Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

元副講頭KさんとのTEL、自身の境涯の低さ加減、やっと思い知った自身の境涯をお互い高め合うという事共を

2023年09月24日 16時39分29秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 私は今日、元副講頭の、栃木のKさんと、電話で話した。
 その内容たるや、ほとんどが、私の住む周りの地域の、住む人種の、悪い噂の類、勝手な私の、悪口だらけで、実際、私の周りに住む人間は、悪い感じの人ばかりだ、と訴えるものだった。
 それを聞いたKさんは、それでは、おんなじ境涯、同じ土俵であり、何の進歩もない、今日はどうしちゃったの?せめて、不軽菩薩のように、相手の中に住む、仏性を呼び起こすような、相手の良い所も見なくちゃ、という。
 しかし、私は、それも、法を下げるのみであり、相手に微塵も、仏性などは見当たらない、ろくでもない、箸にも棒にも掛からぬ程の人間達ばかりなんだ、と言い切り、いい募った。
 それでKさんは、そういう人達にも、本当は仏法を語らなければいけないし、そして、そういった、下ばかり見ないで、上の方を、自分の規範・模範となるべき、上を見上げないといけない、というので、私は、ここには、そんな良い、人間的に尊敬出来得る人など、皆無に近い、といった。お寺には、一杯、そういった、信用に足る、立派で徳のある人、見習える人がゴロゴロいるけれども、といった。
 そうして、Kさんは、それならば、本を読んで、それも良い本を読み、その本の主人公その他の人物や、その尊敬する作者作家に近づける程に、本でも読んでみたら、といった。
 そうですねえ、それも私の考えにはある、と私も言い、確かに、私の今日の、今の自分は、下ばかり、そうした、愚劣な、自分よりも劣った世界ばかりに注目していて、ちっとも、上を目指さず、ただでさえ、境涯が下がりっ放しである事に気付いた。
 Kさんは、後は御題目だよ、といい、電話をそこでお互い切った。
 後になり、今こうして電話を掛け終わり、こうやって、私の愚痴に付き合ってくれる人の存在の有難さを、相手にはホントに迷惑だろうけれども、そんな判り切った事すら判らない、この分からず屋の私めを、軽くは扱わずに、そうやって、育成に、Kさんなりに、この日蓮正宗法華講に於いて、私というこの世で一番、こんなちっぽけな存在の自分ですら、大事に扱ってくれているのかな、などと、その人の情け、有難さを思わずにはいられない、日曜日の午後のひと時であった。

以上。よしなに。wainai

新・堕落論、石原慎太郎著。後はハーモニカ

2023年09月24日 09時24分43秒 | 朗読版・読み上げ一般書籍読書社会情勢・勉強趣味楽器演奏動画特集
新・堕落論、石原慎太郎著。後はハーモニカ 少しずつ読み進めている、新・堕落論、では、石原氏が、「教育勅語」について論じています。私には、勅語は難しかったですね。それから後は、複音ハーモニカC調、Am調で唱歌、童謡です。以上。よしなに。wainai 

或る本を読むも、最初で朗読挫折、というか、合わない本であった

2023年09月24日 08時18分25秒 | 朗読版・折伏破権門理・邪教破折日蓮正宗御本読上げ・勉強趣味楽器演奏動画特集
或る本を読むも、最初で朗読挫折、というか、合わない本であった 「自民党、公明派、15年目の大罪」古川利明著、を読んだが、肌に合わず、読むのを止めにした。安倍さんを、悪く言う感じの出だしで、私は受け付けなかった。公明党が大嫌いなのには、私は不変であるが。その他、私の近況報告。共産党批判も繰り広げる。 最後はハーモニカで君が代。以上。よしなに。wainai 

