Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

挨拶が、「南無妙法蓮華経!」となってしまう、なくて七癖。

2022年11月03日 10時32分56秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 私は今年、六月が七月、或いは八月ごろ、自分の作業所で、「お早うございます」、若しくは「こんにちは」と言おうとした刹那、何故か、「南無妙法蓮華経」という、御題目が自然と出る(出て)しまいそう(実際にそうなった)になり、困ってしまった事があった。
 それを、うちのお寺の、日蓮正宗無量山寿海寺に悩みのご相談に、お電話をすると、奥様が出られて、御住職様はご不在であられた。
 でも、そして、奥様は、仰られた。「『○○君(私の事)』は、きっと、毎日のようにお寺の唱題会に通い、一時間もずっとお題目をあげてるから、それが功徳、御利益、癖になって、挨拶の言葉が、南無妙法蓮華経って自然と出て来るんだよ。
 一生懸命やってる証拠だよ。頑張って!」と仰る。
  
 元副講頭の、前回記事にも出て来た、Kさんなども、仰られるのは、「凄いじゃない。○○さん。それだけ信心が深まり、高まってる証拠だよ。挨拶で、南無妙法蓮華経。いいじゃない。どんどんやって、そのままでいいんだから、ずっと、おやんなさい。○○さんの信心が凄い高度に高まってんだよきっと」と、どの方も、皆、異口同音にそう、南無妙法蓮華経の、御題目の効用、自然の発露を、素晴らしい功徳だ、御利益だ、凄いと仰り、ついでに、私を、褒める。
 
 これには、私は正直、迷い、戸惑い、困ってしまう。恥をかくのは、私自身である。皆、その場の、私が当然、挨拶で、「お早うございます」と言うに決まっている所を、私は、「南無妙法蓮華経」とやる訳だから、ちょっとどうかしている。
 
 それが、お寺の、皆の、講中の中では別の価値観、御題目が素晴らしいと説き、○○君(私の事)の信心のレベルがひたぶるに上がり、向上している、と、これが、一心に私を捉えられている。

 これも、私は失笑・苦笑するしかない。今では、余程気を付けていて、そういった事、失敗をしないように心掛けてはいるのだが、これ又、誰にも、私のそういった勘違い間違い、誰に対してその、「南無妙法蓮華経」が出てしまうかは、全く、確率論から言っても、保証のしようが全然なく、未知数であり、判らない訳だ。

 まあ、私も、若しも又、仮に、もうそうなってしまったら、ケツをまくってでも、もう諦め抜いて、実際に、それを言い繕うにせよ、誤魔化すにせよ、である。
 寧ろ、潔く、それらの御事を、私が、最後まで言い切り、その、御題目の大事の極意極説というものを、その場で、相手に説き伏せ、語り出してまでも、改めて日蓮正宗の御教えの御事の素晴らしさ、折伏行の、破権門理の、大仏教哲学の御話を私自身が天に、神々に、大聖人様に、大御本尊様に、畏れ多くも成り代わり、邪宗邪教共をその場で徹底的にバッタバッタと御成敗し、それに邁進するにしてでも、それは、その場に於ける、形成次第、その時はその時だと思っている。
 もうどうにでもなれ、なったらなったで、しょうがない、と言う心地・心境・境地であり、もう、そんな細かい事は、話の成り行き上、こだわったって、どうしようもない。
 そんな事は、小さな事は、今の自分にとって、どうでも良くなりつつある。

 以上。よしなに。wainai.


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