事

2009年10月27日 23時00分35秒 | 奇妙な風景
「 「介護を学びたい」。覚せい剤取締法違反(使用、所持)の罪に問われたタレント酒井法子被告(38)が法廷で述べた言葉に、介護の現場で働く人から違和感の声が上がっている。社会貢献への意思の表明か、更生へのアピールか。関係者の話を聞いた。

 東京地裁で開かれた26日の初公判。酒井被告は「介護を学び、自分の仕事として生かしていきたい」と語った。所属していた芸能事務所副社長の勧めもあったという。

 刑事裁判では被告の反省ぶりが量刑上、常に問題になる。こうした事件の弁護方針について、福岡県内のある弁護士は「言葉だけでなく、犯した罪と向き合わせ、自分に足りなかったものを埋めるために今後どうするのかを具体的に語らせることが重要になる」と説明。そこで「介護」が出てきたとみる。

 介護の現場はどう受け止めているのか。

 酒井被告の出身地・福岡市。「反省のポーズのためなら心外です」と話すのは、特別養護老人ホームに勤務するケアマネジャー米村泰隆さん(33)。介護福祉士の資格を得るだけでも一般には3年以上かかる。「介護の仕事を家事の延長のようにとらえ、簡単にできると誤解している人が多い。相手の意向をくんでいく誠実さに加えて、体の状態に対応する専門的な知識が必要」

 別の特別養護老人ホームの施設長も「人の命を預かる私たちの仕事はそんなに甘くない」という。「酒井被告の更生も大事だが、採用するのは難しい。それでも、言葉の通りなら本気で取り組んで欲しい」と話している。 」(朝日新聞)

 こんな論理で責められたら、私は身動きもとれないし、なにも語れなくなります。この記事は、いったいどのような思惑で書かれたのか、理解に苦しみます。

 単純に、「介護をしたい」というのであれば、「いいじゃない、がんばってみたら」と、応援できないものでしょうか。
 少なくとも、この記事の内容からすれば、酒井法子は、結局何を言っても、「甘い」ことになってしまいます。

 「介護の仕事は甘いものではない」 それは分かります。
 それでは、何ならいいのてしょう。「立ち食いそば」でも目指せば、この記者(いや新聞社ですね)は納得するのでしょうか。「フリーターとなって、世間の底辺を体験したい」と言えば、賞賛されるのでしょうか。
 そうではないですよね。
 立ち食いそばにしても、そんなに甘いものではありませんし、フリーターの不安定さからすれば、「なめてんじゃねえ」ということにもなることでしょう。

 酒井被告に対する世間の厳しい目を「虎の威」として、無責任に書いた、さもしい記事のように感じました。

 人は、「何を言ったか」ではなく、「何をしたか」のほうに力点を置いて評価されるものです。ですから、彼女の言ったことが、どう「実行されたか」を見守ってやることが、まずなによりもの私たちのつとめではないかと思います。

 まだスタートもしていない時点で、「ポーズだ」とか「甘くない」と、うがった見方をすることは、心のねじまがった「いじめ」に他なりません。まして、マスコミ全体が、酒井被告に厳格な論調をしているのに乗じての記事ですから、無責任きわまりない態度としか言いようがありません。

 これで彼女が、万が一にも見事に復帰して、介護の仕事を全うしたとしたら、朝日新聞社はどのような記事で「後追い」することでしょう。
 「世間の心配を見事に克服 責任ある介護に携わる 酒井法子」とでも書くのでしょうね。(その「心配のネタ」を集めたのは、新聞社なのに)

 結論です。「こんな記事はいらない」 むしろ害悪。

 私は「お気楽教師」ですから、もし酒井被告と、今後奇跡的にご縁ができたら、「介護はまずかった。、教師になって、お気楽な毎日を子どもと過ごしたいと言いなされ」と助言してあげることにしましょう。

 ※ちなみに、酒井法子さんは、タレント、歌手というだけで、あまりよく知らな い方です。もちろん名前は知っていましたが、彼女は私のことを知りません。  (当然)

 





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100コンテンツ!!

