Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

今日の教訓

2023年03月21日 10時41分47秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
※極めて長文につき、失礼致します。御取込中で、誠に申し訳ございません。

今日の教訓

何事も、自分が原因なんだ!人のせいにするのは卑怯者のする事!

誰がこういった、彼がこういったとの、伝聞では絶対ダメだ!

おのれの、自分自身の言葉で責任を持ってハッキリと覚悟を持って語れ!!

おのれ自身で紡ぎ出した、真の言葉で、真実をかく語り切り、他へ語れよ!!

真実の言葉を、この世、現世に於いて、言い出して、己の確信に基づき、自己の責任において、責任を必ず自身が担い、背負い、持ち、かく広めよ!!その自覚に立て!!!このおのれ自身に対しての、おのれの、この、愚か者め、愚か者よ!!!それがハッキリと、判らぬのか、愚か者の自分よ!!!

ただ、自身を、恥じ入り、罪業を深く感じつつ、悲しむのみ。悔悟、悔悛、悔い改め、自己批判、自己反省、の念慮を抱くのみ。

私を取り巻く全ての関係者の皆様、御無礼御不躾、大変醜く酷く情けなくかたじけなく、惨めであり、このバカな私め、非常に大失礼仕りました。この、私の、最大一の大汚点を、後世まで残り得る、見苦しい程の糞まみれの汚辱に対して、大呻吟致して、大反省を下したとしても、申し開きなどは、一切、願うべくもない事柄でしょう。
私の非は、正に、日輪を、天下を汚す程の、大罪で御座います。正に、堕地獄行の、惨状で御座います。
この、試合の流れの、ボールは、私の側より、遥か彼方の、皆様方に一切の権能が、詰まりは、ボールは皆様方の側に御座います。私を煮て食おうと、焼いて棄て去ろうと皆様の御裁量の自由でありまする。
しかし、これだけは言っておきたい。皆様の、絶対絶大の、恩赦、特赦、御許しを願い、請います。
この大悲願大願成就したまえ、との、大慈大悲を神仏に願い奉りつつ、この書、文の、掉尾を飾らせて頂きたく存じ上げます。

この我が大罪、その罪業、罪障の厚く長く大なる事、深く重き事、重々承知いたして居りまする。正に、後世、後生を畏るべし(御書・日蓮大聖人)。

いざ、これ以上、何をかいわんや!!!

誠に、反省申し上げ、誠に、各方面の関係者、私に関わって下さった、全ての方々に対して、深く、遺憾の意を示し、反省を心から深く深く致し加えつつ、御謝り申し上げます。御免なさいませ。私が非常に悪かったのです。謝謝。この非常、稀なる大罪を、お許し願いますよう、心から、お願い申し上げます。この場を借りて、反省を念じ致し、申し上げまする。

人情篤い、情け深い、関係各所各位の皆様へ。個人様の方々様へも。
団体様の関係者様へも。平に謝り、その謝徳の、御徳を偲び、浴したく存じ上げまする。

非常に今回の、私からの被害者が多数に上る為、ここで、手打ちとはいかないのは重々承知して居りまするが、私も、御許しを許諾、頂けねば、とてもじゃありませぬが、引き下がれずに、たまらなく、悲しみに打ちひしがれる他は、全く御座いませぬ。それ程の、私の偽らざる、一身上の信条で御座いまする。

ですから、こうして、お詫びとして、参上仕り、申し上げる次第です。

武士に二言は御座いませぬ。

社協の皆様、丸光の皆様、各所属ヘルパー様各位様殿、A相談室のS様K様、看護師事務所の方々、医療関係者の方々、総合して福祉関係者の方々、尚、又、我が最大一なる、最も大事なる、愛すべき、末寺菩提寺お寺の御住職様、お寺のまずは講頭様、副講頭様、それからK俣様、G様、S楽様、他一般多数、数々の、等々、関係各所各位様、誠に、御無礼御不躾御失礼仕りました。御不快な思いをさせてしまい、誠に反省の仕様が御座いませぬ。申し訳ございませぬ。
誠に舐め腐っていたのは、正に、私自身で御座いました。今、それが判り、ハッキリ自覚致しました。覚りました。これは悟ったと申すは、決して、大慢心、増上慢では御座いません。心からの、大反省故、今、判った事なのです。

心の内からの、深い深い、自覚で御座います。申し訳御座いませんでした。是非とも、この私めを、心から、寛大な気持ちで、お許しくださいませ。

絶対に、人様には、二度と、金輪際、こんなバカな事共は、為さず語らず、話さず、書かず、申さず、おくびにも行わない思わない再び考えに及ばない感じない、触れもしない、自身に寄せ付けない、まさしく「見ず聞かず語らず」の三猿の如くの、所存で御座います。

わたくしに、大赦を!請い願います!