私にとっての、シンガーソングライター・歌手「柴田淳さん」と個人的なファンとしての関わり・立場

2023年09月24日 06時14分12秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集

 歌手・シンガーソングライターの「柴田淳」さんとは、私は、深からぬ因縁がある。
 私の母が骨折で太田西ノ内病院に入院していた2014年夏頃、私は、その頃から愛聴していたラジオ機器の愛機、ソニーのICFーEX5MK2で、ちょうど、短波放送のラジオ日経を聞いていた。
 すると、皆、1970年代の曲なんだが、非常に情感があり、しかし、あっさりと、さりげなく、けれども印象に残る歌を、ある女性歌手が歌っていた。皆、カバー曲であった。
 私は、しばらくは、その音楽を聴いて、その綺麗で見事な歌いっぷりに感動して、その場で聞き惚れていた。
 しかし、その最後の曲を流しても、ラジオ日経では、一切、歌手名を言わなかった。
 私は、当時、ネットを調べに調べて、ようやく、誰が歌っているのかが判った。
 それが柴田淳さんだったのである。
 そうして、彼女の曲を買おうと思ったが、CD屋さんに行くのも忙しい程、毎日のように母の入院先の病院に通い詰めに通っていたので、どうしたら、あの、名曲群を買えるのか悩んだ。
 しかし、ダウンロードで曲が買える事が判り、改めて購入した。
 それ以来の、私の柴田淳さんの長いファン歴なのである。
 私は、そのカバー曲集の他にも、その楽曲を皮切りに、彼女の独自の作品群の森の中に入って行った。
 それは、当時、母は入院していて、私一人の、孤独な、今と同じ如くの、一人の家での暮らしぶりであり、それら、柴田淳さんの楽曲は、そんな孤独な人の人生、心を慰めるには、非常に、その歌詞、曲調からも、ピッタリ寄り添ってくれたのである。
 だから、私は、興味本位とか、容姿、単に歌が上手いだけで、彼女、柴田淳さんに、ファンとして付いて行っている訳じゃない。
 精神性、心の結び付きが、バックボーンがちゃんとあって、私は、ファンとなっている。
 その点を、S福祉協議会のヘルパーのKさんには、曲を流す度に、ボロクソに言われていたが、それら彼女の歌、楽曲群が私の孤独を慰め、鼓舞してくれた楽曲だったんだ、という事実を、本当本来ならば判って欲しかった。
 私が、この柴田淳さんという、そのヘルパーさんにしたら、無名の、得体の知れない歌手、と、ただ単に思われたのかも知れないが、私にしたら、孤独を救って頂いた、大恩人ともいえる人なのである。
 そこが、そのヘルパーさんと、私との、大きな差、である。私の言葉足らずもあったのだろうが、私の孤独な精神性を正に支えてくれたのが、歌手の柴田淳さんであった。これは、否定しようがない。たとえ、ヘルパーさんの好みの人じゃなくても。
 人間とは、悲しいものだ。自分の気持ちなど、他人から見れば、私の心の中をも、折角手にして、得た幸せや平安をも、簡単に蹂躙され得るような目にも、時として遭う。その人は、何ら悪気がなかったとしても。
 私は、それらの事共を、今度は、柴田淳さん、しばじゅんの曲を聴くたびに、思い返し、思い出すように、刷り込まれてしまいそうな感覚を懐くような心持が、常に付きまとうようになってしまった。
 けれども、私は、しばじゅんのこれら楽曲は、それら、ヘルパーさんに出会う前から、元々、母の入院時代からの付き合いなので、そんな偏見には屈する事は出来ない。柴田さんの楽曲は、私の正に生き甲斐だから…。
 私は、これからも、柴田淳さん、しばじゅんの曲を、相も変わらず、熱心なファンとして、いつでも、聴き続ける事であろう。それを、幾ら、赤の他人に邪魔立てされたとしても、これからも、それら文句に聴く耳は持つまい。それだけの自信は自分には強烈に、あの母の入院した日々の、私の孤独だった毎日からは、導き出された、これは、縁としかもう、言えないものである。
以上。よしなに。wainai