映画「鉄コン筋クリート」公式サイト
公開前後、予告編やポスターの露出度が高く、
非常に気になりながら、結局なんとなくここまで見ずにやってきて、
で、WOWOW、ダンナがみてるのを、
エクセルで表計算をしながら(エクセルの作業ってマジヤバイ。
手がロボットになっちゃうので、頭から魂が抜けるのですな<言い訳)
苦手な空気を予感しながら、つい最後まで見てしまいました。
一昨日、仕事で一緒だったプランナー君が
まだ若いにも関わらず「好きな漫画家はつげ義春と松本大洋」なんて
ことを言ってたのも、ちょっと残ってたかも。
うーむ。
技術的にはんとにすごいとしか言い様がない、3D表現からなにから。
背景の描き込みはもう、1枚1枚が完成度の高い作品レベル。
そして自在にあふれる色彩。
どこまでも濃く緻密に埋め尽くされた松本大洋そのままな世界観。
『第80回アカデミー賞長編アニメーション映画賞部門エントリー作品に選ばれる』(wiki)だけのことはある、と言ってしまうと、ミもフタもないんだけど。
ただ、なんとなくこういう虚構の世界の疑似暴力まみれな作品は苦手だ・・・。
(多くのアメリカンなバイオレンスものも喰わずギライなのと同じで)
弱肉強食をよしとする、戦争につながっていく人間の闇の代理のような
印象を受けるのです。
高度成長期の大阪・新世界にダブる、不思議なパラレルワールド。
『クレヨンしんちゃん・大人帝国の逆襲』『ALWAYS 三丁目の夕日』等
で、すっかり記号化されて(昭和ど真ん中世代ですら)シュミラクラのように、
今のINGな生活者がイメージングする「古き良き昭和」。
一瞬、サイバーパンクに通じる荒廃した世界観を見せながら、
実はベタな疑似フィジカルパンクな世界なのかな、と。
変わりゆくもの、過去を愛するもの、変化を嫌うもの、
変化で儲けるもの、変化を生みだすもの、・・・
これって、リアルな高度成長期な物語に思える、昭和なわたくし。
(この作品で描かれている土地の支配権と命のやりとりって
実は日常茶飯事だったり・・・INGで)
こうなんというか、その疑似体験性がちょっともやもやするんで、
もう1度見るべきなんだろうなー。
幽体離脱から戻りきれない割りきれなさ、ラベリングしにくい何か。
でもしんどいなぁ・・・。
基本的によくできた痛い映画は苦手です。
それにしても、マンガでもアニメでもゲームでも映画でも暴力表現が多い・・・。
どうしてなんだろうか・・・。
追記:体験としての昭和、追体験としての昭和、記号としての昭和。
頭の中では区別はつかない。
ただ、記号としての昭和だけで昭和を再構成している世代の感じ方を
私はきっとできないんだろうな、と。
情報の共有化、感覚の共有化、という幻想の共有化。
どれもどこか頭の中で再現フィルムを見ているような・・・。
「だって前世がなかったら/私たちはまるで/幽霊ではありませんか」(つげ義春『ゲンセンカン主人』)
昭和とか平成とか関係なく、子供の世界観だと思っています。
わがままで乱暴で正直で傲慢で残忍で甘えん坊。
空だって飛べる。
世界中が怖い。
根拠のない自信。
敵と味方。
めんどう
いや
すき
>わがままで乱暴で正直で傲慢で残忍で甘えん坊。
なるほどー。
「男の子の遺伝子」なのかな?
男女で破壊衝動の現れ方が違う気がするのです。
(絵を)生みだしながら壊していくシロがある種少女の役回りで、
陰陽・バランスがとれている世界だと思いました。
(と、こういう見方自体、性差、年齢差、個人差あるのだろうけど)
で、舞台は、私には高度成長期の裏側、
誰も語らないダークストーリーに思えて、
ここでも、創造と破壊、そんな、陰陽。
少し話広げると、今は上手に(大きく)壊す役回りがいないから、
社会は停滞してるんじゃないかな、と感じます。
誰も自分からは壊したがらない、なかなか困った社会なのかも。
子どもの世界が壊れないと、やっぱ不条理な清濁合わせ持てる
大人にはなれないんだろうなぁ、個人としての幸せは別として。
なんてことを、コメントを読んでつらつらかんがえたりしてみますた、
ひさびさにキョク氏のこういう感想を読んだ気がする。
相変わらずオモシロイので、もっと書いてください♪