降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★「北海タイムス物語」を読む ㊶

2016年01月31日 | 新聞

( 1月26日付の続きです )

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第41回。

*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ報道部記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。


( 小説新潮2015年11月号 298ページから )
日々一緒に仕事をするうち、社会部や経済部など外回りの先輩記者たちが萬田局次長を毛嫌い❶していることがわかった。
酒が入るたびに「萬田のやつ」と口癖のように言った。その言い分を聞くとたしかにそうだなと思えることもあったし、局内で人事権❶などの力を持つ萬田さんの言動をうがって見ているのではと思う部分もあった。
だが、僕も萬田局次長のことは好きになれなかった。
研修最後の十四日目❷、僕と武藤、芳村、磯田❸の四人で道警クラブの共用テーブルでコンビニ弁当の遅い昼食を食べていると、河邑が腰を屈めるようにやってきて「おいおい、ちょっと」と僕の袖を引いた。
「みんなこっち来てくれ」と袖を引っ張っていく。他社の連中がいぶかしげに見ている。
「いや、さっき慶應出身の某社の新人に聞いたんだけど、浦さんて大学時代にエンペラーのお立ち台に立ってた有名な女だったらしいぞ」



❶萬田局次長を毛嫌い、局内で人事権
編集局の人事権を掌握している萬田局次長兼整理部長(45)は、局内で嫌われているのが分かる。それも、かなり。
新聞社では、局次長をキョクジと呼ぶことが多いので、きっと飲み屋では
「萬田キョクジ、許さねーべ!」
とか言われていたのではないだろうか。
(連載2回目になっても、なぜか編集局長は出てこない…)

❷研修最後の十四日目
北海タイムス平成2年度新入社員研修には〝幹部候補生〟とかいたのだろうか?……まぁ、とにかく新人研修は2週間。
慣れないことばかりで、疲れが出てくるころだよねぇ。がんばれ若造!という感じ。
新聞社によっては、有力販売店で配達研修をさせるところもあるが、小説内で言及していないので、北海タイムスでは行われていなかったようだ。
配達研修をした、僕の知人は
「研修で配達していたとき、俺がいた販売店への配送遅れが何回かあって
『編集は降版時間まもれよな!』
『配るのが7時過ぎちゃうじゃないか!』
と痛感したね。だから、降版時間は絶対に守るの、俺」
「配達していた専門学校の学生たちと一緒に風呂に入ったり、いろいろな話が聞けたり、楽しかったかも」
と言っていた。

❸武藤、芳村、磯田
再び、小説「北海タイムス物語」登場人物紹介。
▽武藤=武藤達次、22歳。
千葉県出身、明治大学法学部卒。
「高校時代にはラグビーで花園に行ったやつです。明大ではラグビーやってないらしいですけど」(小説主人公・野々村くん談)
▽芳村=芳村太、22歳。
東京出身、琉球大学理学部地学科。
▽磯田=磯田昌一、22歳。
神戸出身、同志社大学社会学部新聞学専攻。
小説内では、言動に問題がある河邑太郎を諌める役に武藤くんが充てられている。
武藤くん、実はこの後、花園ラグビー経験が買われてムニャムニャ……。

———というわけで、続く。