Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

ブログを再開しました ー付記 創価・キリスト等を貶め、日蓮正宗を宣揚する!

2017年06月26日 07時05分05秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 私は、ブログを2009年4月から今年2017年二月半ばまで開設していたのですが(gooブログに於いて、「日々雑感 わたしが思う あの事この事」というタイトルで)、勿体なくも全て破棄、消し去ってしまいました。一部の心無い(特に主に本当に憎たらしい創価学会員により)悪徳コメントを受け、一時は絶望の気分を心の大半に占めせしめ、暗澹たる気分でいました。そして、ブログを何でそうなるのか、消滅させました。今度は、二度とそんなバカな真似は致しません。
 過去の自身の宝物のように大事に守って来たブログ記事を失くし、そいつら学会員の卑怯卑劣な仕打ち、その恨みは一生忘れない。私は、自身、蛇のようにしつこく、元来人から受けた恨みは必ず返してきたので、このブログを通して、そいつら天敵・創価学会員、並びに新興宗教教団、宗教法人「創価学会」撲滅に立ち上がり、こちらも命を懸けて創価のインチキ、嘘つき体質、反社会性等を声を大にして訴えていきたい。
 こうなったら、創価学会が滅びるか、わたし自身が倒れて討ち死にするか、兎に角、命懸けで日蓮正宗の正義を宣揚し、悪辣極まりない、人々を塗炭の苦しみに投げ落とす悪の権化、暗い世界の代表者、総じて悪魔の団体、頭破七分の邪義を立てている池田邪師による悪の巣窟、邪義邪道邪説邪智邪教を構える創価公明の欺瞞性、悪徳宗教の、どこまで行っても邪は邪でしかない、お天道様、この世に背を向けてよしとするその心根を糺し、ぶっ潰し、ぶっ飛ばしてやるのが私のこれからのライフワークとなるであろう。
 宗教の話、なかんずく創価学会以外でも、否、むしろ、こちらが主になるが、世の中の趨勢、思想、音楽、放送マスコミの報道、政治の事や自分の雑多な体験、考え、意見、行動等を、本当に時々にだが、写真付きでたまには紹介していきたい。不定期発信ブログとして、毎日毎週という訳にもいかないから、月に許せば、数回、毎月という訳にもいかないが、牛の如くノロくとも確実に足を踏みしめて文章を綴っていきたい。初めは処女の如く後は脱兎の如く、猪突猛進して事に当たりたい。
 心機一転、出直すつもりで、このブログの新一年生として、また戻って来ました。今までの自身の悪弊を糺す為にも、これはこれで良かったと思う。「人間万事塞翁が馬」、「禍福は糾える縄の如し」、「楽は苦の因、苦は楽の因」、と申しますように、今まで書いて来た、八年間の思い出の日記は消えてしまったのは残念至極だが、又こうして再開できたのだから、文句は言うまい。
 更にパワーアップして、力強く、本音でぶつかっていきたい。これは私が日々の出来事から得たヒント、時にはボヤキ、雑念、愚痴等を、愚痴で終わらせない形にまで昇華させて何とか持っていけたらと考えている。
 実は、フリーアナウンサーで歌舞伎俳優市川海老蔵さんの妻、小林麻央さんが先日亡くなったが、その方のブログは一度も見たことがなく現在もないが、新聞テレビ等を見ると、その誠実なお人柄、最後まで家族を気づかい、最期の言葉が海老蔵さんやご家族に対して「愛してる」だったという事実、自身は乳がんに侵され、余命幾ばくもなく、その最後の救い、砦、人生のよすがが、彼女の場合は「ブログ」であった事、等が折に触れて私の脳裏を掠めていて、ずっと気になっていた。わたしは現在、死ぬような大病には幸い罹ってはいないが、人間、いつどこでどうなるかは全くの未知、答えはわからない。ただ、こうしてブログで書けば、どこの誰とは知らぬが記録として残る。私は、其の一点に賭けてみようと思い立った。その結果、出た答えがこのブログである。
 どうか、読者諸氏諸賢の、篤い友情の眼差しで、このブログを暖かく見守り、見つめてほしい。このブログの初めに述べたかったことは、これである。私自身にも、賢明なる読者諸氏諸賢諸君にも、いま改めて幸多からん事を願いつつ、このブログの初めの言葉と致します。

