正しい食事を考える会

食が乱れている中どういう食事が正しいのかをみんなで考え、それを実践する方法を考える会にしたいと思います。

「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」日本市場開拓計画の立案―農協には注意せよ!―1

2010-09-29 | 食事教育
「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」日本市場開拓計画の立案―農協には注意せよ!―1  「取り付く島もなかった農林省の承認をついに得て、バウム氏は得意絶頂であった。基本的合意さえ取りつければ、あとは事務的な手続き事項を残すだけである。 だが、この作業もなかなかの難物であった。バウム氏は、日米間で合意した事項を、アメリカ農務省と日本の諸官庁との間の「協定」という形で締結したいと考えていた。しかし、政府間 . . . 本文を読む

「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」日本市場開拓計画の立案―2通のマル秘報告書―2

2010-09-22 | 食事教育
「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」日本市場開拓計画の立案―2通のマル秘報告書―2 【報告書Ⅱ】昭和30年12月2日 東京  この報告書を、帰国まぎわの宿舎で書いている。滞在期間が55日。日本の諸官庁、農業団体はついに11の事業項目を承認した。すでに伝えた通り、農林省はこの事業が彼らの指揮下で行われるものでないことに、なかなか気づかなかった。しかし、一通の手紙が彼らにそれを悟らせた。農林省派、河野大臣 . . . 本文を読む

「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」日本市場開拓計画の立案―二通のマル秘報告書―1

2010-09-21 | 食事教育
「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」日本市場開拓計画の立案―二通のマル秘報告書―1  実際にキッチンカー・キャンペーンがスタートを切るのは、昭和31年の秋である。大磯栄養課長との出会いから丸二年もかかっている。この間、バウム氏は農務省のバロック氏と二人で再来日を繰り返しているが、準備作業にどうしてこれほどの時間がかかったのだろう。オレゴンの生産者たちは、政府間交渉さえ始まらないうちにバウムしを送り出し . . . 本文を読む

「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」日本市場開拓計画の立案―オレゴン小麦栽培者連盟―2

2010-09-17 | 食事教育
「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」日本市場開拓計画の立案―オレゴン小麦栽培者連盟―2  こうしてバウム氏はオレゴン小麦栽培者連盟に加わった。この頃になるとヨーロッパ諸国は戦災から立ち直り、小麦の余剰の兆候がじわじわと農民達の肌に感じられ始めていた。そこで彼らは遂に行動に出た。  1949年秋、オレゴン農民は初代運営部長のベル氏を、東南アジアの市場調査に4か月にわたって派遣したのである。アイゼンハワー . . . 本文を読む

ついに孫も「変な給食」をするようになったー日本人にとっての正しい食事をさせるべきです

2010-09-16 | 食事教育
 孫は1年生、誕生日の写真と近況がメールで送ってきました。 写真は「 おたんじょうびおめでとう」と書いたケーキを前に、お父さんに抱かれた1歳の孫娘とVサインの孫息子7歳。特色は孫娘がその1歳の時の孫息子にそっくりなんです。 メールには 「金曜はパパががんばって早く帰ってきてくれたので、みんなでごはんと ケーキを食べることができました。 誕生日の前の日は給食をからっぽにしました! メニューは堅 . . . 本文を読む

「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」 霞が関の思惑“食糧と外貨の一挙両得”余剰農産物交渉のその後―2

2010-09-13 | 食事教育
「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」 霞が関の思惑“食糧と外貨の一挙両得”余剰農産物交渉のその後―2  愛知団長と東畑氏が「産業」の字句修正で、最後の詰めに入ろうとしていた頃、いそいそと帰国の支度にかかるグループがあった。その前夜、東京の池田勇人幹事長からワシイントンの宮沢喜一氏あてに、緊急の電話が入っていた。「日本の政情が急展回し、非常に複雑な段階に行っている。吉田首相の『帰国の筋書き』を打ち合わせ . . . 本文を読む

