Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

法華講員の基礎知識、ハーモニカ、宗教一人語り、異流義について

2023年09月26日 09時39分34秒 | 朗読版・折伏破権門理・邪教破折日蓮正宗御本読上げ・勉強趣味楽器演奏動画特集
法華講員の基礎知識、ハーモニカ、宗教一人語り、異流義について 法華講員の基礎知識、複音ハーモニカC調にて、君が代演奏。宗教論とまではいかないが、日蓮正宗宗門と、創価、顕正、正信の、異流義を破折し、批難、批判し、正しい宗教、仏法、仏教の、日蓮正宗法華講に寸心を改めて大挙して戻って来る事を念願して、言葉を結んだ。以上。よしなに。wainai 

郡山市立大槻小学校、担任教師・秋山芳子先生の教育法その4

2023年09月26日 05時20分36秒 | 学校・教育特集・学生生徒時代の想い出
 いよいよ、秋山芳子先生が裁判長となって、私にとっては、転校のまだ初日の日なのに、こんな目に遭った、私達が裁かれる、「裁判」が始まった。
 先生は、誰がその発端となったのか?と訊いた。
 私は、その二人の生徒に言い寄られて、それから、今回のように、一方的に、暴力を振るわれた、と言った。
 その二人の、K林と、K野は、僕らがせっかく遊ぼうと誘ったのに、無視された、と言った。
 そこで先生は、それら双方の意見を聞き、見た上で、じゃあ、それが本当ならば、それをそばで見ていた者はいないのか、と改めて尋ねた。
 そこで、出て来たのが、先程も紹介した、A藤君で、「○○君(私)は、ジャングルジムで遊んでいました。そこから降りて来た○○君が、どこかへ行こうとしていたら、この二人が、無理やり、○○君が遊びたくない、と断ったのに、強制的に、自分に従えるようにして、最後は、教室に来てまで、この二人は○○君に付きまとい、暴力を振るいました。」と私の言葉、行動を、弁護してくれた。
 秋山先生はそれを見て、聞き届けて、K林、K野、とその二人の名前を告げて、クラスメート皆の前で、○○君(私)に、謝りなさい!と言った。
 そうして、あっけない程に、その二人は、ごめんなさい、と言って、私に謝った。
 先生は、私に対して、「許しますか?」と訊き、私もしょうがないので、「許します」と言い、そこで、双方、和解となった。

 それから、秋山先生は、何事も無かったの如くに、授業を再開して、裁判は終了した。 
 
 その授業の終了後、その、K林君と、K野君が、改めて私の元へとやって来て、さっきは御免、また、今度一緒に遊ぼうね、と言ったので、私も、いいよ、と言った。これにて、仲直りとなった。
 それ以来、この二人とは、小学校、中学校を通して、一緒につるんで、いつも仲良く遊ぶ、遊び友達となった。
 今は、連絡は取っていないが、この内の片方の家の親が、私の家の近所に移り住んでいる。その親の息子の友達は、郡山市内の、帝京安積高に行った。
 もう一人は、高校を、鏡石町にある、岩農、県立岩瀬農業高校に行っている。
 この最初の時は、私は一生、恨んでやろうと思う程の、酷い扱い、侮辱に思えたが、秋山芳子先生が裁判長を買って出て下さって、私達の友情も芽生えたのだ。
 この秋山先生は、こうやって、良く、生徒同士の問題が起こると、「裁判」と称して、先生が裁判長役となり、問題を起こした生徒同士を被告原告として、皆のクラスメートは、陪審員というか、傍聴席にいる証人として、即席の裁判の審判をして、最後は和解に持ち込み、生徒同士を仲良くさせて、クラスの問題を上手に解決に導く教育法を、先生は率先して自ら行った。
 秋山先生とは、私が、小学校、中学校を卒業し、私が進学校の福島県立安積高校に合格した時に、その頃、個人情報など問題にはされない時代に、私の合格を地元新聞紙面に合格者氏名が発表されたのを見た先生は、真っ先におめでとう!と、我が家に電話なされ、私とも、どんな事を話したのか、今は覚えていないが、数分間、先生とお話した。
 秋山芳子先生はこの大槻町が、自身の小学校勤務で余程気に入った土地であったと見えて、住む住居の拠点を、市内の市街地、確か、菜根何丁目から、この大槻町へと、移り住んだ。 
 その後、私は、何度も、私の近所で、御高齢になられた先生の姿を、それも元気に自転車に乗られる御姿を目にしていながら、こちらからは何も、声掛けも出来ないまま、それからしばらくすると、先生の御姿が見受けられなくなってしまった。
 先生が今も御無事で御元気で居られればいいのに、と、一人、いつも私は考えて、思い続けている。
完。