付記 (以下、この上の今までの文章と合して11744文字にもなる大作の為、時間の許せる方はお読み下さい。)

 私は、既に以前の、先代のブログ「日々雑感 わたしが思う あの事この事」内の記事に於いても書いていたのだが、今はそのブログ自体が存在せず、記事も取ってはおかずに全て無くなった。残念なことであった。

 その記事には、私が今年二〇一七年平成二十九年二月八日(水曜日)に、郡山市土瓜にある、日蓮正宗無量山寿海寺にて、菅野蔵道ご住職様に、勧誡式を受けた事を簡単に記していた。今日はその詳細を述べることにする。
 私は、前日の、二月七日夜七時に、自殺未遂を図った。しかし、失敗に終わる。フラフラになり、母に抱き抱えられて、お茶を只一杯飲んだ。呂律が回らず、口はヘロヘロである。お茶が口の脇の横から漏れる始末。首が痛く、舌、のどの奥も痛い。

 母は気丈に構え、大人しく私を見つめて言った。
「どこか旅でもしようか。そんなに人生面白くないのかい。最近旅行もしなくなったねぇ。どこへ行きたいんだい。」

 それに対して私は首吊りの影響で、ヘロヘロになっている、呂律の廻らぬ口調でやっとこさ喋り始めた。
「お母さん、旅行もいいけど、うちのお父さんの納骨料、お寺に去年から一切お納めしていないんだ。日蓮正宗寿海寺に!!これだけは、ケジメを付けなければならぬ。明日の朝、一番でお寺に行ってこようと思うんだ。

 ついでに、うちの仏壇にある、あの(ニセ)本尊を、あのお寺に持って行って叩き付けて来ようと思っているんだ。あの本尊にしてから、良いことがなんにも無くなって、坂を下るように運が落ちて行った。

 去年十二月二十七日火曜日午後の郵便局前で二十代の運転初心者の女に車で轢かれて撥ねられて投げ飛ばされて駅東口の星総合病院に救急車で担ぎ込まれて今は近所の病院に代えて今だに通院リハビリ中なのだって、あれも創価学会の最後の謗法罪障が出たと考えれば合点が行く。仕事につまずき、酷い目に合わせられた時は、丁度ニセ本尊を掴ませられて昼夜逆転の生活に陥っていたあの頃と符合する。
 あの享保五年の気色悪い本尊をもらってからというもの、何一ついい事なんてなかったよ。少しはいいこともあったって、それは邪宗教の魔の通力と言って、一時しのぎの御利益で、それにあぐらを掻いて居たらやがてはもっと酷い命にも及ぶような罰が出て堕地獄だって、同じような事をインターネットのユーチューブという動画サイトで、樋田昌志さんと言う日蓮正宗法華講の方も仰っていたよ。
 全ては邪教創価学会、あのニセ本尊が招いた種だったんだ。いいでしょ。今日はおそらく興奮して眠れないだろうから布団に横になって朝が来るのを待つ。朝が来たら、いの一番でお寺、寿海寺に行って住職さんに話を付けて来る。
 ついでに、出来れば正真の、日蓮正宗の、御法主上人猊下様の書き著された、本物の御本尊様を頂いて御下附されて帰って来るからさ、どんな御本尊様か見るのが楽しみでもあるんだ。」
と言うと母は、
「そうかい、行っておいで。寝不足ならば、車には気を付けるんだよ」と私にやさしく言って聞かせた。