2009年10月26日 23時10分06秒 | わたしごと
私の能力のなさを暴露するみたいですが。
電子辞書を、秋葉原で格安で買ってきました。なんと100ほどのコンテンツのある、「すばらしい」ものです。
広辞苑などはともかくとして、中国語辞典、英英辞典、漢字検定ドリル、英語検定のドリル、家庭の医学、海外の旅先での会話集、冠婚葬祭の手引き、花や昆虫のカラー写真、観光地のおすすめ・・・もう、ありとあらゆる便利な機能が満載です。
実勢価格の半値以下の17000円で、購入して、しばらくはウキウキして、常時鞄の中に入れておいたものでした。

購入して半年。
ちょっと「うざったく」なっている、この元彼女。
これまでに、利用したのは、広辞苑がほとんど9割。あとは、漢字検定2級のテスト。これもすぐにクリアしたので、もう必要なしです。(準1級、1級はないのです)
それから、タバコを吸いすぎたようで、こめかみあたりが痛くなったので、家庭の医学で、ちょっと調べたこと。結局、なにもわからず。
中国トラベル会話。中国人の知り合いに「明日は台風が来るかもしれないから、気をつけてね」と伝えたかったのですが・・・しかし、これも、収録されているわけがない。
私には2コンテンツで十分だったわけです。

結局私には、広辞苑だけがあれば十分なのでした。全機能を駆使して、電子辞書生活を謳歌している方も、きっといるにちがいありませんが、私には全く無縁の世界でした。

買った私がバカだったのか、きらびやかな宣伝文句を謳ったメーカーが賢かったのか。

そういえば、私のパソコン。ネットとワード、エクセル、パワーポイントしか使っていないような・・・
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体験的伸びる条件

2009年10月25日 23時03分31秒 | 教育を考える
卒業生をたくさん出してみて、中学進学後に急激に伸びた(この「伸びた」は「学力」だけを意味しません。スポーツ、精神、性格、個性など、幅広の意味で使っています)子がたくさんいましたが、小学生のとき、どんな子だったかと思い出してみると、ある一定の傾向があることに気がつきます。

よくよく考えれば当たり前のことなのですが、それを承知で紹介してみますと。
だいたい、つぎのどれかに当てはまる子が多い。

①なにかに秀でていた子。
 Nくんは、勉強はいまいちながら、機械を分解することが趣味。個人面談のときも、お母さんから「時計や電話機など、家中の機械を分解してしまうので困っています。解体して組み立てようとするのはいいのですが、元通りには一つとしてなっていません」と、よくこぼしていました。彼はいま、大学院でロボット工学(と言うのかな)を学んでいます。
 授業中に漫画ばかり描いていた子、「ガラスの仮面」の全巻のストーリーを隅から隅まで暗記していた子、昆虫いのちだった子・・・みんな自分の進むべき道をはっきりさせて、自信に満ちて生きています。

②よく本を読んでいた子。
 小学生のころは「頭でっかち」といった「理屈や」さんも、やはり知識量があとあとものを言うのでしょう。だんだんと知識と行動とがバランスのとれた大人になっていっています。小説の好きだった子も、心が大きく育っている割合が高い。

③学習スタイルを持っている。
 まじめに毎日こつこつ学習する。ノートの取り方がうまい。最小限の努力で最大限の効果を得る学習法を持っている(漢字の練習、年号を覚える、教科書の重要な単語をマーカーで消して覚えるなど)子は、当然のことながら、どんな場面でも慌てていないようです。

 と、ここまで書いてきて、つまらない内容に我ながら苦笑です。
 当たり前のことです。
 肝心なのは、「そうなるためにはどうしたらいいのか」ですから。

 
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本はケチらない

2009年10月24日 21時42分47秒 | わたしごと
「 「楽天リサーチ」(東京都品川区)と「楽天ブックス」(同)が読書に関する共同調査を実施したところ、「書籍、雑誌をほとんど読まない」と答えた人の割合がいずれも4割以上に上ることが分かった。
 調査は、全国の15~69歳の男女1200人を対象に8月から9月にかけてインターネットで実施。「ほとんど読まない」と答えた人の内訳は、書籍が42.3%、雑誌が40.2%に上った。次いで多かったのは「月に1冊」で書籍が24.1%、雑誌が21.5%だった。
 「書籍、雑誌の購入に月にいくらかけるか」を尋ねた項目では「購入しない(借りる、フリーペーパーなどを利用する)」が最も多く、書籍、雑誌とも4割以上に上った。次いで多かったのは500円以上1000円未満で、書籍が15.6%、雑誌が22.8%だった。「2~3年前と比べた書籍・雑誌に費やす費用の変化」については「変わらない」が5割近くを占めたものの、書籍、雑誌ともに「かなり減った」と答えた人が25%以上で、予算は縮小傾向にあることがわかった。
 楽天リサーチは「インターネットの普及にともなって情報収集や娯楽の手段が徐々に変化していることの表れではないか」と分析している。 」

