日本食生活協会、全国食生活改善協会と契約をしたリチャード・バウム氏が次に目をつけたのが、学校給食である。 学校給食の歴史を概観してみます。 明治22年(1889) 山形県鶴岡町私立忠愛小学校で貧困児童を対象に し昼食を与えたのが学校給食の始まりとされている。 当時の給食は、おにぎり・焼き魚・漬け物。 昭和07年(1932) 文部省訓令第18号「学校給食臨時施設 . . . 本文を読む
有本邦太郎先生は懺悔した
インターネットを検索していて「山ちゃんの食べもの考・その132~瑞穂青果HP」と言うのに至りました。 その中の「沖縄「26ショック」と菊池養生園・竹熊宣孝先生の嘆き」いうタイトルの中に次のような記事がありました。 『・・・40年ほど前に沖縄の病院に勤務した折、肉やチョコレートなどの米国型食文化に浸り、家族ぐるみで肥満やアトピーなどに悩んだ竹熊先生の脳裏に、27年前の出 . . . 本文を読む
戦後の食の歴史を拙稿「戦後の栄養改悪運動の歴史」から拾いますと
「昭和20年7月11日:主食の配給一人1日2合3勺を2合1勺(297グラム)に、6大都市は8.11から実施」とあります。食糧を米に頼っていました。
ところが、昭和20年米の生産40年振りの凶作で食糧難時代をむかえ世情不安となりました。10月に地方の疎開先から学童達が都会に戻ったが食料はなく、米軍の緊急食糧放出、海外からのララ物資、ガ . . . 本文を読む
今日の朝刊を見ていると中央公論の広告が載っていました。その中に「食断 農政無策が招く危機」と言うのと「日本の食糧供給が止まる日」というタイトルが目につきました。
本を買って読むべきでしょうが、私はこのタイトルで内容が推定できるような気がします。今私がブログに投稿している路線と同じだと思うのです。
食糧の自給率を高めることは大切なのです。私は拙稿「食育と食事教育」で
「食育は食事の教育で . . . 本文を読む
「日本食生活協会は現在、22万人にのぼる食生活改善推進委員を会員として組織し、厚生省と連携しながら食生活改善にかかわる広範囲な活動をしている。しかし、もともとはキッチンカー事業のために生まれたような組織だった。キッチンカー事業は56年5月、米国農務省の代行機関であるオレゴン小麦栽培者連盟と協会が結んだ契約で始まった。米国が資金を提供し、協会はキッチンカーを使って食生活の指導をしようというのである . . . 本文を読む
アメリカのマクナマラ氏は7月6日、93歳で死去した。氏は1960年代のケネデイ、ジョンソン米政権で国防長官を務め、ベトナム戦争本格介入を指導し、いまも「若者を無為に死地にに追いやった」非難を受けている。マクナマラ氏は「私は学んだ。人間は必ず間違いを犯す。だからそれを正すことに臆病になるな、ということをね。」と「ベトナム戦争の介入は過ちであった」ことを認めていた。
日本の戦後、日本の食生活を指 . . . 本文を読む
「私たちが幸せな生活を営むためには、何よりもまず健康でなければなりません。
では、健康の基本は何かといえば、正しい食習慣・バランスのとれた食事からなる毎日の食生活です。 ”私達の健康は私達の手で”を合言葉に、健康の基本である食生活の改善を主なテーマとして活動しているのが『①』です。① は、まず我が家の食卓を健康なものにし、さらには地域のみんなにも正しい食習慣が定着することを目指し、ボランティア . . . 本文を読む
栄養改善普及運動の歩み明治22年(1889) 山形県鶴岡町私立忠愛小学校で貧困児童を対象に し昼食を与えたのが学校給食の始まりとされている。 当時の給食は、おにぎり・焼き魚・漬け物。 昭和07年(1932) 文部省訓令第18号「学校給食臨時施設方法」が 定められ、はじめて国庫補助によって貧困児童救済 のための学校給食が実施。 昭和 . . . 本文を読む
テレビを見ていたら、イオンで278円弁当(239.9g)売り出されたと報じていました。
イオンは先にバランス弁当を売り出してこれが398円(312.5g)円、中味の検討をしていて安い弁当は72.6g軽かった。その主なものはごはんが41g少ないと言うことでした。ごはんが少なくて良いという人や女性向けと言うことでしたが、それはそれで良いことですが、あまり安さを追求していると何を食べさせられるか . . . 本文を読む