ゴパンも良いけどご飯もね

2010-09-12 | 食事教育
 昔、厚生省栄養課長は粉食を奨励した。 粉食をすると頭が良くなる、積極的な人間になると本にも書いた。  それは欧米人が進んだ人間であり、東洋人が劣っている人間だと考えその原因を小麦粉食と米食の違いであると考えたのです。 では何故小麦粉食、所謂粉食をすると頭が良くなり積極的な人間になるのかというと、小麦は美味しくない、米はおいしい、だから米を食べる民族は工夫をしない、小麦民族は小麦が美味しくない . . . 本文を読む

「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」霞が関の思惑“食糧と外貨の一挙両得”余剰農産物交渉のその後―1

2010-09-09 | 食事教育
「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」霞が関の思惑“食糧と外貨の一挙両得”余剰農産物交渉のその後―1  「さて、話は戻るが、私たちはワシントンのアメリカ農務省の一室で、日米余剰農産物交渉のもう一人の当事者レイ・アイオアネス氏を待っていた。農務省の日本人のイソ氏がここで彼と会見する約束をとりつけてくれていたのである。  アイオアネス氏は口笛を吹きながら部屋に入ってきた。フットボールで鍛えたという堂々たる体 . . . 本文を読む

タモリさんの豆腐丼ー隠し料理にうってつけ

2010-09-06 | 食事教育
タモリさんの豆腐丼 先日笑っていいともをみていたらAKB48が出ていて、そのメンバーの質問にタモリさんが答えていた。質問の内容は忘れたが多分簡単で美味しい料理だったのではないかと思います。タモリさんが料理の作り方を答えていた。 質問に答えるやり方なので実際作ったわけではありませんが、聞いていてこれはうまそうだと思いましたがビデオをとってなかったのでしっかりと内容が把握できませんでした。思い出して書 . . . 本文を読む

「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」 霞が関の思惑“食糧と外貨の一挙両得”東畑元農林次官の述懐―2

2010-09-04 | 食事教育
「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」 霞が関の思惑“食糧と外貨の一挙両得”東畑元農林次官の述懐―2 ――アメリカの各省間で、ずいぶん縄張り争いがあったようですね?  「それはすさなじいもので、我々はよく振り回されたものです。こんなことがあったですよ。交渉も終盤に入り、ほとんどまとまりかけておった矢先に、急にFOAのスタッセン長官が日本の取り分枠に割り込んで対外活動本部予算を分捕ったと言うんですな。この . . . 本文を読む

「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」 霞が関の思惑“食糧と外貨の一挙両得”東畑元農林次官の述懐―1

2010-09-03 | 食事教育
「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」 霞が関の思惑“食糧と外貨の一挙両得”東畑元農林次官の述懐―1  余剰農産物交渉の体験談を書こうと、私たちは東京麹町の食糧会館に東畑四郎元農林次官(現全国食糧事業協同組合連合会会長)を訪ねた。いまなお農業会に影響力を持つ大御所である。氏の記憶力は驚くほど確かであった。  「昭和28年のMSA小麦の時はうかうかしていると日本農業を危うくすると思ったが、あのPL480 . . . 本文を読む

美味しい食品にはショートニングートランス脂肪酸ー危険な油脂が使われている

2010-09-02 | 食事教育
インターネットでいろいろ検索していたら、2チャンネルの「日本で大人気という美脚軍団「少女時代」反日ソング熱唱。」と言う記事に行き着いた。日の丸を燃やしたり反日の歌を歌ったり、韓国人の精神の低さが分かります、あの国が儒教の国とは思えません。それは後日別のブログで書くとして、次に興味を引いたのが 「2010年07月14日 マックのポテトを食べるとガンになるので、CMやスポンサーを制限━(゜∀゜)━ . . . 本文を読む

「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」霞が関の思惑“食糧と外貨の一挙両得”余剰農産物の受け入れ交渉

2010-09-02 | 食事教育
「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」霞が関の思惑“食糧と外貨の一挙両得”余剰農産物の受け入れ交渉  昭和29年10月、余剰農産物受け入れ交渉に臨む政府使節団が渡米した。団長は愛知揆一通産大臣で、宮沢喜一議員、武内外務省欧米局長らにまじって東畑畑四朗農林次官も同行した。一行はアメリカの当局者と予備交渉を進め、11月に訪米を予定している吉田首相の到着までには大筋の合意をとりつける方針であった。彼らの出 . . . 本文を読む