Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

決意。何を差し置いても、今こそは、『勤行・唱題』の時の時。唱題が、御題目が、全く足りてない。

2023年01月11日 15時41分48秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 御住職様にも言われている。「何を差し置いても、○○君(私の事)は、まずは最初に、朝の勤行、それも、朝の八時までに、絶対に取り掛かる。そして、夕べの勤行は、夕方四時を境に、絶対に、日を跨いだり、夜遅くやったりせずに、皆さんと同じように、夕方、日が沈む前、前後には、取り掛かりたい。わかったかい、○○君!」
 このお言葉に、如何に私が、極めて難儀を極めている昨今であろうか。二、三日前には、朝まで起きていて、それが、詰まり、夕べの、夜の勤行をサボってしまった。これをやると、必ずと言っていい程、私の場合、「罰」というか、現罰、現証が自身を襲い掛かる結果となる。
 それは詰まり、母との、母のホーム、施設での、面会がやっと許され、去年の十一月頃だったか、久方ぶりに、母と会えると喜び思った矢先、それも束の間、母との面会が、突如、その週の月曜日に、禁止、面会謝絶と成ってしまった。
 コロナの、世の趨勢もあるが、何と言っても、私が、その、前の週の、土曜日から日曜日に掛けて、勤行をサボっていたのが大きい。
 これが、災いしてか、母と、何か月振りで、会えるはずだった面会日が、事前に予約までしていたのに、取り潰しとなってしまった。
 母の施設も、コロナのクラスター発生となり、母は大丈夫だったが、三十人位、職員、利用者含めて、コロナ患者と成ってしまった。
 私の支援してくれている、福祉の関係者の方々は、皆、一様に、○○さん(私の事)の心配のし過ぎ、考え過ぎですよ、というが、私は、ピタリと当たる、それら、自身の所業・悪業・罪業によって、こうも、原因を作り為すと、結果が、こうも出て来るのか、という実際上の現実の、事実に怖れを為す。これ以上の、恐怖は、全くない。ピタリと、本当に、よく出て来るんだから!
 それも、うちのお寺の、現副講頭の、B場さんなども、今の、お寺や、現宗門、日蓮正宗では、そんな、罰なんか説かないナイ、と言うが、私は実際上、これは、現罰を食らった者じゃなきゃ分からないと思う。
 この、信賞必罰のシステム、方程式に則り、私は、非常な、やればやっただけの、褒美というか、賞されるが、やらなければ、必ず罰せられる、その、一事にのみ、興味関心を、抱きつつ、これは、必ず、やらないといけない、勤行、朝の五座、夕べの勤行の、三座は、この両方を一日に、それらを片方ずつ別々に、朝な夕な、必ずや、日蓮正宗信徒には、必須で、必至の、必死で取り組まねばならない、御勤めなんだなあ、と思い致して居る次第。
 やはり、御本尊様の、中央主題の「南無妙法蓮華経」の御題目の御文字の外に、右肩に書いてある、「若悩乱者、頭破七分」。左肩に書いてある「有供養者、福過十号」の、あの御文字が、重きを為し、日蓮正宗の、重要な御教えの、怖ろしいまでの、御力のある、信賞必罰の、御利益の源泉・根源が、あの御文字、それが、御本尊様の実態、御不敬したのか何か、罰が当たった時の、それはそれは、怖れも多いが、それを信じ切り、それに対して、御供養のそれを以ってして奉って奉仕した日には、それはそれは、無上の福徳と成って顕れ得る事実現実。

 それは、御本尊様のみならずに、御信徒の皆様への日頃の扱い方、自身の匙加減、自身のそれら方々への振舞い方如何にも、如実に顕れると言って良い。

 御信徒の皆様を軽んじれば、自分が、堕地獄行、罰を当然、受ける。それだけの立派な方々が、御力を持った存在の根源力・総体が、その、日蓮正宗信徒の方々のそれらの、一切の実態、真相、実相、真実なのである。だから、当然、お力を持ったそれら方々を軽しめる事などは出来はしない。
 それが、御法主上人猊下様、御住職様をはじめとする、御僧侶方、寺族の方々などと言ったら、それは言わずもがな、畏れ多くも有り過ぎ、私など凡下の身では、只、膝下にひれ伏すのみである。