 朝が来た。待ちに待った、永い夜が明け、待望の朝が来た。厳冬の二月八日。一応、古いうちでお巻きしていた戸田先生時代の古い昭和三十年代の享保三年の日寛上人猊下様の縦長でコンパクトな御本尊様をその朝だけご安置して、数年振りで私は朝の五座の勤行をしてみた。口は引きつり、碌に発音できないが、不器用なりに私は真剣に懇ろに勤行をした。まんざらでもないな、と私は妙に五座を終える頃には思うようになっていた。私は自転車にまたがり、ニセ本尊と経本をカバンに詰めて出掛けた。母が気を付けて、といつもの口調で見送った。

 その古い戸田先生時代の御本尊様は、時系列が前後するが、女性二人とうちから改めて持ち出して、私の勧誡式の後、今度は母を勧誡にお連れした時に、ご住職様に見せて、「こんなに古い、昭和三十年代の御本尊なんて使っている家は今では殆どない。表装も見ると長年の経過でお汚れしている。新しい(御法主日如上人猊下様の)御本尊様の方がいいですよ」と勧められ、母が独身時代に東京中央区銀座明石町に勤務する会社の同僚女子社員に折伏され、御下附された御本尊様は、お寺へ返納された。

 これで、元々のお寺に帰ったんだから、創価学会の奴らやあわよくば狙い済ました顕正会の奴らに横取りされないだけでも後から考えれば良かったと思った。実際、我が家にある真新しい、御法主日如上人猊下様の御本尊様も、お寺の奥の部屋や一般信徒の方の家を訪問すると御安置されている日顕御陰尊猊下様の御本尊様とを比べるのもおこがましく身の程知らずだが、私はどちらも大好きであり、非常に達筆で大好きなお文字であり、どちらも近眼の私には、特に我が家の御法主日如上人猊下様の御本尊様も大変見やすく、字がはっきり大きく立派に書かれていて、大好きな御本尊で大聖人の仰られた秘すべし秘すべしで、大変に大事に珍重して好んで毎日朝な夕なに勤行唱題をし、時々それらに再び別に唱題の時間を特別に入れて織り交ぜ、祈り拝んでいる。
 一応、お寺で使うだろうと思い、日蓮正宗大石寺版のお経本も持って行った。

 寺に着くと、朝九時を少し廻っていただろうか、もう既に、人の気配がする。お寺の受付で、私が前に立つと、ご住職様が現れた。私は、平静を装ったが、内心、ビクビクしていた。「本当に大丈夫だろうか、本尊は本当に取り替えてもらえるのかな?」
 最初に、去年の納骨料をお納めしていなかった旨をこちらが語り、お金を払い本題に入った。

 「あのー、この(憎っくき)ニセ本尊なんですが、(とおもむろにそのニセ本尊をカバンから取り出し、ご住職様の面前でそれを叩き付けた。)こいつのせいで、私の人生は狂いに狂った、去年十二月の世間もうちも忙しい時に、郵便局前で車に轢かれる大きな交通事故に遭った。それ以前にも、このニセ本尊を貰った時には、会社でいじめに遭い、辞めているし、その間、莫大な負債、借金も負った。それに昨日の自殺未遂事件等々。余りにもおかしな事が多すぎる。今、この(ニセ)本尊を手放さないで、いつ創価学会を辞める機会があると言うのか。絶対に今しかない。今を於いて他にはない。だから、この本尊、どうにでもして欲しい。そして、新しい本尊に代えて欲しい。頼みます。」
と言うと、ご住職様は、メガネの奥の眼光鋭く、しかし、謹厳実直な物腰と態度とお声で、
「それらは全て、ニセ本尊の害毒に他なりません。」
とキッパリと一言仰られた。

 そして、今から勧誡式というものを執り行います、と仰られ、本堂に通された。お経は自前で、御数珠はこの時忘れたのでお寺から借りた。
 もう既に数人がお寺の朝のお勤めの為に参集していた。そこで私がご住職様と共に入っていくと、ご住職様は、今から急遽、普段の勤行会とは違って、本日は、私の為に勧誡式を執り行う旨の発表をして、その場の皆の誰もがそれに従い、頷き合って、私を迎え入れてくれた。
 そして、法華経方便品と寿量品長行と自我偈と唱題、のワンセットの勤行による勧誡式が始まるのだが、私は大変緊張していた。普段から五座はやった事がなく、今朝方、五座をやったのにまた長行か、という思いと、普段から長行を含め、お経を唱え慣れている、皆様と同じように、果たして自分が通用し務まるのだろうかという邪推邪念があった。