テレビやラジオは、一度スイッチを入れてしまえば、なにも努力しないでも情報が一方的に入ってきますが、本はそうはいきまん。主体的な努力あってこその読書なのです。
ですから、読めば脳が鍛えられる。さらに読んで考えれば、さらに賢くなる。そんな効能のある読書だと思います。

さらに、物語なら、その数だけの「人生」を間接とはいえ体験することができる。一回の人生で、何回もの「人生」をおくることができるのですから、これほど贅沢なものはないでしょう。

私も、最近はいやいやながらもブックオフや図書館を利用することが多くなりましたが、(ブックオフについては述べました。私は本に書き込みをついついしてしまうことがあるので、図書館から借りて読むと、なかなかペースがつかめなくなるのです)それでも、月に2~3万円くらい本を購入しています。
酒はまったく飲まないので、それで相殺、と思っています。



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近所でボヤ

2009年10月24日 09時39分16秒 | わたしごと
深夜、けたたましいサイレンの音の連続で起こされました。
消防車か10台くらい、我が家のすぐ近く(一区画くらいの距離)で、赤い灯を
回転させながら、物々しい様子で止まっています。
おとなりのご主人が先に飛び出していて、
「ほら、あの牛乳屋の角から二軒目の家。ボヤみたいです。」

小学校の4年生のときに、我が家の塀の前にレンガを積んで、「炭」を作ろうとしたことがあります。おそらくテレビか何かで見たことを自分でもやってみようと思い立ったに違いありません。なにしろ好奇心だけは旺盛でしたから。
親は外出していたので、絶好のチャンスだと思ったのでしょう。

レンガの小さな「小屋」の中に、拾ってきた木ぎれを入れて、丸めた新聞紙に火をつけて押し込みます。白い煙がしばらく出てきたあとで、ボッと勢いよく火が広がりました。

しかし、やはり計画は稚拙だったのですね。後ろの塀(これは木塀です)にまで、火が移り、塀がみるみるうちに燃えていくではありませんか。
私はあわてて家の中からバケツを持ってきて、何回も何回も家との往復を繰り返し、水をかけて消火しました。
鎮火して後片付けをしてみると、塀には直径が30cmほどの大きな穴があいています。
思案のあげく、ゴミ箱(当時は木で作られたゴミ箱が家の外にありました)を引きずって動かし、穴の正面に設置。
ドキドキしながらも、これで一応は「完全犯罪」成立。

しかし、これもすぐに破綻です。この顛末の一部始終を、隣の家の「おばさん」がしっかりと見ていたのでした。もちろん、それを母に進言。
その夜、しっかりと説教されたことは言うまでもありません。

火事があると、以前に書いた「天ぷらやの火事」と「炭焼き事件」をいつも苦く思い出します。



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完全な潔白にさせない重み

2009年10月21日 20時17分23秒 | あれこれと
足利事件の再審が始まりました。この法廷を通じて、菅家さんの長年失われた名誉が取り戻せるようにと願わずにはいられません。
同時に、このような「取り返しのつかない」ようになった原因を、捜査、取り調べ、裁判の過程や制度など多角的に追及し、二度と同じ過ちを繰り返すことのないようにしてもらいたいものです。

帰りの電車で、女子高生二人が、足利事件を話題にしておしゃべりをしていました。社会に目を向けて、なかなか感心な二人なのでしょうが、最後に、
「でも、やったって一度は言ったのだから、本当はやったのかもしれないわね」「私もそう思う。裁判官が何人もで判決を出したんでしょ。間違うかなあ。」
二人は決してふまじめに話していたわけでもなく、むしろ真摯に話を交わしていたにもかかわらず、です。

どんなに杜撰な捜査や取り調べがあろうと、どんなにすきだらけの判決を下そうと、やはりいったん「お上が下した」ということは、私たちの想像以上に重いものなのですね。

当時のマスコミも同様に、事件に無思慮に飛びつくのではなく、慎重に事実を確かめながら報道する責務を感じなければならない。
もし私が冤罪で逮捕されたら、待ってましたと、「不精にも髭を剃らないで周りに不快な思いをさせていた」「周囲の助言を無視してタバコを吸うような人物」「冗談ばかり言って、周囲の目を絶えず気にするタイプ」「離婚歴があり、相手の女性には悲しい思いをさせたくせに、映画館にいき、寅さんの振る舞いに大笑いする二重人格者」
だから、あいつはやったにちがいない、と報道されるのでしょうか。
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予想もつかない未来

