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西原博史氏の死亡記事に驚く 

2018年01月28日 10時53分28秒 | 教育を考える
 あの雪の日に、西原氏が交通事故で亡くなった記事を読んで驚いた。
 
 「22日午前0時10分ごろ、東京都三鷹市新川4丁目の中央道上り線で、早稲田大学社会科学総合学術院教授の西原博史さん(59)=中野区鷺宮6丁目=がトラックにはねられた。西原さんは全身を強く打ち、搬送先の病院で死亡した。西原さんは単独事故を起こした後、車外に出て走行車線上ではねられたという。
 警視庁はトラックを運転していた運送会社員の高原充宏容疑者(50)=八王子市滝山町1丁目=を自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致傷)の疑いで現行犯逮捕し、容疑を同致死に切り替えて調べている。「停止している車に気を取られた」と述べているという。
高速隊によると、現場は片側2車線。西原さんは約10分前、乗用車で中央分離帯に衝突する単独事故を起こし、追い越し車線に停止。事故を通報した後続車の男性とともに中央分離帯に避難していたが、何らかの理由で走行車線まで出たという。
 西原さんは憲法学が専門で、思想・良心の自由に関する論考を多数発表。教育現場での「君が代」斉唱問題などについても積極的に発言してきた。著書に「良心の自由と子どもたち」など。父親は刑法学者の西原春夫・元早大総長。」(朝日デジタル)

 卒業式の「日の丸・君が代」強制に抗する論客として、著書では大変にお世話になった。
 残念でならない。

 ご冥福を。
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「アジア、冬物語」 ようやく読了

2018年01月14日 19時05分15秒 | こんな本を読みました
 年を越してようやく読み終えた。
 だらだらと読んでいたわけではなく、じっくりと対話しながら読んでいたせいだ。

 山口泉氏は、1955年生まれ。
 私と、だいたい世代が同じだということもあり、時評の記述は私の成長の過程とほぼ同じだから、なおさら考えることも多い。

 時代への絶望感、期待感も、波長が同じことが多い。(もちろんすべてではないが)

氏の圧倒的な読書量に驚き、羨望しながらの読了。

 いい本に出会った爽快な気分だ。
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時代から遠ざかっている私なのか

2018年01月14日 09時27分35秒 | わたしごと
 昨日は同僚の結婚式に出席。
 都心の高級ホテルで、100人を超える人数。
 幸せそうな若いカップルの笑顔を見ることは、いつも嬉しいものだ。

 今回は、新郎新婦ともに職場で一緒だったこともあって、その嬉しさも倍になる。
 新郎とは昨年に同じ学年を組んだこともあり、好青年、しかも心配りもできる仲間として期待できる先生である。

 それはそれでよし。幸せな家庭を築いてほしい。

 その中で、私との「時代のずれ」がいくつも感じられ、複雑な思いにもなった。
 スターウォーズのテーマソングで入場する二人。
 お楽しみのプレゼントの抽選で、商品は「東京ディズニーランド ペアチケット」。
 新婦側の校長の祝辞で、新婦をほめる事例として、「掲示されたポップの字体はふさわしくないんじゃない? と言ったところ、すぐに学年分の訂正を 
 行ってくれた、そんな真面目な・・・」と、従順な面をしきりに強調していたこと。
 同席した女性の先生から、「今度結婚するんです」「おお、おめでとう。同僚?」「いえ、自衛隊なんです」「ええー、大丈夫なの」「ぜんぜん、後方支 援ですから」

 これを読んだ方にも、えっ、なんでこれが・・・と思われる方もいるだろう。

 頑固おやじになったのだなとも思うが、若い人にはどうか「時代に迎合」してもらいたくないと思う。

 私が、時代に偏屈になり、若者が時代に溶けこんでいる。

 これは、反対の現象ではないか。
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日韓合意は 破棄しても破棄されてもおかしくない

2018年01月08日 21時38分42秒 | 奇妙な風景
「韓国の康京和(カンギョンファ)外相は9日午後2時から、慰安婦問題の最終的で不可逆的な解決をうたった2015年の日韓合意をどう扱うかについて、一部を説明する。同国外交省が8日発表した。文在寅(ムンジェイン)大統領が未来志向の日韓関係を強調していることに配慮。合意の破棄や再交渉は求めない見通しだ。
 日韓関係筋によれば、合意を維持したうえで、「日本政府は責任を痛感している」などと記す合意の精神に基づいた履行を日本側に要請する可能性が高い。安倍晋三首相らに対し、元慰安婦らを慰労するための訪問や手紙の送付など、「誠実な履行」を求める形で事実上の追加措置を求める案が浮上しているという。
 外交省の措置は、文大統領が10日に年頭の記者会見を行う前に、懸案を整理しておく狙いがある。
 日本外務省の金杉憲治アジア大洋州局長は8日、ソウルで韓国外交省の金容吉(キムヨンギル)東北アジア局長と会談したが、韓国政府の新たな方針については聞かされていないとした。金杉氏は「合意の着実な実施を求める」と改めて記者団に強調した。
 日韓合意を巡っては、韓国外相直属の検証チームが昨年末に「合意は不均衡」とする検証結果を発表。文大統領は「この合意では問題は解決されない」との声明を出し、今月4日に元慰安婦らに謝罪した。日本側は「合意の維持以外、受け入れられない」とする立場を韓国側に伝えている。(朝日 ソウル=牧野愛博)

