![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/08/7dfc69aa2c4697fcc46a235542828249.jpg)
のぞきこむと何が見える?
・・・もちろん、のぞきこんでる自分自身が。
ネットに大量に浮遊する「自意識」。
時折、それらで窒息しそうになってしまう。
ただ、だからこそ「ここ」にいる。
私もまたそうした「自意識」の1つとして。
自分が呼吸しやすい空間でなければ、
長くはやっていけない、きっと誰もが。
でも、案外、それがどんな空間かは、自分では気づけなかったり。
おいしい空気を深呼吸させていただく空間
空気が違っても(違うからこそ?)足しげく通ってしまう空間
息を詰めても行ってみたい空間
時々覗いてみたくなる空間・・・
それらを生みだすのは&選ぶのは、やっぱり自分自身でしかなくて。
そして、「ここ」が他者にとってはどんな空間なのか、
それは私にはわからないし決められない。
「こうありたい」は漠然とあっても
すべては来て下さる方の意識にお任せ。
ただ、ここまで来て下さった&来て下さる
本当に奇跡のような確立の「出会い(ご縁)」と
そしてそれが続くもっとすごい「ミラクル」には感謝しつつ。
でもって、この記事って
落書きしたら井戸っぽかったのでシャレのつもりの記事なんだな。
そゆ、自分のための、「ま、いいか」な空間なのであります。
◆ ◆ ◆
しばし、実家に帰らせてwいただきます。(息子受験からの逃走
おいしいきつねうどんとお好み焼き、
たらふく食べてきまーーす!(ベタなあっしw
その前に今晩はお芝居を見に行くお♪
かなりこわいらしいので頑張る(?)お。
ではでは、皆様も楽しい週末を!!!ちゃお♪(ちゃお、て;
時折、それらで窒息しそうになってしまう。
ああ、まさに自分もそういう感覚…ネットに疲れる・消耗します。自分の中の何かを強制的・一方的に吸い取られる感じ。
個々のエネルギーや主張の強さに押しつぶされそうになる…。
直接人と接しているときとは全く異なる、表現のしようがない圧迫感と疲労感。
同時に、自分自身の「自意識」の思いがけない強さにも押しつぶされそうになります。
結局、自分も同じなんだなぁ、やってること。
でも、NALさんのところに来ても、そういう息苦しさは感じません。違いはナンなのでしょうね。
発見?共感?
この井戸の絵(?)はどうやって描かれたものなのでしょうか?すごくインパクトありますね。
最初に目にした瞬間、ドキッとしました。
まるで異次元への入り口がポッカリ口をあけて現れたかのようで。
お休み、楽しんでください。
相手はきっとそんなこと(=自意識)なんて思ってもみないのかな、と思う場合も多々あります。
そして相手の自意識に「自分もそうだ!」と強く共感できる場合もあれば、どうしてもどうしてもそぐわなくて飲み込めなくってそこから逃げ出したい時もあって。
・・・受け入れたら、飲み込んだら「自分って何なんだろう?」
ときっと思ってしまう、これもまた自意識なわけで。
>直接人と接しているときとは全く異なる
本当にそうですね。
もちろんだからこそのいい面もあるわけですが、
顔が見えないコミュニケーションの、ある種の限界でもあって、
それをわかったうえでブログという方法を続けているんだから、と思うほかないんだけど。
>自分自身の「自意識」の思いがけない強さ
私は自意識確認のためにブログをやってる部分もあるので
それはもうバリバリだろうと思います。
・・・他者の自意識は許せない時があって、でも自分のだけは認めろ、
というのは、ものすごく傲慢ですよね(大汗;。
で、それが苦手な方はやはりここには参加されないんじゃないかなぁ、と思うわけで。
大丈夫な方、それでも私とつきあいたいと思って下さる方だけとご縁が続いていく、このブログはそれでいいと思っています。って、・・・やっぱり傲慢?;;;
でもネットで「私自身」でいるためにはそれしか今のところ思いつかないのです。
みなさん、そのあたりどうやって自分と折りあっておられるのかしら。
自意識を消すわけにはいかないとも思うのです。
>違いはナンなのでしょうね。
「いえいえとんでもない;;;」としり込みしてしまいまする;;
でも、そう感じてくださるとしたら
それはきっとRen様の許容力ではないかしら?