2009年10月21日 01時30分47秒 | わたしごと
「サントリーは20日、世界で初めて開発に成功した「青いバラ」を11月3日から発売すると発表した。花弁にほぼ100%の青い色素を含むバラで、「SUNTORY blue rose APPLAUSE」の名称で売り出す。価格は2000~3000円。年内6千本、平成23年に20万本の販売を目指す。 バラには青色の色素がなく、青いバラの開発は不可能とも言われてきた。

 サントリーは平成2年から、同社の挑戦精神「やってみなはれ」に基づいて青いバラの開発に着手し、パンジーの青色遺伝子をバラに導入することで16年に開発に成功した。

 各種認可と生産体制を整えたことで、累計20年間の期間を経て一般販売に踏み切ることにした。

 この日、都内で会見したサントリーの辻村英雄常務執行役員は「不可能の代名詞といわれた青いバラをお手元に届けることできた」と話し、感慨深げだった。」

京都の地下鉄に乗っているときに、
「ああ、この京都で生を受け、育った昔の人は、地面を掘って、そこに人が乗り、移動する機械なんて、きっと想像もしなかっただろうな。坂本龍馬も、ましてや明治天皇、足利義満、桓武天皇も。」

私がこの世から消えたあとに、日本で、アジアで、世界で、さらに地球規模で、どのような変化、発展がなされるのか、上記の偉人同様に想像もつきません。
便利や効率と幸福とは、必ずしも一致しませんから、人間にとってその変化が幸福をもたらすものかどうかは、それこそ「神のみぞ知る」ことなのでしょう。


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続行か中止か 二つしか選択肢はない

2009年10月19日 23時29分55秒 | 奇妙な風景
「鳩山内閣が建設中止を表明している八ッ場ダム(群馬県長野原町)に事業参加している6都県の知事が19日、合同で現地を視察し、ダム本体の建設中止撤回を強く求める共同声明を発表した。

 メンバーは▽石原慎太郎(東京)▽橋本昌(茨城)▽福田富一(栃木)▽大澤正明(群馬)▽上田清司(埼玉)▽森田健作(千葉)--の各知事。声明は「政権が交代しても、八ッ場ダムが利根川の治水・利水上必要不可欠な施設であることに変わりはない」と指摘。前原誠司国土交通相の建設中止表明について「中止する理由や関係都県の治水・利水の安全性確保について代替案を提示することなく、一方的に表明したことは、あまりに無責任な行為で、極めて遺憾」と批判し、現地住民の生活再建の青写真を12月28日までに示すよう求めている。」

テレビニュースでは、ダムに着くや否や、石原知事の「お前らのために来たんじゃない、バカ!」という声。人に向かってバカ呼ばわりする人格の欠損した石原都知事の個人的な「小皇帝」ぶりは、とりあえず別の場所に置いておくことにしましょう。

この視察、反対の共同宣言は、至極当然のこと。なにしろ「土建礼賛」の自民党を後ろ盾とする知事なのですから。
「もう始めたことだから・・・」といった論調が主たるもののようですが、自衛隊にしても米軍基地にしても、いざ廃止するときには、思い切って「切る」勇断が必要です。
「今あるもの、進行しているものは、変えてはならない」といった論理、また、彼らが全ての住民の代表(選挙により当選したことは事実ですが)であるかのような振る舞いには、驕り高ぶった権力者のようです。

まだまだ、マスメディアの報道は、公正とは言えない印象です。長い間に繰り広げられた反対運動のこと、やむなく工事を受けいれざるを得なくなった歴史について報道されているのでしょうか。

「白紙」といった言葉が行き交っていますが、結局「続行する」か「中止するか」の二つに一つなのです。
いったん「白紙」にするという意味が、私にはよくわかりません。

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居酒屋「ん」 ひろうすって?