 それが、日蓮正宗の、現実・真実・実際なのだろうと、自分の心の内で拝察し、納得し、思い致す次第。

 ※編集後記

 本日の朝の勤行は、今日は、本日、これからの、今年の手帳やカレンダーにての書き込みに勤しみ過ぎ、時間をかなりオーバーしてしまい、朝ご飯を食べるのも忘れる位それらに熱中・集中した挙句、昼過ぎに朝と昼のご飯を一緒にとり、その後、朝の勤行と、夕べの勤行を、一遍に、合わせて、朝五座、夕三座の、計八座の勤行と、それに、三十分間の唱題行を加えて、八十二、三分間にわたって、極めて早口だったが、行ってしまった。
 しかし、これは、やってはいけないやり方の勤行であり、自分は、自身極めて疲れた。若い時とは、違う事に留意しないといけない。若い時も、こんなヘンテコ勤行は、やった試しなど無く、全くやってはいなかった。これが、この疲労困憊感が、この行の、即ち、罰なのか?
 まあ、声も大きく、昼で外も天気が良く、暖かだったので、外の窓を開けて、外気を入れながら、暖房も消して、行った。気分が非常に晴れて、良かった。あっぱれ、晴れがましいとは、この事だ。
 しかし、前の文章で、御住職様も言っていたが、朝八時まで、が守られていない。夜の四時までかそれ以降、は、これは、御住職様に聞いてみたら、別に、昼の一時、二時にやっても、特に、夕方四時前でも、昼下がりのいつでも、それは一向に構わないと仰る。
 別段、夜四時以降も、夜の十二時ピッタリ夜半を越えない限り、差し支えないという。夜零時を過ぎれば、次の日の、静岡県富士宮市にある、日蓮正宗総本山富士大石寺にて行われる、朝の勤行、御法主上人猊下様の、深夜二時半から執り行われる丑寅勤行、次の朝の勤行と同じ位格になってしまう。
 ともかく、今後の課題としては、私自身が、一切、朝の勤行に取り掛からずに、朝の食事も摂らないで、PCに熱中し続けたり。電子辞書に調べる事に熱中し続けたり。音楽を聴き続けてしまったり。ゲームに熱中し続けたり(これは今の所、一切ない。)。勉強に熱中し続けたり。本を読み耽って熱中し続けてしまったり(それは今の所、一切ないが)。テレビ等を見続け、阿呆のようになってしまったり(それも今の所、ない)。
 ガラケー携帯でメールを打ち込むのに熱中して続けて見たり(これは、退院後、良くやっていた。非常に今でも注意をしないといけない。特に携帯宛のショートメールには気を付けたい。音が鳴り、人を不安にさせてしまう。人様に迷惑だけは掛けない自分でありたい。)。
 Tel.電話をするのに夢中になり続け、時間を忘れて、時間を費やす。いわゆる、電話魔、と化す事、これがコワい。
 私の携帯電話は、通話無料なのを良い事に、余計な電話通話を多くの方々、特に、私の福祉関係者の方々、お寺の関係者の方々、に、実に多くの時間を割き過ぎて、多くの邪魔を、場所も時間も場合も、私が横取りして、取り上げて、使いまくると言う状況が時々ある。
 これを、全く改めないといけない。
 御住職様も、○○君(私の事)は、話が一方的過ぎて、皆付いて行けないよ。言葉のキャッチボールが出来るように成りなさい。話は三分間・一分間の短文にまとめると良い、と実に事細かに、おこぼしを、というか、御住職様なりの私への励まし応援、御諫め、御忠告・御忠言を、私に直接電話口で仰られた事がある。
 こうなると、私も絶賛、反省を加え、致さないといけない。自分が招いた、自らが招く、多弁、駄弁を弄する事を、どうにかして、口のチャックをしてでも、決死で、阻止しないといけない。人様の前では、絶対に!

 御本尊様、仏様の大聖人様、諸天善神の神々様、どうか、この私めの、話好き、多弁、駄弁が、治り、癒され、それらの根源の、日々毎日の、やり場の無い虚無感・孤独感が、癒される日々が必ずや来ますように!

 この文章体も、どうにも、駄文・多弁に過ぎて来たので、この辺で、勘弁したいと、自分自身、余りに酷く無念・残念至極で、無慙極まる所業結末に、ここら辺で終了したく存じ上げ、非常に慚愧に耐えません。見苦しき面体、以後、気を付けます。

 非常に長文失礼致しました。誠に、これにて、失礼致します。(去り際が見苦しい。)

 結論。それもこれも、私の唱題、御題目が足りてない事による、泣き言、うめき声、愚痴蒙昧の数々の仕業、所業、罪業が全ての根源と、この時、今、現時に於いて見抜いた次第。

 それはこれは、絶対に、仕留めて、自分が孤独で寂しいなんて言うのも、これら過去世や現世に於ける、罪業・罪障消滅の御祈りを、勤行唱題、特に御題目の唱題行にて、己心の魔にやられている状態が今だから、何て言ったって、唱題が足りてないんだから、尚、一層の、自己精進、自己反省、自己向上、自他共への折伏行、自行化他に亘って、自ら汚名を返上し、晴らし、実生活上に於いても、魔になど負けずにめげずに、実行に移し、即、行わなければいけない。

 これは、自己に命ずる、至上命題、命令、戒告である。
  
 唱題が、御題目が、何と言っても、まだまだ全く完全に非常に絶対的に圧倒的に足りない。情けない程、足りていない。自分が、愚か者に感ずる一瞬間。人間としても、最低、最悪の部類の境涯を、正に六道輪廻を、否、勝負、勝敗にこだわる自分は、四悪趣、修羅界の、人と自他と争い、さまよい歩いてるんだ、と。
 悲しむよりも、何で即、実行しないのかと。それを、大聖人様は実際上の、実行力、行動で示すんだとする「事の一念三千」法門で、何度も口を酸っぱくして仰られて居られるのに。この私のザマは、一体、何?
 
 一切の全ての、全てを改める、悔悟のチャンス、時期が正に今だ。今がその、この時の時。今時に在り、と我が身を省みる。
 
 極めて、改めて、反省。
 
 『すべては唱題から』(総本山第六十七世日顕上人猊下御教示、の「御本」の題名から)

 すべてを開くカギは、『唱題』にあり、とみた。

 以上。よしなに。wainai


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