もしくは、私との距離感の取り方、
「私」(他者)を「私」(他者)のままに受け入れて下さる姿勢かな、と。
このブログでは私(の自意識)を敵視する方とも数多く出会ってきましたから・・・
私のことが大好きと言ってくださった女性が、突然ものすごく攻撃的になって一方的に中傷する、そんなケースもありました。
いずれも私が相手に対し無関心であるように相手が感じてしまったことが発端だったのが印象的です・・・。私としては相手と同感・共感だけではありえないわけで、ある記事に対し傷つけたくなくて(これも思えば傲慢ですね、相手が傷つくことも相手の自由な権利だったのに・・・)反論をあえて書かずはぐらかした、それがいけなかったのかな、と。
結論としてその方に必要だったのは「私」自身ではなく「彼女・彼に同感する私=彼・彼女の思うように彼・彼女を見ている私」だったのだ、と今では思っています。
人は自分以外の価値観や感じ方(=他者の自意識)を頭では理解しても、なかなかそのままには受け入れることはできない、それを身をもって実感しています。
そしてそれはきっと私自身も。
私は反論・異論大歓迎ですが、それは苦手という方が多いのも知っています。そして、たとえ相手が傷つくかもしれなくても違うと感じたこと、違和感、反論ははっきり書いた方がいいのか、やはりそれに対してはスルーするほうがネットではよいのか、それは今でも時々悩みます。(Ren様やじっぱ様のように、違う意見を書いても大丈夫と思える方もいるんですが・・・その違いがどこからくるのかもきちんとはわかっていません)
と書いていて、Ren様はきっと自分という軸が深い部分で揺らがないからではないかな、と思いました。それが他者との距離の判断基準になっておられるからでは?
(それは私にとってRen様の変わらない印象でもあります)
1週間近くネットから離れていたせいか、
長々おしゃべりしてしまいました。
戻ってくると自分の記事でも「へぇ、こんなこと考えてたのか」と
新鮮ですw
でレスしてるうちにどうしてこの記事を書こうと思ったのか
改めて思い出しました。
他者の言葉に(簡単に)揺らぐ、それは自分を見極められていないからだな、と実生活でも思います。悪意も嫌悪も倦怠も、それを見る自分の中にあるように感じて。
それがイド。この記事のテーマでもありました。
私は来て下さる方とはすべてその方との関係において公平につきあいたい、以前も書きましたが強い仲間意識、コミュニティ発想、そのカウンターとしての村八分、順位付け(人間関係・特に社会においてはどうしてもどうしても避けては通れない必要悪だとも思いますが)が極めて苦手です。モラルハザードや共依存は悪意からよりはむしろ多くの善意からの暴走であるようにも思います。私は(それができているかどうかは疑問なのですが;;;)できるだけ、来て下さる方個々に対し、1対1で向きあうブログをめざしたいです。
本当のことって、なかなか文字にはしきれないけれど
(って話し言葉でも同じですね、きっと。自分でも「本当」は突き詰めていくとスルリと逃げてしまう、いつもの感じです。)
たとえ思ったままに伝わらないとしても
そして、いつもながらお互いに同感だけではないからこそ、
私に違う言葉を、違う景色を見せてくださるからこそ
Ren様に話したい自分がいることに、今 気づいています。
あ、井戸の絵はフォトショップをベースに、効果をつけることができるアプリケーションであれこれいじって作りました。プロなら計算してやるところをいきあたりばったりで作ってるので2度と同じものはできないのですが(;;)なんとなく文字にしたくない時や文字にできない時にちょっと便利です♪
んあ、めっちゃ長いっ!記事にしたほうがよかったかも?
でもこれはやっぱりRen様のコメントに向けたRen様限定のレスポンスってことで。
いつも(私にとって)深い投げ掛けをありがとうございます。(ぺこり
荒れまくった天候の中、大変な道のりではなかったかと。ご無事で何より!
>結論としてその方に必要だったのは「私」自身ではなく「彼女・彼に同感する私=彼・彼女の思うように彼・彼女を見ている私」だったのだ、と今では思っています。
そういう欲求、自分にもあると思います。
「こうでありたいという理想の自分」を特にネットだからこそ演出しやすいのでは?