2009年10月18日 22時52分37秒 | わたしごと
宿屋のご主人に、「どこかこの辺でいい食べ物屋はありませんか」と訪ねてみると(一泊朝食のみですから、夕食も頼まないで失礼な質問ですね)、親切にも、近くの「おばんさい風の居酒屋」を教えていただきました。
名前は、「ん」という名前です。(言いにくいです)

京都には4~5軒あるうちの一つで、宿泊した宿屋(銀閣寺のそば、哲学の道に沿ったところにあります)から、歩いて10分足らず。さらにご主人は、「行きつけだから」と、電話で予約までされ、またまたさらに、500円の割引券を2枚(私たち)、「お土産代が少し浮きますよ」とおっしゃってくださいました。

とにかく品数の多い店でした。2人で飲み、食べたものは・・・

アサヒ黒生、ゆず入り梅酒、刺身三種盛り、チーズの春巻き焼き、冷や奴、ブロッコリーとササミのごまあえ、小松菜の煮物、だし巻き、おでん(糸こんにゃく、大根、じゃがいも、牛すじ、がんも<京都では、「ひろうす」というのだそうです。飛龍頭の「ひりゅうず」が「ひろうす」になったようです>など六種)など、けっこうお腹がいっばいになって、なんと3800円ですみました。(つまり4800円)

カウンターごしに、店長さん(?)とも、楽しく話もでき、「これは当たりだったね」と、満足して宿に帰りました。
京都にお越しの際には、ぜひどうぞ。
下のホームページにも「クーポン」が載っていました。
ここの写真に出ている方が、私たちの相手をしていただいた「店長さん」です。
ついでに「独身」とのこと。


http://www7.ocn.ne.jp/~n-home/honten.htm

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京都から帰って

2009年10月18日 22時38分07秒 | あれこれと
立命館大学の「平和ミュージアム」は、広島の平和祈念館などと違って、けっして規模が大きいというわけではありませんが、(おそらく)ボランティアの年配の方が、参観者に、それこそ「気概ある」説明をしていたり、展示の内容も、日本の被害・加害をしっかりと説明していたりと、平和への熱い希求の心意気を感じました。
ただ、私には「平和」=「戦争のない状態」の思考の構図から、まだ脱出できていません。戦争の悲惨さを教えれば、みんな「平和」を愛する、平和な国を作り上げる国民になっていくのでしょうか。私には、どうもそうは思えないのです。
もちろん、その伝達、教育も必要なことでしょう。しかし、それだけが必要十分条件とは思えないのです。

今回、展示を見て、考えたものの一つは、「戦争につながるもの」を察知して、それをていねいに「つぶしていく」ことがありました。
展示では、「女性差別」についてのスペースがありましたが、単に戦争=国家的な「人殺し」といった次元で見るのではなく、その前提、土台として、「つながるもの」への鋭い認識が必要ではないのかと考えました。

少しゆっくりと整理してみたいと思っています。


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京都に行ってきます

2009年10月17日 00時22分22秒 | わたしごと
立命館小学校での社会科の研究発表を見に行ってきます。
久しぶりの京都。宿は銀閣寺のそばの旅館を予約したので、哲学の道を歩きながら、物思いにふけようかなと。

こどもたちには、「金平糖を買ってくるね」と約束。手間暇かけた金平糖とも、これまた久しぶりの再会です。前回は、季節限定の「蜜柑」とか「トマト」などのものを買ってきましたが、今回はどんなものが出されているか楽しみです。

一泊二日ですので、欲張ったコースは無理ですが、立命館大学の平和ミュージアムにはなんとか行ってみようと思っています。
今、「南の島の小さな奇跡 フィリピン・カオハガンのキルト展 ~持続可能な経済的自立の歩み~」を開催中のようです。

「フィリピンのセブ島沖にあるカオハガン島は、周囲2kmの小さな島です。1991年にこの地に移り住んだ崎山克彦氏は、1995年「NGO南の島から」の活動を開始しました。以来、電気も水道もトイレもなかった島で、衛生、医療、教育を中心とした「持続可能な自立」を目指す取り組みを進めています。
また1992年からキルト作家の吉川順子氏の指導により、島民たちはキルト制作を始めました。島民たちは、基本的な縫製の方法を学ぶと、独特な色彩感覚、想像力、世界観に裏付けられた素晴らしい作品を次々に生み出し、日本でも注目されるようになりました。カオハガンキルトは、フェアトレードによって販売され、今ではキルトの販売収入が、島の全収入の1/3を占めています。
この展覧会では、島でキルト制作を指導してきた吉川順子氏が保存してきたカオハガンキルトコレクション、島の生活の様子を伝える品々、カオハガン島をテーマに作品を発表してきた写真家・熊切圭介氏(日本写真家協会副会長)の作品をあわせて約50点展示します。
島の生活、環境、文化、そしてカオハガンキルトをはじめとした取り組みを紹介するとともに、国境を越えたフェアトレードやエコツーリズムの可能性について考えるきっかけを提供する企画とします。」
という解説がHPでされていました。

また違った視点で、こどもたちと「平和」について考えてみたいと思います。



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