 創価の邪教邪義邪説に長年慣れ親しみ、一座の、方便品と自我偈だけで良い、何なら題目三唱だけでも良いとする、お手軽お気楽の、その実、手抜きで何の御利益もない欠陥だらけの邪道の経本の観念文も空虚で有難みのない、五年位ずつで自然と経本も学会の教え、指導、会則がコロコロ替わる。
 
 大体、創価の経本からは、いつの間にか、五座三座はなくなり、東天、諸天善神の祈りはなくなり、引き題目はなくなり、三師供養の、第三祖日目上人はいなくなり、祭礼の日に正宗寺院では当然のごとく荘厳に法華太鼓が打ち鳴らされるがそれもない。代わりに歴代会長の祈念と称する祈りのページには、三代目会長池田大作(先生)への祈念が加わり、果たして池田という奴は、この経本を本当に使っているのだろうか?!自分で自分自身に祈念する馬鹿がどこの世界にいるのか?この経本でセンセーが祈っていたらそれはそれで滑稽で笑われるし、馬鹿だよなア、その図を見てみたいような見たくもないような。

 それら虚しい空々しい空虚な祈りの続くオンパレードに、日々接していくうちに、虫唾が走り、段々と、正常な思考の持ち主ならば、必ずそのイカサマ、インチキ、淫祠邪教の類の教えの低さの故に、馬鹿らしくなってくる筈なのだ。
 
 一部の池田親衛隊のような、創価班、牙城会の連中ならば、それが見抜けず、騙され、むざむざと邪師池田の思う壺となる。今だに馬鹿だからゴーストライターの手になる代作の、現在・植物人間・池田大作の出る幕のない、全部出鱈目、美辞麗句、池田好みの文章で脚色され色直しされた、「人間革命」「新人間革命」に代表される、世にも気色悪い著作群が出来上がったのを無下に信じ込まされている。全部全額、金と言う金が池田田吾作のポッポ、懐に入る訳だ。
 道理で池田が最晩年、「わたしは勝った、わたしは勝った、大勝利だ」とのたまい、うそぶく訳だ。勝ったのは全て金で勝ったのであって、池田の功績・功労でも努力の賜物でも何でもない。ただ金の力で「勝った」と大言壮語、豪語して自身の死後、否、現世で当然受くべき堕地獄の現罰・業罰の現証の恐ろしさには何一つ気付かず触れてもいない。敢えて考えないようにしているとしか思えぬ底の浅さお粗末さ。センセーも人間終わったな、こんな人間に付いて行っていた私が愚かだった、気付くのが百年遅すぎた。今だにイケダに付き従っている奴らって一体ナニ?!一体誰?!何様のつもりなんだ。

 しかし独り、日蓮正宗は、七、八百年の間、何一つ邪義邪説を交えず、富士の清流そのままに厳然としてそこにおわし、それは多分に、あの富士大石寺に鎮座まします、鎌倉時代執権北条氏の御代の、弘安二年十月十二日に、末法のご本仏・日蓮大聖人様がお書き遊ばされた、三大秘法の本門戒壇の大御本尊様を受持し伝持し、厳護されて来た、勿体なくも、血脈相承・法水写瓶・唯授一人の代々の御法主上人猊下様の御正師様方が永年心血を注いでその教えを守り抜いて来た、永い歴史に裏打ちされた、立派なお教えだからこその、末永く永遠に代わる事のない安心感、教えの健全性、堅牢さ、重厚で厚みを増した、いぶし銀のような素晴らしさがそこにはあるのだ。

