Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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池田大作の陳腐さ2 日蓮大聖人のにの字もない

2019年09月05日 21時34分18秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 以前、創価学会員だった頃、創価の文化会館で行われた同時衛星中継に何回も行った。
 そこで、名誉会長の池田大作は、世界の、特に西洋の文学者について語る事が多かった。
 詩人ボードレールがどうの、ハイネはこう言った、ロマン・ロランのジャンクリストフによれば、とか、ロシアの文豪・トルストイは、ドイツのトーマス・マンは、とか中国の魯迅は、というのもあった。
 滔々と美辞麗句をこれでもかこれでもかとダラダラと並べ、池田は得意げに、ろれつの回らぬ舌と口で滑舌悪く話した。一応、世界文学の話なので、素直には聞ける。しかし、聞いている内に、何か池田の読んだ小説の大層な自慢合戦にしか聞こえず、内心嫌な気分になるのだが、これも仏道修行と感覚が麻痺してゆく私がいた。
 けれども、一応日蓮大聖人を信奉する団体が創価学会なのだが、その日一日、日蓮のにの字もないのだった。これには私は大いに不満であった。
 私は日蓮大聖人の仏法の話を聞きに来たのに、この人は世界文学や時にはフランスの政治家、ボナパルト・ナポレオンの話、世界の成功者の話など、皆、功名に長けて、宗教の話とは何の関係もない。次第にその陳腐さに気付き、足が遠のいて行った。
 この時点で、池田の、本当に読んだのか、あらすじだけ読んだだけのような話、世界の偉人の名前を列挙のオンパレードで、日蓮大聖人からも遠く離れ違背し、池田の読書録を誇示し自慢し、皆をそれで従えようとする池田教の素地は出来上がっていた。
 ある本で読んだが、どんなに借金取りに追われる程貧乏でも、毎日、クラシックの音楽、及び音楽家の話をしているだけで、束の間の浮世離れが味わえる気がした、という話を聞き、池田大作も、浮世離れした魔術をもって、日蓮大聖人の宗教の話を聞きに来た聴衆を魔で惑わし、自分を繕(つくろ)い、自分を飾り、別のプロセスで違う話題に持って行ったのだ。
 古今東西の偉人伝など、何も池田の講釈を垂れられるよりも、自分で本でも読んでた方がよっぽど為になる。その内、池田仕込みの、故ケーシー高峰もビックリの医学健康講座、池田仕込みの、落語講座、池田の株式投資、などもシリーズ化すれば出来たかも知れぬが、今はそれもかなわぬ脳梗塞と疑われる植物状態だ。
 そういうのを人の受け売り、と言う。
 だから池田大作は陳腐だ、と言うのだ。池田大作も、それ程持ち上げられる程の人物じゃあないって事だ。

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