 そもそも被害の当事者抜きの合意とはなんだったのか。
 国家間で「チャラにしましょう」と約束したところで、被害を受けた方が納得するはずがないことなど、当たり前のことではないか。

 安倍政権は、なににおいても「弱者の立場」「弱者の心情」など、理解しようとする能力も意思が微塵もない。

 問題を起こした側が、「もう謝ったのだからつべこべ言うな」というのでは、子どものけんかの処理にも及ばない。

 
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形骸化する職員会議 物言わぬ若い教員 追従するヒラメ教員

2018年01月05日 22時44分32秒 | 教育を考える
 今頃は、どこの学校でも、「学校評価」「年度末反省」と言われる議題での職員会議が行われている。
 1年間の教育活動を総括して、来年度の計画を立てていくというものである。

 内容は、私たちの教育活動の全て。
 あらゆることを俎上にのせて、話し合う会議である。

 1年間の全てを対象にするものだけに、まともに話し合っていたら、何時間あっても足りないくらいのものだ。
 しかし、驚くなかれ、この職員会議、なんと一時間半で終わってしまった。

 もちろん、議題を整理し、部会で話し合い、提案事項をまとめ、さらにそれを「経営会議」と言われる管理職、主幹で行われる会議で、さらに篩にかけられた末の職員会議である。
 そんなに、理路整然とした中身の反省と提案がなされたのか。
 否である。

 新しい指導要領の移行期間に入る来年度のためには、きちんと話し合うべきことが山ほどある。
 3年以上が週1時間、外国語の授業が増えるために、ただでさえぎゅうづめの時間割をどうするのか。
 ということは、放課後の「私たちの会議」「教材研究」の時間がなくなることを意味する。ならどうするのか。
 「働き方改革」が出されているにもかかわらず、実態はむしろブラックを維持・推進させるだけの施策にならないか。
 土曜日に何回も学校公開をせよという方針が下りてきている。それをどう受け止めたらいいのか。
 道徳が教科となるが、どう授業を進めるのか。通知表でどう評価を伝えるのか。

 きりがないくらい課題がある。
 にもかかわらず。

 結局、各部会の長が提案し、「ではいかがですか」と司会が投げかけるが。ほとんど発言がない。
 B4の裏表にびっしりと印刷された、提案なのだが、発言したのは、私と管理職を目指す男性教師だけ。
 無理もないこともある。この印刷物、配布されたのが、会議の始まる直前。会場に置いてあるのをもらうと、すぐに会議が始まるのだから。
 早く終わるはずだ、中身を読んでもいないところでどんどん進行していくのだから。
 私は前日に入手して、どこでどんな発言、質問をするか考える余裕があった。当日ぽんと手渡されて、いきなり始められたら、とても発言どころではなかったはずだ。
 
 いつから職員会議が、こんなふうになってしまったのだろう。

 2006年4月、「東京都教育庁は十三日、職員会議で「挙手」「採決」などの方法で、教職員の意思を確認する運営を行ってはならないとする中村正彦教育長名の通知を二百六十三校の都立学校長に出しました。・・・「学校経営の適正化について」とする今回の通知は、企画調整会議や職員会議などの運営について「一層の適正化を図る」よう求めています。その内容は、校長、副校長、主幹で構成される企画調整会議が、学校経営の「中枢機関」で、「職員会議の場で議論し、教職員の意向を挙手等で確認するような学校運営は許されない」というものです。

 職員会議は校長の補助機関と明文化した二〇〇〇年の学校教育法施行規則を受け、都教育庁は〇一年、「校長が決める事項を、職員会議が制約するような運営で意思決定してはならない」との通知を出しました。今年一月に都立校にその後の状況を報告させたところ、十数校で校務に関する内容を職員会議での挙手や採決で決めていたことが判明したとし、また学校経営支援センターが四月に始動したことも踏まえ、今回の通知を出しました。」

 つまり校長の下請け機関、校長の意向を確認するための会議が職員会議となったのだ。「話し合い」など、基本的には必要とされないのである。

 平の教員、主任教諭、指導教諭、主幹教諭、副校長、校長、統括校長

 なんとまあ、私が教員となってから、こんなに職階が増えたものだ。学問や教育は、本来は「上意下達」になじまないもののはずである。

 そんな状況が長く続いたせいだろう、若い教員はいたって従順だ。そつがない。つまり「世渡り上手」になっていく。
 職員会議では発言しない。それこそ「信頼関係を損なう」ことに繋がるかもしれないからだ。
 