以上。よしなに。wainai

郡山市立大槻小学校、担任教師・秋山芳子先生の教育法その3

2023年09月26日 05時00分56秒 | 学校・教育特集・学生生徒時代の想い出
 私は、少し、この小学校に、幻滅を懐いていたような気が、今から思えば、していたのではないかと、思い返している。
 そうして、給食が出て、食べ終わり、昼休みは、校庭に出た。
 そこで、皆が遊んでいる所を、私はその時は六月頃であったが、ズボンのポッケに両手を突っ込み、そこに佇み、ただ、皆を見詰めていた。
 そして、ジャングルジムに登ったりもした。それから、降りて来て、ある、これは、私のクラスメートの、K林君と、K野君が、私に近づいて来て、こう言った。
 「○○君、遊ぼう」
 私は、誰がこんな田舎っぺと遊んでやるか、という気持ちで一杯で、一人斜に構えて、居丈高であった。だから、それを無視して、どこか、別の場所へと、一人で足を向けて、一人で遊んだ。尚、その場の証人と後になる、A藤君が、その場を見守っていた。
 それからだ。教室へ帰ると、私にとり、地獄が待っていた。
 その二人が、せっかく僕らが誘ったのに、コイツ(私の事)は言う事を聞かずに、無視したんだ!と私に因縁をつけて、訴えた上で、私に実力行使で、何と、私に、暴力を振るって来た。教室内においてであった。
 私はそれをすり抜けて、教室中を逃げ回った。すると、足元が、机に引っ掛かり、私は転んでしまった。
 そこへ、K野が、私の体の上にまたがり、私の事を殴ったり、私の頭の髪をつかんだりした。
 私も負けていられるか、と、そいつを逆に下にして、私もそいつを殴り倒したり、髪をつかもうとした。
 しかし、そいつは、私が神奈川県では、誰も、短髪の子なんて見た事もない位、関東風の皆が長髪であり、私もそうだったが、そのK野は、短髪の、クリクリの坊主頭で、髪をつかもうにも、中々つかめない。
 そこで私は思い切って、頭ごと、そいつの頭を持って、地面の床に何度も叩き付けて、そいつをぐうの音も出ない程、痛めつけた。
 すると、担任の、秋山先生が、ちょうど、教室に入って来て、全てを見て取り、こら、何をしているのですか!と言って、私達の間に入り、これから「裁判」を開く、ここにいる全員、席に着きなさい、と言い渡した。
以上。よしなに。wainai

郡山市立大槻小学校、担任教師・秋山芳子先生の教育法その2

2023年09月26日 04時49分34秒 | 学校・教育特集・学生生徒時代の想い出
 何とか、一度も自己紹介など、私の人生上、行なった事の無かった私が非常識でもあり、母や担任の秋山先生に教えを乞うて、自己紹介を終える事が出来た私は、席を案内されて、その席に着き、授業を受けた。母は、安堵して家に戻った。
 私は、その日の国語の授業中に、一つ気付いた事があった。それは、国語の教科書の、文章を読んでいくそのクラスの生徒の誰もが、何か、おかしい感じがして、しょうがなかった。
 それは、イントネーション、発音が、まるっきり、言葉の抑揚というものが、川崎の小学校の生徒とは、違う事だった。田舎風の、語尾を下げてわざと読んでいるような、決まりきった読み方。
 何とも言えない、この、平板なアクセント。この日の後の日々で、私の朗読の番が回って来た時、私が、東京の、NHKとまでは言わないが、アナウンサーの如く、発音をしっかり、東京語のイントネーション、アクセントで教科書を読んだ時、読む度ごとに、秋山先生は、私を絶賛して褒めて、○○君のように、皆も読むんだよ、と言って、私を褒めてくれたのが、私にはとっても嬉しかった。
以上。よしなに。wainai

郡山市立大槻小学校、担任教師・秋山芳子先生の教育法その1

2023年09月26日 04時32分47秒 | 学校・教育特集・学生生徒時代の想い出
 私は、昭和五十年代、小学二年生の頃、神奈川県川崎市から、ここ、福島県郡山市へと転入、小学校も、川崎市立下小田中小学校から、郡山市立大槻小学校へと転校した。私の教室は二年三組だった。
 その、最初の登校日、私は、自己紹介で、担任の秋山芳子先生から、私がどこの県、地域の学校からこの郡山に引っ越して来たかをかいつまんで紹介した後、○○君(私の事)、自己紹介して下さい、と言われた。その時、母も同行同伴していて、皆の、クラスメートのいる教室の一番後ろで、母は私を見守っていた。
 私は、顔を真っ赤にして、非常に恥ずかしくて、何にも言う事が出来なかった。こんなに、皆の前で、自分の意見を述べる事など、今まで言った事もやった事もなかったからだ。
 私はただ、もじもじするだけで、一人でパニックまではいかなかったが、一人、恥ずかしがって、笑みを浮かべて、一言も発せなかった。
 クラスのみんなは、それを、その状況を見て取って、どっと歓声、というか、クスクス笑っているのが、私には認識されて、余計に、私は話す事が出来なかった。
 そんな時、母が、「初めまして○○(私の名前)です、って、言うのよ!」と私にはっぱを掛けても、私は余計に、もじもじして、何にも考える事も、話す事も出来ない、何か、罰ゲームでも与えられてるような気がした。
 秋山先生は、それを見て、○○君、先生の言う事を、後をなぞるように、繰り返して、後から先生の真似をして、言ってごらん、と言い、私は、初めまして、○○です、よろしくお願いします、と何とか皆の前で自己紹介をして、その場を切り抜けた。
以上。よしなに。wainai