2013-3-2
焼却処分されたはずの人形に出会った
(北海道・八雲小学校にて)
昭和2年,アメリカから日本の子供たちに1万2,700体もの「青い眼の人形」が贈られた。この人形を受け取ることができた学校や幼稚園では大切に飾っていたが,太平洋戦争が始まると敵国の人形として焼却処分されてしまった。
しかし,幾つかの人形は密かに隠され,戦後,日の目を見ることができたものもある。この写真の人形は戦後しばらく経ってから,北海道八雲小学校で見つかったものである。
昭和16年12月,アメリカとの戦争が始まった時,私の姉は北海道の八雲国民学校初等科2年生であった。姉の話によると昭和17年は戦時中であっても3月のひな祭りのときには,お雛様と一緒に青い眼の人形も飾られていたとのこと。しかし,3年生になった翌18年のひな祭りの時に,先生から 「これからは青い眼の人形を飾ることができなくなったの」 と悲しそうに子供たちへ伝えられたという。この理由を理解出来るはずがない姉は弟の私と 「青い眼をしたお人形はアメリカ生まれのセルロイド」 と歌っていた。
平成17年の6月,私と姉は八雲町を訪れた。そして幼い頃の記憶を頼りに街を散策した。もちろん,小学校も訪問した。ここで校長室に飾られてある青い眼の人形に出会った。姉にとっては63年ぶりの対面である。
人形を焼却処分せよと命ぜられながらも,密かに隠して保存してくれた先生はどんな思いでいたのだろうか。
童謡 ♪青い目の人形 A Japanese children's song "A Blue eyed doll" or "Aoi Meno Ningyo"
青い眼の人形
野口雨情作詞
本居長世作曲
青い眼をしたお人形は アメリカ生まれのセルロイド
日本の港へついたとき 一杯涙をうかべてた
わたしは言葉がわからない 迷ひ子になったらなんとせう
やさしい日本の嬢ちゃんよ
仲良く遊んでやっとくれ 仲良く遊んでやっとくれ