以上。よしなに。wainaiより。被害を被られた、皆皆様へ。衷心より、大反省を加えた上で、自己謹慎へと、自身を自罰、罰しつつ、己に鞭打ち、非情なる大反省を致した上での、再出発を図りたいと念じ考え、思っております。非常に私めは図に乗り調子に乗って居りました。鼻高々の天狗になって居りました。ダメな私めです。これ以上、こんなバカな事共を、二度と繰り返さないよう、以後、気を付けます。これ以上の、惨状、被害者を出さぬ為にも。以上。



2023年令和五年三月二十一日火曜日、春分の日、日蓮正宗無量山寿海寺、春季彼岸会の砌にて。午前十一時五十分、これを我が家にて、最後に書き留める。

これから、お寺、末寺、菩提寺に、御参詣申し上げて、行って参りまする。懺悔滅罪の祈りを捧げて来る積りです。
皆様、それでは、ごきげんよう。又、お逢いしましょう。


『新池御書』(新編日蓮大聖人御書大石寺)にのたまわく、
「(中略)縦ひ(たとい)世間の悪業衆罪は須弥の如くなれども、此の経にあひ奉りぬれば、衆罪は霜露の如くに法華経の日輪に値ひ奉りて消ゆべし。然れども此の経の十四誹謗の中に、一も二もをか(犯)しぬれば其の罪消えがたし。所以は何(いかん)、一大三千界のあらゆる有情を殺したりとも、争(いか)でか一仏を殺す罪に及ばんや。法華の心に背きぬれば、十方の仏の命を失ふ罪なり。此のをきて(掟)に背くを謗法の者とは申すなり。地獄おそるべし、炎を以て家とす。餓鬼悲しむべし。飢渇(けかち)にうへて子を食らふ。修羅は闘諍なり。畜生は残害とて互ひに殺しあふ。紅蓮(ぐれん)地獄と申すはくれなゐ(紅)のはちす(蓮)とよむ。其の故は余りに寒につめ(詰)られてこゞ(屈)む間、せなか(背中)われて肉の出でたるが紅の蓮(はちす)に似たるなり。況んや大紅蓮をや。かゝる悪所にゆけば、王位将軍も物ならず、獄卒の呵責にあへる姿は猿をまは(回)すに異ならず。此の時は争でか名聞名利・我慢偏執有るべきや。
思(おぼ)し食(め)すべし、法華経をしれる僧を不思議の志にて一度も供養しなば、悪道に行くべからず。何に況んや、十度・二十度、乃至五年・十年・一期生(ごしょう)の間供養せる功徳をば、仏の智慧にても知りがたし。此の経の行者を一度供養する功徳は、釈迦仏を直ちに八十億劫が間、無量の宝を尽くして供養せる功徳に百千万億勝(すぐ)れたりと仏は説かせ給ひて候。此の経にあ(値)ひ奉りぬれば悦び身に余り、左右の眼に涙浮かびて釈尊の御恩報じ尽くしがたし。かやうに此の山まで度々の御供養は、法華経並びに釈迦尊の御恩を報じ給ふに成るべく候。弥(いよいよ)はげませ給ふべし、懈(おこた)ることなかれ。
皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が、中程は信心もよは(弱)く、僧をも恭敬(くぎょう)せず、供養をもなさず、自慢して悪見をなす。これ恐るべし恐るべし。始めより終はりまで弥(いよいよ)信心をいたすべし。さなくして後悔あらんずらん。譬へば鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩みをはこびて、今一日に成りて歩みをさしをきては、何として都の月をば詠(なが)め候べき。何としても此の経の心をしれる僧に近づき弥(いよいよ)法の道理を聴聞して信心の歩みを運ぶべし。」(新編日蓮大聖人御書大石寺「新池御書」一四五六頁~一四五七頁・弘安三年十二月 五九歳)


 正に「全ての歌に懺悔しな!!」(桑田佳祐)の歌は、私の為にある様な歌であり、私自身本人に当てて、歌われた曲であると、今は、断ずるもので御座います。

 まさしく、然(しか)なり。全ての歌に、私こそ、今こそ、断罪され、懺悔致します。

 改めて、私こそは、本当に、今こそ、全ての歌に、懺悔滅罪を請い願い、御祈念、致します!!



 御本尊様、非常に、私めの非道なる事共は、人心を惑わし迷わしめ、誠に申し訳御座いませんでした!!!

