これも創価学会男子部の会合に出た時の話だが、その時創価幹部が、わざと声を大きくしてマイクを握りしめ、ニコニコと得意然として喋った。
「皆さん、郡山の寿海寺の菅野蔵道(御尊師・御住職様)が、葬式の席上、何を血迷ったか、昔話の足柄山の金太郎の話をして不興を買ったそうです」
皆、訳も分からず、ドッと笑い声が上がる。私は笑わなかった。そんなに皆で笑う程、おかしな話だろうかと。
葬儀の席上、今を生きる人々に対して、昔話の一つや二つをしたからって、ちーっともおかしくない。寧ろそれは現世を生きる人へも、亡くなった方へも、ひとつのあり方、ひとつの励ましではないか。
それに、足柄山の金太郎は、私の生まれ故郷、神奈川県西部地方の今でも語り草になっている伝説、伝承であり、私達のヒーローだ。私は無性に、その場は創価の文化会館であったが、この御僧侶のお話しを是非とも聞きたいという気分にその時支配された。
私は、とてもじゃないが、そこの大多数の学会員達の嘲笑を聞いても、一緒に笑う気にはなれなかった。その日は、私は創価の俗悪性、根性の悪さを内心、感じつつ、創価学会への疑問をひたひたと感じて家に帰ったのであった。
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