 何とか勧誡式では長行も無事にそつなくこなし、ホッとしていると、そう言えば、新しい御本尊様は今日は頂けないのか、何としてでも欲しいと懇願して切にお願いして聞くと、ご住職様は別の事を気になさっていて「お母さんは元気にしているのですか」と聞いてくる。

 少し足腰は弱っているが元気だと答えると「じゃあ、ここに呼んできなさい」と言う。「それは無理」と私が言うと「どうして?」とご住職様。「足も悪いし、色々な所が弱ってきている。雪のチラつく寒い日に、ここまで歩いて来れるかどうか。車も廃車にした。母は寒いのも苦手で、無理だ」と言うと、信徒の方々が「車なら私らが運転してあげる。それに折角お母様がいらっしゃるならば、絶対にこの勧誡式をお受けになられた方が良い。本当に悪い事は言わない」と言う。ご住職様も「本堂もお寺の廊下も、何台も暖房器具を付けているから大丈夫。車の中も当然暖かくするから安心して下さい」と言われ、状況が刻一刻と移り過ぎ、無下に断る事が出来なくなって来た事に段々と気付くわたしがいた。
 それならばと、私は家に戻り、母にその事を言うと、母も「何だか大ごとになって来たね」と一言いい、うちにやって来たその本堂で一緒にお祈りしていた二人とも御年配で眼鏡をかけた女性達で、女の方の一人が、のちに大変お世話になる、お寺でも一番偉い「G講頭さん」だったのだが、その方とYさんがうちに二人で来た。その他にもその日、式が終わると途中で帰られたが、本堂には男性の方、長身のロマンスグレーの白髪のお方もいた。後に、そのY田さんは、私に私の名前入りの洗濯ばさみ付きのネームプレートを下さり、他のお寺や富士大石寺に行く時は靴を失くさないように挟んで使うといいよと前もって実に芸が細かく配慮して心配なさって下さった。私を初めて見て「何だ見た事のない、珍しい人が来ているなぁ」と思ったそうである。その方と違う男の方は小柄で運転が非常に上手く、足は悪いが、以前はタクシードライバーとして勤務する程の腕前の運転のプロだという。
 皆は「今から謗法払いをさせて頂きます」と言って、うちに上がり、うちにある邪教の、つまりはお守り、創価のまだあった経本類、等々を次々に払い除けて行き、お寺にお納めすることにした。それらを持って母をも連れて今度は車は又もやお寺に向かって走り出した。私も事前に自転車を走らせていた。
 お寺に着くと、又、今度は母の為に、一同、皆さんと、ご住職様とも御唱和しての私に続いて、母にとっての勧誡式となった。母も立派にお経を皆に付き従って唱え、無事、勧誡式は終わった。

 式の最後に、お経の中の自分の好きな個所の経文を開くように言われ、母の時、私は絶対に寿量品の釈尊(お釈迦様)と日蓮大聖人様の文底秘沈の大法の論拠、根拠、根底となり、重要な論説の「我本行菩薩道」の部分をどうしても開きたかったが、何故か、手が凍ったように動かず、中々文句の個所がページを探して繰っても出て来ない。ご住職様はどこでもいいんですよ、と言って焦(じ)らす。しょうがなく後ろの方の長行の自分としては不本意な個所を開かざるを得なかった。
 そこにご住職様は、筒のような、扇子の袋のような、それよりも袋で包んだ長い棒のような物でお経のその開いた個所を挟み、挟んで軽く持って下さいと言い、その後、その筒のような長い物から、待ってました!、御本尊様がにょきっと(失礼)現れ、これを大事に家までお持ちになって下さい、と仰られた。それにて、勧誡式は終了した。

