昼のローカル奥様番組で「我が子を不気味で怖く感じるとき」というのをやっていて、
簡単に「ぶっ殺す」と言う、とか。
朝方まで残虐ゲームをやり、最近「拷問」とか「地獄」とか書かれた本を読み漁りはじめた、とか。
日記で銀行強盗計画を練っていた、とか。
エアガンで猫や虫を撃っていた、とか。
テレビでは、やはり「親とのかかわり」てやつを中心にすえておりましたが…
どうなんだろう?
そういう意味では、私も昔から相当、読む本に問題のある人間でしたし、
対外的にはかなり「いい子」の部類に入ったと自分では思っています。
ま、思春期はそれなりに苛つきもあったし、親に対して凶悪な気持ちも持ったけど。
でも、そりゃ別に普通のことでしょ。
特に中学~高校は、精神的に、親から自分を引き剥がさなきゃならない時期だし、
そういう意味で、親にいわれのない反感や憎しみを持つこともあるとは思う。
「うちの親ウザイ」「死んだらいいのに」「いなくなったらいいのに」
と考えるだけなら誰でも考える。友人同士で話すことだってある。
問題は、その衝動を実行に移すか移さないか。
暴れまわる自分の中の感情を、どれだけ騙せるか…抑えられるかじゃないのかな。
ただ、経験として言わせて貰えば、やはり色んな人間に関わることは大切だと思う。
あと、国語力。
学校の教科の中で、自分の気持ちを言葉で表現できる能力、
他人の気持ちや状況を推し量る能力を培えるのは、国語しかないと思うんだ。
「ここでなぜこの登場人物は笑ったのでしょう?」
そんな国語のテストを見て、そんなこと知るか、と現役学生は思うかもしれない(笑)
でも、その能力は「なぜお母さんはここで嫌そうに目を伏せたのか」や
「なぜ友達はこの言葉で酷く怒ったのか」に通じることだと思う。
特に、日本語は言葉のニュアンスや「その場の空気」で語ることが多いから、
この力があれば、得られる情報量も多いはず。
そういう意味では「空気」や「語り手の目線、動作」の無いネットやメールのやりとりは、
気持ちを伝える手段としては、何かが抜け落ちているとは思う。
「どうしたの?」「…大丈夫」と会話をしたとして、
顔を合わせて…あるいは肉声の電話であれば、強がりやカラ元気を見抜ける確率は高いけど、
メールの文章の「どうしたの?」「だいじょうぶゲンキゲンキ!」
でそれを見抜くのは、余程そのひとを知っていない限り難しい。
もちろん、そんな部分を補うために、メールの絵文字が発達したんだろうな、とも思うけど、
それだって「自分が他人に見せたい感情」を表しているに過ぎないわけだし。
すごく、表面的なオツキアイって気がします。