Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

確信・核心を述べない、そんな文章なんてあるのだろうか?!

2024年05月21日 17時33分45秒 | 日々雑感・エッセイ随筆文章・その日その日の想い
 私は昨日、gooブログの、毎日、日記のようにブログを綴る、続けてゆくコツ、のような誘いかけの文句があったので、次のように述べた。

gooブロガーの今日のひとことテーマ:ブログを続けるコツは?
Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

元々文章を綴るのが好きだったので苦にはならない。これが紙の日記なら数年で挫折してる筈。それよりも、好きなのにピアノが全然練習出来ていない。今はこれが深刻な課題だ。

 私なりに、お茶目さを出したつもりだったが、その中に、これはどこの誰とは名乗らせたりはしないが、次のような、ブログの書き方のコツを書いた人がいた。以下は趣意である。
 
 大まかに書き、全部、言いたい事を全て吐き出さない。要点をまとめて、形式的に、メモ程度で抑えて、自分を控える。

 多少の違いはあるが、こんな感じだったかも知れない。
 ここで、私が異を唱えたいのは、短歌や俳句でもないのに、その、文章に対して、余りにストイックに、ミニマリストの如くに、文章にけじめをつける、詰まりは、言いたい事の十の内、二、か、三くらいで抑えて置け、とこういう感じであった。
 私も、短歌を習っている関係上、その、短歌の歌と言うものは、主題が何かさえ、そぎ落としにそぎ落として、言いたい事の、十分の三くらい言えれば良い。とにかく、後は、読む人の意見に任せる事だ、とよく教わった。
 しかし、散文の、文章体の場合は、ちょっと違うのではないのか。
 或る程度、十のうち、八くらいは、説明が要るのではないのか。
 私の短歌の先生にも、私がブロガーだと知って、むしろ、私から教えを乞うが如くに、文章には、一定の、説明的なルールが必要なんでしょう?と聞かれたことがある。
 それに対する答えは、その通りですね。一応の、説明、簡単でもいいから、読者にどういう意味で自分はこう書いているのか、その状況判断が必要になる、と答えて置いた。
 或る意味、説明的な、導入部も必要だし、それを転じて導く、結果結論へとなだれ込む、勢いの様なものも必要だ。
 得てして、文全体が、冗長であってもならないが、説明がない文章、勝手に理解しろ、という文は、果たして読者に受け入れられ、読み手にとって、優しく、好ましい文体なのだろうか。
 それはくどくないに越したことはない。簡単明瞭を心がける。私のような、話しの良く脱線する者には、言われたくはないであろうとも思う。
 しかし、或る線引きで、一定程度の、説明的、読解力を増すための、書き手の一定の努力が必要であり、しかしそれが、ただ想像しろ、との、押しつけが、どこまで功を奏するのか、私は見ものであると、断言してこの文章の十のうち八は言えたものと思うのである。
 要するに、緻密に練り上げられた建築物と、プレハブ小屋のような、極めて簡素で、ありふれた、文章群との違いだろう。

以上。よしなに。wainai


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