しゃちくんは野良猫ブログ

30年以上前になりますが自分探しのためにバイクで日本一周。
そして今、会社を畳んで田舎暮らしの準備中です。

石巻市 大川小学校訴訟に思う事

2016-10-27 12:00:00 | 主張
津波映像を観て気分が悪くなる方は読まないで下さい。

震災後、ボランティアセンターの呼びかけに応じ、仕事で使うトラックで

つぎはぎだらけの東北道を夜通し走って被災地を目指した。

最後のサービスエリアで夜明けまで狭いトラックの中で仮眠します。

これは内陸部の東北道から太平洋側の被災地までの道路状況が分からず危険だからです。

夜明けと同時にSA内の24時間営業の食堂で最後の温かい食事をして腹を満たしておく。

これから向かう南三陸町は津波ですべてが流されてしまった壊滅した町、

食べるものも無い場所に向かうのです。

途中の道ではセンターライン上にカラーコーンが並べられて反対車線とは50cmの段差があったりする。

夜の走行では段差が見えず横転してたかも知れません。

危険だとされる場所に向かうので自分の身は自分で守る、それを言い聞かせていた。


南三陸町志津川高校から見た津波の様子 Tsunami attacking in Minami-Sanriku



映像では津波で建物が押し流されて志津川と並行した国道沿いに坂を上がっている様子が分かると思う。

その坂の上の山道から私はこの町に入りました。

町が見える前から国道わきに漁船が転がっているのを観て緊張が走る。

町が見えた瞬間に言葉を失った。

建物が無くコンクリート基礎と砂利だけの灰色の世界、この世に自分一人だけが存在するような孤独感。

高台にある工業団地が町の移転先。

体育館には避難住民が600人。仮設プレハブは役場と病院だけ。

仮の役場の裏手に自衛隊の宿営地となるテント村と車両が置いてある。

駐車場に消防車が止まっているがそれが消防署、町のあちこちで警戒にあたるパトカーを見たが

警察署も建物が津波で破壊されていた。

ボランティアセンターのテントで受付を済ませたら一旦、町中に下りてから激坂を登り

志津川小学校に到着。

南三陸町では小・中・高とすべてが町を見下ろす高台の上にあるのです。

志津川小学校の体育館にはこの時点で150人程が避難していて

日本で一番遅い5月12日の始業式を行うために避難住民が引っ越します。

その引っ越し荷物を運搬するのに狭い道でも走れる小型トラックを持ち込んでのボランティアに

私を含む全国各地から馳せ参じたのです。

引っ越し荷物といっても家が流されて支援物資で手に入れた衣類を風呂敷でくるんだ程度の物。

多分、それが全財産だったのでしょう。もう、私も泣きそうになっていた。

荷物が少ないので理科室にぎっしりと備蓄してある支援物資の運搬も手伝った。

電気が無い教室の天井近くまで積み上げられた支援物資で昼間なのに真っ暗でした。

指揮するのは校長先生です!

荷物を積んだトラックで向かった先は一旦町へ降りてから坂を上り返した高台に建つ

志津川中学校です。

上の映像を撮影しているのも高台にある志津川高校です。

地震が起きると津波が襲ってくるとの言い伝えを守る町だからこその立地でしょう。

駅を中心に栄えた町中からは不便な学校です。

役場・警察署・消防署のすべてが壊滅しても各学校は無事なのです。


かたや、モダンな校舎の大川小学校。

伝統から外れた新しい町に立地します。

犠牲になられた児童や教員の方には心からご冥福をお祈りいたします。

避難誘導が悪かった教師の責任を問う訴訟には疑問を感じます。

訴訟を起こした遺族である親たちだって津波に対する認知度は教師と変わらないと思う。


先日も同じ石巻市内の小学校で避難訓練の様子をニュースで見た。

体育館に集まった児童を親が迎えに来るまで引き渡さない。

教員がチェックをしているのに勝手に自分の子供を連れだしたりする親や

津波警報解除を待たずに帰る親子…

帰宅途中で親子共々津波に呑まれてしまいますよね?

訓練とはいえ、そんな結果に終わりました。


岩手県の釜石市では今でも伝わる「津波てんでんこ」。

大きな地震の後には必ず津波がやって来る!

両親が留守でも自分一人で高台まで死ぬ気で走れ!

子供が自力で避難していると信じて両親も被害に遭わずに済む。

自己責任が徹底している。

自然災害による犠牲でどこかに責任を求める事に疑問を感じます。


誰が何を言おうが どんな情報を信じようが自由な日本です。

たまには私の話も聞いてくださいね。

コメント (7)
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加波山崩落林道

2016-10-27 00:10:20 | 日記
ここは以前によく走りに行った筑波山裏側にある林道です。

初めて行ったのは20歳の時です(もう30年も前になる)

日本一周の相棒ロバ君と買ったばかりのSX-125で林道走行の練習でした。

林道入口のキツイ下り坂で恐れをなしてしまった苦い思い出がある。

その10年後だったかロードバイクのSRX-250でも行ったが林道はすぐにUターンしてる(-_-;)

30代半ばに友人のハイエースにマウンテンバイクを積んで湯袋峠に車を停めて

林道の始点である一本杉峠まではひたすら登りダウンヒルを楽しんだのが

初めて自転車で走ったのです。

その後は真壁駅跡の駐車場から自走で山を登り何度か自転車で走っております。

現在も所有するTTR-250レイドでも走りました。

震災後の豪雨被害だったかで崩落しちゃって途中で川底走行みたいになってますね。

映像では一番の難所をアタックしてる。ほぼトライアルセクションだけど(笑)


加波山崩落林道CRM編



私のテクニックではバイクでの走行は困難でしょう。

しかも1人で行くので無茶はしません。

KSR-Ⅱ(80cc)はオフロードタイヤに履き替えたらチャレンジしたいなぁ~
コメント (2)
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