もっとも「見せたくない自分」はしっかりその裏に潜んでいるわけですから、わかる人にはすぐに透けて見えてしまうのでしょうが。
>人は自分以外の価値観や感じ方(=他者の自意識)を頭では理解しても、なかなかそのままには受け入れることはできない、それを身をもって実感しています。
私もそう思っています。だからこそ、難しい。
理解したいし、ある程度は出来る、でも、自分の感覚とは別ものという時にとるべき適切な距離感というもので結構躓きます。
「貴方」は私ではない、絶対にイコールにはならない、だからこそ、互いに尊重しあいたいといつも心にとめて置くようにしている、でも、時々そのバランスが崩れて、勝手に怒ったり傷ついたりしてしまうことも。若い頃はそれで終わりにしてしまった人間関係もあり、今では自分の愚かさを悔やみます。
>自分という軸が深い部分で揺らがないからではないかな、と思いました。それが他者との距離の判断基準になっておられるからでは?
そうでもないんですけど…自分では、曖昧なヤツだなと思いますよw
ただ、ある部分では絶対に譲らない頑固さ(頑なさ)はあると思います。それは、自分がまさにNALさんのおっしゃる「善意の暴走からくる共依存」の体験者であるという自覚から生まれてきたのではと思っているのですが。
いつも思うことですが、NALさんはたくさんの言葉を持っていらっしゃる。だから、どの場面でも最適の言葉と豊かな表現力でものを語ることが出来るのだなと。
この3年近くの間、私がせっせとこちらに通わせていただいているのは、やはりNALさんの視点を通しての発見と尽きない言葉の数々が私の世界を広げてくれるからなのだと思いました。
いつもありがとう!
あ、なんかレスがズレてく悪寒;
私の長いレスをきちんと受け止め、Ren様の中で考えて消化して、またそこで生まれた言葉をこうしてRen様の声として手渡しにきてくださる。そのことに深く感謝します。
>「こうでありたいという理想の自分」を特にネットだからこそ演出しやすい
リアルでもネットでも、多数・特定・限定の差こそあれ「よくみられたい」願望はあって、それが向上心の推進力でもある。「他者に好かれたい・認めて欲しい」は人間の基本属性なんだろうな、と思います。そして確かにネットはその傾向を助長としやすいメディアでもありますね。
私の場合、「こうありたい」よりもむしろ「こう見てほしい」が見える形で強すぎるのが苦手かも(って誰でも苦手ですね、きっと;;)。同じようでいて相手への期待・依存・負荷が違う気がします。
「リアルでは言えないけど」とか「本当の私は」「私の本心は」とか、あまりにもネットとリアルで行動が異なるような発言は、自分への免罪符発行所・自己弁護醸成所みたいで疲れないかな、と思うのです(余計なお世話200%;;;)。
免罪や自己弁護、共感や同感ももちろんものすごく大事なエネルギーだとは思うけど、本音ってやっぱりそんなに簡単に語りきれるものではないとも思うので(←やっかいなヤツ;;;)
でもコミュニケーションって、相手の反応=「そう見てもらえてるかどうか」の検証を求めてしまう。そしてそこできっとついつい相手に期待してしまう。それが一番やっかいなのかもしれません。反論されたくて・否定されたくて記事を書く方って希有だと思うので当然なんでしょうけれど。
>でも、時々そのバランスが崩れて、勝手に怒ったり傷ついたりしてしまうことも。
私もそうです、若いころはものすごかったし(お互い泣きながらのオオゲンカをしたり、会社を辞めたり;;)、リアルでは今もなお;;;。
ネットのほうがかえって「点」でつきあえるので、そこまで深刻にシビアにならないですんでる気もします。相手への向きあい方次第かもしれないけれど。
生きていく以上傷つくのは前提(自分で勝手に傷つくことも、自分で自分を責めることもあるわけで)、でも、それでも自分以外の異なる存在に、価値観に、考え方に出会いたい。人間は受精という進化形態を選んだ時点で、異種・バトル・選択・優劣、etcをもまた選らんでしまった。かつ自己保存欲求も。傷が強化する自己もあれば、傷が進化させる価値観もあるのかも?
って、またまたなにがなんだかになってきてますが(オイオイ;;;
>「善意の暴走からくる共依存」の体験者
それはかなりしんどい体験をされましたね。
でもとても貴重な、そしてそれが今の揺るがないRen様を育んだのなら重要な体験だったのでしょうね。
共依存の存在を認識されているかどうか、は私には個人的にとても意味のあることなので、なんだか嬉しく感じたり(変な感想でごめんなさい;;
>ある部分では絶対に譲らない頑固さ
はNALとしても大切にしていただきたく。
自分に対しての頑固さと他者への柔軟さが絶妙に混在しているのが
Ren様の最大の魅力に思えます。
プラス要素は、それを見る「相手」の中で育つのだな、と。ありがとう、をありがとうです。