 信賞必罰、私を罰し、裁いて頂いても、誠に結構で御座いまする。それだけの非道を、私めは行ないました。その覚悟は出来て居りまする。この期に及んで、わたくしは、逃げも隠れも決して致しとうはございませぬ。どうぞ、御自由な御裁量で、私に臨んで下さいませ。自身、腹を切る覚悟は、出来て居りまする。

 しかし、もしも、かりそめにでも、御許しの御裁可が下りるならば、これ程の、いかようにも、わたくしめにとり、心嬉しき御大事な事共は、この世には、全く有り得ませんでしょう。全く御座いませぬ。
 それは、私にとり、至極、最上極上の、御許しの御恩恵による、寛ぎ、寿ぎ、慶びの慶賀の日々となるに違いないでありましょう。そうなればこそ、私自身、心を入れ替え、忠義仁義を尽くして、一層、貴方様へ仕える覚悟、所存で御座います。これ以上の、至上の慶びは、私にとり、最大限、有り得ない事で御座いましょう。
 尚の事、私めは、御本尊様の御徳・御遺徳・御功徳に浴するために、不自惜身命をお誓い致し、不滅の気持ち・心持ちで、三世永遠に亘り、命に代えてでも、貴方様へお仕え申す所存で御座いまする。
 故に、御本尊様御守護の気持ちに、偽り、不浄な気持ちは、一切御座いませぬ事共、御本尊様の御前にて、一生一代、渾身を振るいにかけて、身を打ち震わせて、この信条を、御本尊様へただ一心に御誓い申し上げまする。

 決定(けつじょう)として、決意致します。この真の心、天まで届け!!


 改めて、次なる、打ち続いて、この反省文を書いた日時。本日、2023年令和五年三月二十二日水曜日午前七時十五分過ぎ、吉日慶賀。

以上。不一。


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3 コメント

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光日坊御書p962 (OKSure)
2023-03-21 20:03:08
「小罪なれども懺悔せざれば悪道まぬがれず。大逆なれども懺悔すれば罪消えぬ。」

御本仏のご慈悲を信じて前向きに生きていきましょう。あくまでも、勤行・唱題根本です。
返信する
大聖人様の法華経の、人生の大道を、のっしのっしと、歩いてゆく、と言う事の意味。 (wainai123753)
2023-03-22 12:39:52
身に余る御教示、身に染み入る如くに、特に大聖人様の御言葉を胸に入らせ給いて、今日の日々を生き抜いてゆきたいと望み、また、罪滅ぼしの旅にでも出掛けようか、とも思って居りまする。
その旅とは、詰まり、ズバリ、今度の日曜日、三月二十五、二十六日両日の、日蓮正宗富士大石寺御登山を当然指します。
そこに於いても、当然、懺悔滅罪の御祈祷、御祈りを、大石寺内の奉安堂にまします、「三大秘法の本門戒壇の大御本尊様」への御目通り、内拝の、御参詣の居りに、必ずや願掛け、自身の罪滅ぼしの、御報恩謝徳、御祈念、を致して、綺麗さっぱり、自身が生まれ変わったと言われるよう、真人間に戻れるように、祈ってこようと、思い、自身を励まし奮い立たせて、願いつつ、考え続けて居ります。
どうか、今暫く、私の人的変化、変容を御見守りくださいませ。必ずや、私は変わった、生まれ変わったと、自身も他の多くの人々も、万人が認め得るような、素晴らしき人格に自身成り代われるように、これからも、尚、一層の、努力精進を重ねてゆく事をこそ、ここにお誓い、永遠、終生の、命続く限りに於いての、自身の励みとして、それを、その意志を自身で引き継ぎ、自分のものと為せるように、今後共に頑張り抜きます。人生に絶対に、手抜き、手抜かりは致しません。私は自身、神には成れなくても、鬼となって、鬼人と成り代わって、自身を高めつつ、志茂田景樹さんの小説「折伏鬼」の、戸田城聖先生の如くの、自身が折伏の鬼となって、鬼に成り代わり、凄みを利かせて、鬼になるんならば、必ずや、年内に、一人が一人の折伏を達成との、前御法主、第六十七世日顕上人猊下様の唱え出だした、その御教え、一年に一人折伏理論に則れば、猊下様の御指南に、必ずや私も従い、出来ない事など何もない、出来ないのは、自分がやらないからだ、自分のせいなのだ、何もかもが、懈怠謗法の自分を責めて、しかも、自分の利己主義とも戦いつつ、利他行
自行化他に亘る、人生の大道を、大股で歩き、のっしのっしと、雄々しき人生を歩んでゆく所存で御座います。

以上。よしなに。wainai
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尚、…。 (wainai123753)
2023-03-22 12:46:21
尚、ここで書いた事柄、Kさんの御意志に背くかもしれませんが、又もや、私のブログの本記事内に、移して、コピペ、コピーアンドペーストして、移動させて、これを公開することをお許しください。この記事が気に入ってしまったもので。私のブログ内記事ですので、一向、構わない、著作権は私にあります故。非情なる畏れは抱きつつ、申し述べます。
お願い、御頼もうします。

以上。よしなに。wainai
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