鼠喰いのひとりごと

DL系フリーゲームや本や映画などの感想を徒然に

めぐりあう時間たち

2005-07-03 04:18:06 | 映画(洋画)

「めぐりあう時間たち」 2002年
監督:スティーブン・ダルドリー
原作:マイケル・カニンガム
出演:ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メリル・ストリープ

***

私の好みと傾向からすれば、多分進んで見ることはなかったろう映画。
好きで読ませていただいている小説サイトの管理人、馨子さんのブログから、
ちょっと興味を惹かれて借りてみました。
ちなみにここです。
もっとも、そこで紹介されているのは原作本のほうなので、私の見た映画版とは
内容が違うかもしれないのですが。

そもそも、学の無い私は「ヴァージニア・ウルフって誰よ?」って世界だったり(汗)
近代作家として、有名な方なんですね(さらに汗)

さて、粗筋ですが…書くのが凄く難しい。
別な時代を生きる三人の女性が、それぞれパーティを開く一日の様子を、
交互に見せていく…という形なので。
よくアドベンチャーゲームで「ザッピング」というシステムがありますが、
それにちょっと近いつくりかも。
三人の主人公に視点変更しながら、似ているけれど、微妙に違う人生を覗いていくのです。
ですから、今回は粗筋ではなく、その主人公達について感想を述べていきますね。

さて、主人公は、三つの時代を生きる、三人の女性。
1923年の作家、ヴァージニア・ウルフ。
1951年の主婦、ローラ・ブラウン。
2001年の編集者、クラリッサ・ヴォーン。
ヴァージニアの書いた小説「ダロウェイ夫人」を一つの鍵として、
三つの人生は微妙に重なり、リンクし、それぞれの苦悩と哀しみとを描きます。

似ているようで、微妙に違う三つの人生。
時代はたとえ違っても、人間というものは基本的に変わらない、と捉えるか、
どれほど似た状況でも、悩みは苦悩は人それぞれに違うものだ、と捉えるか、
そのへんは見る人次第ってところでしょうか。

それにしても、主人公達が揃いも揃ってエキセントリックでした。
2001年のクラリッサだけは強さを感じさせますが、他の二人は、
さぞ人生生き難かったことでしょう。
それは本人にしてみればどうしようも無いことなのでしょうし、
ましてや周囲のせいでもないのですが、なんというか…見ていて気の毒です。

ただ、ヴァージニアに関しては、職業が「作家」ということもあって、
なんとなく行動に納得がいくところもあるかな。
私の好きな江國香織さんのエッセイ「いくつもの週末」という本のなかにこんな一節が。
江國さんが結婚後、一人で旅行することを決めたことで、旦那さんに言うのですね。

「九月の旅行、私の我儘なのは知ってるわ。
でも私はその我儘をなおすわけにはいかないの。
そのこと、本当はわかっているんでしょう?」

これを見たとき、ああ、作家ってこうなのかなぁ、と妙に納得しました。
彼女が彼女であるために。自分が自分であるために。
そして、それをもし変えてしまったら、作品はもう書けないのかもしれない。と。
今回の映画のヴァージニアを見て、江國さんのこの台詞を連想していました。
そのまま、ヴァージニアが吐いてもおかしくないような気がします。

また、主婦のローラ。
彼女の心境は…正直、私にはよくわからない。
彼女を苦しめているのは、周囲の穏やかな「日常」そのもので…。
一般に幸せの象徴とされるような、子供の存在や、穏やかな夫、平凡な家庭生活こそが、
彼女を内側からキリキリと締め上げているような気がしました。
周囲から見て、あなたは幸せね、と思われるそのことが、またさらに彼女を追い詰める。

彼女の夫の善良な鈍感さは、作中で、ローラの孤独を深めるような扱いで描かれていますが、
実際に結婚するなら、多少鈍感な人のほうが幸せな気がします。
妻がローラだったからこそ、不幸に感じるのでしょうね。
それは、彼女の心に秘めた、報われない恋のせいかもしれないけれど…
うーん、やっぱりよくわからない。
でも、このわからなさ加減が、一人の人間の人生を見てるんだな、という
妙なリアルさを感じさせます。

前出のヴァージニアも良き旦那様がいて、経済的にも随分裕福そうに見えましたし、
ハタから見れば、二人とも「何不自由ない暮らし」に感じるでしょう。
本当に、何を幸福と感じるか不幸と感じるかは、個人的なことなんだなぁ。

そして、2001年のクラリッサ・ヴォーン。
三人の中で、彼女だけが異質です。
それは、彼女が他の二人と違い、他人のために生きているからかもしれません。
結局、彼女が愛した人間は自ら死を選ぶのですが、彼女の悲しみには、どこか希望があります。

そういえば、作中でヴァージニアが、夫に問われるシーンがありました。
「何故、登場人物を殺さなければならないのか?」と。
それに対して、ヴァージニアは
「死と対比して、生を際立たせるため」と答えます。
2001年のクラリッサ・ヴォーンの人生は、まさにこれだ、と思いました。
彼女の生を鮮やかに際立たせるために、彼は死ななければならなかったのかと。

そう思うと、三人の物語のうち、ローラとクラリッサの物語は、
まるでヴァージニアの筆によって描かれた物語の世界のようにも思えます。
あるいは、ヴァージニアは、時代を超えて不変である「人間」を描く作家であった、とも。
そういう意味では、この物語は作家「ヴァージニア・ウルフ」へ捧げる敬愛の物語、
とも捉えられるかな。

いつも、私が紹介する作品とは、やはりちょっとカラーが違いますね…
生きている人間の日常と同じで、さらっと流し見ることもできるけど、考え出すと恐ろしく深い。
万人に勧められるって感じはしませんが、作家ヴァージニア・ウルフについて知っている方が見ると、
さらに深く楽しめるかもしれません。

めぐりあう時間たち 公式サイト

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