街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

竹内街道(大小路~古市)

2017年02月04日 20時34分36秒 | 街道を歩く
竹内(たけのうち)街道を大小路から古市まで歩きました。
『日本書紀』の推古天皇21年(613年)の条に「難波(なにわ)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」とあり、
この道は「丹比道(たじひみち)」と呼ばれました。竹内街道はこの道とほぼ同じルートで、最古の官道です。

南海堺駅よりスタート地点に向かいます。



紀州街道に接する大小路からスタート。ここからしばらく西高野街道と同じルートを通ります。



Amazon堺FCの従業員を運んでいると思われるバス。



南海堺東駅近くにある堺東年金事務所。



堺東駅前にあったショッピングセンター・ジョルノ。2018年頃をめどにリニューアルオープンが予定されています。
昔、仕事で屋上に行ったことがありました。



南海高野線の踏切を渡ってしばらくすると榎元町に道標のある分かれ道があり、左に進むと竹内街道、直進すると西高野街道となります。左折します。



府道2号線を少し歩きます。



JR三国ヶ丘駅近くで阪和線の上を通過。



黒土町にある黒土西地蔵尊。形も大きさもバラバラの地蔵が5体並んでいました。



平安前期の宮廷画家・巨勢金岡(こせのかなおか、生没年不明)を祀る金岡神社。
巨勢金岡は、唐風の絵画が主流だった時期に日本独自の様式を追求し、唐の影響を脱した大和絵の様式を確立しました。



境内の御神木であるクスノキは樹齢推定900年で、堺市指定保存樹木に指定されています。



大阪4大緑地の一つ、大泉緑地。この公園の縁をしばらく進みます。



大泉緑地を過ぎてすぐのところにある大池。府道2号線を臨む。



松原市に入ります。竹内街道を解説する看板のある公園。



公園のすぐ近くにある岡の大師堂。高野山で得度した神田覚栄(かくえい、1852-1943)が空海を信仰するために創建しました。



阪和道をくぐる直前の「立部西」交差点近くにある緑の一里塚。2013年に竹内街道敷設1400年を記念して整備されました。
この辺りは立部遺跡と呼ばれ、旧石器から近世に至る複合遺跡です。鋳物製造の残骸などが見つかっており、工房の存在が推測されています。



羽曳野市に入ります。野中寺(やちゅうじ)の近くにある、地元在住の方が寄贈した高灯籠。



少し街道から外れますが高野山真言宗の野中寺。「中之太子」とも呼ばれ、飛鳥時代に蘇我馬子が開基したとされます。
伝承では聖徳太子建立48寺院の一つとされ、叡福寺、大聖勝軍寺とともに「三太子」の一つに数えられています。



街道に戻り、この道標から南下します。



峰塚公園の前にある噴水。



「軽里北」交差点で外環状線(国道170号線)と交差。



ウォーキングトレイルとして整備された古い街並みを残す道を進みます。



白鳥陵古墳(軽里大塚古墳)。古市古墳群では7番目の大きさとなる、全長190mの前方後円墳です。宮内庁により日本武尊の陵墓とされています。
ヤマトタケルが伊勢で息を引き取った際、白鳥に姿を変え古市に舞い降りたと『日本書紀』に記されています。
その後白鳥は舞い上がり羽を曳くように飛び立ったとあり、これが「羽曳野」の由来となっています。



堀には白鳥はいませんでしたがカモが大量にいました。



近鉄古市駅近くの踏切。今日はここまでとしました。

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