正しい食事を考える会

食が乱れている中どういう食事が正しいのかをみんなで考え、それを実践する方法を考える会にしたいと思います。

稲作伝来ー明治11~昭和17

2009-11-17 | Weblog
出典「米の知識」(国際出版研究所)
明治になってから、米の生産と消費は大きくレベルアップしました。これについて安藤氏が関係統計を整理した表があります。
年  〈  生   産   〉〈 消                費 〉
   田面積 生産額 一反当 人口 前年生産額 輸移入 消費額  一人当 1日当
明大昭 千町 千石  石  千人 千石  千石  千石   1年石  合
11-20 2,582 31,798 1.235 37,459 30,485 268  30,190  0.806  2.2
21-30 2,756 38,267 1.389 40,710 38,964 103  39,066  0.960  2.6
31-40 2,861 44,383 1.551 45,221 42,731 2,874 45,655 1.010 2.8
41-6 3,006 52,915 1.759 50,986 52,363 2,491 54,854  1.076 2.9
7-2 3,137 58,461 1.863 57,937 57,718 7,615 65,353 1.128 3.1
3-12 3,212 61,613 1.918 66.737 60.277 11,110 71,387 1.070 2.9
13-17 3,187 63,514 1.992 73,276 63.423 12,904 76,327 1.042 2.8
(明治11年=1878年 昭和17年=1942年)(1石約150kg)

これに見るように明治の初めから第二次世界大戦に至る70年間に全国の水田面積は約1.2倍に増え、単位当たり収量も60%増えています。

 ところが米の消費需要は、こうした生産の伸びを更に上回っていきます。

 江戸期まで停滞的であった我が国の総人口は明治以降急増傾向をたどり、同じ70年間では倍増をしています。しかも、一人当たり消費量が江戸末期の1日2合レベルから3合(約450g)れべるまで高まっていきました。このため朝鮮・台湾からの外地米を中心とする移・輸入米依存度が高まっていきます。第2次世界大戦の時点で移・輸入米依存度は約17%でした。

 なお、明治以降の米生産力の向上をもたらした稲作の技術革新の性格については、いうなれば伝統と改良の二人三脚方式であったのが特徴です。つまり平均1町歩程度の稲作中心の小規模な家族経営という基本構造の上に、外来文化の近代科学技術を積極的に摂取し、農業技術革新を進めたのです。



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