鼠喰いのひとりごと

DL系フリーゲームや本や映画などの感想を徒然に

「きものが欲しい!」 群ようこ

2006-08-30 04:12:25 | 本(その他)


「きものが欲しい!」 群ようこ
2006年 角川文庫

***

なんでこんな本読んでたかっていうと…4月の入学式できものを着たわけです。
私の持っているヤツはみんな、若いころに作ったものだから、
色華やかで柄行も派手。
姑の「今回着ないと、もう着られないわ」という言葉のもとに、
たまにはいいか~と思ったのですが。

感想:苦しい、動けない、歩けない

着慣れてる人には当然なんでしょうが、和装と洋装では身体の駆動部分
(この言い方/汗)が違うので、動きも全然違うんですよねー。
なので、いつも普通にやってる、歩く、座る、立つ、車に乗る、という動作が、
一瞬わからなくなる。
きものばかりに神経がいって、せっかくの息子の晴れ姿も、小学校の下駄箱の
位置や教室の様子のような、確かめておかねばならないことが全て頭に
入りません。
しかも帯は苦しいわ下駄は痛いわ。
きものといえばハレの日の正装ですが、着慣れていないとかえって
みっともないことになる、とよぉーくわかりましたですよ。

友人に、ヤケにきものの好きな女がいるのですが、彼女に言わせれば、
『普通そんなに締めないんだよ』とのこと。
でも、なにしろ、着付けなど知らない身。
一度着崩れたら、もう二度と直せないと思えばこそ、きつくても我慢しよう、
と思うのさー(汗)

こんなん書くと誤解されそうですが、きもの自体は、
もともと嫌いではないんですよ。
ただ、私の場合、興味の方向が「綺麗なきものを着たい」ではなく、
「綺麗なきものを見たい」…なのかもしれない。
天絹の滑らかさと独特の光沢、固く織り出した文様、
金糸・銀糸で縫い取られた、手の込んだ刺繍。
季節によって選ばれる柄や生地、鮮やかな小物の色あわせ。
そんなものを綺麗だなぁ、素敵だなぁと「見たい」のであって、
自分で身につけたいとは思わないって感じ。

きものに興味がある、というと、普通は着るほうでしょうから、
興味の方向としては、変わっているほうかも…
実際、それを言うと大抵のひとが『ハァ』という感じになって話続かない(笑)

あ、でも、紐と帯でぎゅうぎゅうの普通のきものと違って、浴衣は割と好き。
自宅で洗えるし、着付けもラクだし。値段も安くて惜しげが無いし。
訪問着では公園のベンチにすら座る気がしないけれど、
浴衣なら、その気になればハンカチ一枚で地べたにも座れそうな気安さがいい。
なんだ、要するにズボラだってことかな?

でも、きもの…「着物」という、全身全霊で
『我は衣服である!それ以外の何者でもない!』と主張してやまないシロモノが、
なんだって、こんなに勿体ぶっているのでしょうね。
手のかかった着物はもはや日用品ではなく、美術工芸品の扱いになっていて、
高ければ数千万の値段がついたりする。
で、なんか妙だなーと感じていたそれが、この本の中で形になっていました。

群ようこさん。
歯に衣着せぬ語り口の、このひとのエッセイは、以前から読んでいまして、
その内容から、彼女&彼女の母親ともに『やたらときものが好き』というのも
知ってはいました。
だから、この飾り気無い文章を書くひとが、一体どんなきものの着方をするの
だろうか、ということに興味惹かれたのですが…まずまず思ったとおり(笑)

『普段着としてのきもの』に焦点をあてて書かれた文章は、
それこそピンクブルーグリーンの華やか花模様~というよそ行きの訪問着より、
がっちりした生地の紬や大島、といった、堅実コース中心に書かれていて、
なんか納得。
呉服屋さんに特有のやわらか~な物腰で、暗にプレッシャーをかけてくる、
湿った藁半紙のようなネットリ感にも触れており、
そのへんは私も、過去に数度出合った呉服関係の店で感じていたので、
余計にうんうん、そうそう!という感じ。

そういえば、以前友人に
『きものは着物なのに、なんで普段着じゃ無いんだろう』
というようなことを言ったら、
『普段着ればいいじゃん』と、ハァ?何言ってんの?調で言われたことも
ありましたっけね(笑)
普段から、何もなくてもきものを着てたりする彼女にしてみれば
『普段着れない』という思い込みそのものが妙に感じるんだろうなぁ。
でもやっぱし、私のようにエンの無いひとから見たら、
きものはハレの日のもの、なんだよな~。

つか、いるのか? きもので普段着。


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