*俺が結婚したのは昭和39年、東京オリンピックの年だ。
経済的に厳しい生活をしていたので、結婚式は簡単に済ませ、女房に結婚指輪さえ買ってあげられなかった。 そして、共働きを始めた。
*それから、2年ほどたった秋と思うが、俺は東京へ所用で出かけ、日の暮れた銀座の街を歩いた。 歩道の片隅に露店があった。 安物のアクセサリーの店だ。 夜店は裸電球でガラス玉のような装飾品がキラキラと輝いている。
のぞいてみたら、ダイヤもどきの指輪がある。 リングに5個のダイヤもどきがキラキラと輝いている。 指輪のサイズはいろいろある。 俺の小指にはまるものを探した。 俺の小指と女房の薬指は同じ太さだろうから。
値段はわずか400円。 これなら俺の小遣いで軽く買える。
*帰宅して女房に、紙の小袋にセロテープで閉じたままのダイヤもどきの指輪をポイと渡した。 俺は正直に400円だと知らせた。
こんな安物でも女房はたいそう気に入り、薬指にはめた。 サイズはぴったりだ。
そして、翌日から女房は指輪をして勤務先へ出かけた。 その結果、俺は同僚に恨まれることになろうとは夢にも思わなかった。
*女房の職場の同僚たちは指輪に気づいて尋ねた。
『どこで買ったのか? 値段はいくらか?』などと訊かれたので、『銀座です。 値段はとても教えられません』と答えたそうだ。
《銀座の夜店で400円のガラス玉の指輪を買った》などとは、恥ずかしくて言えなかったという。
そこへ、ダイヤの鑑定が出来ると言う女性が、ガラス玉に水を付けたり、太陽にかざしたりして調べた結果、本物のダイヤモンドと鑑定してしまった。
それから、すけつねは奥さんに銀座のデパートでダイヤが五つもある高価な指輪を買ってあげたそうだと、尾ひれがついてうわさが広まった。
そのうわさは、一駅離れた俺の職場の結婚したばかりのK氏の耳にも入った。 K氏の妻は女房の知人であった。
K氏は俺に尋ねた。「指輪はどこで、幾らで買ったのか」と。
俺だって結婚を明かす重要な指輪を《銀座の夜店で400円で買った》などとは、恥ずかしくて言えたものではない。
だから、「銀座で買ったが、値段は口に出せない」と答えた。
女房は友達から指輪を貸してと言われると気軽に渡していた。 本物のダイヤだったら貸すことはしなかったろう。
「どこで、幾らで買ったの?」と尋ねられると、「銀座で買った。 値段は言えない」としか答えなかったし、決してダイヤとも、ガラス玉とも言わなかった。
*女房はお気に入りの指輪をしたまま炊事洗濯をしていた。
それから半年も過ぎたころ、女房の職場の同僚が5個のダイヤ?のうち、一つが無くなっていることに気がついた。 通勤途中に落ちたのだろう。
「ダイヤが一つ無くなっているよ」と注意を受けた女房は答えた。
「糊がはがれたのでしょ。 400円だから気にしないよ」と。
職場の同僚たちは大笑いになった。
*それから間もない日、K氏は俺をにらみつけて、どなった。
「嘘をついたな! 指輪は400円のおもちゃではないか! 俺は妻から、すけつねが贈ったいう、ダイヤの指輪を私にも買ってくれと、何度も何度もせがまれて、悩んできたぞ ‼ 」
俺も女房も嘘は言っていない。 《ガラス玉の結婚指輪を銀座の夜店で400円で買った》などと恥ずかしくて言えないから、《買ったところは銀座、値段はとても言えない》としただけだ。
ガラス玉を勝手にダイヤモンドと思い込んでしまったのは同僚たちではないか。
K氏はくやしそうに俺をにらんでいる。 俺はK氏を気の毒に思った。
*それから20年も経ったころ、俺は本物の一文字ダイヤの結婚指輪を女房にプレゼントした。 しかし、その頃、女房は指輪に関心が無くなって、めったに指輪をすることをしなくなった。
*あの頃の事を想い出すと愉快になる。