立山山麓の原集落から、立山温泉を通過し、ザラ峠を越えて大町へ抜ける道は私の住んでいる横を通過している。
例年、地元の有志がお盆前に清掃するので私も参加する。
祠の中や周囲を清掃し、何とか奇麗になりる。改めて石仏を眺めると、石仏の左側に「原より一里」と記してある。
二つ目も「原より二里」、
三つ目も「原より三里」とある。
原からは2キロあり間違いはないが、原より2里、3里の記載は立山温泉への道が急斜面であり、冬季は雪崩等で道が崩れたりするので誰かがここへ移動したものと思われた。今でも道跡の尾根筋にあたるところには2mの幅で道跡が残っている。
その奥には、キリフキ谷があり、道跡は山の斜面を巻くように真川の河原へ降りているのが確認出来る。富山の有志が大金を投じて作った道であったがそれに見合う採算も見込まれなくなり数年で廃道となった。歴史の道であり、塩の道として越中から信州への物資が運ばれた。明治初期頃から多くの登山者、温泉湯治客等もあり繁栄していた。
近年は、道跡も崩壊して奥へは行けなくなり、手前から立山カルデラ周囲を眺めるだけです。
今年も山麓へ多くの人達が石仏を訪れてお参りされると、こんな歴史を知って欲しいと願うおじさんです。