Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

創価学会への疑問3

2019年12月20日 20時39分20秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 これも創価学会男子部の会合に出た時の話だが、その時創価幹部が、わざと声を大きくしてマイクを握りしめ、ニコニコと得意然として喋った。
 「皆さん、郡山の寿海寺の菅野蔵道(御尊師・御住職様)が、葬式の席上、何を血迷ったか、昔話の足柄山の金太郎の話をして不興を買ったそうです」
 皆、訳も分からず、ドッと笑い声が上がる。私は笑わなかった。そんなに皆で笑う程、おかしな話だろうかと。
 葬儀の席上、今を生きる人々に対して、昔話の一つや二つをしたからって、ちーっともおかしくない。寧ろそれは現世を生きる人へも、亡くなった方へも、ひとつのあり方、ひとつの励ましではないか。
 それに、足柄山の金太郎は、私の生まれ故郷、神奈川県西部地方の今でも語り草になっている伝説、伝承であり、私達のヒーローだ。私は無性に、その場は創価の文化会館であったが、この御僧侶のお話しを是非とも聞きたいという気分にその時支配された。
 私は、とてもじゃないが、そこの大多数の学会員達の嘲笑を聞いても、一緒に笑う気にはなれなかった。その日は、私は創価の俗悪性、根性の悪さを内心、感じつつ、創価学会への疑問をひたひたと感じて家に帰ったのであった。

創価学会への疑問2

2019年12月20日 19時42分08秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 これも以前の創価学会への疑問だが、男子部の大事な会合が市役所そばの以前の福島文化会館(現在は郡山中央文化会館)であり、私も出た。
 そこで朝だったので、当時の流儀で、五座の勤行を男子部皆でやった。
 しかし、当時から、もう誰も勤行を五座までやる人は少なく、私は楽勝だったが、五座の終わり頃、周りの男子達の顔を見ると、十中八九、顔は蒼白、口には泡を浮かべて、這う這うの体(ほうほうのてい)だった。
 私は、おいおい、皆、そんなに五座って大変?と皆の顔を見て、見てはいけないものを見た気がした。その話を、最近、お寺の年配の同信の方に言うと、それはそこの責任者の指導が悪い、普段からきちんと勤行の作法なんて、創価は教えないのかねえ、と疑問を呈していた。
 更に疑問に思った事は、そこの責任者、と言うか幹部の話があった。勤行の話で、「最初の方便品の時の如是相。如是性…と続く十如是があるが、あそこを二回読んだり、三回を四回読んだりするなよ。罰が当たり、”コワイからな!”」と恫喝した。
 日蓮正宗だって、そんな事は言わない。罰論を持ち出したり、何がコワイのか、何故コワイのか、その理由も言わない。そんな恐怖を植え付ける指導なんか日蓮正宗では御住職様も上の人も誰も言わないし、しない。これが創価流のどやしつけ、恐怖の指導なんだなあ、と今は思う。
 そしてその幹部は、目を甘ったるく、甘えたような口調で、池田大作を賛美し始めた。曰く「池田センセーは、いつも新聞や同時中継では背広姿だが、普段は本当にゴルフでもするスタイル、ポロシャツにズボン、勿論ネクタイなんかしてない、本当にラフな格好でいらっしゃる。私はよく池田センセーの御そばについているが、本当に飾らない、素晴らしいお方なんだよ」と語っていた。
 私は、はっきり言って、池田がどんな格好をしようが興味がない。その時、池田大作が背広じゃなく、普段着を着ていたと言われても、「あ、そう」としか思い浮かばなかった。そうやって、池田本仏の神格化を一方では着々と進めて、片一方では、我ら庶民と、そっくりそのまま身近な所に居て、庶民の気持ちがわかる池田センセーを演出してるのね、ふーん、としか思えなかった。
 兎に角、今思うと、噴飯もの、池田教、ここに極まれり、邪教の中の邪教、邪教の世界の王様帝王、創価学会。池田教、池田センセーに全てを頼り、全てを任せ、全てを託し、全てを捧げる、という、創価学会への疑問、ここまで会員を愚弄した者達への怒りしか湧き上がらないのである。

創価学会への疑問1

2019年12月20日 19時04分18秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 以前、今から二十数年前、私の地区の創価学会の座談会で、今でもその人を覚えているが、その当時三、四十代だった男性学会員が、昔を懐かしんで、皆の前でさも嬉しそうに語った。
 曰く、その人が高校生位の時、郡山から皆でバスに乗り、静岡県の総本山富士大石寺にお参りした。大御本尊様を見て感激し、あれだけ疲れていたのに、帰りの車中では元気がモリモリ溢れて来て、ああいうのを御利益、功徳というんだなあ、とその方は遠くを見るように感じ入り、当時を楽しそうに振り返っていた。
 その時の創価学会は、日蓮正宗とは反目状態で、お山なんて登っちゃ絶対ダメ、という風潮が蔓延していた。その男の人の体験談は、本当はいけない事だが、幹部も座談会に来ておらず、創価内では黙認、皆、当時を懐かしむ人もいた。
 その、当時三、四十代で、血色が良く、背の高い、少し太ったその男の人が、そこまで言うんだから、当然日蓮正宗に改宗し、勧誡でも受けているんだろうと思い、私も創価を脱会したが、今のお寺で、残念ながらこの男性にはお会いしていない。
 その話をお寺ですると、その男性の名前は?と聞かれたが、最初から名前など聞いておらず、知らなかった。迂闊(うかつ)だったが、しょうがない。H田さんというお寺の方も、そうやって大石寺がいい、お山は良かった、なーんて言っていても、学会の幹部の言う事や聖教新聞等に騙されて、すぐ心変わりしてしまう、そんなもんです、とあきれ顔だった。
 どんなに日蓮正宗、富士大石寺、大御本尊が良いと判っていても、一線は越えられないのか。
 私も、昔、ここ何年も、学会員には言わずに、うちで母にしょっちゅう創価への疑問、日蓮正宗への憧れ、回帰を訴えた。母も同じく、あんたがそういうなら、それも仕方ない、と同意していた。
 母と栃木県黒磯の我が家の土地を見に、母の運転の車で四号線を南下する。須賀川市を通り、途中、広宣寺という日蓮正宗のお寺を見ると、母も「寄って行こうか?」と聞く。私は、曖昧な返事で、「又今度ね」とか言って中々踏ん切りがつかない。
 創価を脱会するという事は、やってしまえばとても簡単だが、当時は中々決断が鈍り、チャンスを逃していた。
 私だって、三年前の、交通事故の被害者にならなければ、郡山市日蓮正宗無量山寿海寺の信徒になる事もなく、全く疑問も不審にも感じず、未だに創価会員として依然として創価の害悪の被害者だったかも知れぬ。
 それ程邪宗教の害毒とは気付いていても何も気が付かないものなのである。
 時間はあっという間に過ぎてゆく。人生もあっという間に過ぎる。正に、日蓮大聖人の言う「万歳(ばんさい)を悔ゆる事なかれ」であり、いつまでも決断力が鈍ると、人生が後悔の残る生き方となる。悲しいが、それが現実だ。