 その後、その日の内に、ご住職様を自宅にお迎えして、お仏壇に御本尊様を御安置する入仏式を執り行った。これで母は二度目、わたしは一同の皆さんと同じ三度も方便品・寿量品長行・自我偈と三度目の(笑。アハッハッハ、こんなに何度もお祈りを重ねたのは実は生まれて初めて、キャハハハ。)読経唱題で、わたしはヘトヘトなのに、皆さん大変に若々しく、何一つお経を唱えるのに躊躇も不満もないといったご様子で、作詞作曲家、シンガーソングライターである小椋佳さんや歌手布施明さんの昭和時代に大ヒットした歌「シクラメンのかほり」ではないが、全然「疲れを知らない子供のように」振る舞い、若いのに疲れを見せて弱々しい生命力の皆無の私などを尻目に、今現在を謳歌するが如く、若さを私に誇示し、これ見よがしに見せつけるのであった。私はその時、正直、その若さが、その時・今の生命力の劣り弱った脆弱な心身の老生した私には甚だ眩しく羨ましく映り、わたしにも、何としてでも、あの若さが欲しいと正に言わしめる程の物だったのである。

 のちに、三月終わり頃、講頭さんが、北海道の姪っ子さんに折伏されて、霊友会だった新入信徒の方の御受戒の式上の終わりで述べてその新入信徒の女性の方を一生懸命に励ましていた。「大丈夫、大丈夫。『更賜寿命』と言って、大聖人様のみ教えどうりに従う我が日蓮正宗の信徒のみが、若さを共に保ち、若い頃と何不自由なく変わらずに、寿命を更に増して頂いてゆけるのです。そういう有難いみ教えが、日蓮正宗の力ある教えなのです。」と仰る講頭さんの背中は、何か後光が差すような気高さと気品とがあった。

 今年の二月八日の私達親子の勧誡式の日に話が戻るが、その日は、講頭さんが、是非とも五座三座を覚えた方が良い、と仰り、ご住職様が、今まで学会でもやっていたようだし、今日の読経の様子を見ても、おかしくはなく、大丈夫ではないかと仰り、私も、以前、学会時代には、五座三座の御観念文が改訂されて今は方便自我偈の一座となり、私にまでは決定した事実が周知徹底されず解らず、聖教新聞も取っておらず、何年も遅れて、乗り遅れて五座を止めて一座にしたと言った。一応の問題はないものと判断を受け、その日は散会となった。皆口々に、良かったねとか、頑張ってとか、大丈夫とか言って他にも色々と心を砕かれて助言などして頂き、非常に励まして頂き、その並々ならぬ有難い御厚意にこちらが平身低頭して恐れ入るほど、感謝に堪えませんでした。

 その日の午後、前の日の事など嘘のように、朝五座を家でして、こうしてお寺で二回(母は一回)、うちでももう一回、寿量品長行を含む勤行をやって、もういいかなと魔の囁きがささやくが、いけないいけない、今日からは日蓮正宗信徒として、大事に勤行を執り行い守って行かなければいけない。今日から又、広宣流布、折伏共に大事であり、そのご飯のようなエネルギー源の大事が、勤行唱題なんだと自明の理であると悟り、その日その時夕べの三座をきちんとちゃんと実行実践してみた。

 すると、生まれて初めて自分で題目のお経を唱えて実践しだした、1998年平成10年の8月に1週間以上も雨が降り続き、福島県栃木県で起きた大雨洪水による災害水害を機縁として自身の祈りの生活が、あの時あそこから始まった、心篤く水の如くの信心をしていた日々を思い出していた。あの頃は、最初は題目を数遍唱えていたがそれに飽き足らず、次第にお経を覚え、日蓮正宗の正真のお経本を使って、始まった信仰生活であった。あの頃は覚えたての5座3座は何か物珍しく非常に興味深く面白くって、大変楽しくお祈りを、お経をお題目を毎日上げていた。信仰も乗りに乗って楽しんでいる所があった。

 しかし、創価学会の文化会館に行って、学会版の経本を買ってからというもの、陳腐な観念文がやる気を失せさせ、勤行が何かと疎かとなり、ガッカリしたのを覚えている。日蓮正宗のお経本の御観念文が本当に立派で気品があり格調高く、正に伝統宗教のそれであり、日蓮正宗の方が本当はいいのは判っていた。経本一つとってみても判断、断定できた。