 道徳が教科になるという。彼らは、子ども達に、どんな「価値」を教えるのだろうか。

 
 
 
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もうひとつ 教育特化ブログを作って再出発します

2018年01月03日 00時47分18秒 | わたしごと
 もうひとつブログを開設していて、それだけで精一杯でしたが、記事が1000を越えたあたりから、
教育のことは、それだけで1つのブログを作る必要があるのではないかと考えるようになりました。

 教員でありながら、いつも現状を不満に感じ、しかしながら自分の力を微力に感じて悶々としている。

 たくさんの方に、よく知らないであろう学校のことを知ってもらう必要があると考えてのものです。

新規ブログは、http://blog.goo.ne.jp/totty2885
ブログの名前は「摩訶不思議学校 知らないことが多すぎる  若い教師・保護者必見」です。
堅いかなあ・・・

 こちらも覗いてくださいね。

 新しい方は、しばらくは、ブログに公開したものと、新しい記事との混合になります。

 若い教師にも読んでほしいと思う。

 こちらは、徐々に教育色を減らしていく予定です。
 かといって、薄い内容にはしたくない。

 では、体力、精神力の続くかぎり・・・
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新年の憂鬱 「不協和音」を聴いて

2018年01月02日 20時50分06秒 | わたしごと
 紅白歌合戦で、欅坂46というグループの歌を聞いた。もう半年以上も前の歌だというのに、恥ずかしいことに私は初めて聞く歌だ。
 「不協和音」
 権威に阿ることなく、自立した精神を歌ったメッセージソングである。
 歌自体、悪くない。ごくごく真っ当な内容のものだから。
 ただ、これを聞きながら、暗澹たる気持ちになってしまった。

 僕はYesと言わない
 首を縦に振らない
 まわりの誰もが頷いたとしても
 僕はYesと言わない
 絶対 沈黙しない
 最後の最後まで抵抗し続ける

 叫びを押し殺す(Oh!Oh!Oh!)
 見えない壁ができてた(Oh!Oh!)
 ここで同調しなきゃ裏切り者か
 仲間からも撃たれると思わなかった

 僕は嫌だ
 不協和音を
 僕は恐れたりしない
 嫌われたって
 僕には僕の正義があるんだ
 殴ればいいさ
 一度妥協したら死んだも同然
支配したいなら
 僕を倒してから行けよ!

 
 これを聞きながら、おそらくは視聴者は、「そうだ、そうだ」という気持ちを共有するにちがいない。聞き終わったあとも、「けっこういいこと言うじゃない」と感想を述べあうことだろう。
 そして、「このグループ、他とちょっと違うわよね」「この路線、けっこう売れるかも」と、そんな話も出てくるかもしれない。

 紅白で、欅坂46が、歌い終わる。彼女らは、世を憂いた、真摯な表情でステージに立ち、たくさんの拍手をもらう。照明が消える。
 「はい、おつかれさま~」
 「ああ、緊張した」「私も、拍手もらって力がぬけちゃった」「お客さん、うけてたかなあ」「大丈夫、大丈夫」「この歌、けっこう話題になったし、よかったんじゃない」「これで、しばらく売れるかもね」「この歌詞みたいに思っている子、多いもんね」「もっと人気出るかも」「わくわくするね」「やったね。AKBも追い越せるかも」「すごーい」「そうなったら、幸せね」「ああ、衣装変えなくちゃ」「こんどは、可愛いのになるんだっけ」「そう、イメージをチェンジして明るい少女にね」「これでギャラ上がるかな」「もちろんよ。事務所、けっこう稼げたんじゃないかな」「やったね」

 しかし、私が暗澹となったのは、そんな「崇高なメッセージ」が、商業ベースに乗ったまま、「人気を博した」「何枚売れた」といった次元で、終わってしまうのではないか。
 さらに危惧するのは、この歌でバラまかれた「メッセージ」が、本当に社会を変革しようとしている人たちのメッセージと共振するのではなく、「あっ、この言葉、前にも聞いたことあるわよね」といった具合に、中身を吟味されることなく、「安っぽいメッセージ」として処理されはしまいかということ。
 欅坂~のほうは、正直、何も中身がないものである。(極論と言われかもしれない。勇気づけられた、程度の反応があるかもしれないが)現実に、校則を変えていこうとしている青年、ブラックな企業で粘り強く待遇を改善させようと闘っている人たち、社会のしがらみを打破しようと闘っている様々の分野の人たちが発する「メッセージ」とは、内容も重みも違うはずなのだが、それが商業的に流されたものと「表面上」は同じであるために、「正論ね」「同感よ」の次元でおしまい。そこで、あなたはどうすべきか、何ができるのかまでたどり着かないものになってしまうのではないかということである。
 真っ当なメッセージが、CMのコピーのように、安っぽく、現実を離れたもとなっていく。

 安倍首相が、「革命」という言葉を発したときに思ったときと似ている重い状況だ。

 言葉が、商業的に拡散されて、その重さを失っていく。
 ますます「変革」の時代は遠のいていく。
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