 だのに、疑問を持っててもそれをどこへも吐き出せずに我慢偏執する自分がいた。「自分は学会でいいや。何を今更。」と若いのに、諦め気分満載であり、惰弱な生命力であった。創価に何の恩がある訳でもない。あるのは只、絶対服従のマインドコントロール・洗脳の類。当時はうちでも盛んに聖教新聞・大白蓮華等を何か月何年もとり、自分も頭破作七分の悪影響を受けつつあった時代。苦しめば苦しむ程、ドツボにはまり、毒を時には周囲に吐き、愚痴を聞いてもらえる内はいいが、その内に誰もがそんな自分を見て聴いてからは去って行くのは自明の理なので、一切他人にはおくびにも出さず、黙って我慢していた。

 そんな日々を乗り越え、くぐりぬけて来た自分には、今は同志となった寿海寺の法華講の講衆の皆様の私への励ましが、万感胸を打って迫って来る。同じ宗教でも創価学会なぞには、これ程の励まし、ご助言、ご指導を賜った事などは全くなく、誠に有難く感謝の念に堪えない。金輪際、自身の誤れる宗教遍歴の、創価やキリスト教(プロテスタント・カトリック問わず)、東京の母方のおばあちゃんの先祖の信仰、浄土真宗。同じくおじいちゃんの先祖の信仰、真言宗。福島県本宮市の父方は(おそらく)神道の、邪教にまみれて汚染された過去現在の漫漫の謗法罪障の現罰がなるべく出ないように消滅するように、転重軽受の法門の日蓮正宗のお教えに沿った正しい信仰で自身の誤り過ちを謗法厳戒の元に励んで勇んで仏道修行して六根清浄を願い、祈り続ける他がない事を時の鐘が知らせる。

 月に一回、毎月第二日曜日の御講(御報恩御講)の日ともなれば、正宗信徒の誰もが参詣参拝が推奨されている為に必ず参詣し、高らかに厳かに勇壮果敢に豪壮に、日蓮正宗寺院各末寺では、読経唱題の際の砌(みぎり)に、胸にジンと打つような、雄々しくも激しい法華太鼓が鳴り響く。そうしてそこでは私達は日頃の喧騒を忘れ、ご住職様のお話、説法にじっと耳を傾ける。

 私はこの日の為に日蓮正宗㏍大日蓮出版発行の「日蓮大聖人御書 大石寺」という正宗では御金言と仰がれる大聖人様のお著しになった御著述の書物を私も、私以外の多くの方々もお寺に持参して大いに御書の勉学に励んでいる。

 アマゾン ジャパン(Amazon Japan)のホームページの本の欄の日蓮大聖人 「御書」で調べると、創価学会版御書(創価の本は「御書全集」というタイトルなので一発でわかる)じゃなくて、黒い表紙の、一応、阿部日顕上人猊下様が編集、監督、監修なされたので、アマゾンの表記では日顕猊下様が著者にはなっているが、実際は鎌倉時代の日蓮大聖人と後ろの数十ページは日興上人の御著作である。

 種明かしをすれば、そこで私は「福島のあまっこ、wainai123753」と言うペンネームでカスタマー(お客様)レビューを書いていて、「御書」で調べると今年二〇一七年平成二十九年三月終わりに私は御書の五つ星の点数を付けて実際に自分の過去現在の信心、創価学会を辞めて日蓮正宗に鞍替え、宗旨替えを致した経緯を縷々述べているので時間があればそちらも参考にして欲しい。

 以上、長々と自身の日蓮正宗、乃至(ないし)日蓮大聖人様、乃至、大御本尊様への心懐恋慕・渇仰於仏(しんねれんぼ・かつごうおぶつ)して、御祈りの重要性をここに説いてきたが、時間を大幅に過ぎてしまった。読者諸氏の、ここまでお付き合い下さり、拝読下さった方には、心より敬服し感謝申し上げます。誠にありがとうございました。恐々謹言。

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